31 吉川さんへの、絵。
いい人で、優しすぎて、感性があまりにも、鋭かった。
人の良すぎる、あの人は、きっと、僕の事さえ、悪く言えなくて、いい人なだと、心の中で思っている事であろう。
だから、こそ、つらかった。
2023年、9月2日、火曜日。
学校に行く。
今日は、しなくてはいけない事がある。
また、一人、大事な人を悲しませるかも知れないが、僕は、言わなくては、ならない。
一人一人にしっかり、と言って、別れなくてはならない。
授業を終えて、放課後になると、僕は部室を目指した。
部室には、吉川さんと、部員がもうすでに、何人か集まっていた。
僕は、吉川さんを呼んだ。
「ちょっと、吉川さん、こっち来て。」
美術室の準備部屋に呼び出した。
準備部屋は、キャンバスとか、筆とか、絵具とか、パレット、彫刻道具などの画材が置かれている。
「なに、どうしたの、真七瀬くん。」
吉川さんは、きょとん、とした様子で僕をみた。
「今日の部活あと、話があるんだ。一緒に下校しよう。」
僕は、吉川さんを、誘った。
「いいわよ、珍しいわね。二人きりで帰るんでしょ。」
吉川さんは、不思議そうに僕をみてきいた。
いつもは、サイテーな事だが、女の子を囲って、下校しているのだ。
クズである。
「そう。大事な話があるんだ。」
僕は、言った。
「わかったわ。」
吉川さんは、僕の誘いを受けた。
準備室から出ると、絵を描き始めた。
部員たちは、集中していていい雰囲気だった。
描く。
僕は、2023年 高校三年の夏休みから、絵の予備校にも通い始めた。
絵は師匠の、神谷真のもとにも師事しているが、受験となると、また、別の対策が必要だからだ。
予備校は、水曜日と金曜日、土日の午後7時から9時頃まで行っている。
水曜と金曜は早めに部活を終えて、道具を持って、学校から20分程のところにある美術予備校に通うようにしている。
三年生である僕たちは、11月の第一土曜日と日曜日の二日に渡って行われる文化祭で、引退する。
引退後も、卒業まで、部室に来る事は可能だ。
明星先輩もそうだった。
絵を描いていると、いつの間にか、外は暗くなって、午後7時を回っていた。
部室には、もう、僕と、吉川さんしか、残っていない。
今日描いた絵は、いつも下校道を、五人で幸せそうに歩いている、茜色を基調にした絵だ。
ずっと、そうあれればどれだけいいだろう。
今ある、幸せを壊してでも、僕は、一人の女性だけを選ばなくてはならない。
別に、ハーレムが悪い事だなんて、思わない。
僕は、美香が好きすぎるだけだ。
美香への裏切り行為な気がして、気が咎めて、心から楽しめなくなっていたのだ。
「じゃ、今日はこの辺にして、帰りましょう、真七瀬くん。」
吉川さんは、筆や、絵具、を片付けつつ言った。
部室から出ると、廊下を並んで歩いた。
暗くなった校舎。
学校終わりの夜の校舎を二人で歩いているだけ、で青春だなあと思えた。
お互い、無言で校舎を歩く。
二人の足音だけが、校舎に響いている。
昇降口を出て、自転車を押しながら、校門を二人で出た。
「で、大事な話って何なの。」
吉川さんは、突然、校門を出たあたりで、きいた。
ドキドキ、ドクン、ドクン
二人の間に緊張が、走った。
言いづらいが、言わなくてはならない。
「もう、僕の事を、ご主人様と呼ぶのをやめてくれないか。」
言ってしまった、ごめん、吉川さん。
「どうしたの。私じゃ、役不足だったかな。」
吉川さんは、掠れた、声で、寂しそうに言った。
「ごめん。もう、やめようと思うんだ。片思いで、好きな女の子がいるんだ。彼女の事を考えてると、胸が痛くなる。」
僕は、言った。
言った後で、後悔した。
「ははは。だよね。私なんて、遊びだもんね。いつか捨てられる事はわかってたよ。」
吉川さんは、青く悲しそうに、沈んだ声で、言った。
「ごめん。」
「どうして、君が謝るの。君は悪くないよ。」
吉川さんは。少し俯いてから、ニッと笑って僕をみた。
なんて悲しい顔をするんだろう。
「ごめん。謝らせてくれ。これくらいしか、僕にはできない。」
僕は、頭を下げて、謝った。
「やめてよ。最後まで、責任もって、ハーレムしていて欲しかったな。」
吉川さんは残念そうに、声を漏らした。
最後まで、責任を持って、ハーレムする。
そういう世界線もあったのかも知れない。
でも、もう遅い。
僕は決心を決めた。
美香と幸せになるんだ。
「ハーレムはもうできないよ。僕にはできない、裏切り行為になるからできない。」
僕は、答えた。
「無責任ね。」
吉川さんは、言った。
「困った時は、僕を頼ってくれ。力になれる事はなるよ。」
僕に、取れる責任なんてない。
これで、完全に、別れたとしても、僕は、吉川さんの力になりたい。
自分勝手な押し付けだ。
「ははは。君は律儀だね。」
吉川さんは力なく笑った。
「いつか、画家になったら、君に絵を贈りたい。」
僕は、部活中に描いていたF30号の、吉川さんと僕が、通学路を自転車を押してあるいている絵を、手提げバッグから取り出して渡した。
「素敵な絵ね。」
吉川さんは、歓喜した声で、嬉しいのか悲しいのかよくわからない声で、呟いた。
吉川さんは、僕の描いた絵を抱きしめた。
「大事にするわね。」
吉川さんは言った。
あの絵が、一億以上の値打ちになるだ、なんてこのころの僕には想像さえ、出来なかった。
吉川さんは、僕の絵が好きで、ファンなのだ。
高校一年の、ゴールデンウィーク前の4月26日、はじめて一緒に下校したときに、言っていた。
あれから、もう、2年と、5カ月以上経っていると考えると、長いような、短いような不思議な感覚に陥った。
「国立の美大目指してるんでしょ。頑張ってね。応援してるよ。真七瀬くんは、将来、世界的に偉大な画家になると思うなあ。」
吉川さんは言った。
「ははは。成れるといいけれどね。頑張るよ。」
僕は、答えた。
「あたしは、私立の美大に行くよ。」
吉川さんは言った。
吉川さんの学力があれば、有名私大とか、中堅国立は、余裕だけれど、私立の美大に進むらしかった。
「吉川さんこそ、将来すごい事してそうだけれどね。ネットの世界じゃ、いまや、120万人登録者持ちの、バーチャル動画配信者でしょ。」
僕は、言った。
「ははは。大した事ないよ。」
吉川さんは謙遜していった。
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