第3話 希望を持った存在は
翌日、ルギナは母の隣で目を覚ますと母の容態がおかしくなっていることに気づいた。
ゼェゼェと苦しそうな呼吸でもはや息を吸うだけでも大変な状況なのだ。
水を飲ませようとしてもすぐに水を吐き出してしまう。
これまでもずっと病状は悪化してきたが、いよいよ命の危機にまでに来たのかもしれない。
そのことを想像するとルギナは母を見て泣いた。
「お母さん……ぼくを一人にしないで……」
呼吸も苦しそうな母にはその声が聞こえているのかはわからないがもはやその息すらも次第に静かなものになっていった。
そんな時間が長く続き、昼頃になると母はある言葉を放った。
「ううん……ヴィルキア」
突然母がつぶやく、今までに聞いたことがないヴィルキアという単語にルギナは「誰?」と聞いた。
「あんたの父親の名前よ……。私が昔、出会って一時を過ごした……」
「僕の……父さん?」
ルギナには父はいないものとして今まで気にしたことがなかった。
父親が誰なのか母は教えてくれなかったのである。なので触れてはいけない者なのだと。
しかしルギナは初めて聞いた自分の父親の存在に、自分にも父がいたのか、と驚いた。
母親が今まで言わなかったことを口に出すということはいよいよ自分の身の終わりを覚悟しているということだと、この時ルギナはわかっていなかった
「ヴィルキアなら……私の名前を出せば……助けてくれるかも。今まではずっとヴィルキアに会うのが怖かった。あんたのことを知らせればどんな顔するかもわからなくて……だからずっと秘密にしてた。けど、いよいよ私がこんな状態ならもう頼りにできるのはあの人だけ……」
こんな状態、という言葉に母は死を覚悟しているのだと思わされてルギナは悲しくなった。
「あの人はこの町の東の屋敷に住んでいる……。もしかしたら、あんたが実の息子だと知れば救いの手を差し伸ばしてくれるかも……。あんたも、こんな生活から脱出できる…かもしれない。その人に会いなさい」
まるで最期の言葉かのようにミノラはルギナに父に会えという言葉を発した。
この状況なのなら頼えるものは何にでも頼りたかった。
もしかしてその人物なら母を医者に見せてくれるかもしれない、自分をこんな生活から保護してくれるかもしれないと。
「わかった。ヴィルキアさん、だね。僕が行ってくるよ」
ルギナは希望を持つように小屋から走り出して言われた場所へ向かった。
もしかしたらこの生活が変わるチャンスかもしれないと。
何より自分にも父親という存在がいたことが今は頼もしかった。
母は今まで自分の父親について教えてくれなかったのだ。なので自分の父親はどこの誰かもわからない、元からいないものだと思っていた。
しかし今、そのヴィルキアという人物が本当に父親なのなら、もしかして助けてくれるかもしれない、自分が息子だと知ればもしかしたら家族になってくれるかもしれない、そんな希望さえあったのだ。
ずっと今まで親子ともどもこの世界に居場所がなかった。
しかし、初めて家族という存在があるとすればこの境遇も変わるチャンスなのだ。
藁にもすがる想いでルギナはこの街での貴族の住処であるヴィルキアの屋敷を訪ねた。
立派な屋敷だった。
建物は綺麗な壁で作られ門も高く整備されている。この町では上流階級といった暮らしをうかがわせる。
自分の父親がこんな立派な場所に住んでいる人だと思うとなぜか少し安心した。
これだけの裕福な家庭ならば母を医者に見せる手助けをしてくれるかもしれないと。
門番に話しかけてヴィルキアに会わせてもらおうと、ルギナは門番に話しかけた。
「なんだお前は。この家に何か用か?」
門番はルギナの姿を一瞥すると、まるで汚い者を見るような目で見つめた。
「ヴィルキアって人に会わせてください! どうしても会わなくてはならないんです」
「なんだ? お前は何者だ? 旦那様のような高貴な身分のお方が会うなんてできるわけないだろう」
やはりダメだった。いきなり自分のような見た目の子供が人に会いたいと言っても会わせてくれるはずもない。
「旦那様がお前みたいな薄汚いやつと会うわけないぞ。さっさと家に帰りな」
「でも、どうしても会わなきゃいけなくて……」
ルギナは引き下がることはできなかった。ここで諦めてしまえば母の病状は悪くなる一方だ。
「諦めろ、とっとと家に帰りな!」
門番はすぐにでも追い返そうと声を荒げた
「違うんです! ヴィルキアさんは僕の……」
父親、と言おうとしたところで門の奥で屋敷の扉を開けた者がいた。
「なんだ騒々しい」
門での騒ぎを聞きつけると、屋敷の扉からは綺麗な服装の男性が出てきた。髪の色は金髪で、瞳は澄んだ青で整った顔立ちの年は三十代ほどの男性だ。
見た目が浮浪者同然のルギナとは天と地ほどの身分の差があると感じた。
「ヴィルキア様、すみません。ちょっとガキがうるさくて」
ヴィルキア様、と聞いてこの人こそがまさに自分が会いたかったヴィルキア本人なのだ。
ルギナはその姿を見た時に、この人が自分の父親だと思うとときめいた。どうしても言うことを伝えねばならないと思った。
「子供じゃないか。なんだその汚い子供は。早く追い出せ」
しかし現実はルギナの思うような父親としての態度ではなく、ヴィルキアはルギナの姿を見た途端、まるで汚物をみるような蔑んだ目線を向けた。
