第12話 学校に、勉強に

 翌日から早速、ルギナは学校に行くことにした。

 登下校は道を覚える為にとこの日だけは父親が車で送り迎えをしてくれることになった。

 学校に行くために必要な者は、時間割を見て必要な教科書やノートを鞄に入れることを知った。

 学校に行く際には制服を着用することも義務付けられているのでルギナは優一の中学の制服に身を包んだ。


 優一が通う中学校の校門で車から降ろしてもらい、学校の中へと入る。

 優一と同じように学校指定の制服に身を包んだ少年少女達が登校してきている。

学校という場所についても記憶がないということで病院でよく教えられていたのでなんとか学校生活のルールは理解していた。作法もマナーもルールもバッチリだ。

  

 ルギナは生徒玄関で日比田優一の下駄箱を探し、上履きを履き替えた。

そこへ急に肩を叩かれる。

「優一!おっはよー! やっと学校に来れたんだな! 事故ったとか聞いてたから心配したぜー」

 元気よくルギナに挨拶をしてきたのは日焼けした焦げ茶色の健康そうな肌で刈り上げな男子だった。

「お見舞いにも行こうとしてたんだけど、なんかずっと家族以外の面会謝絶になってたから会おうにも会えないしさー。身体はもう大丈夫なのかよ」

 彼は自分のペースで話し続ける。これが優一の友人なのだ。

彼らはあくまでもルギナの魂が入ったこの身体を優一と思って接している。

「お、おはよう。え、と君誰だったっけ? ごめん、僕記憶がないから」

 ルギナは記憶がないふりをしてこの世界で一から始めたつもりだったのでそうなると優一の友人達には申し訳ないが初対面のふりをするしかない。

「そっか、記憶喪失なんだってお前の父さんから聞いてたな、悪い悪い、ついいつもの調子だったぜ。俺は森宮博。お前の親友ってやつだぜ! 安心しろよ、なんか困ったことあったら俺になんでも言いな」

 それまでの関係をすべてゼロにしてまた一から関係を紡ぎ出さねばならないというのに見捨てるわけでもなく、なんとも優しくて心強い友達だろうか。

 こんな自分を相手にしてくれて面倒を見てくれる。

中身は別人に入れ替わっているということも知らずに家族同様友人達もだましているのだ。

 ルギナは元の年齢はまだ七つだったので突然十四歳の少年といういきなりそれまでの過程をすっ飛ばして倍近くの年齢として周囲に怪しまれないようにできるかと不安だったが、病院できっちり教え込まれた年相応のマナーとしつけは教えられていたので問題なく過ごすこともできた。

教室では中学生としてふるまい、違和感ないように過ごす。


授業が始まり、一時間目の科目は数学だった。

しかしここで本当に困ったことに対面する。

今までまともな教育を受けていないルギナには数学の数式なんてものは意味もわからず、当然ながらついて行ける内容ではなかった

ルギナは元の世界でも学校や教育機関といった場所に通っていなかった。

日本でいえば義務教育すら受けていないのである。ただでさえ小学校レベルの勉強の内容すらもわからないのにいきなり中学の勉強など当然理解できるわけもなかった。

そうなると教師の説明も、黒板に書かれる問題も、教科書の意味も授業の内容はさっぱり理解できなかった。

「では、今日の日付から、日比田くん、答えて」

教師に指定された。

その教師はしばらく学校を休んでいた優一に気を遣わずいつも通り日付から出席番号を当てたのだ。

「えっ、あっ……はい」

 優一は言われるがままに椅子から立ち、答えようとした

しかし当然ながら義務教育を受けておらず、中等教育の内容がわからないルギナに答えることはできない。

「え、えーと、えーと……」

しどろもどろになりながらなんとかこの場をどう切り抜けるかを考える。

 ただでさえ周囲が知らない人ばかりの中でなるべく目立つことは避けていたい。

今のルギナは優一として学校に来ているのだから、大勢の生徒の前で注目を浴びることになる発表はなんとも恥ずかしいことではなかった。

ルギナは何も言うこともできず、正直に問題がわからないと答えるしかなかった。

「すみません、しばらく授業受けてなかったんでわかりません。ちょっと色々あって、記憶とんじゃってるんです」

 本当は今の授業範囲ではなく勉強そのものが理解できないのだがそれを言ってしまうと怪しまれるのではないかと思っていたので何も言わなかった。

事故に遭って記憶が飛んでしまったので勉強がわからない、ということにしておいた。

 入院していた生徒にあててしまったと申し訳ないと思ったのか教師はコホン、と咳払いをするともういい、とルギナを席に座らせた。

「先生、日比田くんはしばらく入院していたんです。だから授業は遅れてて」

そこへ博がフォローとばかりに先生へと抗議の声を上げる。

教師は少しバツの悪そうな咳払いをして

「君は入院していたからまだ授業に追いついてないようだね。きっちり予習復習をしておくように」

 そう言って授業へと戻った。


その後の授業も同じく、ルギナにはさっぱりついていけなかった。

 

