そんな貴方こそ私のことを覚えていますか

地下街

そんな貴方こそ私のことを覚えていますか


「私のこと、覚えていますか?」


 再会とは、突然やってくるものである。それは例えば、夜に突然女性が自分の家を訪ねてきたり、するように。


「君は……一ノ瀬さん?」


 玄関先の薄暗い灯りに照らされたその女性は、髪を後ろで一つに束ね、黒縁の眼鏡を通して真っ直ぐな目線を送っていた。十年ほど経ったが、その見た目はさして変わっていない。


「覚えてくれていたんですね、藤井先生」


 藤井が一ノ瀬たちのクラスの担任になったのは、高校三年生の時だった。その一年前まで別の高校に勤務していた藤井だったが、いきなり任されたその生徒達を無事卒業させ、今もなお同じ高校で教卓に立ち続けている。


「まだ当時の面影が残っているよ。身長はかなり伸びたんじゃないのか?」

「先生もお変わりないですね」

「いやぁしかしあと二年でわたしも五十だ。君と今日会っていなかったら、数年後には忘れていたかも分からんな」


 二人で笑い合う中、藤井はずっと頭の中で考えていたことがあった。なぜ彼女は突然こんな時期に、家を訪ねてきたのだろうか。そもそも当時からずっと同じ家に住んでいるとはいえども、住所などを教えた覚えもない。なぜこの再会は、実現したのだろうか。


