壊れゆく日常

 エルクは、訓練場併設の更衣室で着替えていた。

 着るのは戦闘服。最新素材で仕立てた高級品だ。

 ブーツを履き、軽く床を踏むとブレードが飛び出すのを確認。コートを着て、ブレード内臓の籠手を装備し、マスクを付けて首にかけておく。

 フードは被らず、着心地を確かめていると、ガンボが言う。


「実戦訓練か……普通は、2年からの予定だぜ」

「冒険者も、騎士も、傭兵も、人手不足らしいからな」


 世界最大最悪の組織、『女神を崇めし者たちアドラツィオーネ』は、世界中で悪行の限りを尽くしていた。

 被害は甚大。冒険者はダンジョンの探索を一時中断、所属する国の騎士、傭兵たちと協力してアドラツィオーネの構成員たちに対応している。

 ガラティーン王立学園のスキル学科生徒も、早く実戦で活躍させなくてはならないのか、訓練が実戦形式のものになり、スキルレベルを上げるような内容に変わっていた。

 ガンボは首をコキコキ鳴らしながら笑う。


「まぁ、スキルレベルは上がるし強くなってる実感はある。悪くないぜ」

「確かにな」


 エルクは「あはは」と笑った。

 周りには、着替え中のクラスメイトたちがいる。全員、「強くなった」だの「レベルが上がった」だの言っている……この中で誰よりも実戦を積んだのは、間違いなくエルクだが。

 演習場に出ると、教師が数名と女生徒が揃っていた。


「エルク」

「よ、ソアラ」

「ん。今日はよろしく」


 授業内容は、主に模擬戦。

 回復スキルを持つ教師が控えており、とにかくスキルを使って戦う。実戦こそ最高の教師。

 頭、心臓を狙わないというルールだけで、あとはとにかく戦う。もちろん教師の指導は入る。エルクの今日の相手はソアラだ。

 すると、ソアラの胸元からシルフィディが顔を出した。


『やっほ、エルク』

「シルフィディ。お前、そんなところに……」

『えへへ。だって、ソアラのお乳、あったかくて気持ちいいんだもーん』

「……そ、そうか」


 コメントに困るエルク。

 すると、ヤトが近づいてきた。

 腰には一本の長刀、『七聖神覇』が差してある。


「エルク、ソアラの相手が終わったら私ね」

「ああ」

「はいはーい!! エルクエルク、あたしも~」


 そして、フィーネ。

 さらにガンボがエルクの背中を小突く。


「おい、オレのリベンジもあるの忘れるな」

「わ、わかってるよ。ってか、全員は無理だって」


 エルクは全員から離れた。

 そして、教師のジャコブが竹刀片手に現れた。

 生徒全員が整列し、ジャコブが叫ぶ。


「全員整列!! これより模擬戦を始める!!───ん?」


 日常というのは、とても儚く脆い。

 ふとしたきっかけで───簡単に、崩れ去る。


「……全員、そのまま動くな」

「「「「「?」」」」」

「───貴様」


 ジャコブは、誰に言ったのか。

 その声には、殺意が混ざっていた。

 竹刀を強く握り、整列する生徒たちではなく、さらにその先を見ている。

 生徒数名が振り返り、エルクも振り返って……見た。


「ふふ───……久しぶりねぇ」


 そこにいたのは、エレナ。

 アドラツィオーネの神官、『聖女』エレナがいた。

 右手首が金属製の義手になっており、白を基調として黄金の刺繍が入った修道服を着ている。薄く化粧を施し、金の装飾品を身に付けている。

 エレナの戦闘服。まさに『聖女』のような装いだ。

 唐突に、何の前触れもなく、エルクたちのいる訓練場に現れた。


「こんにちは、皆さん」


 エレナが言うと、生徒全員が振り返った。

 静かに両手を広げ、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「私はエレナ。『女神を崇めし者たちアドラツィオーネ』の神官。『聖女』エレナ」


 自己紹介。

 アドラツィオーネ。世界最悪の犯罪組織、幹部の一人。

 それが、授業の始まった訓練場に、いた。

 たった一人で。だが……ジャコブは慎重だった。回復役の教師たちに目配せし、エレナに言う。


「貴様、一人で乗り込んでくるとは度胸がある」

「ふふ、一人じゃないですよ? 仲間たちが商業科の教室を包囲して、生徒を人質───」


 そこまで言った瞬間、濃密な殺気があふれ出した。

 エルク。

 エルクの傍にいたガンボは全身に鳥肌が立ち、ヤトは大汗を流し硬直。

 他の生徒も気付いた。

 エルクが、エレナを殺さんとばかりに睨んでいた。


「やめた方がいいよ? 私に危害を加えた瞬間、きみの大事なエマちゃんの首、綺麗に切断されちゃうから」

「…………」


 エルクは静かに眼帯マスクを装備し、フードを被る。

 無駄な会話をしない。目の前にいるエレナを殺す『死烏スケアクロウ』となる。

 エルクの殺気がすさまじく、生徒は誰一人動けないし、声も出せない。

 ジャコブですら、下手に動けなかった。


「もう、わかるよね」

「…………」

「『地の宝玉』……ちょうだい?」

「…………」


 エレナは右手をそっと出す。

 気付かれている。


「偽物だよね? 本物は───……きみが持っているんでしょ?」

「…………」


 生徒たちは意味が分からず「???」と首を傾げた。

 ジャコブは「何……?」とエルクを見る。他の教師もエルクを見た。

 宝玉の安置所にあるのは偽物。そのことを知っているのはエルクとポセイドンのみ。

 それを、嗅ぎつけられた。


「ふふ、引っかかった……きみ、わかりやすいねぇ」

「…………」


 エルクは、冷や汗を流す。

 

「きみの弱点は、周りの人たち。きみさ、私たちには非情になれるけど……大事なお友達を見捨てられるほど、心を殺せないんだよねぇ」


 エレナはエルクに手を伸ばしたままだ。

 クイクイと手を動かし、宝玉を求めている。


「エルクくん……殺したいの?」

「くっ……」


 エルクは、アイテムボックスから『地の宝玉』を取り出す。

 そして、決意する。

 やるしか、ない。


「…………」

「ほら、ちょうだい?」

「…………」


 エルクは目を閉じ、静かに深呼吸し───……『地の宝玉』をエレナに向かって投げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る