ルギナは父であるヴィルキアのその反応に自分のことが否定されていることに悲しみを感じた。
「どうしてもこの子供がヴィルキア様に用事があるって聞かないんです」
「お願いです! 話だけでも聞いてください!」
ルギナは希望にすがりつくように必死で懇願した。
今ここで引き下がっていてはせっかく見えた光すらも失うことになるのだ。
母の名前を出せばその名前をわかってくれるかもしれない。その希望でここへ来て直接その名前を必死で告げることにした」
「お母さんを……ミノラという女性を助けてください。今病気なんです。ヴィルキアさんに会えばもしかして助けてくれるかもって」
ヴィルキアはその名前を聞いた途端の表情が固まった
「ミノラ……だと?」
やはりその名前を覚えていてくれたのだ。ルギナはきっとこの人が母を助けてくれる、と一瞬希望を持てた。
しかしその名前を聞くと、今度はみるみる眉間に皺がより、怒りの表情になった父の顔が見えた。
「おぞましい……あの女がまだ生きていたのか……!二度とその名前を聞きたくない。すぐにここから出ていけ!」
ヴィルキアの表情は怒りになり、ルギナが抱いたその希望は一瞬で打ち砕かれることになる
「あんな女と会ったことが私の間違いだった。思い出したくもない。ああ、恐ろしい。あの晩、たまたま私が町に出ていた時にあの女と一晩過ごしたばかりに……ということはお前は……!」
ヴィルキアは目の前にいるルギナが何者かを察するとおぞましいとばかりに身を震わせた。
「どういうことですか……?お母さんはあなたに会えばわかると言って……」
「違う! 私はあの女のことなど知らん! せっかく私もあの忌々しき記憶から解放されたと思っていたのに……なんて汚らわしい! お前らなんて私は知らんぞ!」
ヴィルキアはルギナの存在も、その母であるミノラもを拒むようににらみつけた。
最後のお願いとばかりにルギナは懇願した。
「お願いです、お母さんを助けてください」
ここで引き下がってしまっては本当に自分達への救いの手がなくなってしまう、そんな予感がして泣きつくようにせがむ。
「うるさい! 二度とその名前を出すな。お前なんて知らんと言っただろう! 出ていけ!」
屋敷の入り口でのヴィルキアの怒鳴り声に何事かと思ったのか屋敷の中からは子供が入口へと姿を現した。
「お父様、どうかしたのですか?」
扉から綺麗な衣服に身を包んだ少年が出てきた。ルギナより一つか二つほど年下の子供だった。
「ロッシュ、家の中にいなさい。お前には関係ないんだ」
ロッシュと呼ばれた子供は門の先にいたルギナを見ていた。
「お父様、あの子は一体……」
「なんでもないんだ。ただのどこかの子供が入り込んで…さあ家の中に戻ろう」
まるでつい先ほどまでルギナへ怒鳴っていた態度をころりと変え、実の息子に対しては優しい父親かのようにふるまった。
「お父様、ぼく召使いの方と一緒に花壇に花を植えたんです」
「おおそうか、それでは見せてくれ」
まるでたった今ルギナに投げた言葉遣いはうって変わって優しい父親のそれになり、同じく子供相手でありながらなぜ実の子でありながらこうも違うのかと理不尽で仕方がなかった
屋敷の中へと入っていくヴィルキアの背中を見つめた。
「さあ。これで気が済んだか。とっとと母親の者へ帰りな」
門番にそういわれ、ルギナはとぼとぼとした足取りでその場を後にする。
想像していた人物と違い、ルギナにとって見えたヴィルキアという男は冷酷で自分達の存在を否定したおぞましい人物にしか見なかった。
あの男が自分の父親なのかと思うとなぜ自分にもあの男の恐ろしい血が流れているのかと思った。
ルギナにとってはヴィルキアの印象は醜い大人でしかないのだ。
自分の子を認めず、あまつさえ過去に関係を持った女性を忌々しき過去と投げ捨て、まるでなかったかのように過ごす。
そしてあの屋敷にいた子供、あれはきっと自分にとっては母親が違うが自分と父親は同じなのである。
同じ親を持ちながらなぜ自分は貧しい暮らしで父に愛されず母を助けることもできないのにあのロッシュという子供は愛されるのか。
そんな理不尽な関係はどうにもできず、ルギナはただ落ち込みながら家への帰路についた。
こうしている間も母を一人にしてしまった。今は少しでも長く母の傍にいて病気で弱った母の傍に寄り添って共にいるべきだとわかっていたのに。
小屋に戻ると、母はまたもや排泄物を足元から垂らしながらルギナを待っていた。
「あの人は……ゴホッ、どうだった?」
ヴィルキアに会えたかどうかを聞く母に、正直には言えなかった。
「……いなかったよ。もうこの町には住んでいないみたい」
母に嘘をついた。本当のことは言えない。母にヴィルキアのことは言えなかった。
助けるどころか存在を否定してさげすんだなど言えばきっと母は傷つくだろうと思っていたから言えなかった。
ただでさえ日に日に弱っていく母へ精神的なダメージを与えればきっと母は心を痛めて死んでしまう、それが嫌だった
「そう…残念ね」
母は咳き込みながらもヴィルキアに会えなかったことについて、それ以上は何も聞かなかった。
まだ子供であるルギナにはどうすることもできず、ただ日々懸命に母の看病をしたがそれもむなしく母は日々日々体を悪くしていく一方だった。
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