所領分配

7月になると、寺領の接収も、奪った所領の検地もほぼ終わった。

因みに扇谷上杉家に味方し、その後降伏した国人衆の所領も検地を実施した。

降伏した国人衆達の多くは難色を示したが、検地をして石高を正確に把握してなければ没収される領地が多くなっても良いのか? と半分脅したら、渋々検地を受け入れた感じだ。


実は降伏した国人衆の所領は8月の所領分配までの間はそのまま管理させている。

これは純粋に管理するのが大変なのと、怪しい動きをしないか見極める為だ。

兵を挙げたり、扇谷上杉家や関東管領山内上杉家と通じていたら所領をガッツリ削り、転封をするつもりだったが、降伏した国人衆は大人しくしていた。

残念な事だ…。


毎月のように送られてくる関東管領上杉顕定からの書状を無視し、地図を見ながら加増転封を承諾した国人衆と拒否した国人衆に与える所領の案を、太田道真と成田正等と相談しながら決めているが、中々いい感じになって来た。


中でも今回の合戦で沢山城(現在の町田市三輪緑山付近)城主である矢野兵庫と、根古屋城(現在の狭山湖付近)城主である山口高忠が豊嶋家に臣従を申し出て家臣となった。

従属でも良かったんだけど、臣従して家臣となった方が家を更に大きく出来るとの事で、転封も受け入れるとの事だったので認めた感じだ。

2人共、下鶴間城攻めの時、国人の裏切りにより敗戦となった際、俺自ら援軍を率いて直ぐに駆けつけたうえ、負けを責めるどころか反対に謝罪され、戦いぶりを称賛された時に心の中では既に臣従を決めていたらしい。

うん、リップサービスは大事だね。


矢野兵庫はどちらかと言えば武闘派なので小山城を任せ高座郡(現在の相模原市一帯)の旗頭に命じた。

元々、長尾景春が兵を挙げた際、扇谷上杉家と敵対し戦っていた事もあり、裏切って扇谷上杉家に味方する事は無いと判断した。

そして山口高忠には成瀬城を任せ、矢野兵庫と共に扇谷上杉家に対する備えとした。

両名とも今の所領の3倍近い加増とあって、事前に内示をした際には驚きつつも期待を裏切らない働きをすると言っていた。


駿河駿東郡北部の統治に関しては太田道灌に任せ、駿東郡や富士郡の国人衆を調略し、駿河を侵食させる事にした。

駿河守護の今川家は表面上では家督争いが終わり、当主である龍王丸が元服するまでは叔父の小鹿範満が後見する事になっているが、小鹿範満は未だに今川家の家督を狙っており、前回の家督争いで味方として兵を率いて駿河に行った道灌とは面識がある為、家督相続を支援する事を餌に駿東郡、富士郡への進出を黙認するよう迫る予定だ。

今川家の目は遠江に向いており、堀越公方の居る伊豆方面にはあまり関わりたくないのか富士郡、駿東郡をあまり重要視していない。

史実では後に伊勢盛時が駿東郡を足掛かりにして伊豆を手に入れるので、事前にそれを阻止するのが狙いだ。


伊豆には堀越公方の護衛という名目で蒲田城で雇っている専業兵士500を率いた小具秀康を派遣している。

堀越公方である足利政知は即座に鎌倉へ動座し鎌倉府の復興を、と息巻いていたが、鎌倉の視察をした際、朽ちているとまではいかないまでも荒れ果てている御所を目にし、早急な鎌倉府の再興を望んでいた政知も、急いで動座せずとも御所を新築してからで良いと言い出したので、今年一杯は堀越御所で過ごすことになると思う。