「実は今日は……」


 それを察したかのように一ノ瀬は自然と本題に入った。


「先生の奥さんのことで来まして……」


 その一言に藤井は緩んでいた口元を直し、厳しい表情を浮かべた。


「妻のこと、知ったのか」

「新聞でたまたま見つけました。実は私、隣町に住んでいて、それで新聞のお悔やみ欄に……」

「そうか。……半年ほど前だったかな」


 気づけば、自分で話し始めていた。


「病気で入院していた妻の病状が突然悪化したんだ」

「突然悪化……そうでしたか。たしか高三の時も一度、先生の奥さんが倒れたことが……」

「元々体は弱かったからな。無事退院できるかもしれないという看護師の言葉を信じて待っていたんだが……。まぁ仕方のないことだ」

「ご冥福、お祈りします」

「あぁありがとう。で、なんだい、そのためにわざわざここまで来たのかい」

「車で来れる距離だったので。かなり時期は遅くなってしまいましたが」


 一ノ瀬がゆっくりと頭を下げる。どうやら本当にそれを言いに来ただけのようだったが、十年ぶりの再会に藤井はこれを聞かずにはいられなかった。


「ちなみにだが、一ノ瀬さん」

「はい」

「君はわたしのこと、覚えているかな」

「え?」


 一瞬戸惑いを見せた一ノ瀬は、「どういうことですか」と純粋に尋ねた。


「高校三年生の君達と出会うもっと前に、わたしは君と出会っているんですよ」

「もっと前に……?」

「わたしの妻が死んだ今の話で思い出したんだ。君のお父さんは、もう随分前に亡くなっているだろう?」

「え、えぇ」


 一ノ瀬はさりげなく目線を下げた。彼女がまだ幼い三歳の時、父も勿論まだまだ若かった頃の話だ。


「わたしと彼とは少し接点があってだね。当時その訃報を聞いたわたしは数年後、彼のお墓に参らせてもらった。そこで偶然、君と、君のお母様にお会いしたんだよ」

「お墓できたのは少し後だったんで、五歳とか六歳の時ですかね、私が」

「そのくらいだったかな」

「高三の時も知ってたんですか? わたしがその時の子供だって」

「そうだな。でもさすがに君は覚えてないだろうね、二十年以上前の話だから」

「そう言う先生は、」


 一ノ瀬は突然はっきりとした口調になって、食い気味に話し始めた。


「私のこと、覚えていますか」


 狭い空間に流れる沈黙に、思わず藤井は「え?」と反応した。


「わたしが覚えていたからこう話してるんじゃないか、お墓で会った時はまだ君は髪も短く……」

「その後です」

「その後?」

「高校生の時の、私です」

「わたしが担任だったのだから勿論……」

「その前です」


 なかなか具体的なことを話さない一ノ瀬だが、藤井もそれに対して分からないことをただ問うしかなかった。


「一体いつのことを言ってるんだ」

「先生、今の高校に赴任する前は違う高校にいらっしゃいましたよね」

「まぁそうだな、同じ県内ではあるが」

「その高校、私も通ってたんです」

「え?」


 全く知らなかった事実に驚きを隠せない。


「私、高三になって転校したんです。先生と一緒に」

「一緒に……」

「一年生と二年生の時にも、何度か先生とお会いしてました」

「そうだったのか。大きな学校だったから全く気がつかなかった」

「先生も、覚えてませんでしたね」

「まさか高校三年間、ずっと同じ場所にいたとはな」

「私たち、何かと縁があるようで」

「では……。一ノ瀬さん」


 藤井は一度深呼吸をすると、何かを決心した様子で話し始めた。


「あの時のことは、覚えていますか」


 その口調には、明らかに今までのものと違うものがあった。


「あの時の、こと?」

「もう時効は迎えた。……君が、三歳の時の話をしよう」


 藤井は後ろを向き、すぐ隣の二階に伸びる階段に腰を下ろした。一ノ瀬は変わらず立ったまま彼をじっと見つめる。


「わたしが教師になってまだ数年という時期だった。当時は思うようにならないことばかりで、ストレスも随分と溜まっていた気がする。その時勤めていた学校は家からそこまで遠くなく、車も持っていなかったわたしは毎日歩いて往復していた。その道中にあったのが、君の家だ」


 先程隣町に住んでいると言っていた一ノ瀬だが、それは今一人暮らしをしている家であり、当時家族で住んでいた家はまたここから遠い場所にある。


「その日の夕方、早めに仕事を終えたわたしはいつも通り家路についていた。何となく面白くないことがあって、わたしはその道中、吸っていたタバコをその場に捨てたんだ。現場は、君の家の前。偶然それを庭から見ていた君のお父さんは、すぐに出てきてわたしを怒鳴りつけた。まだ明るい時間帯だ。近所の人や散歩中の人、沢山の人にその様子を見られた。以降わたしはその道を通る度に冷たい視線を浴び、君のお父さんを恨むようになったんだ」

「……そ、それだけで」

「それだけでなんてことない。仕事で疲れたわたしはのんびり一人で歩いて帰ることすら許されなかった」

「それで、私の父を……」


 当時の記憶が浮かんだのだろうか。藤井は座って床を見ながらもかすかな笑みを浮かべた。


「夜、君のお父さんが帰ってくるのを隠れて待ったんだよ。そして車を止めて玄関に向かった君のお父さんを……あいつを、全力で殴った。いい体してるくせにやけに弱くてだね、一発でフラつくとすぐ側の電柱に頭ぶつけて倒れやがった」

「父はそれで死んだ……」

「君は覚えてないだろう、二十五年も前の話だ。でも覚えてないだろうがね、その時の様子を君が、君だけが、家の二階から覗いていたんだよ。かわいい目で、こちらをただ見つめていたよ」

「…………」


 その事件の犯人は見つからなかった。藤井があらゆる捜査をどう切り抜けたかは、一ノ瀬の知るところではない。


「ねぇ、覚えているかい?」


 座った状態で少しだけ体を前に乗り出し、藤井は満足そうに言った。


「わたしが、君のお父さんを、殺」

「覚えていますよ」


 藤井の言葉を遮り、一ノ瀬は大きく声を上げた。


「全部覚えています。貴方が父の命を奪ったのも、父のお墓で貴方に会ったことも、全部覚えています」


 訳の分からぬまま、藤井はゆっくりと階段から立ち上がった。何も言葉が出ず、口だけが半開きになっていく。


「私が貴方のいる高校に入学したのも、貴方と一緒に転校したのも、そして貴方の暮らしを監視し続けたのも。全ては……全ては、復讐のため」


 震えた声が玄関に余韻を残す中、一ノ瀬はメガネを取り、結んでいた髪を一気にほどき、また前を向いた。目と目が合う。藤井は、彼女の一変した顔つきに息を呑んだ。


「ねぇ、私のこと、覚えてる?」


 その顔は、半年前にこの世を去った妻の隣に立っていた、あの病院の看護師と、瓜二つだった。



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