第21話:別れの挨拶
トントンとノックの音が誰もいない廊下に響いた。
無反応であるため、もう一度、今度は強めにノックした。すると、ノックに答えるかのように鍵を開ける音が廊下に響き始めたので、二人は慌ててドアの影に隠れるようにしゃがみこんだ。
ガチャリと警戒するように静かに開いて、そこからひょっこりと俊哉の顔が現れた。
ドアの陰で隠れるようにしゃがんでいた廉太郎は、閉められる前に即座に立ち上がりドアを掴み、父と相対した。
「れ、れれれ廉太郎!」
当然の如く、俊哉は驚愕した。それもそうだろう。ここには来るはずがないと高を括っていたのだから。
「父さん。こんな所で何やってんの?」
廉太郎の口から静かに紡がれる言葉は廉太郎の静かな怒りを表していた。
「廉太郎、後で!後で話しするから!」
強引に部屋の外に押し出そうとする俊哉の手を振り払って、これまた強引に廉太郎は部屋に入っていった。
「お邪魔します……」
と浜野もその後ろをついていった。
そして、入った先で廉太郎は目を見張った。
ベットに横たわり、膝を立て自身の股をさも舐めてくれと言わんばかりの姿勢で愛華がいたからだ。
上半身は裸で、小ぶりの乳房に少し茶色の小さな乳首が立っている。下半身はスカートを履いており、何ともアンバランスな格好をしていた。
廉太郎は自身の欲望が爆発するかと思ったが、そうはならなかった。
爆発したのは怒りの方だった。
自分がこんなにも愛した女は、こんなにも馬鹿だったのか。こんな馬鹿に自分は恋慕していたのか。恋慕していた女はよりにもよって自身の父親と繋がっていたのか。
愛華は恥ずかしそうに、微笑んだ。
怒りが全身を駆け巡る。
一体今更何を取り繕うというのか?
自分の体を隠そうともせず笑って誤魔化そうとしているのか?
何の為に彼女に手を出さなかったのか。清廉潔白すぎると言われればそうかもしれないが、だが、この仕打ちはあんまりだ。
そう思うと廉太郎の全身が震えた。
次の瞬間には愛華の体の上に乗っていた。
「ぐぅッ」
そして、彼女の顔に一撃をお見舞いしていた。彼女の口から漏れ出たのは言葉にならぬ叫びだった。
「お前!お前が!何でお前なんか好きになったんだ!」
「や、やめて……」
更にもう一発。
「やめろ!廉太郎!」
俊哉がベッドに近づいてき、廉太郎を引き離そうと力を込めるが、彼はびくともしない。むしろ、絶大な力で振り払われ、俊哉は尻餅をついてしまった。
華奢なように見える腕でも、剣道で培った力が備わっている。運動もせずダラダラと日々を過ごしてきた大人等には負けようはずもない。
浜野はその一部始終を震えて見ているしかできなかった。
「こうやって!誰にでも股を開いていたのか!?」
もう一撃。
自分で言ったセリフが悲しくなり、涙が頬を伝った。
自分の境遇が悲しくて涙を流している。
父が父なら、母が母なら、自分も自分だ。
結局有川家の人間は自分のことしか考えていない人間ばかりだったのだ。
そう思いつつも、怒りの炎は消えず腕に力がこもる。
愛華の顔に青アザや内出血ができている。
あんなに好きだった顔なのに。
今は憎悪しか湧かない。
あんなに楽しく笑い合っていたのに。
今は憎悪しか湧かない。
「ぐ、っ」
いつかこの女と交わる事を夢見ていた。いつこの女と体を重ねようかと思春期の夢を見てきた。それなのに全てが否定された。
廉太郎は無心に彼女を殴りつけた。泣きながら何発も何発も。彼女の顔が変形しても何度も殴った。
時折俊哉が止めようと果敢に挑んだが、彼も数発もらい止めることができなかった。
