第103話 何のために

「…昔ね、ある人から、言われたことがあるの」

葵は、ふっと顔を上げると、少しずつ語り始めた。


「人間って、なんで頑張るんだろうって。努力するんだろうって。人には寿命があって、死んでしまえば、それは全部無駄になってしまうのに。もちろん、もっと昔、人類がまだ未熟で、今みたいに娯楽なんて無かった時代には、自分が生きるために必死に頑張る必要があった。でも、今はもうそこまで生きるために必死になる必要はない。まあ、ある程度の仕事はしなきゃいけないんだけどね。でもわたしが言いたいのはそういうことじゃなくて。自分が生きるためでもないことを熱心に頑張って、それがいったい何になるんだろう、ってこと」


葵は、三角座りで膝を抱えて、じっと向こう側の夕日を見ている。無表情で、そこから何を思っているかも分からないが、おれは彼女に尋ねてみる。


「その…、例えば、おれたちがコンテストで賞をもらおうと頑張っていることも?」


「そう。でもごめん、勇人たちの今やってることが無駄だって言ってるわけじゃないの。わたしは、何かをするってことには、全部何かしらの意味があると思ってるんだ。勇人たちで言うと、目の前には、コンテストに応募しないと、居場所が奪われるから、っていう目的と意味はある。じゃあ、とりあえずコンテストに適当に応募しとけばいい話じゃない。でも、やるならやるで、賞を取りたくなって、何故か頑張ってしまう。それは勇人たちだけじゃない。仕事をしてる人も、それだけやればいい仕事だとしても、人間、もっと良くしようという心理が働く」


「結果的には、それ以上やる必要は無いのに、余計なことまでしてしまう。余計なことって言っちゃあれだけどさ。その、良い意味で余計なこと。でもその余計なことにも、意味があるんじゃないか、ってこと?」


「うん。もっと分かりやすく言うと、百パーセントで目的が達成することなのに、皆百二十パーセントを目指そうとする。その差の二十パーセントは余計なことだけど、それにもちゃんとした意味があるんじゃないかってね」


「それって、やっぱり褒められたいとか、認められたいとか、そういう単純な理由なんじゃないの?」


おれは地面に生えている草をじっと見つめながら言った。そうしていると、少し思考に集中できる気がする。


「例えば、勉強して良い点取れたら、先生や親とか、友達にすげえって褒められるじゃん。だから、頑張ろう、って思う人もいるんじゃない?」


葵は、急に表情を柔らかくして、ふっと笑った。

「それ、さっき勇人に言ったら、そうじゃないかもしれない、みたいな顔自分でしてたのに?」


「…まあ、確かに…」

葵の言う通り、おれは誰かに褒められたくて、漫画を描いている訳じゃない。

でも。


「そうかもしれないけど。なんだろな。その余計な二十パーセントをやり続けてたらさ。自分の世界がどんどん良くなっていくんじゃない?その努力が認められて、人が集まってきて、お金がもらえるようになったり、高級な家に住めるようになったり。生活も楽になるかもしれない。そういう大きなメリットがあるから、皆努力する、のかな?まあ、最後は誰だって死んじゃうかもだけどさ。自分の人生、楽して幸せで生きたいだろ?」


葵は、ぷっと吹き出して、今度はお腹を抱えて笑い出した。

「あははははっ!ごめん、なんか、全然勇人に似合わないこと言い出したから」


おれは恥ずかしくなって葵から顔を背けた。

「だ、だからって笑うことないだろ…」


「…そうだね」葵はふうっと一息ついて、また夕日を眺めた。

「そういうことも、あるかもしれないね…」


その横顔は、どこか、悟ったような顔つきで、遠くを見据えているように感じた。夕日じゃない。もっと遠く。


そう。ここじゃない、どこか。初めて葵の絵を見た時に感じた、不思議な感覚。


その横顔から、ぽつりと言葉が漏れた。

「…じゃあ、わたしは、なんで頑張ってるのかな…」


「え?」

おれは聞き返したけど、葵は全然反応しない。もう一度聞き直そうとしたが、野暮、だろうか。むしろ、話しかけちゃいけない気がして、おれもとりあえず、黙っておくことにした。


「…そうだ!」

しばらく沈黙が続いた後、葵は急に立ち上がって、おれを見下ろした。


「勇人、そういえば、さっき次の漫画はホラー系にしようかなって言ってたよね?」

「あ、ああ、そうだけど。でも、まだどういうストーリーにするか全然決まってないよ?」


今日葵に漫画を見せる前、次のコンテスト用の漫画どうしようかな、という話題になった。しかし、ホラーにするというのは、光太と実琴が勝手に盛り上がって決めたことで、全然方向性が定まっていなかったのだ。


「じゃあさ、今日夜の学校行ってみようよ!」

「よ、夜の学校?それまたなんで?」

おれは葵を見上げながら首を捻った。というか、さっきまでの話との関連性が全く見えない。何がどうなって、そういう話に繋がったんだ?


「そりゃあ」葵は得意げに腕を組んだ。

「ホラーって言ったら夜の学校って相場が決まってるでしょ?」


「いや、そういう問題じゃなくて…」


「やっぱりさ、ストーリーを決める時は、インスピレーションが大事だと思うんだよね。だから、実際に恐怖を体験してみたら、良い案が思いつくかもよ!」


「そうかもしれないけどさ。部員じゃない葵にそこまでやってもらわなくても」


「いいの!わたしも、皆の漫画がどうなるのか、知りたいしさ。協力もしたいし。それとも、わたし、すごくお節介だった?迷惑、なのかな?」


そう言うと葵は悲しそうな顔つきになった。いや、そんな顔されてもさ。困るんだけど。でもだからって、無下に断ることも出来ない。


「まあ、その、葵がそこまで言ってくれるなら?インスピレーションも大事だと思うし?ほんのちょっと、行ってみても…いい、のかな?」


すると途端に、葵はさっきまでの悲しい表情が嘘かのようにぱっと華やかに笑った。

「やった!それじゃあ、今日の二十一時に学校に集合ね!遅すぎたら、補導されちゃうしね。懐中電灯と、インスタントカメラの用意もよろしく!」


「わ、わかったよ…」

おれは渋々頷いた。そういうところは、ちゃっかりしてんだな、と内心思ったが、葵の笑顔を見ていると、言い出す気になれなかった。

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