 四限目が終わると、給食の時間だ。

普段は一人一人の机が縦に一列ずつ並ぶ教室も給食の時間は班ごとに机を分けて食べるのが決まりだった。

 ルギナは初めての給食配膳というシステムにとまどいながらもなんとか自分の分の給食を受け取ることができて机に戻った。

「優一、飯食おうぜ」

そう言って同じ班の友人が話しかけてくる。

隣の席は朝にも声をかけてきた森宮博だ。

休み時間にも彼はよく優一の姿をしたルギナに話しかけてきた。

記憶がないということになっていて以前の優一としての付き合いもなく、ルギナには事実初対面のクラスメイトだが優一が親しくしていたその縁が残っていてこうして偽物の優一にも親しくしてくれるならその好意に預かってルギナは話を合わせた。

こうして年の近い他人が親しく接してくれるという経験もルギナにはなかったことだからだ。

「入院生活ってどんな感じだった? 本とか読めるの?」

「リハビリの時はいろんな本を読ませられたね。前の記憶がないからこの世界について一から全て勉強しなきゃいけなくて世の中のルールとかマナーとか短い間にぎっしり教え込まれたよ」

「入院生活も大変だったんだなあ。一時期危なかったほどなんだろ?生還できただけでもありがたいことだと思わなきゃいけないんだろうけど」

 そんなたわいもない雑談をする。

「優一、入院で休んでた分まだ授業追いついてねえんだろ? 俺のノート貸してやるよ。休んだ分の勉強はそれでじっくりやればいいぜ」

なんとも優しい友人だろうか。

ルギナの生きていた世界ではこういった年の近い「友達」と呼べる存在はいなかった。

見た目が赤毛で魔法が使えることから同じ年の子供達からは疎まれ、大人からも「あの子には近寄ってはいけません」と誰もルギナに近寄るものはいなかった。

その為にルギナは優一になって初めて年の近い子供と共に過ごすという経験が幸福だった。


 そして給食の後は午後の授業があり、ようやく一日が終わる。

 年の近い友達という存在に触れたことは楽しかったが一日の大部分である授業という時間はルギナにとっては苦痛でしかなかった。

 なにせこの世界の教育範囲は知らないことだらけなのだ。

これからは学校という場所に行く以上、周囲から怪しまれないようにするために、一刻も早く勉強ができるようにならねばならない、とルギナは思った。


家に帰り、教科書を見ても内容が理解できず、夕飯の時にその話を家族にすることにした。

「優一、久しぶりの学校はどうだった?」

 父親はビールを片手に一日の終わりを家族と過ごす時間を大切にしていた。

 ようやく学校へ行けることになった息子の様子を聞いたのだ。

 ルギナは正直に今の悩みを話した。

「勉強がわからないんだ。今の学校の授業内容どころか計算もできないし漢字も読めない。事故に遭ってから記憶が飛んでて勉強のこと全然覚えてない」

 両親はうすうす感づいていた勉強に対する心配の予感が当たったと顔を見合わせ、優一を励ました。

「そうよね、あなた記憶がないんだもの。いきなり学校に行かせて勉強についていけないんじゃないかと心配してたのよ。休んでた分、授業範囲も遅れてるはずだし」

「それで、どこの範囲から授業についていけないんだ?」

「どこっていうか……全部。できれば計算、漢字を読むとかそこから教えてほしい」

その優一の言葉に家族は開いた口がふさがらなかった。

病院のリハビリでこの世界の簡単な文字の読み方や数の数え方は教えてもらえても、義務教育範囲内といった教科書的な勉強にまではおよばなかったのだ。

「あなた……そこまで覚えてないの?」

「ごめんなさい……何もかもわからなくて……」

「それじゃあ義務教育の範囲も小学校からやり直した方がいいってことか……」

 家族は心配そうに言った。

 これまでの記憶がない、というよりはこの世界の勉強を知らないということは義務教育的な勉強を最初から始めなくてはならないということだ。

「記憶がなくなれば勉強の積み上げてきた知識最初からやり直しだな。無理もない、一度死にかけたんだ。命が助かっただけでもありがたいことだ。記憶は取り戻せても命は失ったらもう取り戻せない、勉強なんてこれからまた覚えていけばいいさ」

 両親はどうしたものか、とあれこれ話し合い、これから勉強を一から教える立場の者が必要だ、ということで意見がまとまった。

「わかった。家庭教師をつけよう。今までの分は家庭教師にじっくり教えてもらいなさい。まずは今の中学校の授業範囲まで教えてもらう必要があるからスケジュールは厳しくなるけど、いい先生を紹介してもらおう」

 こういう時に個人の為に専属の家庭教師を呼べるという話になることからこの家の子供に対する金銭のかけ方からして裕福なことがうかがえる。

あちらの世界でも金持ちの家は専属の家庭教師をつけているという話をよく耳にしていたからだ。

塾ではすでに義務教育範囲が終わっている者同士しかいないので個別で勉強を小学校入学レベルで一から指導してくれる家庭教師ではないといけないからだ。

なるべく優一の身体として過ごす為に周囲に義務教育の範囲はなんとしてでも早く追いつかねばならない。

一刻も早く学校の授業に追いつくためには家にいる時間はひたすら勉強に専念せねばならない。

 一度決めたらすぐに始める、がこの家のスタンスなのか父親はさっそく夕飯の後に家庭教師についてのウェブサイトで調べ始め、評判の家庭教師を探した

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