愛華は、シーツを汚す。恐ろしくなって尿が出てきたのだ。馬乗りの廉太郎はそんな事はお構いなしに、時折彼女の嗚咽が聞こえてきても廉太郎は手を止めなかった。
「や、や……め……」
中が切れた口から漏れ出た懇願。廉太郎はそんな言葉を、無視して更に一撃を放った。
その一撃が彼女の命を奪った。
「え?せ、先輩……?」
震える声が部屋の中に響いた。浜野の頬にも涙が伝っている。大好きな先輩が涙を流しながら凶行に及んでいるのが耐えられなかったのだ。
「こ、殺したのか……?」
「……」
廉太郎は動かなくなった愛華を呆然と見ている。
「殺したのかって、聞いているんだ!」
俊哉の怒号が飛ぶ。廉太郎はその怒号にピクリと反応した。徐々に振り返ったその瞳には未だ怒りの炎は消えてなどいなかった。
「な、何だ!?親に対してのその目は!」
廉太郎は父や母に対して反抗的な態度を取ったことは無かった。両親にとってもそれは誇るべき事だったし、嬉しいことであった。
俊哉としてもこのようなセリフを吐くことになろうとは予想だにしなかったことである。
廉太郎は静かに絶命した愛華の上から降り、ベッドを降りると、静かに俊哉に近づく。
廉太郎の進みに合わせて、俊哉が後退する。そういう二対セットの人形のように。
「れ、れれ、廉太郎!と、父さんだぞ?じ、実の親に手をだ、だだ、出すのか!?」
声は上ずり、震えている。
「先輩!やめて下さい!」
浜野の悲痛な叫びが部屋に虚しく響いただけで、廉太郎は歩みを止めない。静かにゆっくりとした足取りで父を壁際に追い詰めるだけだった。
後退しすぎて俊哉の背中が壁に当たった時、廉太郎は静かに口を開いた。
「元はと言えば、お前が撒いた種だろう?」
「へ?」
「母さんが出ていったのも!宮崎が殺人犯になったのも!僕が好きな女を殺さないといけなくなったのも!皆!全部!お前のせいだろぉ!」
俊哉を殴りつける。
「おぶっ!?」
愛華には多少の手加減をした。父には容赦はしなかった。廉太郎にとって、俊哉はもう父では無かった。家庭を崩壊させ、宮崎という人間の人生を崩壊させ、愛華と廉太郎の関係を崩壊させた他人でしかなかった。
「れ、廉太郎!ご、ごめん!わ、悪かったよ!……」
「駄目だ。お前が謝っても愛華は帰ってこない。僕が殺したんだよぉ!!!」
鼻っ柱に一撃くれてやる。鼻の骨が折れたのか、ボキリと音をたて、鼻から血がボタボタと勢いよく流れ出た。
「あ……ああ〜!」
「情けない声出すなよ!」
右目に一撃。
「げっ」
父の顔が変形していく。
ふと3人で遊園地に行ったことを思い出した。
「ぐっう……」
ふと3人で笑って食卓を囲んだことを思い出した。
「ぎゃっ!」
ふと3人でドライブに行ったことを思い出した。
「……」
こんなにも思い出があるのに、どうしてこの男は母と自分とを裏切ったのか。思い出が綺麗であればあるほど、怒りが増大していく。拳に入る力も自然と強まる。
目の前で殴られている者はもう何も言わなくなった。
一撃一撃与えても、もう何も言わなくなった。
それでも腕は動く。
怒りが止まらないから腕が止まらないのか。腕を止めないから怒りが収まらないのか。
廉太郎は無心に殴り続けた。
部屋には骨が折れる音と浜野の啜り泣く声がこだましていた。
そして、どのくらい殴りつけたのだろうか。気が付くと俊哉だったものは床に崩れ落ちていた。
「せ、先輩……」
浜野の目は真っ赤に充血していた。
この子は自分の為にこんなに泣いてくれているのだろうか?だとしたら、何故、この子を選ばなかったのだろうか?
何故、この子の告白にうん、と言ってあげられなかったのだろうか?
何故、こんなすぐに股を開くような女を好きになってしまったのだろうか?
