第4話 なぜ自分だけが


 ほどなくして母は息を引き取った。

 朝目が覚めると母が息をしておらず、体が冷たくなっていたのだ。

 ついに来るべき時が来てしまった。ルギナは冷たくなった母の遺体にしがみついて静かに泣いた。

 とうとうルギナにはこの世で他に信じられるものも頼りにできるものもいない一人ぼっちになってしまったのだ。


 母を亡くして数時間が経過し、遺体が冷たくなってもルギナは小屋に母をそのままにしておいた。

 当然ながらルギナには葬儀をあげる金などなかった。埋葬するにしても棺を調達する金も、墓場もなかった。

 母の遺体を埋葬もできず、ここから処理しようにも子供の力では大人一人の遺体を人目につかないように運ぶこともできない。

 この世でたった一人、自分を憎みながらもここまで育ててくれた母と別れたくない為にルギナはしばらくの間、母の遺体と共にした。

 母の遺体は傷み始め、腐臭がした。それでもルギナはこの世でただ一人愛した肉親の死体をそのままにしていた

 何もしなくても生きていれば腹は減る。

 こうしていても誰も食料を持ってきてくれたりはしない。これからは一人なのだから自力で動かねばならないのだ。


 ルギナがしぶしぶ食料調達で家を空けると、戻ってきた時にはルギナの住処に知らない大人達が入っているのを見かけた。

 住んでいた場所に知らない人が入ってくる、自分の領地に入り込まれる。

 自分の居場所を奪われてしまうような気がしてルギナは怖くなった。

 しかし今ここで止めても大人に叶うわけもない。

 魔法を使って戦ったりすればそれは重罪だ。

ルギナは橋の柵に隠れ、住処を荒らす大人達に見つからないようにその場を覗いた。

「まったく、この辺りから腐臭がするって知らせが来るからここに訪れてみりゃ女の死体なんて。こんなネズミの穴倉のような場所に住んでいたなんて信じられないぜ」

 そう言うと大人達は何やら細長い布の塊を運び出した。

それはまるでちょうど大人の身体一人分ほどの大きさだった。すぐにルギナはあの中に母の遺体があると察した。

「困るんだよなあ、こんな場所で勝手に死なれるのも。死体処理の俺らの身にもなってみやがれってんだ」

 この街では貧困層の人間が路地の裏などで野垂れ死にしてることも多くその度に死体処理という役割を当てられた者達が亡骸を処分することがある。

 外で野垂れ死にした人の亡骸は放置すれば腐臭を放ち、そこから病が発生するためだ。

 その為に死後しばらくして身よりもおらず誰にも埋葬されない死体はこうして片付けられていくのである。

 その光景を見て、ルギナは母が連れて行かれることにすぐに「やめろ」と言いたかったがもしこの住処を今後立ち入り禁止として封じられれば家がなくなってしまうのである。

 しかし、ルギナの悪い予感は当たり、その住処だった小屋は腐乱死体が見つかった場所としてすぐに取り壊されてしまった。

 大人達が母の遺体を外へ出すと、もうここに人が来れないようにと持っていた用具で解体したのだ。

 夜の寒さも雨風をしのげる唯一の居所であった住居も奪われてしまった

 とうとう母もいなくなり、唯一の帰る場所も失い、ルギナは残されたものが何もなくなった。

 帰る場所も失ったルギナは下水場でみずぼらしく夜を過ごすことになった。


 夜は冷える。しかしもはや雨風をしのぐ場所もない。

魔法で炎くらいは出せるのでそれを出して暖を取るくらいはできるが寝ている間につけっぱなしにしておくわけにもいかず、寝る際は火を消すしかなかった。

 

