鎌倉からの呼び出し

1485年10月


論功行賞も終わり、豊嶋目録の布告は何とか滞りなく終わった。

というよりも実際の所、論功行賞における転封に関しては事前に内示を出していたし、先の合戦で成氏に味方し、その後従属した者は減封か同程度の石高の地への転封かの2択であり、拒否は家の破滅でしかない為、多くの者は同程度の石高がある地への転封を選んだ。


そして最初から豊嶋家に味方していた国人衆に至っては、以前も同様に豊嶋家の所領が拡大した際に加増転封をおこなった事もあり、また飛び地を所領として与えられるよりも纏まった土地を与えられる方が管理が楽と言う事もあり、意外とすんなり受け入れられた。


だが10000石以上の石高を領する国人衆の妻子を江戸に住まわせる件に関しては、賛否が割れた。


反対派は、人質では無いか? 我らを信用していないのではないか?

などと思っている者が多く居たようだが、反対に賛成派は、妻は別として嫡男、次男などを江戸に住まわせ豊嶋の学問所に通わせる事が出来るうえ、才覚を示せば小姓として取り立てられるだけでなく、新たに制定された豊嶋家の要職に就く事の出来るとの事もあり、是非ともと、数日中に江戸へ…と言った感じだ。


中には、豊嶋領の外縁部近くに所領を持つ国人衆など、万が一自領が他国に攻められ自身が討ち死にし所領を失ったとしても、妻子を江戸に置いておけば安全であり、家の存続に加え、失った所領を豊嶋家が取り返し、江戸に置いた子に家督を継がせてもらえると考えている者もいるようで、賛成派は江戸から離れた地に所領を持つ者が意外と多かった。


うん、これは意外だった。

てっきり江戸から所領が離れている国人衆が反対するかと思ってたんだが…。


とりあえず、江戸城の広間に集まった豊嶋家の一門衆、重臣、従属している国人衆、約100人程で多数決を取り決める事にしたのだが、賛成が反対より多少多い程度であった為、妻子を江戸に住まわせる事に反対をする者は、嫡男でなくとも、次男や三男でも良いので8歳以上の者を、宮城城下にある学問所(全寮制)に入れる事で納得させた。


それにしても、俺の作った組織図だが、斬新だったのか、それとも明確化されるのが珍しいのか、どうやったらこの組織の上位に行けるのかなどとの質問が多かったのは意外だった。


そして、才覚を示して実績を積めば役職が上がると伝えたら、この仕事に携わりたいなど手を挙げる者が多かったのも意外だった。

まあ出自に関係なく才能が有れば役職も上がるし、役職に応じて俸禄が増えるだけでなく、豊嶋家内での地位も上がるとあり、幼い男子を学問所へ通わせたいとの声が結構上がった。


まあこれが、妻子を江戸に住まわせる事に反対した者が、宮城城下にある学問所(全寮制)に、との事で納得した理由でもあるんだが…。


論功行賞、豊嶋式目の告知が終わり、やっと平穏な日々が送れるかと思ったが、やはり鎌倉の足利政知からの呼び出しが来た。

いや、川越で足利成氏と上杉顕定を破った後、暫くして鎌倉に呼ばれていたのだが、戦後処理が忙しい事もあり、今回の組織編成で外交大臣となった斉藤勝康を鎌倉に送り、今回の合戦は、関東を二分する勢力が争った大戦だった事もあり、戦後処理を間違えると再度関東に戦乱が広がるから、と、10月の論功行賞が終わるまで待って欲しいと伝えて了承を得ていたのだが、論功行賞が終わったら直ぐに鎌倉へ来るよう書かれた書状が届けられた。


うん、流石に無視や引き延ばしはまずいので、鎌倉に向かう事にする。


「公方様にはご機嫌麗しく、豊嶋武蔵守宗泰にございまする」


上座に座る、足利政知に対し、平伏し挨拶をすると、不機嫌そうな声が返って来た。


「宗泰、其方、関東に再度大乱を起こさぬ為と申しておったが、本来なれば余が褒美として成氏に味方した者達の所領を国人衆に与えるべきところ、何故、勝手に国人衆への加増と所領安堵をおこなったのだ?」


「何故と申されましても、此度の合戦は、公方様に対して足利成氏、上杉顕定、上杉定正が兵を挙げた訳ではなく、豊嶋、三浦、太田、成田家の4家を滅ぼす為に兵を挙げた次第、故に此度の合戦は成氏、両上杉と豊嶋家を含む4家の私戦にございまする。 公方様のお手を煩わせぬ為にも各家にて話し合いの場を持ち、所領を分け合った次第」


