最終話:崩壊した月曜日

月曜日。


憔悴しきった目で廉太郎は二人を見ていた。

廉太郎の前には、生野と浜野が並んで座っていた。

アクリル板越しに互いに向き合っている。


「よう……。そっちどうだ?今のお前に具合いを聞くのは変な気もするが……」


最初に口を開いたのは生野だった。

廉太郎は痩せこけた頬を上げ、ニコリと笑った。当時の面影は、最初の数ヶ月で全て奪われてしまった。


「気分は晴れないさ……。そっちは?」


落ち窪んだ廉太郎の目が、二人を交互に見据えた。


「私達は元気です。生野君は大学生になりますし、私は3年生になります」


そう答えたのは浜野だった。


「そうか……」

「あれかもう1年半だよ。有川……」


当時世間を震撼させた、実父憎悪連続殺人事件。それから1年半という月日が流れていた。


自身の父に恋人を奪われた腹いせに実の父を殺したと世間ではセンセーショナルに報道された。母道子は連日のマスコミによる押しかけに憔悴してしまい、事件から3か月もたたないうちに自ら命を絶ってしまった。


廉太郎は、その事を少年院で聞き、人知れず涙を流した。そして、自分は全てを失ったと悟った。


「皆は何か言ってた?」

「いいや……」


生野は嘘をついた。事件当時、クラスでは廉太郎の話で持ちきりだった。こそこそと陰口をたたくような陰湿な空気に包まれていたのだ。いない者の悪口は言っても罰など当たらないのだと、悪口を言う権利を自身は持ち合わせているのだと、クラス全体がそう言っているようだった。


生野や長嶋はその空気に好きではなかった。

今まで友人としてクラスメートとして接してきたくせに、渦中の人物になった途端に掌を返して罵詈雑言を聞こえないように浴びせる。


「そうか。もっと悪口を言われているかと思ったけど……」

「そういや、最近、長嶋とは会ったか?」

「長嶋と会ったのは半年前だ。それ以来あってない」


廉太郎はそう言って、当時の事を思い出した。半年前、長嶋と近藤が二人やってきたことを。そして、その数日後にあの男が来たことも。



                  ♢


半年前。


「見ろよ。廉太郎。俺たち全国大会に出れたんだよ」


廉太郎は光の宿らない瞳でかつての友人に目を向けた。


「そうか……よかったな」


抑揚のない声で廉太郎はそれだけ言うことができた。


「まあ、一回戦で敗退したけどね。地区大会は優勝できたんだ」


近藤は嬉しそうだった。それもそうだろう。誰よりも剣道に打ち込んできたのは近藤だったのだから。


「……」

「君がいたら、もっと行けたかもしれない」

「タラればを言っても仕方ないだろ?」

「それはそうだが……」

「それに、レギュラーと補欠をいったりきたりする奴がいたからって、全国優勝できるわけでもないだろ?」


廉太郎は自虐気味に笑った。アクリル板を挟んで対峙する3人に沈黙が流れる。


「今日はそれを言いに来たのか?」

「ま、そうだ。一応報告しておこうと思ってな。悔しいか?」

「……」

「悔しいか?何とか言えよ。廉太郎」


長嶋は普段こんな事を言う人物ではないため、廉太郎は面食らった。


「どうした!何とか言えよって言ってんだよ!廉太郎」

「落ち着け、長嶋君」

「落ち着いてられるかよ、キャプテン!こいつ!何で大事な時にいないんだよ!」


アクリル越しに廉太郎を睨みつける。


「すまん……」


廉太郎はそれだけを言うのが精一杯であった。


「くそっ!こいつ!何でこんなに清々しい顔してんだよ!?悔しがれよ!お前がいないおかげで全国行けたんだ!」

「……」


近藤も今度はたしなめることはしなかった。長嶋の意図が伝わってきたからである。


「くそっ!くそ!」


長嶋は目の前のテーブルを叩く。力強く。

この怒りは誰に対する怒りであろうか。廉太郎への?愛華への?俊哉への?宮崎への?


