終結に向かう享徳の乱

1481年12月


所領の分配も終わり、太田道灌による駿東郡北部の掌握、豊嶋家と三浦家と伊豆統治が順調に進み始め、少しのんびり出来るかなと思っていた矢先、予想外の知らせが俺の元に届けられた。

いや、予想外だったのは、俺が転生して史実と異なる方向に進んでいるから、油断してネット情報を失念していたのが原因なだけで、実際に史実でも起きていたことなんだが、関東管領の上杉顕定と古河公方の足利成氏が和睦したのだ。


史実より3年遅れての和睦だが、これで20年以上続いている関東管領家と古河公方の争いに終止符が打たれる事になった。

史実では長尾景春の乱で追い込まれた上杉顕定が成氏との和睦を成立させて終結に向かったが、今回は俺…と言うか、豊嶋家と三浦家が台頭し上杉家を圧迫し出した事に危機感を募らせて和睦した可能性が高い。

いや、むしろ確実に豊嶋家と三浦家が上杉家を圧迫し、堀越公方である足利政知を取り込んだことで和睦を決意させたのだと思う。


多分、俺は上杉顕定だけでなく足利成氏にも恨まれているはずだし、和睦の目的は恐らく豊嶋家を滅ぼすこと…。

それだけで成氏が和睦するはずは無いので、関東管領である上杉顕定を通じ幕府と和睦し、堀越公方である足利政知を排し、足利成氏を再度鎌倉公方とする密約でも結んだはずだ。


元々は成氏が当時関東管領だった上杉憲忠を謀殺した事に端を発した争いが関東に広まったのだが、現在の関東管領である上杉顕定からすれば憲忠は上杉家一門の人間ではあるが、殺されたのは自分が生まれる前のことであり、関東管領になったから幕府の命で立場上、古河公方との争いを続けていただけだ。

上杉憲忠を殺された恨みも無く、あるとすれば家臣を討たれた恨みだけだ。だが、それは合戦での事であって武士であれば当然であり、反対に自身が関東管領になれたのは足利成氏という存在が関東管領家と争っていたからだとも言える。


「泰秀、急ぎ早舟で三浦時高殿に使者を出せ! 船で三崎湊に迎えに行くので共に伊豆の堀越御所へ向かいたいと伝えよ」

側近として政務を学ばせる為に送られて来た叔父である泰明の嫡男、豊嶋泰秀に指示を出し、同様に側近となっている赤塚茂道に命じて大型船の出港準備をさせる。


大型船とはガレオン船とキャラック船の中間のような船で両舷に備えられた櫂で進む事も出来る船だ。

全長約40メートル、幅14メートル程の船で米ならば1500石以上は積載できる。

実際は長距離航海の場合、水や食料を積み込む上、武装もあるので積載量は減るが、それでもこの時代としてはこの大型船が全てにおいて国内最先端だと思う。


現在豊嶋家が保有する大型船は進水したばかりのものを含め9隻、そのうち6隻が東北や堺との交易に出ており、1隻は堺で京で朝廷工作をしていた斉藤勝康を乗せて薩摩に向かっている。

京の朝廷工作は今後も継続して行うが、交渉術に長けた家臣が少ないので、公家の相手を太田道真の家臣で最近になって豊嶋家に仕える事になった樋口兼正を後任として派遣した。


因みに薩摩に斉藤勝康を向かわせた理由は今後、琉球、明や呂宋と交易をする為の中継地点になるよう交渉をする為だ。

今回は手土産にサツマイモ、板チョコ10枚、清酒10樽、日本酒5本、黒帝が雌馬を片っ端から孕ませ産ませた馬を10頭を持たせた。

交渉が上手くいって友好関係が結ばれれば、芋焼酎の作り方や造船技術の一部を教える予定だ。

ただし鉄砲に関しては種子島に伝わるのが1543年、後60年後なので豊嶋家から技術が流出して国内に広まらない限りは教えるつもりはない。


石神井城に早馬を送って父である泰経に江戸の留守居を頼み、大船の準備が出来ると同時に江戸湊を出航し三崎湊を目指す。

風を受け順調に進む大船は江戸湊を出航し、5時間程で三崎湊に到着する。

現在埋立中で大船が横付け出来ない為、岸から離れた場所に錨を降ろし、小舟で三浦時高を迎えに行こうと準備をしていると、時高が乗った船が近づいて来た。


「宗泰殿、急ぎ堀越御所へとは如何なされた?」

「既に聞き及んでいるかと思いますが、関東管領家と古河公方が和議を結びました。 恐らく上杉家は上野、武蔵、相模を取り戻す為、古河公方は関東管領を通じて幕府と和議を結び、朝敵の汚名を注いで鎌倉公方の地位を認めさせる為と思われます。 なので急ぎ堀越御所へ赴き、足利政知に依頼して関東管領上杉家と古河公方が手を結び幕府に反旗を翻す企みありとの書状を書かせ幕府に送らせたいと思います」


「しかし幕府が信じるか? 関東管領が幕府に背いて古河公方と和議を結んだだけで、必ずしも幕府に反旗を翻すとは言い切れまい」

「確かに。ですが先に幕府への書状が届けば、後から届いた関東管領からの書状を鵜呑みにはせず、幕府と古河公方の間に和議が結ばれるのには時間が掛かるはず。上手くすれば幕府が和議に応じない可能性もありますので」


大船に乗り込んだ三浦時高と俺が話している間にも帆に風を受け、大船は相模湾を西へ進んで行く。

三浦の海賊衆が護衛としてついて来ようと頑張っていたが、大型船の速度には付いて来れず途中で見えなくなった。

伊豆の海賊衆が襲って来る可能性もあるが、豊嶋家の家紋である三つ柏が帆に描かれているので、遠目でも豊嶋家の船と分かるし、万が一襲って来ても速度が違うから振り切れる。

一応大型のバリスタが片舷10基、両舷で20基装備されており、甲板中央には投石器も1基ある。

鉄砲隊も50名、足軽も300人程乗り込んでいるから、襲われても応戦できるだけの戦力は有している。

小舟だとバリスタが命中したら貫通してしまうが、それでも船底か喫水下に穴が開けば、その船は使い物にならなくなる。

一応大型バリスタ用の矢も貫通重視の円錐型を始め鏃型、滑液包炎用の矢もあるので用途に応じて使い分けられる。

焙烙玉も用意してあるし…。


翌朝、沼津湊に到着すると、すぐさま足軽100人を連れて堀越御所へと向かう。

先触れも無く現れた俺達に驚いた様子だったが、既に和議の話が伝わっているようで、すんなりと面会が許された。


これが物分かりの悪い人間だったら待たされたりするんだろうけど、公方と言えども戦国武将、突然現れた俺達に一部家臣は良い顔をしてなかったが、足利政知は事の深刻さを即座に理解したようだ。


ただ今後傀儡にするにはもう少し頭の弱い方が助かるんだけどな…。

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