廉太郎は全てを後悔した後、優しい眼差しを浜野によこした。浜野はその視線から自分に危害を与える気はないのだと、察した。
「せ、せんぱい……。け、警察に行きましょう?」
精一杯に諭す。獰猛な動物を手懐けるが如く。
「ごめんね……」
「え?」
予期せぬ言葉だったからか、浜野はきょとんとした。
「僕が君の事、好きだったらこんな事にはならなかったのかも」
そう捨てゼリフを吐いて、廉太郎は部屋を飛び出した。廉太郎の後ろ姿を見送った浜野は、恐怖からペタンと腰を抜かしてしまい座り込んで、放心状態になっていたが、
すぐに正気を取り戻し、ポシェットからスマホを取出し、震える指先でディスプレイをタップした。
そして、大粒の涙を流しながら、
「もしもし、警察ですか?」
と力強く言った。
♢
気が付くと廉太郎は堂島医院にいた。
土曜日は午前中だけ開けているから、楓もいるはずだ。
父を殴り過ぎたせいで両手から血が大量に出ている。
治療しなくてはならない。だから、ここに来たのだ。
父も愛華も全て信用ならなかった。楓なら廉太郎の全てを理解してくれる。
医院に入ろうと自動ドアに近づいた時、ふと自身の頭上の数字が目に入った。廉太郎は目を見張った。
「せ、千……!?」
廉太郎の頭の数字は100を優に超え1000になっていた。
今や廉太郎は身勝手な理論を振りかざして四方八方に悪意をばらまく悪意に成り下がってしまったのだ。
「あ、ああ……!」
数字を消そうと手で空中をかき乱す。しかし、数字は一向に消える気配はなく、今もそこにあるままだ。
「何で、消えないんだよ!?」
少し格闘していると、目の前の自動ドアが開いた。
誰かと思ったら、あのメガネの男だった。
「高校生?人を二人殺している?例のギフテッドの子か……。いやこっちには来て……」
男はそこまで言った時、廉太郎と目があった。
「いえ、森長さん!ここにいました!堂島医院の前です!早く来て……」
廉太郎はとっさに、殺さなきゃ!と思い、男めがけて突進して行った。
「ぐあっ!」
男共々、医院の中に転がり込む。待合室には誰もいなかった。男が持っていたスマホが待合室には転がり、相手の声が木霊す。
「おい!大丈夫か!秀一!おい!秀一!…………おい!人を出せ!堂島医院だ!犯人がそこにいるぞ!」
スマホから怒鳴り声が聞こえた後、ぷつりと静かになった。
男はソファにぶつかり、廉太郎は受付にぶつかり倒れた。ぶつかった拍子に文房具が頭に降ってきたが、それを振り払うと廉太郎は素早く移動し、男の上に馬乗りになる。男の顔面に拳を打ち付けると、男が声にならない声を上げ鼻血を出した。殴った瞬間にメガネが飛ぶ。
「ちっ!」
男は舌打ちすると、次の瞬間に廉太郎の目の前が真っ暗になった。何が起きたのかと、たじろぐと腹に一発強烈な一撃をもらった。
「ぐあっ……」
腹を抑えて廉太郎はのたうち回った。その隙に男は立ち上がり、ペッと血反吐をはいた。
「な、何なんだよ!コレ!何で目が見えねぇんだよ!」
目の前がボールペンで塗りつぶされたように真っ暗になってしまった。腹の一撃よりも廉太郎にとってはこちらのほうが衝撃だった。
廉太郎は膝で立ち上がり、辺りをキョロキョロと見回した。あの男は何処にいるのかと探しているのだ。
「お前、不思議なもんが見えんだろ?」
「あ!?」
「人の頭の上に数字が見える……。そうだろ?」
「だったら何なんだよ!」
廉太郎の怒号は誰もいない待合室に響き渡った。
「お前だけじゃないんだよ。不思議な力が使えるのは……」
男の言っている意味が分からなかった。今の状況と一体何がリンクするというのだろうか。
「お前の目が見えないのは、俺の能力だ」
「はっ……、何が能力だ……!こんなもんのせいで僕は!」
「何、被害者ぶってんだぁ!」
腹に再び強烈な衝撃が加わる。革靴で思い切り蹴られたのだ。
「がはぁ!」
痛い。
何故、こんな目にあわなくちゃいけない?被害者ぶるなって言ったか?違う!僕は被害者だ!
僕は悪くないんだ!悪いのは父なんだ!愛華なんだ!この数字なんだ!
そうだろ!そうだろ!
廉太郎の声なき声がこだますと、聞き覚えのある声が奥から響いた。
「秀一!何やってるの!」
「こいつが」
「レンちゃん!?」
楓の声だ。楓なら自分の声を分かってくれるんじゃないか、藁をも掴む思いでここに来たのだ。それなのにこの男に阻まれてしまった。
ムカつく。
目の前は相変わらず真っ暗だが、ふと指先に硬いものが当たった。この形状は、カッターだ。
手に握る。
刃を出す。思い切り。
立ち上がる。
一か八かで走り出す。
男を殺す。いや、殺さないまでも一矢報いたい。
楓を自分から取り上げたこの男に。
「うわぁぁぁぁ!」
叫びながらカッターの刃を男に向けて突進する。
「駄目よ!レンちゃん!」
「!」
ドンと誰かの体にぶつかった。カッターの刃はズブズブと皮膚を切り裂き、深くへと入り込んでいってしまった。
「れ、レンちゃん……」
誰を刺したのか、廉太郎には分からなかった。
いや、感触で分かっていた。理解したくなかっただけだ。あの柔らかい感触は男のものである筈がない。
「あ、ああ……」
「バカ野郎!」
男が叫んだと同時に頬に衝撃が受け、その後のことを廉太郎は覚えてなかった。
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