第2話 はまやとまこと

 はまやは、通常の飛行姿勢への戻りしなに殴打してくる主翼を避けて、エア・ボードを減速させ、トムキャットの後方に回り込む。

「残り十五秒」

 気団の表面に近迫し、はまやのエア・ボードは露を帯びて動きが重い。

 手に繋留索を持ち変えて吊り下がる飛行士が、しっぽではまやのエア・ボードを叩いてエンジン部に追い込むと炎が噴射された。気圧差の為に気団から風が吹き始め、飛行機雲がうねりを残す。

「しっぽでぶったな!」

 炎を避けて進路を外れたはまやの脇で、トムキャットが僅かに加速しつつ超伝導炉上空に接近してゆく。飛行士が手を伸ばして、風を吹き散らす銀色の靄を掴み取る算段に入っていた。

「射抜いて五秒。この場所に弾かれたのはこのためさ」

 はまやは弓に矢をつがえ、銀色の靄を狙って矢を放つ。

 気圧差がある時、風向きは等圧線に対して三十度。風向の影響修正を省略できる、真向かいの風に向かって標的へ矢を射られる位置を、はまやは確保していた。

 銀色の靄が矢で弾かれ、空を掴んだ飛行士の間際にはまやが割り込む。はまやは銀色の靄を手中に納めて、飛行士の喉首を指でなぞり立てる。

「ビーチフラッグの余興は終わり」

 はまやに刺激されて姿勢を崩した飛行士は、超伝導炉の上空を通過して、加速を始めたトムキャットの着艦鉤に襟首を引っ掛けられて空の彼方へ消えていった。

「商売がたきかな。調べないと」

 はまやは掴み取った銀色の糸を指に巻きつけて、青白い薄雲が流れる着水地点へ向けて旋回してゆく。着水地点は、余人のあらゆる情報の空白となっている、プライベート・ビーチである。

 青い三角柱の塔に差し掛かった時、はまやはエア・ボードごと鏡張りの壁面へ押し込まれた。

 鏡面に衝突したはまやは、目路の端へ飛び過ぎる、月形の透明な物体を見定めた。

(突然目の前に現れて、正面からぶつかってきて、正面へ引き擦り込んで、正面へ跳ね返って消える?何か変だ)

「御来場の皆様、次なる挑戦者は!天空の処刑人!断末魔の血まみれ拡声器!その名は、その名はぁーっ!」

 熱狂する観客の大歓声の中、硝子壁を突き破って、金網闘技場の中心に飛び込んだ、はまやと司会者との目が合った。

「デス・スクリーマーッ!…ジュニアーッ!」

 総立ちの観衆に取り囲まれたはまやの目の前で、獰猛なアフリカ黒ライオンの成獣が、歓声を吹き散らして、黒山のような巨体から雄叫び声を轟かせた。

 黒髪が空からの風にむくれるはまやは、黒ライオンに歩み寄って半身を残して立ち回り、ライオンが獲物を口元に押さえ込むために、斜め上から前足を掻きこむ習性を誘い出す。

(よくできてる)

「おいでなさいに乗りかかるなんてね」

 はまやは右手で黒ライオンの前足首を圧し、たてがみに左手を混じらせて太い首根を押さえ、勢い込む黒ライオンを丸め込んで金網際まで放り出す。

「おまえが突破口を作ってくれそうだね」

 はまやは、黒ライオンがエジプトの伝説上の生物であることは知っていた。強磁性の銀色の糸を巻きつけた指が、黒薔薇の香りの黒い毛皮のライオンの体内に引き寄せられた際、黒ライオンが人工物であることをはまやは確信した。

 黒ライオンは、はまやの眼前にのしかかって爪をかけて喰らい付こうと、満身の膂力を解き放って飛び掛る。はまやは黒ライオンの腹面に滑り込んで体側を沿わせ、黒ライオンを金網の外へ跳ね飛ばす。跳ね飛ばされた黒ライオンは、硝子壁を突き破って地上へ落下した。

「賞金はとっといて」

 はまやは天井へ金網が吊り上げられた闘技場を駆け出し、観客の大歓声を黙過して、硝子壁の風穴からエア・ボードで空へ抜ける。

 はまやはエアボードの縁で風を圧して、乱れ始めた気流を整え、時折全身を翻して良風が吹く進路に移る。

「今からだと、着水に間に合うのは市営の海水浴場か」

 はまやは、翠緑の静かなさざ波が耳目を彩る白浜と、海水浴客との上空を飛び過ぎる。

「はまやー!すごいトリックだったね!超高校級だったよ!」

「まこと!来てたんだー!お互い中学生だけどね」

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