真里谷の処遇

1485年6月中旬


俺は江戸城の一室で駿河より報告に来た太田道灌と今後の駿河の情勢について話し合っていた。


「俺の失策だな…。 まさか伊勢盛時がここまで早く今川を纏める…、というよりも乗っ取るとは。 小鹿範満を盛時が討ち取った直後に兵を進めるよう命じておけば…」


「いえ、殿の失策ではございませぬ。 某とて伊勢盛時が、よもやここまで早く今川を纏めるとは思ってもおりませんでした。 某も、殿と同じく、駿河の国人衆が争い疲弊したところに兵を進めれば簡単に駿河を落とせると思っており、完全に油断していた某の失策にて…」


俺と向かい合う道灌と、駿河の騒乱に対する失策の責任を被り合う。


事の発端は5月22日、小鹿範満が今川龍王丸を騙し討ちした時に遡るが、その日のうちにその事を知った道灌は急使を江戸に送るとともに、豊嶋家が治めている駿東郡、富士郡に陣触れを発し、隙あらば駿河に攻め込もうと思っていた。


そして5月24日に急使より、駿河での事を知った俺は、道灌に対し、伊勢と小鹿が争いを始めれば静観し、互いに疲弊をしたところで攻め込み、伊勢が京に帰り、小鹿が今川家を継ぐようであれば即座に兵を進めるように命を下していた。


その命が道灌に届いたのが5月25日であり、既に小鹿範満は伊勢盛時に討ち取られ、小鹿に従っていた国人衆の多くが伊勢に攻込まれ、富士郡に落ち延びて来ていたのだった。


今川家がどうなるか様子を伺い出遅れた道灌と、元々、伊勢と小鹿を争わせて疲弊したところを攻めるという方針を示していた俺、共に伊勢盛時に出し抜かれた格好となったのだ。


「それにしても、今川館に集まっていた小鹿範満を擁する国人衆の当主や嫡男などの殆どが討ち取られるとは…、伊勢がその後苦も無くそれらの者達の所領を制圧しておりますれば…」


「確かに、当主が居なくなれば家中は動揺しよう。その機を逃さず駿河を纏め上げるとは…、幕府の名を使ったのだとしても、鮮やかな手並みだ」


ため息をつきながらそう言い、脇息にもたれ掛かる。


俺自身、何が嫌なのかと言うと、駿河の大半を伊勢盛時が手中に収めた事で、今後の駿河攻めにおいて最大の障害となるのが目に見えているからだ。

それに報告では、三浦高救も駿河に居て、城持ちとなっているとの事だ。


後の伊勢宗瑞いせ そうずいに加え、宗瑞最大の敵と言われた三浦義同、後の三浦道寸が手を組んだのだ。今は伊勢の重臣格のようだが、いずれにせよ駿河攻略において最大の障害になると思われるからだ。


「今更、悔やんでも致し方ない。 道灌は伊勢の動きに注意し、落ち延びて来た今川家臣の中で役に立ちそうな者を登用せよ。 あと葛山の一族は血が薄いとはいえ今川一門、役に立つかもしれぬから登用はせずとも客将という体で囲っておけ」


「承知致しました。 今川家臣で伊勢に反抗的な者を調略し、情報を仕入れて伊勢にこれ以上遅れを取らぬよう致しまする」


そう言い、道灌が席を立とうとするところを呼び止めて、これから俺に会いに来た者の謁見に立ち会うように伝え、道灌を伴い主殿の広間へと向かう。


広間に入り、上座に座ると、平伏していた2人の内、30代後半ぐらいの男が挨拶を始めた。


「某は上総、庁南城城主、真里谷信興にございまする。 こちらは嫡男の信勝にて…」


「真里谷信勝にございまする」


「豊嶋武蔵守宗泰である。 此度、豊嶋家への臣従を願っていると聞き及んでおるが、相違ないか?」


2人の挨拶が終ると、俺は名乗った直後、即座に本題へ入る事にした。


「ははっ! 真里谷家を豊嶋家家臣の末席にお加え頂きたく」


「信興殿のお気持ちは分かった。 だが豊嶋家としては里見殿との関係上、真里谷家を家臣にすることが躊躇われるのが実情。 故に真里谷家は里見家の家臣となって頂きたい。 ただし嫡男の真里谷信勝には我が近習に加え、豊嶋の軍法、政などを学んで頂くつもりだ」


