第19話:投げ込まれた災禍の火
「ただいま」
呼びかけに応じてくれないのは分かってはいるが、積年の癖でどうしても言ってしまう。
しかし。
「あ、おかえり!」
返事があった。誰だ?と訝りながら靴を脱ぎ、リビングへと向かうと見知った姿がそこにはあった。
「もうすぐご飯できるよ!」
楓だった。
「楓姉さん、どうしてここに?」
至極真っ当なことを聞いてしまう。時間的にまだ堂島医院はやっているはずだ。
「今日は、患者さんに無理言って早めに閉めてきたの」
ダイニングテーブルには、肉じゃがやサラダ等が並べられている。
「これ、姉さんが全部作ったの?」
「そうだよ」
楓が料理ができるということを廉太郎は知らなかった。ここにきて、新たな一面を垣間見せられた気がした。
「後は、ごはん待ち」
楓は視線を炊飯ジャーに投げたので、それにつられて廉太郎もジャーに目を向けた。ジャーからは煙が出ている。
「でも、どうしてここに?」
「おばさんに頼まれたのよ」
「……」
少し母道子に対して怒りを覚えた。確かに父に否があるのは分かるが、自分から出ていっておいてその後の事を他人に丸投げするとは。
父も父なら母も母だ。
それにこの前2万円置いていっただろう。
等と頭の中をぐるぐると駆け巡る。
そんな思案を打ち消すようにジャーがピー、と音を上げた。
「あ。ごはんできた。おじさんも食べましょ!」
楓の視線はリビングへと向けられ、そこに父がいることを暗に示していた。またもや楓の視線につられ、リビングへと視線を向けた。
視線の先には俊哉の背中があった。未だうらぶれているかと思ったが、スクっと立ち上がって、
「わー。ご飯だ!」
と、子供のようなセリフを吐いた。
「と、父さん。随分元気じゃない?」
呆気にとられてそれだけ言うのが精一杯だった。
「1日悩んで、楓ちゃん見たらどうでもよくなった」
その言葉に廉太郎はため息をついた。もう怒る気にもならなかった。自分はこんな人間のために首を括ったりしないか心配したり、悩んでいたのかと思うと自身に対して怒りを覚えた。
俊哉はそんな廉太郎のことなどつゆ知らず、ダイニングテーブルについた。
「さ!レンちゃんも食べましょ!」
「楓ちゃんの手料理!」
俊哉は舌舐めずりをするように並べられた料理を端から端まで眺めている。
楓も椅子に座ったため、廉太郎も渋々座った。
「おばさんには大丈夫なの?」
「うん。大丈夫だよ」
「そっか。ごめん、姉さん」
俊哉が本来頭を下げるべきなのだろうが当の本人はニコニコ顔でムシャムシャ食べている。
「いいの。おばさんの頼みだし、レンちゃんの事も気になってたから……」
「え?」
ドキッとしてしまう。
「ほら。思春期の子供って何かあると将来に影響があるから」
「何だ……」
医者として気にかけられていたのが分かって肩を落とした。
「さぁさ!食べよう!」
「はいはい……」
楓の料理を食べるのは初めてだった廉太郎はさして期待せず、肉じゃがを口にした。
しかし。
期待していなかったせいもあるのだろうが、途轍もなく美味しく感じた。楓に、こんな才能があったとは、と驚きを隠せない。
「楓ちゃんのご飯、おいしいねぇ。楓ちゃんがお嫁さんだったら良かったのに」
咀嚼しながら笑みをこぼす俊哉を、廉太郎は一睨みすると、その視線の意味を感じ取ったのか、バツの悪そうな顔をした。
「おじさんとは結婚しないですよ。おばさんに聞きましたよ、色々」
楓からの否定に更にバツの悪い顔をした。
「そうだよ。そもそも何で父さんはそんなにヘラヘラしてるんだい?もうちょっと罪の意識を持とうよ」
俊哉の言動が少し癪に障るので、苦言を呈した。
「はい……」
二人から嗜められ、俊哉はしゅんとした。そんな父を横目に廉太郎は楓と会話を開始した。
「姉さんはいつの間に料理できるようになったの?」
「最近、頑張ってるの」
「あのメガネの人の為に?」
皮肉のつもりで言ったのだが、
「うん。それもあるけど……」
からかってるのか本当なのか分からない回答が返ってきた後、
「お母さんが多分そろそろ……」
と、語尾を濁した。濁されて後の言葉は理解できた。楓の母はそれなりに高齢であった。
