36 京子さんは、僕をあやした。
後悔しても壊れたものを戻すことは、難しい。
子供の僕にはまだ理解出来なかった。
大人になった、今だからわかる。
大事にしなくては、失ってしまうこと。大事なものは、自分の手で守るしかないということ。
2023年、9月6日、土曜日。
学校は休みで、朝から、絵の師匠の神谷真のいる、街外れの、山の麓の、小屋へ行くことになった。
午前、8時半ごろに家を出た。
自転車で、瞳ヶ原駅まで行って、電車で30分程の駅から、徒歩10分程度で、街外れの小屋のある場所にたどり着く。
今日は、谷口さんに、話すべきことがあった。
谷口さんは、2021年、12月24日と、五日以降、動画流出の件があってから、師匠の元で、働いている。
小屋のある場所に行くと、いつもの通り、師匠が、キャンバス前に、筆を走らせていた。
「おはようございます。」
僕は、師匠に挨拶をして声をかけた。
「おお、おはよう、真七瀬くん。」
師匠は、挨拶を返した。
辺りを見渡して、谷口さんを探すがいない。
おそらく、買い出しに行っているか、小屋の中にいるのであろう。
「お邪魔しまーす。」
僕は、扉を開けて中に入った。
「あ、真七瀬くん。おはよう。」
谷口さんは、僕を見つけると、目を細め、言った。
「おはよう。」
僕は言った。
小屋の中は、色とりどりの柄の布や、服、小物が壁一面に掛かっていて、トルソーとマネキンが、ところどころに、設置されている。
2021年、12月25日から、谷口さんは、神谷さんに、師事して、ファッションデザインと、洋裁の勉強をしているのだ。
最初、小屋の中は、殺風景で、師匠の書いた絵とか、画材しかなかったが、谷口さんが、神谷さんに師事してからは、生活感と、女の子らしさが出ている、家になっていた。
谷口さんは、トルソーで、立体裁断して、洋服を作っていた。
型紙に、洋服の設計図を書き込んでいる。
「順調に進んでいるみたいだね。」
しばらくして、神谷さんが、小屋に、入って来た。
「はい。」
谷口さんは作業をしながら、答えた。
今では、神谷さんのアパレル会社の、デザインもするのだという。
「京子ちゃん、かなりいいセンスをしてるよ。よかった、才能がちゃんと使えるようになって。」
神谷さんは、僕に耳打ちした。
「へえ。」
僕は、呟いた。
昼になって、ひと段落ついたところで、僕は、谷口さんに話しかけた。
「今から、大事な話があるんですが、時間大丈夫ですか。」
「―、大事な話ねえ。何やら、事情がありそうね。わかったわ。外で話しましょう。」
谷口さんは、僕の誘いをのんだ。
外に出る。
小屋の、後ろの方の木陰に出た。
「で、話って、何。」
谷口さんは、腰に手を当てて、威圧的な態度できいた。
「谷口さん、専用のサンドバック、やめます。もう、ふしだらなことからは離れるんです。」
僕は、言った。
「あぁ、なるほどね。」
谷口さんは、懐かしむように、どこか遠くをみて言った。
「急に、ごめんなさい。」
僕は謝った。
「ははは。いいよ、君にはいろいろ感謝してるし。でも寂しいな、私の事も大切だっていってくれたじゃん、あれ嬉しっかったよ。」
谷口さんは、切なく、寂しそうに言った。
「ごめんなさい。」
謝ることしかできない。
「あたしも、あれ以来、男遊びはしてないね。もう1年と、9カ月ほど、経ってるのか、私が、神谷さんを紹介されてから。」
谷口さんは、物思いに耽った様子で、言った。
「僕も、もう、ふしだらな、交遊はやめようと、思います。」
僕は、言った。
「ということは、あの五人とのもう、続いてないの。」
谷口さんは心配そうに、僕をみた。
「はい。別れました。」
僕は、答えた。
「そっかあ。もったいないね。自分を好きでいてくれる女の子は大事にするべきだよ。あとで後悔しても遅いんだからね。」
谷口さんは、僕を諭した。
「どうしても、好きな子がいるんです。」
僕は、五人の大事な女の子をフッて、別れなければ、心が保てなかった。
「君のその気持ちは、出会ったときから、変わってないんだね。一人の人を、そんなに一途に好きでいられるなんて、すごいな、羨ましいな、嫉妬しちゃう。」
谷口さんは、僕を褒めた。
「五人の事も、谷口さんの事も幸せにできる未来だってきっと、あったんです。全員僕が、幸せにするハーレムもあったはずです。でも僕は、一人の女性を選んだ。結ばれるかもわからない片思いの女の事を考えると、心が痛いんです。」
僕は、懺悔した。
ギュっ。
「―。苦しいね、よしよし。別れを言うのは、つらかったね。がんばったね。人一倍優しすぎる君の事だ、無理してたんだね。よしよし。」
谷口さんは、僕の頭を撫でて、抱擁した。
「グスっ。」
涙が零れた。
「泣いていいんでよ。お姉さんの腕の中で一杯、泣きなあ。」
谷口さんは、僕を優しく包んだ。
「うわあああああん。」
僕は、泣いた、泣き崩れた。
「よしよし。」
谷口さんは、僕を、撫でた。
「ありがとう、もう大丈夫。」
僕は言った。
「そう、よかったわ。胸張って、強く生きるんだよ。」
谷口さんは、最後にそう言って、小屋に入っていった。
いい人だ。
谷口さんがいて、よかった。
僕は、谷口さんの後をついて行って、小屋に、入った。
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