 下水場でなんとか休息しようと寒さを我慢しつつも眠りにつこうとしていると突然「起きな」と怒声が飛び散り、ルギナは無理やり何者かに蹴り上げられ、眠りを妨げられる。

「なんだこのガキ?誰に許可もらってここで寝てんだよ」

「ここは俺らの縄張りだ」 

 いわゆる夜になると弱者から金目のものを巻き上げるチンピラという存在の男が三人だ。

 ルギナよりはマシではあるが三人ともあまり

 いい生活ではないのか薄着の衣服にバンダナを頭に巻くくらいの装備だった。

 ルギナは魔法以外に戦う手段を持っていない、じっと睨み返すだけだった。

「とっとと出て行きやがれ! それとも言うこと聞けねえか? そういうやつはこうするに限るなあ」

 そう言うとチンピラはルギナの頬を張り飛ばした。

 ルギナは受け身をとることもできずその場に倒れ込んだ。

 齢七つほどの子供をいい年をした大人が三人がかりで追い込む。

「けっけっけ、ガキふぜいが。何もできねえくせに。帰って母ちゃんに慰めてもらいな」

 母はもういない。そのことを知らないチンピラ共は好き勝手言った

「おい、こいつ見た目は水ぼらしいしきたねえけど持ち物はどうなってんだ?」

「金でも持ってるんなら俺たちがもらってやろうぜ」

 そう言うとチンピラはルギナのぼろ布のような衣服をはぎ取ろうとした。

何か金銭的なものを持っていないかを探る動作だ。

「くっ」

 羞恥心と恐怖のあまりルギナは抵抗してチンピラに身体中の精いっぱいの力を振り絞って噛み付いた。

「くそっ、ガキが!なめんじゃねえぞ!」

「ちょっと優しくしてやりゃあ!」

 チンピラは三人がかりでルギナをよってたかったタコ殴りにした。

 拳が顔や腹にのめりこみ、痛みが伴う。

 ルギナは魔法で追い返そうと思ったが魔法を使えば罪になる、と今まではあくまでも魔法を発動させても威嚇に使うのが目的なだけでそれを攻撃に使うことはなかった。あくまでも脅しくらいにしか使えないのだ。

 今の状況ではどっちにしろ三人がかりで隙もなく魔法を発動しようにも出すことができなかった。

 殴りまくった末に金目になるものを持っていないルギナを相手にすることにも飽きたチンピラは暴行の手を止めた。

「行こうぜ、こんなガキ相手にするだけ無駄だぜ。何も持ってねえみたいだし」

 チンピラは幸いにもルギナの命までは奪わなかった。



 ルギナは翌日から居場所に困った。

 夜になればここらを縄張りにしている下衆な輩に暴行を加えられることもあり、夜になると朝まで過ごすことだけでいっぱいだった。

 世の中は家があって、そこで一晩を安心して過ごすことができて家族に守られている子供が多いのに、なぜ自分には何もないのか。

 何もかもを失い、身も心もボロボロなルギナは精神的にも肉体的にももはや限界だった。

「なんで僕だけがこんなにみじめな想いをしなくてはならないのだろう……」

 思えば自分は魔法を持って生まれたばかりにろくな生活ができなかった。

 母と共に浮浪者同然の生活で、橋の下で寝泊まりをするだけで、食事だって廃棄物ばかりだ。

 母は自分を愛するどころか疎ましい存在のように扱っていた。

 この世界の子供は親に愛されている、子供のうちは親に守られて、食事を与えられて、愛を与えれれる。

 なぜ同じ世界に生まれていながらこうも普通の人との差があるのか。

 魔法を持っているのだって好きで持って生まれたわけではない、ただそういう運命なだけだ。 

 何か悪いことをしているわけでもないのに魔法のせいでまともな生活ができない。

「あの時、あの人が助けてくれれば……」

 思えば母が亡くなる前に会いに行ったヴィルキアが助けてくれればよかったかもしれない、という他人に勝手な救いを求める気持ちが生まれる。

 あのヴィルキアは生まれながらにして金持ちの家系に生まれた。そしてそこで何不自由なく暮らしていて、結婚して息子もいて幸せな家庭を築いた。

 若き頃にミノラと出会い一晩限りの関係を持ってしまったがためにルギナが生まれてしまった。それならば生まないでほしかったとすら思える。

 そしてヴィルキアの子は自分と同じ父親を持ちながらその父親の子として平穏な生活を続けている。

 父親が同じということはあの息子は自分とは腹違いの兄弟ということになる。

 しかし同じ親を持ちながら片方は裕福な生活をしていてこちらは貧しい生活で家も食料もない雲泥の差であった。

 なぜ同じ父親を持つ身でありながら一方は愛されてもう一方は疎まれるという違いがあるのか。

 あのロッシュという子供はすでに生まれつき裕福な家庭と親に愛されてるために幸せそうな生活だった。一方ルギナは母と貧しく暮らし、今は母も住む場所もない。

 生まれた環境がすでに恵まれているか否か、それだけでこんなに違う。

 ルギナのその理不尽な気持ちは次第に怒りへと変貌していく感覚があった。

 なぜ同じ世界に生まれていながらこんなにも差があるのか、その考えてもどうにもならないことが今はルギナにとって全てを支配するほどの心の闇となる。

「あの時にヴィルキアって奴が助けてくれれば母さんはまだ助かったかもしれないのに……あいつは母さんを見殺しにしたんだ」

 その時、ルギナの心は悲しみや痛みや苦しみよりも、もはや憎悪の炎が激しく燃え盛っていた。

「あの男もその息子も許せない……あいつらは母さんを見殺しにしておきながら自分達は今でも温かい家でぬくぬくとしているんだ」

 ルギナの母を失った悲しみや辛さは今やそれを怒りにすることで感情を収めていた。

「あいつら……絶対許せない!」

 ルギナの中で執着するように救いの手を差し伸べてくれなかった父親への憎しみが心を支配した。


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