第119話 夜の学校の中で

目指すは、学校の北校舎。


普段はあまり使われていない校舎で、理科や家庭科などの授業で時々使っている程度の場所だ。他は部室があるくらいか。


しかし、そこは学校の中で一番古い校舎で、昼間でも影になっている部屋はそれなりに雰囲気がある。うちはよく世間的に言われる学校の七不思議的なものは存在しないが、雰囲気だけで言うと負けていない気がする。


そんなわけで、肝試し、もとい漫画のインスピレーションを掻き立てるにはうってつけの場所だった。


時計はもっていないので、感覚にはなってしまうがもうすぐで九時半ごろだろう。もちろん北校舎の入り口は既に閉まっている。なので、おれたちはぐるっと裏側に回って廊下が見える窓へ行くと、その手前から二番目の窓に手を掛けた。


かららら…。

開いた。

そう、この窓は壊れていて、鍵を閉めることが出来ない。なんで直されてないかは学校の先生にしか分からないが、こちらとしては好都合だ。


窓の縁に足を掛けて、廊下へと飛び込む。葵もスカートを捲りあげながら足を掛けて飛び込んできた。やっぱりその恰好は色々間違ってたんじゃと思ったが、突っ込んだらまた怒られそうなので止めておく。ていうか、女の子がそんな簡単にスカートを捲ったらダメでしょ。ちょっと目のやりどころに困る。ホントに。


まあ、葵が気にしてないならいいんだけどさ。いやよくないか。よくないな。


そんなことを考えていると、ふわっと足元に冷ややかな空気が触れた。

足元を見る。何も無い。廊下に沿って奥の方を見やると、広がる薄暗闇と、月明かりに照らされた廊下。


そこはまるで、異世界だった。


姿、形はいつもの学校のままなのに、雰囲気が異様だ。おれたちが何気なく通っている通路も、昼間とは違う表情を見せている。


暗いってだけで、こんなに変わるのか。


暗闇は、人間の恐怖を煽る。見えないからこそ、何かが出てくるんじゃないか、何かが見えてしまうんじゃないか、と想像してしまうから。


闇はただ純粋に、そこに在るだけなのに。おれたち人間は弱いから、無意識に闇を遠ざけてしまう。


そうだ。だから、早くしないと。

早くしないと?


一瞬、ぐらりと平衡感覚が奪われる。少し驚いたが、それだけだった。


何か違和感を覚えた。何だったんだろう、今のは。分からない。でも、ほんの少し、焦燥感が心を過った。なんで、早くしないとって、思ったんだろう。


「ん?どしたの?」ちらと後ろを見ると、不思議そうにおれを見下ろす葵がいた。

「け、けっこう」おれは取り繕うようにきょろきょろと周りを見渡す。

「雰囲気あるよね…?」

「え、そう?」

葵は、けろりとした表情で振り返った。


「むしろ、すごいわくわくするんだけど!ひんやりしてて、身体の芯からぞわぞわして、こう、テンション上がるっていうか!」

「うわぁ、身体の反応と感情が一致してないなこの人…」

「だってさあ」

葵はふふっと微笑んで頬を緩める。


「夜の学校なんて、来たことなかったし。なんかいけないことしてるみたいで、スリリングだよね」

「まあ実際、夜の学校に侵入するのはいけないことだと思うけどね?」

おれは呆れながら、今更なんでこんなことしてるんだろうと思った。葵が行きたいなんて言わなければ絶対に行かなかったけれど、ちょっと夜の学校が気になる自分もいたのは確かだ。


なぜか。たぶん、非日常的だから。このつまらない日常に、ちょっとだけ、水を差すことができるんじゃないかって、心のどこかで思ったからだろう。


もちろん、インスピレーションを受けたいというのもある。でもむしろ、それは二の次だったのかもしれない。本当は、何か違うことを、したかったから。


だから、葵の誘いを、無理に断れなかった。


「ねえ、じゃあ早速写真撮ってみようよ!」

行きにコンビニで買って渡しておいた、インスタントカメラを葵が取り出して、ぱしゃりと一枚おれを撮った。


「ちょっ!?眩しいんだけど!?」フラッシュを焚いていたので、視界が真っ白になる。

「いいじゃん!こっちの方が何か写りそうじゃない?」

「本当に写ったらどうすんだよ…?」

「その時はその時よ。ねえ、わたしも撮りたい!ほら、こっちこっち!」


そう言うと葵はおれの腕を引っ張って寄せると、インスタントカメラを自分に向けて、またぱしゃりと写真を撮る。


「わっ!?」葵はぎゅっと目を瞑って驚いた表情になる。

「けっこう眩しいんだね、これ…!」

「だから言ったじゃんか。逆に幽霊は驚いて写んないんじゃない?」

「あはは、いいねそれ!じゃあ写真を撮りまくろう!これで怖くないね!」

「あ、そんなに連写してたらすぐフィルム無くなるって!」


懐中電灯の明かりを付けて、はしゃぐ葵を追いかける。


結論から言うと、それなりに楽しかった。


移動するたびに葵が写真を撮りまくるから、最初は明るさで警備員さんか誰かにバレるんじゃないかとひやひやしたが、幸いそんなことはなく、途中からそういう心配は一切考えてなかった。


人ひとりいない、暗闇に飲まれた学校を探索する。まるでこの世界から人が消え去って、おれたちしかいないような感覚。解放感。誰にも気にせず、堂々と歩ける。


日常とは違う、新鮮な高揚感。想像していた通り、それはおれにとって特別な時間だった。


もう、漫画のインスピレーションがどうとかはどうでもいい。ただ、この開放的な気持ちと、やってはいけないことをやっているという背徳的な気持ちが、心地良くて。


その羽目を外したような気持ちで、おれたちは最後に、北校舎の屋上へと足を進めた。

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