第2話 フィルムカメラの供養 前
蝉が、鳴いている。
耳をつん裂くように、四方の木から響いて来る。
噴水の音も掻き消して、暑さと蝉の声だけが響いて来る。どうしようもなく汗が垂れた。体温は下がることなく上がっていく。制服の袖で汗を拭った。白いセーラーが灰に滲んでしまった。
「あ、」「......」
洗濯物を溜めていたことを思い出して、憂鬱な気持ちになった。本当なら、今日は家でゆっくりとくつろいでいた筈なのに。
この。遺品のせいで。
古いえんじ色をした、縦長の箱。
レンズがあり、シャッターが切れる。備え付けのフィルムケースは空。両側に伸びた革のベルトは使い込まれた飴色へと変色していた。
使い方は昔教わった。ジリジリと音をたて、ダイヤルを回す。フィルムが巻かれる音。蓋を開け、中身を取り出す。25mmのどこにでもあるカラーネガフィルム。
――――――――私は先端を思い切り引き出して、夏の眩むような日差しに翳した。
もう、現像は出来ない。焼き付いた風景が写し出される事は無い。
蝉の声が途切れて、酷く身体が寒くなった。きっと気のせいだ。悪寒も一瞬で消え失せる。
安心して、息を吐いて吸った。森の中に溜息がこぼれていき、線香の香りが身体に残る。
だが、どこか違う匂いを感じた。家のものではない。祖父母の家のものではない。これは
チリ、ン
高く澄んだ風鈴の音がした。そちらを振り返ると、店が一軒。
木々の隙間。蜃気楼の中にぼんやり姿を表していた。
掠れた看板は辛うじて葬儀屋と読める。ショーウィンドウの中からは薄暗い店内が伺えた。
店先の小さな看板には、こう書かれていた。
「有形・無形 供養します」
思わず、自身が持っているカメラを見つめた。
これは自分が持っていて良いものではない。別に他の、もっと持つべき人が居るはずだ。確証もない漠然とした思考が、夏の暑さに溶けていく。
「...あら、珍しい」
パシャリ、と水が撒かれる音。和風な柄杓に桶。こんなに暑いのに、黒づくめの服装。
それはまるで墓参りのような。黒髪のショートカットの女性は、こちらを伺うようにみてくる。
「今日は日差しが厳しいですから、中へどうぞ」
「え、あっ...良いんですか」
「勿論。さ、どうぞ」
パシャパシャと、濡れた地面を歩きドアの前まで来た。ローファーが水滴を散らす。低いドアベルが響き、女性によってドアが開けられると中は不思議と居心地が良く思えた。薄暗い店内に、革張りのソファ。行事で訪ねた古い博物館の展示室を思わせる調度品に、なにか生暖かい...
「にゃあ」
ちりん、と鈴を鳴らして黒猫が足にまとわりついてきた。しゃがみ、顎を撫でてやると機嫌良く喉を鳴らした。愛らしい。
「...どうぞ」
女性は、銀のお盆の上に載せて、縦長のガラスコップに入ったラムネを持ってきた。アイスがない代わりに、輪切りのレモンが沈んでいる。思わず喉が鳴り、手を取って一口飲むと炭酸が爽やかに弾け、後からほのかに塩味が来た。確か名前をソルティレモン、だったと思った。祖母の縁側を思い出す。
「あの、ええと」
「どうかされましたか?」
「飲み物、ありがとうございます...じゃなくて。表のは、その...」
「はい。当店では供養を生業としておりまして、どの様なものでも請け負いさせて頂いております」
「供養...って燃やすんですか?」数時間前の火葬場を思い出す。
「聡いですね。ええ。こちらの―――」女性が、いや、店主が懐から小さなものを取り出した。
「箱にて、供養させていただいております」
何の変哲もないマッチ箱のように見えた。ただ異なっているのは、その外装が真っ白であることと、火を擦る部分が黒く染まっていたことだ。
焼却炉か何かがあるのかな、マッチを種火にして、と予想を立てつつ。
「あの、じゃあこれを....」首から下げていたフィルムカメラを机の上に置いた。えんじ色の本体に、飴色の皮のストラップ。そして剥き出しになったフィルム。
「供養してもらえるんですよね。じゃあパパッと...」
「いえ、今は出来ません」
「えっ?」
「お客さま自身がそちらについてお話しして頂くことで、供養はなされます。」
そういった店主はマッチ箱を開けた。中身は空だった。
「そ、れは...その、ぜったいにしないといけない...?」
「申し訳ありませんが、私ではその様にするしか。」
氷が溶けて、ガラスのコップを叩く。
もう一度だけソルティレモンに手を伸ばして、飲み込んだ。
「じゃあ、ええと。これは祖母の家に行った時で...」
黒猫の供養屋 雷鳥 @Laichou
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