最初は長嶋の瞳に溜まっていた涙はポタリとたれ、彼の手の甲を濡らした。


「お前は何でいないんだよ!」

「長嶋君……」

「本当にすまん。馬鹿なことをしたと思ってる……」

「本当だ!!お前は大馬鹿者だよ!!」


そう一喝すると、長嶋は肩を震わせて出ていってしまった。


「あ!長嶋君!」

「近藤。長嶋を頼む」

「君に言われなくてもそうするさ。長嶋君が行っちゃったから、僕ももう行く」


廉太郎は静かに頷いた。


「君も元気で。いつか、いつか!また、会おう」


近藤は、泣き笑いのような顔で踵を返して、歩を踏み出した。その後ろ姿に

「ありがとう」

とだけ声をかけた。


近藤は、振り返ることなく右手をひらひらとして部屋を出ていってしまった。



                  ♢


それから数日後。


「よう。クソ野郎」


アクリル板の向こう側にいつか見た顔があった。


「あんたは……」


楓のかつての恋人だった男。


「今日で一周忌だから、関東からここまで帰ってきた。そして、楓を殺したクソ野郎の顔でも見て帰ろうと思ってな」


今日は楓の命日だったのか。つまり、愛華や俊哉にとっての命日でもある。

完全に廉太郎から時間の感覚が失われている。

カレンダーを眺めることなどなくなってしまった。本来だったら、いつか外に出れることを夢見て指折り数えるのかもしれない。


だが、廉太郎には帰るところも無い。帰りを待ってくれる人もいない。

だからいつの間にかカレンダーを気にすることはなくなってしまった。いや、むしろ意図的に見ないようにしているのかもしれない。


「そういや、お前、事件の事ってどんだけ知ってんだ?」

「どういう意味です……?」

「そのままだよ。お前が殺した人たちの人となりとでもいうのかね?裏の顔とでもいうのかね?」

「僕の傷をえぐりに来たんですか……?」


廉太郎がそう言った時、男の視線が鋭くなった。


「おい。前に被害者ぶんなって言ったよな?」


ドスの効いた声。


「お前は楓を殺したんだ。本来だったら、俺がお前を殺してやりたいんだ。そのぐらいのことをやった加害者なんだよ」

「……」

「まず、お前の恋人、名前なんて言ったっけ?小泉 愛華、だっけ?お前彼女の事どれだけ知ってる?」

「え?」

「彼女は、年上の男と寝て金をせしめる……、援助交際?パパ活?そういう事をやってたみたいなんだよな。知ってたか?」

「え……」


男は廉太郎が狼狽える姿が可笑しいらしく嬉しそうな笑みを浮かべた。


「時折、そういうおっさんがシャワー浴びてる時とかに、財布だけ持って逃げることとがあったらしいんだよな。立派な窃盗だ」

「ほ、本当ですか……?それ……」

「ああ。嘘じゃないと思うぜ。小泉愛華と一緒にそういう事やってたっていう少女から警察が聞いたみたいだし。それに彼女、万引きとかもやってたらしいぜ」


あの愛華が……。あの笑顔の裏にそんな秘密が隠されていたなんて……。

しかし、これで愛華の数字が妙に高いことに理由がついた。そういう事を日常茶飯事的にやっていたのだ。


「まあ、窃盗しないでちゃんと相手することもあったらしいがね……。彼女の初めては、どっかのおっさんってことだよ」

「……!!」


廉太郎は思わずパイプ椅子から立ち上がる。その動揺している様子に男はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべた。男は楽しんでいるのだ。


「た、楽しいですか?そんなこと言って」

「ああ。お前を苦しめるのはこういう方法しかもうないからな。塀の中に入られちまったら、殺すことも傷つけることもできないからな。心ぐらいは傷つけさせてくれよ」

「……」


殺したいぐらいの相手に対するささやかな復讐だ。廉太郎はうなだれるように再び椅子へ腰を下ろした。その様は糸の切れたマリオネットのような所作であった。


「ちなみにお前の父親と小泉愛華がどこでリンクを持ったか知りたくないかい?」

「!」

「これはお前が捕まった後で警察が調べたことだから、本人たちに聞いたわけじゃない。だから仮説だと思って聞いてくれ。だが、限りなく真実に近いが……。お前、小泉愛華とゲームしてなかったか?スマホのゲーム」

