第6話 さてこの子供をどうやって殺そう?


私と赤ん坊の逃亡生活が始まった。


まず私は昨日の報酬八〇万を使って、田舎に身を隠した。

都市部の過密化が進み、ど田舎に行けば家はただ同然に手に入る。


私はボロボロの家に入り、荷物を置くと、

「ここが今日から私たちの家か」


家は四畳半。畳はヨレヨレ。

窓はガタガタ。

水道はピチャピチャ水漏れしている。


全体的に薄汚れていて、汚らしい。

だが生きていくには十分だ。


赤ん坊は私の背中で、

「きゃっ! きゃっ!」

「お前も嬉しいのか? 安心しろ! すぐにお前を殺す方法を見つけてやるからな!」


すると、

「えぐっ! ひぐっ!」

泣く寸前のえずきのような声をあげ始めた。


「えっ?」

一瞬、私のセリフを理解されたかと思ったが、

「ん? ああおしめね。はいはい。ちょっと待ってね」


どうやらおむつが湿ったらしい。


私は赤ん坊を床に下ろし、おむつを変えようとした。

その時だった。

私はある異変に気づいた。


床でべそをかく赤ん坊を見て、

「あれおかしいな。……」

赤ん坊の股間のアレがなくなっていたのだ。



それから数ヶ月の時が経った。




私はロープを赤ん坊の首にかけて、

「いくわよ……!」

ぎゅうううっと絞め殺す。


渾身の力を込めて、赤ん坊を絞殺する。


ヒモはピンと張り詰め、まだ幼い赤子を締め上げる。

私は力を振り絞り、空気が揺れるほどヒモを引いた。


そして、ブチィっと鈍い音がして、ヒモの方が切れた。

赤ん坊は私の方を見て、

「きゃあっ! あぶあぶっ!」


どうやら今のを遊びだと思っているみたいだ。

「はぁ……絞殺もダメか……」



私は作った『赤ん坊殺害チェックシート』にまた一つバツ印を書いた。

ため息をつきながら、一枚のシートを見直す。


[赤ん坊殺害チェックシート]

◆◆◆

五月四日  刺殺 × 「包丁が折れた」

五月十日  焼殺 × 「赤ん坊の体が炎に包まれたが、火傷すらなかった」

五月十二日 撲殺 × 「ハンマーが粉々になった。赤ん坊は無傷」

六月四日  絞殺 × 「ヒモが切れた。赤ん坊の首には跡が少し残っただけ」

◆◆◆



どうやったらこの子を殺してあげられるのだろうか?

もしこの子が捕まったらバラバラにされ、血を取られ、サンプルか標本になるのがオチだ。

地獄のような苦痛が始まる前に、殺してやるのも優しさだ。


私のことを楽にしてくれる人はいなかった。

だから私がこの子のことを救うと決めた。


みんな死ぬことを恐れる。まるで死ぬことが怖くて苦しいことであるかのように。

だが実際は死というものは、安らかなものだ。

生きることこそが、怖くて苦しいこと。


生きるということは、苦しむ決意をすること。

死ぬということは、苦しみから解放される決意だ。


「私が必ず楽にしてあげるから……それまで我慢してね」



それから月日が流れ、シートは部屋の隅で山になった。

最初は一枚だけの紙切れだったが、ダンボール箱に入り切らないほどになった。

私は全力を尽くし、ありとあらゆる方法で殺害を試みた。


失敗して、失敗して、失敗し続けた。だが私はそれを失敗だとは考えていない。

失敗というのは、進むのをやめた時に訪れるもの。


途中のつまずきは、成功するまでの過程だ。

諦めなければ成功するわけではないが、成功した人たちはみんな諦めなかった。





そしてついに何百回という試行錯誤の末、見つけた。

それはほんの偶然だった。


私が赤ん坊の体を洗っていた時、誤って水が張っているバスタブの中に落としてしまった。



切っても、叩いても、焼いても無傷だった赤ん坊。

その赤ん坊がゴボゴボと水を飲み込みながら、初めて苦しそうな表情になった。


赤ん坊の弱点は窒息だ。


私は作り笑いをしてみたが、水中の赤ん坊の表情が変わらない。

(表情のコピーができていない! それどころじゃないんだ!)


