第5話

「そこで私は考えた。剣術が人斬りであるのならば、何も無い虚空を相手に剣を振っても意味は無い。竹刀や木刀で試合をしても同じく。真剣にての斬り合いのみが真に極みへと辿り着く道なのだ」


と真っ直ぐに彦衛門に向かって目を光らせた甲斎に、


「おいおい、物騒だな。本当に人斬りになってしまったら師範どころか閃剣流も取り潰しだろう」


馬鹿を言うなといった表情の彦衛門が首を振ると、甲斎は小さく笑った。


「わかっているさ。それこそ戦など無いこの御時世にそんなことができようはずも無いことはな。だが、人斬りなのに人を斬ったことも無い、そもそも斬る対象である人の身体について何も知らないというのは如何いかがかと思ってな。

ある筈であろう、人には、どこをどう斬られたら瞬時に苦しむことも無く絶命するという急所なるものが。修行の中で、日常の話題の中で、漠然と知り理解しているつもりになっているその急所なるものを、まずはしかと確かめねばならぬと思い至り、実はここ一年程、杉田玄白先生の元で最新の医学を学んでおったのだ」


「杉田玄白だって?お前、天真楼てんしんろうに通ってたのか。それはまた剣術家には奇特なことと言うか……まぁ万事に対して納得の行く理屈をも求めるお前らしいと言えばお前らしいが……」


天真楼とは杉田玄白の開いている医学塾である。


日本橋の町医者だった杉田玄白が、オランダより持ち込まれた人体解剖学書である「打係縷亜那都米ターヘル・アナトミイ」に出会い、その翻訳本である「解体新書」を著し将軍家にも献上したことで一躍有名になったのが十一年前の安永三年のこと。


これにより弟子入り志願者が急増したこともあり、玄白はその二年後に浜町にて改めて開業し、同時に天真楼を開き、これまでの曖昧な経験頼りによる医術では無い定量的で正確な西洋医学を広く教えていた。






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