「マリシアスコード……」

「そう、それ。あのゲームは友達と一緒にプレイする機能がついてたろ?小泉愛華はその機能を使ってパパ活をやってたんだよ。お前の親父とはたまたま出会ったんだ」

「た、たまたま……?」

「そう。最初からお前の親父を狙ってたとかそんなことはなくて、本当に『たまたま』だったんだよ」

「ぼ、僕は!!……」


そんな偶然で人生を翻弄されているというのか。


「残酷だと思うか?でも、人生なんてそんなもんさ。道を歩けば殺される人もいれば、どんなに人を殺したり、悪事を働いても天寿を全うする輩もいる。お前が殺した楓だってそうだったじゃないか。あいつはいろんな人を助けてきた。だが、お前にあっけなく殺されちまった」

「……」

「話を戻すが、たまたま会った二人は片方は援助して体を提供してもらう、もう片方は体を提供することで援助してもらう。win-winの関係ってやつだな。お前の親父は、いつも土曜日に小泉愛華と会っていたんだ。仕事に行くとか言って出て行ってなかったか?」

「ありました。父は土曜日いない時のほうが多かった。母もそれは真面目に仕事に行っていたと思っていたと思います」


廉太郎は残念そうな眼差しを向けた。真面目に仕事に行っていると思っている二人を裏切って、息子と同じ年の女の子と逢瀬を重ねていたとは。


「着服したお金も小泉に渡してたんだろう」

「着服の事も知ってるんですか?」

「知ってるも何も、週刊誌で取り上げられていたし、ネットのおかげで皆知ってる。週刊誌なんかセンセーショナルに、書かれてたよ。通り魔の犯人を捕まえた少年が今度は殺し、ってね。ネットでお前らなんて言われてるか知ってるか?最低の親子、だ。息子は人殺し、父親は、ロリコン、着服野郎、パワハラ野郎。そして、そんな親子に翻弄され、自殺してしまった母親。それが世間での今のお前らの評価だ。それと……、おそらく小泉は、お前の親父とお前自身の関係を何となく分かっていた節がある」

「え?」

「彼女のコムニアスにお前自身とお前の親父とのやり取りが残っていた。つまり、時期や会話の内容を総合すると、お前らの関係に気づけたはずだ。小泉はそこに気づけないほどバカじゃないだろ?彼女、なんか匂わせたりしてこなかったか?」

「……」


廉太郎は思案する。自分でも不思議だった。自分の傷をえぐるような行為の手助けをしている。だが、知っておきたかった。知っておくことが自分自身の贖罪だと感じた。


「ある時……、土曜日は友達に会ってて忙しいと言ってきました。その時は、クラスメートと遊んでいるんだろうと思ってました。確かに、クラスメートと遊ぶ程度の事をなぜ言ってくるのかと疑問にも思いました。忙しいだけでも十分だったのに、わざわざ「友達」と遊んでいてって……。「友達」と遊園地にも行ったって……」


