第21話 好きになるという感情



 優一の家族は優一を深く愛していた。ルギナの母とは違いの本当に我が子を愛する親だ。

本物の優一はすでに死亡してしてこの世にはもういない。この身体にいるのは別人だと知ったらどれだけこの家族が悲しむだろうか。

 ルギナのやっていることはその家族の愛情を裏で欺く行為なのだ。

別人になりすましてその身体の持主の居場所を奪い取り、その場に居座る。

しかしもうとうに本物の優一の魂は転生していてこの世にはいない。

どうすることもできないのだ。

それならばあと一カ月で自分が死ぬことを周りに教えるべきか?

それとも死に際の猫は飼い主の元から姿を消すように、最後は家族の元を去って誰にも見られない場所へと蒸発した上で死ぬのもいいかもしれないと色々考えた。


そんなことばかりが頭を埋め尽くし、残りの一カ月をどう過ごそうか悩んでいた。

残りの日数はいつも通りに普通に過ごすべきか、それとも周囲にさりげなく別れを感じさせるか。

何をどうあがいても自分には残されている時間は少ないのだと。

  

 そんなことを考えながらもいつも通りの日常を過ごそうとしていた。

 教室移動で次は理科室での授業だった。

ルギナの前をクラスメイトと歩く津久見友梨の姿が見えた。

「友梨、どうしたの?顔色悪いよ」

「ううん、平気」

心配するクラスメイト達の前では平常を保っていたが友梨の身体は明らかにおかしかった。足はよぼよぼとしていて、どこか血の気のない顔だった。いつもの友梨とは違う。

ルギナは様子がおかしい、と彼女を見ていた。

 理科室の前の廊下には生き物の標本が飾られていてどこか薬品の匂いが漂っていた。

 その不気味な標本の前で理科室にたどり着こうとしていたところで友梨はふらついていきなり倒れたのだ。

女子は倒れたクラスメイトにキャーキャーと騒ぎ立てる。

「先生!津久見さんが倒れました!」

騒ぎを聞きつけて理科教師が廊下に出てくる。

「保健委員は誰?」

 教師は声を上げて保健委員を呼んだ。

 そこへすかさずルギナは名乗り出る。

「僕です、津久見さんを保健室に運びます」

「一人じゃ無理よ、誰かに手伝ってもらうか今担架を……」

 理科室は二階の東側にあり、保健室は一階の西側だ。

ここから行くには相当距離がある、ここは担架を待っていた方が利口だろうが今のルギナにはいてもたってもいられず行動に出た。

「いいです、僕一人で」

 ルギナはそう言うと、津久見友梨を右腕で上半身を支え、左腕で津久見友梨の足を持ち上げて抱きかかえるように持ち上げた

「日比田くん、力持ちー」

友梨の状態が不安定なこの状況で、周囲の女子達がときめくようにルギナのその行動に騒いだ。

 男子中学生の平均的な身体ならば同世代の女子を一人抱きかかえるくらいできるのだ。

ルギナはこの体格と力がラフィディアにいた時にあれば病気の母をこうして運ぶこともできたかもしれない、と悔やんだ。

 あの時は体格も子供だった為に大人一人の身体を持ち上げるなんてこともできずにいたのである。

 ルギナはその姿勢のまま津久見友梨を保健室へと運んだ。

途中、友梨はうっすらと目を開けて腕の中からルギナを見上げていた。

「かっこいい……。優一くん、ヒーローみたい」

 保健室に友梨を運ぶことで頭がいっぱいのルギナには彼女のその声は聞こえていなかった。


津久見友梨を保健室に連れて行くと養護教諭からは軽い貧血だと診断され、薬を飲むことになった。

しばらく休んでいた方がいい、と言われ友梨をベッドに寝かせた。

養護教諭は用事があって保健室を出て行ったので友梨と二人きりになる。

保健室は窓が開いており、ベッドを仕切るカーテンを風が揺らしていた。

清潔な白いベッドの上で友梨は布団の上で横になる。

「ありがとう、優一くん。ここまで運んでくれて。私、重かったでしょう。時々貧血になっちゃうんだ」

「そんなことないさ」

 ルギナは素直にお礼を言われていることに少し照れてしまい、なんとか顔がにやけないようにいつも通りの振りをすることで精いっぱいだった。

「以前の優一くんだったらクラスメイトが倒れたとしてもこんな風にわざわざ助けるなんてしなかったと思う」

 以前の優一がどんな性格だったのかはわからないがこういった評価からはこの身体の持ち主である日比田優一はそこまで人の為に行動することはなかったのだと思った。

 ルギナはせめてこの身体でできることならなんでもしよう、と思えたので今回の行動にも出たのである。

 どうせこの身体でいられる時間が残り少ないのであれば、せめて周囲にはこのルギナという人物のことを知られないとしても何か覚えていてほしかったからだ。

「事故から退院してからの優一くんは本当に魅力的だね。まるで新しい人生を歩んでますってくらいに生き生きとしている」

 まるで新しい人生を歩んでいるように、それはあながち間違いではなかった。新しい人生どころか他人そのものの人生になり変わっているのである。友梨はなかなか鋭いことを言う。