う~ん、建築費用が嵩むから荒れ果てた御所は新築ではなく、リフォームして使って貰いたいんだけどな…。

どうせ古河の足利成氏が海賊衆を使って鎌倉を襲撃して燃やされそうだし、新築するだけ無駄な気がするんだよね。

三浦時高と話して1~2回は襲撃をされて怖い思いをさせておけば、政知を都合よく使えるのではないかとの結論に至ってるし…。

政知が目に触れるところだけ目新しくして、他はリフォームや安い材料で手抜き工事してなるべくお金を掛けないようにしよう。

見た目だけ良ければ文句は言わないだろうし。


8月になり、江戸城には合戦に加わった国人衆が集まり、豊嶋家が主導した所領分配が始まった。

江戸城の広間には多くの国人衆が集まり、上座には俺が座り、その一段下の右側に太田道真、左側に成田正等が座り、下座に国人衆が座ると言った感じだが、集まった者達は特に文句を言うことも無く、俺が広間に入り上座に座った際は平伏して出迎えた。

何人かは俺が上座に座るのを良しとせず何か言うかと思っていたんだけど。


「豊嶋武蔵守宗泰である。 皆の者、面を上げよ」

俺がそう言うと一同が面を上げ、俺の方を見る。

見た感じ反感を抱くような表情をしている者はおらず、むしろどれだけの所領が貰えるか、または所領をどれだけ取り上げられるかといった表情をしている。


「年明けにあった合戦にて朝廷に、いや帝に弓を引いた扇谷上杉家を討伐し、帝のご威光を示した事、帝も殊の外お喜びであり、此度の所領分配を俺に一任された。 よってこれより扇谷上杉家討伐における論功行賞を行う」


帝が喜んでいるかすら俺には分からんけど、集まった国人衆達はなんか喜んでいる。

戦乱に明け暮れている関東でも帝に対する敬意が失われていないのが意外だったが、俺としては都合が良いのでそのまま論功行賞を進める。


今回、論功行賞を始める前に、集まった国人衆へは転封が伴う者が居るので混乱を生まないよう、家柄や所領の大小に関係なく進める旨を伝えているので、傍から見たら順番は滅茶苦茶だが仕方がない。

何某にこの土地を与えると言われた領主はそこ俺の領地!! ってならないようにしたら、家柄とか所領の大小の順に出来ないんだから。


加増転封を受け入れる国人衆は事前に内示をしているので特に混乱もなく、何某には何処の所領、何石を与えると口頭で伝えた上で朱印状を渡していく。

因みに幾人か扇谷上杉家に従い、後に降伏した国人衆がいたけど所領安堵をした。

降伏後、即座に嫡男や嫡孫、または庶子の男児を俺に人質として差し出した国人達だ。


俺に従う証として人質を差し出し軍に加わったという姿勢を評価し、今回の所領分配後に人質は返す予定なんだが、本当の所は所領を安堵して人質を返した後、どのような動きに出るのか、他の国人達がどのように俺を評するかを確かめる為だ。

これで人質の返還を断り改めて臣従を誓うのなら信頼できるし、人質を返した途端に怪しい動きをすれば信頼に値しないとして次は心置きなく攻め滅ぼせる。だが、実際の所は来年の1月には豊嶋家の勢力圏に所領を持つ国人衆へ人質を差し出すように触れを出す予定で、まだ受け入れ態勢が整っていないんだよね。


豊嶋家への臣従の証として人質を出して検地を受け入れさせ、その見返りに農業改革の指導を行い、信頼度に応じて開拓の援助も予定している。

これでハッキリと豊嶋家の勢力圏内に所領を持つ国人衆の信頼度が分かれるはずだ。


国人衆達が朱印状を持って帰って行き、静かになった江戸城で太田道真、成田正等と今後について話し合う。


必ず扇谷上杉定正と大森実頼は兵を挙げる。

その時、関東管領である上杉顕定がどう動くか、古河公方である足利成氏がどう動くか、それにどう対処するか、話が終わった頃には夜遅くになっていた。


既に風魔衆には両上杉家の動向を探らせていて今のところ動きはないが、今回の合戦から戦後処理に関して長尾景春が沈黙しているのも気になる。

関東管領家の家宰が沈黙しているのが不気味だ。

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