第96話 眠れない
「眠れね…」
おれは二段ベッドの裏側を見つめながら呟いた。
楽しい夕食と入浴を終えて、あとは寝るだけなのに。
微睡が襲ってくる気配は全く無く、瞼も重くならない。
既にコウタとゲンの寝息が聴こえている。いつも通り彼らも疲れているから、ベッドに入るなりすぐ眠りについてしまったようだ。
こんなことなら、コウタを寝かさずに、話し相手になってもらえばよかった。
おれだって、明日からも、変わらず戦いの日々が待っているんだけど。
最近どうも、寝付きが悪い。
まあ、原因ははっきりしている。
静かになると、どうしても考えてしまうから。あの言葉。
“約束”。
その言葉の意味を知っているはずなのに、全然分からない。思い出せない。何を託されて。誰を守れと言われたのか。それを考えるだけで、眠気が一瞬で醒めてしまう。
じゃあ考えなきゃいいだろと思うけれど、そんな簡単なことじゃなかった。理性では忘れようとしても、無意識が勝手にその言葉を掘り起こしてしまう。
まるで、あまり好きでもないメロディが、ずっと頭の中でリピートするように。
延々と、繰り返されている。
たぶん、それだけおれ自身も気になっているんだろうとは思う。
それにだいぶ、頻度が高くなってきたような気がする。遺跡に入るまでは、そこまで頻繁じゃなかった。でも、ショウの指示を遂行して、記憶を返してもらってからは、悪い時で一日に二、三回それが訪れる。
今日もタイミングが悪かった。ちょうど、スライムと戦っていたときに“衝動”が来たせいで、危うくスライムに潰されるところだった。
もし、今後も戦闘中に“衝動”が来てしまったら。洒落にならない。戦場では、一秒先の自分が生きているかどうかさえ、曖昧なんだから。
ザルシュのパンチをもらいそうになった時。巨人の一撃をもらった時。ネイビーの刃が首を掠めた時。
ぞっとする。思い出すだけで、鳥肌が立つ。
一秒で生死が分かれる瞬間なんて、けっこうざらだ。一瞬の判断ミスが死を招く。それだけじゃない。理不尽なことに、自分の力じゃ何ともできない運でさえも、味方してくれなければ死に繋がってしまう。
それも、その人が立っているか、座っているかのような誤差で、だ。本当に些細な違いなのに。たった、それだけのことで、命運が分かれる。
それが戦いなんだ。
『お前はそんな余計なことを考えるよりも、早く記憶を取り戻すことを優先した方がいい』
何となく、今更になって、ショウが言っていたことの意味を理解できた。頭では分かってはいたけれど、体験してようやく実感が持てる。これは危険だ。
要は、おれ自身が気になって仕方ないから、こうやって“衝動”の頻度も上がってしまっているんだ。じゃあどうやってこの問題を解決するかって?一番手っ取り早いのは、ショウから記憶を取り戻すことだ。というか、現在これしか方法が無い。
でも、中々そういうわけにもいかない。
なぜなら、ショウから記憶を返してもらった後、彼は「また、時期が来たら連絡する」と言って、音信不通となってしまったからだ。
こちらから何かしら伝える手段があればいいのだが、そんなものもない。いつだって、呼び出されるときはショウからの一方通行だ。
記憶は取り戻したい。でもショウの指示を遂行しないと記憶は取り戻せない。加えてショウが指示をくれない。
これじゃあ、成す術がない。
「はぁ…」
おれは無意識に溜息を付いていた。そりゃ、付きたくもなる。ミコトに聞かれたら「幸せが逃げちゃうぞー?」と言われそうだなと思うが、無理だ。というか、付かせてくれ。じゃないと、やってられない。幸せどうこう言ってる場合じゃない。
不安、という言葉がぽつんと頭の中で弾けた。
漠然とした不安。何が、とか、明確なものがあるわけじゃない。本当にぼやっとしていて、自分でも分からない。
夕食の時とても騒がしかったから、この静かさが余計に胸を打つ。
駄目だ。
悪い方へ、悪い方へ考えてしまう。悪癖だ。記憶を無くす前も、こんなだったのだろうか。
まあ過去の自分さえも、それには答えてくれないんだけど。
ひゅう、と部屋に風が入り込む音が聞こえた。ボロ屋だから、いつだって隙間風の音が後を絶たない。
「夜風に、当たってみるか…」
こうして寝転んでいても埒が明かないし、おれはベッドから抜け出して部屋を出た。
早く寝なければならないけれど、たまにはこういう気分転換も大事だろう。外の空気を吸ったら、眠くなるかもしれないし。そんなことはないか。でも、やってみないと分からない。
部屋を出て、廊下を左側に進んでいく。今日は雲一つない夜空に大きな満月が輝いているから、廊下にも窓から僅かな月明かりが照らしている。
ずっと進んでいくと、中庭に出た。いつもおれたちが食事をしているところだ。
焚火の炎はとうの昔に消えていて、煙すら立っていない。その隣にテーブルと椅子があるから、おれはそこを目指して歩を進める。
でも、意外なことに、そこには先客がいた。
その人物も、おれの接近に気付いたようで、振り返って目が合ってしまった。
「…ソラ」
月明かりに照らされた、銀色の瞳。黒く染められた髪にも月明かりが反射して、染める前の白髪に見えて、少しドキリとする。
おれの座ろうとしていた場所に、ソラは一人で座っていた。
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