「学校も楽しそうだし、そういうとこ憧れるな……」

「僕のどこに憧れるっていうんだよ」

 少々投げやりのようにルギナは聞いた。

「うん、なんかね……」

 友梨は語りだした、

「私、小学生の時にちょっといじめられてたんだ。仲良しグループの中でささいな喧嘩からそうなっちゃって。それで二カ月くらい学校行けなくなった時期があったの」

 初めて聞いた友梨の過去話にそんなことがあったのか、とルギナは思った。

 友梨の普段の明るい性格からは想像もつかない過去である。

「でも、ずっと学校休んでちゃいけないって思って勇気出して学校に通い始めたけど、また学校へ行く時はブランクあった分授業についていくのも大変で、そのグループにはもう私の居場所はやっぱりなくなっていて前の友達とも結局もう仲直りもできなくて。勉強に遅れが出たし、もうその友達とも以前のようになれないままでずっとその時は自分が嫌いになってた」

 辛い過去を思い出す友梨の瞳は少し涙で潤んでいた。

「もう二度と前のような生活には戻れないんだって感じて。結局その友達とは仲直りもできないまま小学校も卒業することになっちゃって」

 友梨はそう話した。

 ルギナは今まで学校生活をしてこなかったためにそういった友人同士でのゴタゴタに巻き込まれた経験がないのでいまいち共感はできなかった。

 むしろ友達が昔からいたのであればそれはうらやましいことなのでは、と思ったが友人付き合いがあればそれはそれで人間関係の悩みが出てくるものなのだ、と思った。

「そんなことがあったから優一くんを見て、なんだか意外だった。事故にあって一時期死にかけたくらいだったのに学校に戻ってきた後はむしろ前の優一くんよりもずっと魅力的に見えた。死にかけるほどの目に遭ってもその恐怖をものとせずちゃんと学校に来て、勉強にも頑張ってついてこようとしてて、それでいてちゃんとクラスメイトとも仲良くしてて、大変なことがあってもちゃんとその後も頑張ればあんな風に変われるんだって思った。優一くんは私の身近な存在でそれを証明した人」

語り終えると友梨は優一を見つめた。

「だから、優一くんは私から見たら憧れの存在」

「そんな大したもんじゃないけどな」

 ルギナはそっけなく返した。しかしその時のルギナは友梨の反応に少し揺らいでいた。

友梨はもちろん優一の中身が別人になっていることは知らない。

あくまでも優一という人間が学校に戻ってきて性格が変わったとしか思っていないのだ、

 これでは優一の家族同様この少女もまたルギナに騙されているのだ。

 しかしルギナには自分をそう評価してくれたという気持ちに、友梨へとかつてない感情を抱いた。 

 友梨は自分をよく見ている。そう好意的に解釈したのだ。

 もしかしたら友梨ならば優一としてではなくこの世界ではルギナという自分自身を見てくれるのではないか、そう思えたからだ。

 ベッドで横になる友梨の顔を近くで見るとそれは名前のように百合の花のように美しかった。

ルギナは今までの人生で異性にときめくなどという経験はなかった。

まだあちらの世界では年齢的には子供だったこともあり、なおかつ浮浪者同然の生活をしていたルギナにとってはそういった出会いなどはもちろんなかった。

 ルギナに好意的な態度を取る者すらもいなかったのだ。

それがどうしたことだろうか、今は目の前にいる友梨が自分に迫ってきている。

 二人っきりのムードに流される。

「ねえ、優一くん、付き合ってくれない?」

 友梨はぽつりとそう口にした。

「付き合うって?」

「その、彼女と彼氏っていうか恋人っていう関係にならないかなってこと」

その意味はルギナと多少ならでは理解していた。

ラフィディアでも男性と女性はお互いに惹かれ合い、結婚して夫婦になって家庭を作っていく。それが常識だった。

 かつてはルギナの母もヴィルキアにそういう想いを寄せていた。

 つまりは優一としての自分と友梨はそういった関係に近づこうというわけだ。

「おいおい冗談はよしてくれよ」

すぐには同意できないルギナは軽く受け流そうとした。

「冗談……じゃないよ?」

 友梨の瞳には真剣なまなざしが宿っていた。

 お互いの視線がぶつかり、黙り込む。

 友梨の長い睫毛を見るとそれは魅力的だった。こうして間近で見ると友梨は年相応に美しい。

 本来の年齢はまだ子供であるルギナにとっても友梨は惹かれる存在だ。

 「優一くんの……傍にいさせてくれないかな」

 ルギナは迷った。

交際をすることになってももうこの体でいられるのは残り一カ月。

つまり一か月後に優一は死ぬことになるのだ。

元からいつ死ぬのかわかっていながら未来を作ろうとすればそれではただ彼女を悲しませてしまうだけではないのだろうか。

共にいたとしても未来は作れない。明るい希望すらもない、最初から期限が決まっているお付き合いとなるの。

しかしどうせ先が短いとわかっているのなら最後には恋愛という経験もしておきたいという願望があった。

ルギナは一か月後にはこの世界とも別れるとわかっている、そして冥界に連れていかれれば永遠の苦しみを味わうのだ。そうなれば恋愛など二度と経験することはない。

 そのことを考えて、最初から残り期間が短いとわかっていても最後くらいこの世界でも誰かにルギナがここに存在していたことを覚えていてほしいという気持ちもあった。

 友梨の顔が近づく、そのムードにすっかり流されていた

「うん、僕でよければ、いいよ」

 ルギナは交際を了承した。







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