第4話 B・B・B(ブラックボックスベイビー)
[ナレーション(ここは主人公視点ではありません)]
その男は、額に生々しい傷跡がある。顔の右上から眉間を叩き切られたような刀傷だ。
体は巨大で筋肉質。髪型は角刈りで、いかにもといった雰囲気だ。
喫煙所でタバコを咥えながら、イライラしている。
男は黒柳会(第一話で殺されたヤクザ)のメンバーを殺した女子高生を追っている。
するとそこに子連れの親子が通りかかった。
「ねえママ! あの人ヤクザ?」
「こら! 目を合わせちゃいけません!」
男は、親子の方を向くと吸い殻を地べたに捨てた。
「おい……聞こえてんぞ……?」
「す、すいません」
親子は足早に、その場から離れていった。
男は、ため息と共に、
「チッ! イライラするな……どこにいるんだよ……あの小娘、見つけたらただじゃおかない」
殺意の炎を口から吐き出した。
燻る炎が空気に溶ける。空気は錆び落ち、やがて煙のように消えていった。
=====
私はそんな男に追われていることも知らず、ベビー用品店にきていた。
「あの……赤ちゃん用のオムツってどこにありますか?」
中年の女性店員は、目を丸めて
「えっ? 赤ちゃんですか?」
きっと私が高校生なのに妊娠したんだと思ったのだろう。
「なにか?」
「い、いえ。それでしたらあちら右手にございます」
私は赤ちゃん用のおむつと哺乳瓶、粉末ミルクを取るとレジへ向かった。
店員たちはざわざわしながら、レジを打ち商品を袋に詰めてくれた。
レジの奥からは、数名の店員が
「なああんな若いのに、子供がいるのか?」
「最近の子供は早いっていうけどね」
「あんな可愛い子と子作りできたら楽しいだろうな……」
ひそひそ声で私のことを話している。
全部聞こえてますけど?
そして、私は聞こえないふりをしながら店を出た。
そんな私の背中には……
「おぎゃあ! おぎゃあっ!」
先程の真っ黒な赤ん坊がいる。ベビーキャリア(母親が赤ちゃんを背負うためのハーネス)の中で、おぎゃあと泣き叫ぶ。
「もう誰のせいでこんな目に……」
だが赤ん坊は、我関せずという様子で鳴き声を空に放つ。
「おぎゃあっ!」
「もううるさいなっ! 泣きやめっ!」
どうしてこんな目に遭ったかというと、
=====
[昨夜]
私はナイフを振り上げ、
「死ね!」
思い切り赤ん坊に突き立てた。
すると、ガキィッと金属と金属がぶつかる鈍い音がした。
そして、不協和音と共にナイフがへし折られた。
「そんな! アメリカ製のアーミーナイフよっ?」
サヤカも銀縁メガネの奥の目を丸くして、
「えっ! うそ……ナイフが壊れていたんじゃない? これ使って」
サヤカは机からアイスピックを取り出し、私に渡した。
(うわ……いくらなんでも残酷すぎないか?)と、思ったが仕方がない。
私はアイスピックを赤ん坊の目玉に押し当て、
「今度こそ……楽にしてあげるから……ごめんねっ!」
思いきり突き刺した。アイスピックは赤ん坊の目玉を突き刺し、脳みそを貫き、頭部を貫通しなかった。
代わりにギギギと鈍い音をたててひしゃげた。
まるで硬い金属に突き立てた時のように、アイスピックはぐにゃぐにゃに折れ曲がっている。
ひん曲がったアイスピックを持ったまま、
「信じられない……」
私は指で赤ん坊の肌を触った。
だが肌触りは普通の赤ん坊のものと一緒。柔らかくてすべすべ、絹のような感触だ。
私は目の前の真っ黒い異物を見て、
「なんなのよ……これ……?」
その時だった、赤ん坊の断末魔をかき消すためのテレビから、
『続いてのニュースです。世界各地で突如出現した黒い箱。この中から出てきた赤ん坊が話題になっています』
「ねえ! ちさちゃん!」
私は放心状態で赤ん坊を見つめている。サヤカの声は頭に入ってこない。
「ちぃちゃん! 聞いて!」
「え? あ、なに?」
「テレビ! テレビ見て!」
私はそこでようやく我に返り、テレビに意識を移した。
『赤ん坊はB・B・B(ブラックボックスベイビー)と呼ばれています。
現時点では、落とし主は名乗り出ていません。誰が一体なんの目的で作ったのか、そして街中にこの赤ん坊を放置したのか謎のままです。
箱を開けた時点では赤ん坊は、冬眠状態です。ですが、強い刺激を与えたり、大きな音を立てると目覚めてしまいます。
目覚めると最初に目が合った人間を母親だと認識します。みなさん決して赤ん坊と目を合わせないでください。繰り返します。決して赤ん坊と目を合わせないでください』
サヤカは慌てた声で、
「ねえ! さっちゃん! 見て!」
「何よっ!」
私は赤ん坊を見る。
するとさっきまで真っ黒だった赤ん坊は、肌色の普通の赤ん坊になっていた。
額にあった数字もすっかり消えた。
だが目つきは鋭く、刺すような視線でじっと私の顔を見てくる。
その瞬間、何か自分がとんでもないものに巻き込まれたことを直感が告げた。
『赤ん坊と万一にでも目を合わせてしまった場合は、すぐに最寄りの警察署に行ってください。これは大袈裟に言っているわけでも、不安を煽る報道でもありません。
みなさん街中でこの黒い箱を見つけても決して開けないで、警察に届けてください。
