第7話 目覚めればそこは知らない場所
「お願い、目を覚まして……」
どこからか声がする。
身体が重くて視界が真っ暗だ。崖から落ちていよいよこれが死というものなのだろうか?
そう思っていたがぼやけていた意識は次第に浮上してきてまだ考えることができる意思があることに気づく。
崖から落ちてあの後どうなったのだろうか? 自分は死んだのだろうか? だとすればここは死後の世界なのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら先ほどから聞こえる声に耳をすませた。
「もう助からないんですか先生!?」
それは女性の声だった。ルギナには聞き覚えのない、誰か知らない女性の声だ。その声は今にも泣き出だしそうな感情的な声だ。
まるで誰か大切な人を失ったかのようなルギナにも覚えがある、残された者の嘆きの声だ。
「我々の手は尽くしました。ですがもうどうにも……」
今度は状況を説明する男性の声がする。
何かに対処したがそれが要望に応えられなかったかのような残念そうな声だなと思った。
「ああ……そんな……」
先ほどから聞こえるこれらは一体誰の声だろうか?とルギナは思った。
自分にすでに母はいない。家族がもういない。誰もみてくれなかった自分の死を悲しんでくれる人なんていないのにと思った、
それともあれから追手である衛兵に見つかってどこかへ運ばれたとすればここは牢獄なのだろうか?
ならばなぜ罪人である自分の死を悲しむ存在がいるのか? 一体ここはどこなのだろうか?
状況を確認しなければならない。
そう思いルギナは重い瞼を開くことにした。
ゆっくり目を開けるとそこは今まで見たことがないような真っ白な天井が目に入った。ランプの明かりとは違うまるで魔法の力のような光が目に入る。
どうやら自分は寝かせられており、その周囲を数人の人間が囲むようにこちらを見下ろしていた。
一人は女性、顔に手を当てて静かに泣いていた。
さらに横にいるのはルギナの世界にはいないような服装、いわゆる正装の男性。 二人はまるで今大切な人を失ったかのような悲しみの表情をしていた。
その二人に付き添うように白衣に身にまとった者が数人いた。
その人物達は今目を覚ましたばかりのこちらの顔を見つめていた。
「優一?」
泣いていた女性がこちらを見るやいなや驚愕の表情になり、声を上げる。。
「優一……!? 先生、優一の目が……優一が目を開けました!」
その女性は取り乱すように白衣の人間にすがりつく。
横たわる自分の傍にいた涙を流していた男性も悲しむのをやめて驚いたようにそう叫ぶ。
(誰……この人達……?)
ルギナにとっては顔も知らない、ましてやどこかわからぬ場所で自分を見て騒ぐ人々が一体誰なのかわからなかった。
「こんなことが……!? 奇跡だ! 脈拍も呼吸も回復している……」
白衣の者達は何やらわからない装置を見てまるでありえないことが起きたとばかりに驚いていた。
「間違いなく心肺停止だったというのにこんなことが!? ありえない……しかし現に回復している。奇跡だ! こんなことがあるなんて!」
白衣の大人は目の前で起きた現象を信じられないといわんばかりに騒いだ。ありえないことが起きたと仰天してルギナの腕や顔に触れる。
ルギナはこの時、自分の腕や顔にわけのわからない器具をつけられていることに気が付いた。呼吸器や生命維持装置といった医療器具を知らないからだ。
ルギナは自分の置かれた状況がつかめなかった。
崖から落ちたはずの自分はなぜこんなに綺麗な部屋にいるのか、自分は一体どうなったのだろうか、この人物達は一体何者なのか?
さまざな疑問が浮かんではまだどこかぼやけたような視界で周囲を見渡す。
「優一君、ここがどこかわかるかね?」
白衣の男性はルギナにそう尋ねた。
なぜここにいる者達は先ほどから「優一」という名前を呼ぶのか?全くわけのわからない状況にルギナは重い口を開け、言葉を発した。
「ここは……どこ……? 優一って誰……?」
ルギナはそう口にした。
その言葉を聞くと、周囲の人物達はまるで不思議そうにルギナを見ていた。
「どういうこと? 優一が自分の名前もわからないなんて」
傍にいた女性は焦るように隣の男性と顔を見合わせた。
「まだ記憶が混乱しているようですね。自分の名前もわからないとは。おそらく、ここがどこかもわかっていないかと」
白衣の男性はこの状況をそう説明した。
状況がわからないルギナに白衣の男性の助手と思われる女性が説明した。
「あなたは日比田優一くんです。あなた、事故にあったのです。車が追突したショックで橋から落ちて川で溺れて。河原に流された時には冷たくなって息をしてなかったのです。それで病院に運ばれてここに来たんです。一時期、本当に危なかったんですよ」
なぜここにいる人間は自分のことを「優一」と呼ぶのか。
それに川に落ちたとはどういうことだろうか? ルギナは川で溺れたのではなく崖から落ちたはずである。そもそもここはどこなのだ。
女性の言う「病院」とはどういう場所なのだろうか?
