🌟秘めラブ🌟 プリっと綺麗なお尻とたわわなおっぱいの魅力的なヒロインの愛人、情人、思い人、専属メイドたちに、エッチぃ!と罵られながら、蹴られるのが好き好きなドマゾなんですうう(///〇///)
45 大学を卒業し、世界中を旅して、絵を描いた、26歳にして、ようやくテレビに出られるようになり、星川さんと思わぬ共演があった。
画家、お別れ、結婚、子供
45 大学を卒業し、世界中を旅して、絵を描いた、26歳にして、ようやくテレビに出られるようになり、星川さんと思わぬ共演があった。
大学院に行くか就職をするか。
進路をどうするかは、誰しもが考える事だ。
大学も、行かずに、就職する事もできる、好きな事で、やっていくだけの力があれば、就職せず、夢を追い続けて、仕事にする事もできる。
好きでなくとも、金になる事ができれば、仕事になる。
世の中、需要のあるものを見抜いて、作った人が、勝つのだ。
大学3年生にもなると、就活の準備をし始める人たちも出てくる。
僕は、就職する気はなかった。
気づけば貯金は、1億5000万ほどあったし、働く必要は殆どなかった。
自分は、絵を極めて、世界で活躍して、偉大な画家になれればよかった。
卒業制作は、自然と人工物、生命と死、戦争と愛を、F200号の巨大なキャンバスに表現し描いた。
製作期間は、半年かかった。
6か月かけて、ちまちま、作ったのだ。
2028年、3月25日、土曜日に卒業式をした。
卒業あと、僕は、世界中を旅した。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、―。
10各国以上は、旅をして、絵を描いた。
旅の途中で、絵を描く仲間と出会い、一緒にグループ展を開いたりした。
世界中に自分の絵を広めるのには、遠回りにみえて、近道なのかも知れない。
8か国語を話せるようになっていた。
長い旅を、4年ほどして、もう26歳になっていた。
旅の中でも、僕の心の奥にあったのは、美香への恋焦がれる、恋の心だった。
いつも、原動力になっていた。
くじけそうな時、僕を支えてくれた。
歩み続けた。
2032年、9月6日、月曜日。
フランスの世界一来場者の多い、美術館のキュレーターから、作品の展示をお願いされた。
ついにここまで、来たかと思った。
世の中、小学生や、それ以下の子供でも、展示される人はいるが、僕は、26歳で、漸く、された。
その後、ニューヨークの有名な世界的美術館や、オーストラリアの美術館、イタリア、オランダ、スペインの有名な美術館に作品を展示させてもらった。
もう、1枚の絵に、何十億という値打ちが付くようになっていた。
26歳にして、僕は、画家として一流になった。
日本のテレビ局から取材が来て、やっとテレビに出れた。
外国のテレビに出たりもした。
奇跡的なのは、テレビに出る過程で、星川さんと、共演した事だ。
交わる事は、もうないと、思っていた、点と点が交わった瞬間だと思った。
「あんた、やっぱ、すごいやつだったのね。あたしが惚れた理由も納得できるわ。」
星川さんは言った。
「ははは。ありがとう。」
僕は、返した。
テレビの収録スタジオで、星川さんは言った。
星川さんは、大人で、高校生の時とは違った美しさがあった。
「で、片思いだとかいう、子とは、上手くいったの。」
星川さんは、きいた。
「いやあ、まだ、高校3年の夏休みから、一度の口をきけていないんだ。」
僕は、頭を掻いて、言った。
「は。バカじゃん。まだ好きなの。」
星川さんは、たずねた。
「恐ろしい、事にね、ずっと好きで恋してるんだ。」
僕は、言った。
「流石、に気持ち悪いわね、あんた。」
星川さんは、少し引いた。
「引かないでくれよ。ま、こうして会えてよかったよ、人生なにがあるかわからないね。」
僕は言った。
星川さんは、すごい人になっていた。
女優として、多くの賞を世界中から貰い、もちろん、時々テレビに出る事もあった。
同じ高校の同級生という事で、テレビでは紹介された。
こういう事があるのだなあ、と不思議な感覚だった。
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