子供として親に接してみて、寄る年波を感じているだろうし、廉太郎も会話をしたりする中でそれを感じていた。
「おばさん、一人にしてきて大丈夫?」
「まだ、大丈夫よ!まだ!」
心配ご無用と言わんばかりだ。
「今日は、あのメガネの人は?」
「なぁに?レンちゃん、今日はそればっかりねぇ?そんなに気になる?アイツのこと」
「え?あ、あ……」
「まあいいわ。アイツは今日はホテルよ。前にも言ったけど、もともと関東にいる人間なの。たまたま仕事でこっちに来ただけ」
「いきなりいなくなっちゃったんだっけ?」
「そう。急に連絡が取れなくなったの。それでこの前ひょっこりまた現れたってわけ」
「……この肉じゃが、うまい」
話の腰を折るのは分かっていたが、肉じゃがを口に入れると自然と口を出た。
「ありがと。まだあるわよ」
「分かった。それで話は戻るけど、どうしてあの人は失踪同然にいなくなってしまったの?」
「さあ〜?聞いても教えてくれないのよねぇ……」
「お父さんとか、お母さんとか心配しなかったのかな?」
「あ、アイツは……、言ってもいいのかしら」
廉太郎は言いづらいことがあるんだと察して、
「言いにくいことならいいよ。大丈夫。いない人の事を言うのは……」
と遠慮したが、
「ま、大丈夫か。私だったら許してくれるだろうし」
とあっけらかんと言った後、続け様に
「あいつはね、両親がいないのよ」
と小声で言った。
ここにいる3人以外には聞かれたくないとでもいうように。
「え?」
「へぇ、孤児かい?」
興味をそそられたのか俊哉が咀嚼しながら、会話に入ってきた。
「そう。ここから少し離れた所にあった、『希望の家』っていう孤児院で育ったみたい」
『希望の家』という単語は聞いたことはなかったが、俊哉は聞き及んだことがあるらしく、
「ああ、あの火事になって燃えちゃった所か」
と空に視線を彷徨わせながら呟いた。
「知ってるの?」
「ああ。数年前に新聞に載ってたし、地元のニュース番組でもやってたぞ。『そこで生活していた子供達の行方が分からなくなった』って」
「え?具体的にどういうこと?」
珍しく質問攻めをしてくる廉太郎にたしろぎながらも、俊哉は答えた。
「火事があったのはさっき言ったろ?でも、その焼け跡から、当時そこに住んでいた子供達の焼死体やら怪我した子やらがでてこなかったらしい」
「そんな事ってあるの?」
楓に視線を向けた。
「現に新聞でもテレビでも、そう言われたから、そうなんじゃない?私もアイツの住んでる家だったから、片っ端から情報集めたわ。でも、どの情報にも子供達は居なかった、とあったわ」
「そうか、楓ちゃんのその知り合いって当事者なんだ」
「でも、それはあのメガネの人は言わないんだ?何があったか」
「どうあっても言わないつもりらしいわ」
はあ、とため息を一つ。
「ふぅん……。興味あるね」
♢
「じゃあ、私はこれで」
「ありがとう楓ちゃん。助かったよ」
「おじさんも早くおばさんと仲直りしてくださいね」
玄関で靴を履いた楓は言った。
「はい……。がんばります……」
「じゃあ、楓姉さん、今日はありがと。助かったよ」
頭をボリボリかいていてる俊哉と、その横に佇む廉太郎のこの一言で楓は踵を返して、背後のドアを開けた。
「じゃあ、レンちゃん、おじさん。また、困ったら言ってね」
そう言い残して楓は出ていった。その後ろ姿を親子共々手を振って見送った。
♢
楓のおかげで何とか活力を見出し、日々を過ごしていったある日。
廉太郎はふと目を覚ました。
「あ!ヤベ!部活!」
ベッドから慌てて飛び起き、一階のリビングへと向かった。シンとしたリビングに入ると、今日は土曜日じゃないか?ということが頭をよぎった。それを確かめるべく、テレビをつける。
テレビでは、土曜日しかやってない朝の情報番組が流れ、今日が土曜日であることの証左になった。
「あー。良かった……。今日は休みだ」
連日部活ばかりであったため、今日は休みになっていたのだ。安堵するとソファに、勢いよく座り込み、ほっと一息ついた。
だが、一息ついたのはつかの間。違和感が廉太郎を襲う。
「あんまりにも静かすぎない?」
そう独り言ちて、家中を歩き回った。
「父さん、どこ行ったんだろう……?」
俊哉がいないのだ。母もいなければ父もいないこの家には、廉太郎しかいなかった。