あの時、あの遊園地を選んだのも愛華だった事を廉太郎は思い出した。妙に詳しかったのは俊哉と来たことがあったからだった。


「あの子、多分、そう言ってお前で遊んでたのかもな。ちなみお前は、彼女とホテルとか行ったことあるのか?」

「いえ……」


廉太郎は静かに首を横に振った。男は鼻で笑った。


「経験なしか。プラトニックな関係でいたかったのか?」

「……はい」


絞り出すように言った。屈辱だが、これもまた贖罪だと勝手に解釈した。


「お前がプラトニックな関係を望んで付き合っている間に、向こうは楽しんでいたんだ。内心、意気地なしなお前の事を嘲笑ってたのかもな」


ズキリと廉太郎の心は傷つく。それを見て男は再び陰湿な笑みを浮かべる。


「お前に話さないといけないことはこれで全部かな……」


男はそういうとパイプ椅子から立ち上がり、踵を返そうとして足を止め、肩越しに廉太郎を見て口を開いた。


「お前は何か言うことがあるか?」

「いえ……」


首を横に振った途端、男の瞳に怒りが宿った。


「お前は根っからのクソ野郎だな!」


男はそう言って、肩を怒らせ、ドアを叩きつけるように閉めて部屋を出て行った。廉太郎はその一連の動作を呆然と見ていた。


そして、

「なんていえばいいんだよ……」

と独り言ちた。



                  ♢


「有川……。おい」

「え?……ああ」


二人と面会中であることを忘れて物思いに耽ってしまった。


「すまん。考え事してた」

「それで……なんて言ったらいいか分かんないけど……、この言葉であってるかどうか分かんないけど……、頑張れよ」

「あ、ああ……」


曖昧に返事するしかなかった。


「そっちも頑張ってくれよな……。僕みたいにならないでくれよな……」


眉根をひそめて泣き笑いのような顔を二人に見せた。


「先輩……」

「そんな顔しないでよ……」


悲しそうな寂しそうな顔をして浜野は廉太郎を見つめた。


「舞は、あれからずっと責任を感じてんだ。お前を止められなかった事を」

「え……」

「あの時、お前らホテルに行ったんだろ?で、小泉を殴りつけるお前を止められなかったって、泣いてたんだ」

「そんな……。ごめんね、浜野さん。あの時、僕がちゃんと自制できれば……」


タラればをいっても仕方ないと分かっていても、廉太郎の口から流暢な言い訳が出てくる。


「それに嫌だったよね、あんなの見せられて……」

「ええ。嫌でした」

「……」


きっぱりと言われて廉太郎は押し黙るしかなかった。


「私の……、私にとっての先輩は……。あの時、電車の中で痴漢を捕まえてくれた、凛々しい先輩なんです。あの時のあなたは先輩じゃありませんでした」

「……」

「だからとっても嫌でした。視界に入れたくもありませんでした」

「そっか……。そうだよね……」

「はい」

「舞……」


生野が言葉を選べと言おうとした次の瞬間、

「でも、先輩に振り向いてほしくて、コンタクトレンズに変えたり、髪を下ろしたり、おしゃれしたりしました。だから、あなたの事を全部否定することはしません。あなたがいたから今の私がいるのも事実ですから……」

と涙声で言った。


「本当に皆には迷惑かけたね……」


その後、3人に沈黙が訪れ、その沈黙に耐えかねたかのように生野は

「じゃあ、俺達、もう行くよ」

とパイプ椅子から腰を上げようとした時、廉太郎は最初から気になっていた事を口にした。


「な、なぁ!生野!」

「ん?」

「ふ、二人は……、つ、付き合ってるの……?」


生野と浜野はお互い見つめあう。言うか言うまいかアイコンコンタクトをしているように見えた。


「あ、ああ。今は付き合ってる。正直、舞の事、最初から気になってて……」

「……」

「んで、宮崎の時に連絡先教えてもらったじゃん?その時から結構連絡取り合ってて……」


言いにくそうに途切れ途切れに生野は言葉を紡ぐ。廉太郎にはその理由は何となく理解できた。自分自身に遠慮しているのだ。横恋慕したような気持ちを生野は持ち合わせているのだ。


「で、さっきも言ったけど、お前が事件を起こした事を止められなかったのを責任感じてたから……」

「ふっ……。そこに付け込んだのか?」


廉太郎が鼻で笑うと、生野も昔の調子に戻って

「おまえ!言い方!」

「でも、事実だろ?」

と応酬した。


「弱みに付け込むなんて、生野は相変わらずズルいなぁ~」

「いやいや……」


笑顔だった生野の顔が真面目くさった顔になった。


「何で、何でお前、こんな事件起こしたんだよ……」

「さぁ……何でだろうな……」


生野は顔を下げ、震えながら踵を返した。浜野がその様子を心配し寄り添い、廉太郎に一礼すると二人並んで出て行った。その後ろ姿を見届けた。


「そっか……。二人が付き合っているのか……。そっかぁ……」


震える声で独り言ちると、廉太郎も椅子から腰を上げ自身の房へと戻っていった。


(了)

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幻視悪 ぶり。てぃっしゅ。 @LoVE_ooToRo

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