自分の状況からして医者の診療所のような場所で現在治療を受けているところなのだろうか、とそんな想像をした。
しかしルギナが住んでいた世界の医療施設とは設備も人々の見た目も違う。
「そもそも優一って…?」
再び発した謎の名前である「優一」という言葉を疑問とする声にそこにいた者達はお互いの顔を見つめ、ルギナにいくつかの質問をした。
「君は……自分の名前をわからないのかな?」
まるで周囲の者達は先ほどからこちらがその優一という人物かのように接する。
その質問にルギナは自分の名前は「優一ではない」と言おうとした。
自分の名前は「ルギナ」だ、と言いたかったがここがどこかわからない現状、もしかしてあの町に連れ戻されこれは誘導尋問なのではないだろうかとすら疑った。
あの放火事件がここにも知られていたら自分の名前を出す行為は罪を白状していると同じだ、と思えて言うのをやめた。
ここがどこかはわからないがもしもここでルギナの名前を知られればその場所に送還される可能性だってある。
ルギナは何も言わずに黙り込んだ。
ふと手を動かしてみるとろくな物も食べられなくて骨が浮き出るほどガリガリに瘦せ細っていたはずの腕が肉付がよくなっていることに気が付いた。
腕を動かして顔に触れようとすると、伸びっぱなしでボサボサだった特徴的な赤毛の長髪も存在しない。
「……?」
ガリガリだった手足は肉がついていてボサボサの髪もない。
自分の身体がまるで変ってしまったかのような感覚ルギナは混乱した。
「まさか自分自身の姿もわからなくなっているのかい?」
混乱して自分の姿に戸惑っていることに男性が言った。
「これが君の顔だ」
男性は寝台の傍にあった鏡を手に取り、ルギナにもちゃんと見えるようにルギナの顔を鏡に映し出した。
「え……!?」
ルギナはまじまじと鏡に映った自分の顔を見ると驚きを隠せなかった。
鏡に映っていたのはよく知った自分の顔ではなく、知らない少年の顔があった。
赤毛でボザボザに伸びっぱなしだったはずのルギナの髪は黒色になっており、長い髪ではなくショートのすっきりした髪型で、顔は鼻が高く、栄養が取れなくて頬がこけていたはずがふっくらした顔つきになっており、ちゃんと手入れをしているように整えられた顔の別人だった。
「なんで僕はこんな顔に…!?」
凛々しい顔立ちに瞳の色は黒。
もはやそれはルギナ自身が知らない別の誰かの顔だったその鏡に映った自分をみてルギナは驚愕した。
鏡に映った自分の顔は自分ではなく誰かもわからない他人の顔だ。
しかも顔が変わっているだけでなく身体も若干大きくなっている。
ルギナは栄養不足の為に年齢の割にはガリガリで背も低かったはずだが寝かせられた体製からして足や身長が伸びていることにも気づいた。
驚いて何度も鏡を見ては顔を手で触る。
「違う、僕はこんな顔じゃない!」
ルギナは別人になってしまった今の顔を否定した。
ルギナは今、自分とは違う姿の他人になってしまったのだと気づいた。
何かの魔法か、それともなんらかの能力かはわからないがなんらかの事情で自分は先ほどから名前を呼ばれている「優一」という人物に姿を変えて
なぜ自分の顔が変わってしまったのか、それにここはどこで一体この者達は誰なのか?
何がなんだかわからない感情は今のルギナを混乱状態へと追いやった。
自分の顔が全く誰かわからない別人の姿になっている上にどこかわからない場所に連れてこられてここにいる人物も全員知らない人だ。
これはある意味罪を犯した自分にはふさわしい罰なのかもしれない
誰かもわからない人物はルギナに「どうしたの?」と聞いてくる。
「知らない、知らない、わからない! どこだここは!?」
ルギナは混乱のあまりパニックを起こした小さな子供のように叫んだ。
その反応に周囲の人間は不思議がる一方だった。
「優一、何を言ってるの? 先生、この子いったいどうしたんでしょう?」
女性が先生と呼ばれた白衣の男性に目の前のルギナが錯乱状態になった理由を聞いた。
「どうやら事故の一時期生死をさまよったショックで記憶を失っているようです。ここがどこで自分が誰なのかもわからない状況のようですねしばらく安静にさせましょう。混乱状態の今、我々がここにいたらますます混乱させるだけです。」
しばしの間を一人にした方がいい、その判断を下し、今まで付き添っていた者達はぞろぞろと部屋の外へと出て行った。
一人になったルギナはなんとか今の状況を受け入れようと再び鏡で自分の姿を見る。
「なんで僕がこんな姿なったんだ? ここはどこなんだろう? こんな建物が今までラフィディアにあったか? 僕の住んでいた町とはだいぶ違うみたいだけど」
自分はすでにルギナではなく「優一」という違う人物になっていると、そのこともいまいち納得できないが自分が今いる場所を把握しようとした。
「この建物、どこなんだろう? 病院とか言ってたけど」
この身体のこともこの場所のこともわからない不安な状態ではこれからどんな目にあわされるかも想像がつかない。それは恐怖でしかなかった。
いきなり自分の姿が別人になっていたことにも混乱するが、どうすればラフィディアに帰ることができるのか?
しかしでは元いた世界、ラフィディアに戻りたいか?と考えるとルギナはふと冷静になった。
どうせラフィディアに帰ったところであそこに自分の居場所なんてないのだ。
元より家族も身内もいない、家もなければ居場所もない、それどころかあれだけの大罪を犯したのだからきっと自分のことが見つかって捕まればただで済むはずがない。
「元の場所になんて……帰りたくないな」
それならばここにいた方がずっと安全だ、とも思えた。
ここは治療の為の医療施設なのならば自分をかくまってくれている場所には違いない。
下手に追手のことを考えるよりはしばらくの間ここでどう生きるのかを考えた方がいいと思ったからだ。
「そうだ、しばらく記憶喪失のふりをして話を合わせよう」
記憶がない、ということにすれば何もわからないことになるので以前の優一という人物を知らなくても自分がここで一からここがどんな場所で自分がこれから何をすればいいのか学んでいける機会だ。
それならばなんとかこの状況をしのぐことができるかもしれない。
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