くれぐれも興味本位で近づいたりしないでください』
「え……え……どうしよ? 私目見ちゃった……どうしよう! ねえ私どうなるのっ?」
「狼狽えるな! 落ち着け! 最初に目が合ったのは私だ。だからサヤカは大丈夫。何かが起きるなら私の身に起きるはずよ」
そして、ニュースは続ける。
『ええと……ただいま続報が入りました。現時点では理由は分かりませんが、赤ん坊が闇市場で取引されている模様です。赤ん坊を持っているとヤクザやマフィアに命を狙われる危険があります』
「ちょっと! どうしよう……ねえ! どうしたらいい?」
「黙って!」
私たちは暗い部屋でニュースを見る。
『現在の赤ん坊の値段は…………………日本円で、約七億円です』
四角い箱に映された液晶が、闇の中で青白く笑っているようだった。
=====
私は大きくため息をつく。
「はぁ……」
ため息の原因は、背中でニコニコ笑っているこいつだ。
「勘違いするなよ。私があんたを世話するのは金のためだからな」
赤ん坊は、自らの価値を知らない。ただ声をあげて気楽に笑っている。
私とサヤカは警察に赤ん坊(ブラックボックスベイビー)を届け出ないことにした。
闇市場で売れば、七億。手数料、アリバイ作り、マネーロンダリング諸々の費用を払っても孤児院を再興させるには十分すぎる金額だ。
もしかしたら一七人全員が一生食っていけるかもしれない。
私は背中で笑っている赤ん坊を見て、なんだかほっこりした気分になった。
あれだけ哀れに思っていた捨て子を私が助けることになるなんて。
不幸な子供を殺すことが優しさだと思っていた。
だけどもしかしたら違う方法もあったのかもしれない。
気づいたら赤ん坊の笑顔を見て、私は笑顔になっていた。
まるで私が赤ん坊の笑みをコピーしたかのようだ。
私は生まれつき、周囲の人の顔色や表情を受け取りやすい。
背後にいる赤ん坊の頬を指先でピンと弾き、
「お前を助けるのは金のためだからな? 勘違いするなよ? ふふ……」
「あぶ……ばぶぅ!」
赤ん坊は先程買ってあげた哺乳瓶がお気に召したらしい。
咥えて、楽しそうにしている。
「全くいいな……お前は気楽そうで」
そして、私は七億を背負ったまま家に着いた。辺りはすっかり夕暮れ。
死に際の太陽光線が、大地を朱に染め上げている。
後は赤い海の中で、暗黒が訪れるのを待つだけだ。
(さて孤児院のみんなと管理のおばちゃんになんて説明するか……)
可能ならバレずに金をもらい、宝くじに当たったことにしたい。
だがそんな都合よく行くか?
「あぶ! ばぁ……ま、まぁ」
赤ん坊が私のことをママと呼んだ気がした。
「気のせいだよな……」
赤ん坊は、ニコニコしながら私の顔を見てくる。
この子の笑顔を見ていると、自分の報われない人生がほんの少しだけ報われたような気になる。
辛いことだらけだった艱難辛苦の修羅の道が、ようやく終わりに差し掛かったのかもしれない。
私の人生が、今ようやく始まったのだ。
心は踊り、草原の中にいるかのような爽快感が肌を焼く。
金さえあれば全てがうまくいく。
なんでもできるし、苦労も不幸もなくなる。
この社会では金が全てなんだ。
これで私をゴミのように扱った奴らを見返せる。
やっと……やっと幸せになれるんだ。
私はボロボロの門を開けて、ドアを開ける。
「ただいまー!」
そして、私は地獄に戻った。
ドアを開けると、床も壁も天井も飛び散った血飛沫で染まっていた。
内臓と骨が散乱し、かつて人間のものだった臓器が孤児院にぶちまけられている。
孤児院の中には、人の形を保っているものは見当たらなかった。
「何……これ? なんでみんな死んでいるの?」
私は放心状態のまま現実が受け入れられずにいた。
(何かの間違いだ。きっと気のせいだ)そう考えながら、死体をいくつも跨いでいく。
階段を一段、また一段と上がっていく。足取りは重く、体が鉛になったかのようだ。
時間はやたら長く感じた。一秒が一時間くらいに引き伸ばされたみたい。
私の体が、過ぎていく時の流れに抵抗しようとしているのだ。
二階に上がると自分とサヤカの部屋に向かった。
ドアプレートは叩き割られて地面に転がっている。『ちさとサヤカの部屋』と書かれていた文字は、ドス黒い血で染まっている。
私はゆっくりと部屋の扉を開ける。
「……サヤカ?」
ギイイイと鈍い悲鳴を立てたドアが開いた。
部屋は、何かの肉片でぐちゃぐちゃのドロドロ。
私のテーブルの上には、白い箱が置かれていた。
箱には、血文字で『ちさ、開けろ!』と書かれていた。
箱の四隅は中から漏れ出た血でグッチョリと染まっている。
角からは血液が滲み出て、テーブルに血溜まりができるほど濡れている。
そして、箱の蓋には見覚えのあるものが置いてあった。
「これ……サヤカのメガネ?」
それはサヤカの銀縁メガネだった。
私は凍りついた背筋を動かし、箱を開けた。
中に入っていたのは…………『後ろを見ろ』と書かれた紙だった。(続く)
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