赤ん坊は、苦しそうに水の中で空気を求めている。

「がぼっ! ごぼっ!」


水面にはいくつもの気泡が浮かび上がり、音を立ててそれが弾ける。


ついに殺してあげられるんだ! ついに、ついに見つけた。

「さあこれで……あなたはもう自由よ。すぐに楽になるからね……」


普通の人は、赤ん坊を殺すなんて酷いと思うのだろうな。


だけど私は殺して欲しかった。


私がしてもらえなかったことをしてあげているんだ。


私はずっとこうしてもらいたかった。

誰にも必要とされず、

誰からも構ってもらえなかった。


生きていくことが、死ぬより辛かった。

こうなるなら、こんなに辛いのならいっそ殺して欲しかった。


この子を水に沈めれば殺せる。

私は冷たい目で赤ん坊を見つめ、

「さよなら」


そして、赤ん坊が吐き出す気泡が徐々に徐々に小さくなっていく。

手足のバタつきが弱くなり、ゆっくりと動かなくなっていく。


面倒なこいつの世話もようやく終わる。


私は赤ん坊に、

「これでようやくお前ともおさらばだ。勘違いするなよ。私は別にお前のことは好きじゃない。どうとも思っていないし、死んでもいいとさえ思っている。

世話をしたのは、金に変えるか迷っていたからだ」


一緒にいる間ずっと、『この世がどれほど不平等か』を見せつけられているみたいだった。

私には何の価値もないのに、こいつは七億。


こいつといると自分が無価値に思えた。


赤ん坊は水の中で苦しそうにもがく。

やがて手足は縮こまり、バタつくの完全にやめた。


「もうお前にはうんざりだ!

私が苦しんでいてもヘラヘラ笑って、

私はお前とは何の関係もない。


最初から、お前のことなんてどうでもいい!」

私は吐き捨てるようにそういうと、バスルームから出ようとする。



そして、赤ん坊は最後の力を振り絞る。私の方に手を伸ばし、

「まぁま」

と、私に助けを求めた。








その瞬間、気づいたら私は赤ん坊を水から掬い上げていた。



なんでそんなことをしたのかわからない。

だけど、私は赤ん坊を水から助け出した。

すぐ赤ん坊の呼吸を確認する。


「心臓が止まっている!」


あれほど強靭だった赤ん坊は、呼吸をしていなかった。

私は、赤ん坊の胸に手を当て心臓マッサージをする。

「動け! 動け!」


人工呼吸をし、止まった心臓を必死で動かそうとする。

「頼むっ!」


そして、

「ゲボッ! ごぼっ!」

赤ん坊は息を吹き返した。



「よかった! よかった……こんなことしてごめんね。私が悪かったわ……ごめんね。本当にごめんね。弱い私を許して……」

私が安堵の表情を見せると、赤ん坊も嬉しそうな顔になった。

「まぁま!」


「ままって呼ばないでよ……私はお前のままじゃないわ」


私は目の前の赤ん坊をどうしたいのかわからなくなった。

心の中に少しだけ迷いが生じたのだ。


目の前の赤ん坊の笑顔を見て、

(殺すのは、別に今日じゃなくたっていいか……)


私は赤ん坊に、

「ごめんね、私が頼りなくて。明日! 明日こそやってあげるから」

そうだ。明日にしよう。明日こそ一思いに楽にしてあげよう。


そして、次の日になると、

「こら! ちゃんとミルク飲みなさい! もうぐずってばっかりで何が不満なのよ!」

今日は疲れたし、いいか……明日。明日こそ殺そう。


また次の日には、

「わあ! ハイハイできるようになったのね! 偉いわ!」

赤ん坊はいつの間にかハイハイができるようにまでなった。私が殺すのを躊躇している間に、すくすくと育っていく。


今日は、気分じゃないし。急ぐ必要はないんだ。今すぐ殺さなきゃいけない理由なんてない。明日でもいいじゃないか。


その翌日、

「まぁま!」

「もうままって呼ばないで! 私はあなたのままじゃないの!」


だが赤ん坊は、ニコニコしながら、

「まぁまっ!」



また一日……また一日と、赤ん坊と過ごす日が増えていった。

赤ん坊殺害チェックシートは部屋の隅で、すっかりほこりをかぶっていた。


もうちょっとだけ。あと少しだけ。

あと一日だけ。


そして、殺せないままその日は来た。幸せな日々は永遠には続かない。

この日は、サヤカが死んだ日と同じような雨が降っていた。

まるで空が私の代わりに鳴いているみたいだった。


雨の中、家の前に黒いバンが止まる。中からは孤児院でサヤカたちを殺した刀傷のあるヤクザが出てきた。


そいつは私の顔を見ると、

「ようやく見つけた……」

「赤ん坊は渡さない。あんたらに弄ばれるくらいなら私が殺す」


「やめろ……その子のを教えてやる……」


そして私は衝撃の事実を知らされる。

この物語が土台から覆るような事実だ。


だけど受け止めないといけない。

それが人生なのだから。


『BBBの正体』へ続く。

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