第8話

甲斎はその問いに深く頷くと、


「私も同じことを玄白先生に尋ねた。だが人間を直ちに死に至らしめる急所はその三つのみと仰られた。これは経験的に誰でも知っていることだが、臓腑では無いただの身、それに腕や足を失ったとて、それを以て即、死には至らぬよな。実は心臓以外の臓腑も同様だと言うのだ」


と、ようやく秋刀魚の身やわたを味わい始めた甲斎に、


「そんな馬鹿な。指先を一寸ちょっと怪我しただけでもなかなかに痛がるものじゃないか。臓腑などに傷を負えば、それはもう生きてなどいられぬ程の痛みであろう」


彦衛門は恐ろしげに自分の腹を抑えて怪訝けげんな表情を浮かべた。


「それがな、痛いというのは皮膚のみで感じるものであって、臓腑にそれを感じる神経は存在しないのだそうだ」


「まさか。では切腹はどうなる?腹を斬っても直ちには死なぬし、深く斬り臓腑を傷付けたとてその痛みは感じぬとあらば、自害とも言えなくなってしまわぬか?」


「そうだな。正確には自害でも無いのかも知れぬ。昔話にも切腹を失敗して生き延びた者はよく出てくる。ただ、傷を負えば血が流れ、全身に流れる血の半分を失えば死に至るとのことゆえ、手当をせねばやがて絶命することにはなるし、臓腑の深き傷を手当することなど普通はできぬからな。そこまで考えれば一応自害と言えるのだが、しかし自らの腹を深く斬り開くなどもまっとうな人間にはできまい。ゆえに切腹には首を刎ねる介錯かいしゃくが必要となるのであろう」


丁寧に各部位ごとに口へ運び最後には骨格まで全て食べ終えた甲斎が、再び椀を手に取り、彦衛門をちらりと見ながら頷いた。





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