「里見に頭を下げよ、と申されますか!!」


豊嶋家の家臣になる事で里見からの圧力を無くし、所領安堵を狙っていた真里谷信興だが、まさか里見の家臣になれと言われるとは夢にも思わず、突然の事に驚愕した後で屈辱の表情を浮かべる。


「ここには、俺と道灌、そして信興殿、信勝殿の4人しかおらぬ故、内密な話をするが、貴殿には里見家の家臣となり、里見の動向を探って欲しいのだ。 当然、現時点で真里谷家が治めている所領は安堵させる」


「里見の動向を探るのでございまするか? 畏れながら何故…」


訝しむ真里谷信興に対し、里見家は真里谷家が降伏した事で、これ以上所領を広げる事が難しくなることを伝え、そして豊嶋家に付いたように、誰かがエサをぶら下げれば豊嶋に牙を剥く可能性がある事を話す。


「なるほど。 所領安堵を認められ里見の家臣となれば、里見はこれ以上所領を広げるのは難しくなると…。 そこを誰かに唆されれば…」


「そうだ。信勝殿を近習にするというのは体の良い人質であるが、最悪の場合、里見が事を起こし真里谷家を攻めた際、真里谷家の家を再興する為でもある。 それと、真里谷殿は甲斐武田家の流れを組む家柄だ。来年か再来年には甲斐へ攻め入るつもりじゃ。 甲斐を手に入れれば…」


そう言うと、真里谷信興は納得したような顔をしたが、やはり里見の下に付くのには抵抗があるのか、まだ頭では分かっていても気持ちが追い付かないといった表情をしている。


尚も渋る真里谷信興に対し、甲斐を攻め獲った暁には、甲斐に上総の所領と同程度、いやそれ以上の石高の土地を与え、甲斐武田宗家を名乗らせる事。

その時、正式に里見の家臣から豊嶋家の家臣にし、甲斐の旗頭にしようと思っておる事を伝える。


「な、なんと!! 某が甲斐源氏の頭領でございまするか?」


「そうだ、新羅三郎義光殿より続く名門、甲斐源氏の宗家として武田家を継いで甲斐の旗頭となって頂く。 甲斐の次は信濃攻め、その後は美濃を獲る、信興殿と信勝には甲斐より京への道を切り開いてもらうつもりだ。 だが、背後に不安を抱えていては京に向かう事は出来まい。 故に今は里見の家臣となり、動向を探ってもらいたい」


「そのような壮大なお考えがあったとは露知らず、私怨を持ち込み申し訳ございませぬ。 この真里谷信興、必ずやご期待に沿える働きを致しまする」


「うむ。だがこの事、里見のみならず、本当に信のおける腹心の家臣達以外には知られぬようにせねば事が露見するであろう。 心してかかられよ」


「ははっ!!!」


そう言うと、信興と信勝はそろって平伏し、所領安堵状と里見の家臣となるよう命ずる書状を受け取り広間を後にする。


「はぁ〜、道灌はどう思う? 真里谷親子、信を置ける者であったか?」


「さて…、しかしながら里見に対しては相当遺恨を持っている様子。 里見と手を組むことはございますまい」


「であろうな…」


そう言うと、広間の入り口に控えている近習に命じ、次に面会を希望している者を呼びに行かせる。


「それにしても殿は人が悪い。 真里谷殿と面会した直後、里見殿と面会するとは…」


道灌がそういうのは尤もで、真里谷の次は里見を呼んでいたのだ。


里見に話す内容を事前に知っている道灌が呆れた顔をしていると、近習の者に案内されて里見成義がやってくる。


「宗泰様にはご機嫌麗しゅう。里見成義にございまする」


「里見殿、其方と俺の仲だ、堅苦しい挨拶は無しで良かろう」


そう言い、顔を上げた里見成義と雑談がてら、上総の状況などを聞いた後、本題に入る。





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