第19話 何者かが来る

 優一は最近見る夢のせいで常に緊張状態でここのところ、ろくな睡眠もとれず落ち着く時間がなかった。

 もしもあの世界での追手がこちらにまで来たら、と不安におびえ、安心できる日はなかった。

 それでも今すべきなのは自分に与えられた「日比田優一として生きること」は曲げないようにするために普通に学校に行き、家では家族と食事をして、勉強の毎日を過ごしていた。

 この日は委員会活動があり、保健委員会としての仕事が長引いたために昼休みが丸々つぶれてしまった。

 ルギナは今の自分が優一としての任務こなし、生きることがせめてもの自分にできることだと今日も委員会活動にせいをだしていた。

 昼休みも終わりに近づき、教室へ戻ろうとしていると、共に委員会活動に参加していた津久見友梨が話しかけてくる。

「優一くん、なんだか以前と別人みたいだね。勉強もそうだけど、委員会活動にも熱心で、まるで入院してから性格が劇的に変わったみたい」

友梨のその言葉に優一はドキッとした。

まさか今の日比田優一の中身は元の優一という人間ではなく別人である他人になっていることを見抜かれたのではないかと汗がにじみ出る。

「そ、そうかな……。気のせいじゃない?」

 ルギナはごまかすように目を泳がせながら答えた。

あくまでもこの世界では優一という人間であることを貫くためにせめてもの偽装でここは取り繕う必要があった。

自分のラフィディアで犯した罪を知られるわけにはいかないのだ。

「優一くん、以前は勉強もそんなに得意じゃなかったみたいだし。授業中はいつも眠そうにしてたなーと思って。でも今の優一くんは前と全然違うね。授業中も真面目に聞いてるし、勉強なんて試験でトップに上がるとか以前と全然違う。入院してからなんかあった?」

それはもう以前の優一はすでにこの身体にはいないのだ、ということを知らないからなのだ。

 今の優一は身体が優一であっても中身は別人である。

生前の優一という人間がどんなものだったのかは知らないが周囲の人間から察するに今のルギナとは違う性格だったということは見てわかる。

「い、いやほら、一度死にかけて入院したじゃん? それが奇跡的に回復したわけでだからそのおかげまたこうして学校に来れるようになったわけだし。生きているからこそ生きてできることは真剣にやってみようかなあって思ってさ。それで以前より真面目にやるようになったというか」

 しどろもどろになりながらルギナは言い訳のような説明をした。

「そっか。生きてるってことは凄いことだもんね。それでもちゃんと頑張れるってすごい!。私だったら一度道を外れちゃったらもう元には戻れなさそう」

 津久見友梨に適当なことを言ってごまかしているようで申し訳ないとは思ったが、半分は本当の話である。

 ルギナにとってはせっかく与えられた幸福な環境である以上はできることは全て真剣に挑みたいと思っているのも事実なのだ。

「それは優一くんがとっても頑張ってるからなんだね! 入院しても遅れを取り戻そうとして家でも家庭教師をつけてまで熱心に勉強してるみたいだし、変わろうとしている、それすっごく尊敬するなあ」

友梨は悪気もなく純粋に言っているのだがルギナにとっては罪悪感があった。

本物の優一はすでにここにはおらずの身体には別人であるルギナが入っているのだ。

 別人のように以前と違うのは当たり前である、何せ本当に中には以前とは違う人物が入っているのだから。

 元の優一の人生をルギナが奪ってしまったのである。





下校時間になり、夕暮れのオレンジ色の光が街を包む。

子供はすでに家に帰り、日が暮れる頃の町は静かなものだった。

ルギナは学校から家へいつも通りに帰ろうとしていた。

初めて優一として中学校に行き始めた頃はただでさえラフィディアと違う日本の整備された道路や建物などの街並みで登下校の為の自宅までの道を覚えるのも大変だったが今はすっかり慣れていた。

 自宅へのルートの分かれ道で友人と別れ、帰路につく途中のところだった。

「見つ……けたぞ」

突然どこからか声が響いた。

 それは驚くほど邪悪な感じのする女性の声だった。

最初は周囲で誰かが自分のことを呼んだのかと思い、反応したが知り合いの誰の声でもない。

 女性の声だが母はあんな邪悪な雰囲気の声ではない。

 そもそもルギナのこの世界での女性の知り合いにこんな恐ろしい声の女性はいない。

 この空気と雰囲気は、ルギナにとっては魔法が存在したラフィディアの世界を思わせた。

かつて魔法が禁じられたがどことなく人々の苛々の念が空気やエネルギーとなってあふれかえったあの世界ではよく感じた声だ。

「お前が……ルギナか……!」

 それはこの世界において誰一人自分の本当の名前を知る人間がいるはずがないのにその名前を呼んだ。

 この世界で誰にも名乗ったことのないルギナの本名を呼ぶ声なんて異常である。

「誰だ……!?」

 ルギナは警戒して周囲を見回した。

 この世界で知られるはずのない自分の本当の名前を呼ばれ、どことなく恐怖で足が震える。

「来い……来い……悪しき心を持つ者よ……。ここでは話せぬ。こちらだ」

その声はルギナの頭の中に直接響いた。

 まるで命令するかのようにルギナを導こうとしていた。

 ルギナは自分の本当の名前を知るのは誰なのかと気を張ったが本当はその声の主には会いたくなんてなかった。

ルギナという名前を知っているのならばもしかしてラフィディアに関わる者なのかもしれない。

 もしも自分がその者に会えば忘れようとしたあの忌々しい事件をぶつけられるかもしれないのだ。

 しかしルギナは今ここで逃げてはいけないと思った。それがあの世界においてのせめてもの償いになるかもしれない、という希望があったからだ。

 ルギナは息を吸い、いったん落ち着けて観念したように声に耳を傾けた。

「こっちだ……」 

夕暮れの住宅街の中へとルギナは青い光が自分の前を飛んでいるのを見た。

おそらくその光が声の主なのだろう。

静寂な住宅街が広がり、ところどころ街灯が照らす時間の中で、その光は場所を変えるためなのか広い場所を求めてふよふよと浮き進んでいた。

 その後をつけてルギナは光を追いかけた。

光は広い場所を見つけるとそこで動きを止める。


公園だ。


夕暮れの公園はすでに遊んでいた子供達は家に帰った後で静かな街灯だけが一部の地面を照らし、日中には子供達が遊ぶその広場も今は誰もおらず静まり返ってまるで違う場所のような印象を受けた。


まるでこれから起きるルギナの身を恐れさせるには十分な空気だった。





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