「それを余に追認せよと言うか…。 なれば、其方、何故余の元には出仕せず、成氏と何度も会っておる? 返答次第では鎌倉公方として見過ごせぬぞ!」


「成氏殿と何度もお会いしたのは、再び関東にて大乱を起こさぬ為、そして鎌倉公方である足利政知様を認め、成氏殿に公方の名乗りを辞めさせる為でございまする。 何度も成氏殿とお会いし話し合った事で、成氏殿も公方の名乗りを辞め、足利家の、いち一門衆となる事を承諾されておりまする。 今は家中や下野、常陸の国人衆に理解を求めている最中かと…」


「何と!! 成氏めは公方を名乗る事を辞めると!! ならばいずれ余の元へ頭を下げに来るという事か?」


「左様でございまする。 それと誠に勝手ながら、成氏殿の元へ、公方様の嫡男であらせられます茶々丸様を養子として送り、古河足利家の家督を継いで貰う事の承諾を得ておりまする」


「な、なに!!! 茶々丸を養子だと! 宗泰! 其方、余の嫡男を人質に出せと申すか!!」


「恐れながら申し上げます。 茶々丸様が粗暴である為に、公方様も頭を悩ませ、亀王丸様(11代将軍足利義澄あしかがよしずみ)をお世継ぎにと、考えられている程と聞き及んでおりまする。 」


「う、う~む…、だが茶々丸が納得せぬ時は如何する? それに亀王丸はまだ4つぞ」


「御嫡男である茶々丸様がおられれば、まもなく幕府より亀王丸様をどこぞの寺へと言われるは必定、茶々丸様の説得は某が致しまする。 それに養父となる成氏殿は長きに渡り戦場を駆けた厳格な男にございますれば、茶々丸様が粗暴な行いをすれば鉄拳制裁にて公方様のお子として、古河足利家の当主として鎌倉公方を支えうる人間に育てる事も出来るかと」


そう、ここでいつまでも茶々丸を廃嫡せずにいたら、次男の亀王丸が幕府の命で出家させられ、結果的に粗暴であると言われる茶々丸に家を継がせる事になるというのがミソだ。


実際の所、政知が嫡男の茶々丸に手を焼いており、次男の亀王丸を可愛がっている。

そしてそれを見て、自身が廃嫡されるのではと自棄になった茶々丸がますます粗暴になっているのが現状だ。


風魔衆に茶々丸の身辺を調べさせたが、性格的には文より武ではあるものの、自身を気遣い、心配する者には気を許し情深く接しておるが、反対に自らの利益を求め茶々丸に取り入ろうとした者を毛嫌いしている感じらしい。

そして亀王丸が産まれた際、今まで茶々丸に媚びを売っていた者達が手の平を返し、茶々丸が粗暴であり世継ぎとして相応しくないと言い出したようだ。


それが顕著になったのは、亀王丸が産まれて間もないころ、成氏との長きに渡る戦いで塗炭の苦しみを味わっている民百姓の姿をその目で見た事で、公の場で政知に対し、公方として度重なる合戦により苦しんでいる民百姓へ目を向けるべきであり、成氏と話し合いの場を設け和議を結ぶべきだと言い放った事で怒りを買い、一時謹慎をさせられていたらしい。


そんな事もあり、茶々丸は乱世に嫌気がさしたのか、それとも有名無実の公方である父に失望したのか、わざと粗暴な振る舞いをするようになったらしい。


「なれば宗泰、茶々丸を説得し、自ら成氏の養子になると余に伝えに来させるのだ! 出来るのであろう?」


「かしこまりました。 茶々丸様に誠心誠意お話いたし、必ずや首を縦に振らせまする」


「うむ、此度、茶々丸を説得出来たなら、先の合戦で得た所領を余の許可なく采配致した事は不問とし、追認しようぞ」


「有難き幸せに存じまする」


再度平伏した後、場を辞して茶々丸の元へ向かう。


さて、風魔衆の報告通りなら茶々丸は成氏の養子となる事を嫌とは言わないはずだ。

後は、茶々丸に、いかにも渋々、不本意ながらと言った演技をさせるかだが…。


まあ、普段から粗暴な態度にも慣れているだろうから大丈夫だろうけど。

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