「庭かなあ……」
家の中は全て見て回ったため、外も見てみることにした。
窓を開ける。今日も青空に太陽が輝いている。
台風も来ず、雨も降らず、今年の夏休み中は本当にいい天気に恵まれていた。ただ、その分熱波が襲ってくるが。
窓を開けると熱風がリビングへと流れ込んできた。湿気を含んだ暑い風を全身に受けつつ、庭を一望した。
「あれ?いない」
しかし、俊哉の姿はそこにも無く、更には駐車場の高級車も無かった。
「車で出かけたんだ……。こんな朝早くに?」
一般的なお店が開く時間よりは、まだ少し早かった。今迄であれば仕事だから、と言って早い時間に出ることは度々あった。だが、今は自宅で謹慎するように言われている筈で、会社から呼び出されることはかなり確率が低かった。
「どこ行ったんだよ……」
窓を閉めて、再びソファに座りテレビに視線を移した。
そういえばあまり家で一人になったことなかったな、とぼんやりとテレビを見ながら思っていると、グゥとお腹がなった。
「何か買いに行こ」
そうして、服を着替えに自室へと戻った。
♢
コンビニで買ってきたパンを頬張りながら、今日は何しようかと考える。一番いいのは愛華と遊ぶことだが、土曜日はほとんど連絡がつかない。
一応念の為コムニアスを立ち上げて、メッセージを打ってみる。
〈今、何してる?暇なら遊ばない?〉
すぐには返事は来ないだろうと踏んで、テレビに目をやる。
画面には『夏休みも後半!これから行く、レジャー施設』と表示され、女性レポーターがマイク片手に色々と語っている。レポートしているのは室内プールのようであった。
「プールか……。いいなぁ、行けないかなぁ……」
気づくとぼんやりとそんな事を呟いていた。廉太郎は、愛華のみならず、クラスメートの水着姿など見たことが無かった。体育に水泳が無かったからだ。
そんな廉太郎をよそに、レポートは続いた。
♢
愛華にメッセージを送って1時間は経ったが、彼女から返事は未だに無かった。今日も駄目か、と諦め、生野と長嶋のグループにメッセージを送った。
〈暇?〉
暫くすると
〈何?廉太郎、暇なの?〉
と長嶋から返事があったので、
〈うん〉
と素直に返した。
〈じゃあ、駅に来いよ。生野と一緒にいるぜ〉
〈何だよ、僕も誘ってくれよ。気分転換がしたい〉
〈悪かったな。じゃあ、待ってる〉
そうやり取りしてアプリを閉じて、自室へと走った。
それから一時間ほどして、廉太郎達は合流した。
「あれ?浜野さんじゃん?」
「あ!先輩!」
廉太郎と浜野は手を振りあった。生野と長嶋しかいないと思っていたが、珍しい取り合わせもあるものだな、と感心した。
「先輩、大丈夫ですか?」
「え、何が?」
「いえ、お父さんと仲、悪くなったりしてませんか?」
「えっと……」
長嶋と生野が、喋ったとは思えなかったし、思いたくなかった。廉太郎は二人に、喋った?という意味合いをもたせた視線を投げた。
しかし、二人とも慌てて首を横に振った。
「あの犯人の動機に……」
と、浜野が喋りだしたので、
「あ、ああ!大丈夫だよ!本人も謝ってたし……」
と取り繕うように言ったが、それは嘘だった。
俊哉は、宮崎の件でも着服の件でも、廉太郎にも道子にも頭を下げたりはしていない。
「そうですか!良かったぁ……」
浜野は心底安堵しているように見える。上辺だけでなく、本当に人を心配しているように感じられた。
「遊びに行こうぜ!」
生野が声高に言った。
「廉太郎は、何処か行きたいところあるか?」
「いいや。つーか、3人は集まってどうするつもりだったんだよ?」
「カラオケ!」
「遊園地!」
生野と浜野は同時にバラバラのことを言った。
「えー、カラオケでしょ〜」
「違いますよ~!遊園地です!」
「長嶋はどうしたいんだよ?」
「え?俺?俺は……、暑いから何処かに入りたい……」
♢
長嶋の要望通りに近所のハンバーガー店に入ることにした。
「涼しい〜!」
丁度お昼時だった為、店内は少し混んでいた。店員に対して思い思いのメニューを頼み、2階の窓に面したカウンター席に4人一列に並んで座る。
「こんな席か……」
「しょうがない。テーブル全部埋まってんだもん」
生野の文句に、言い聞かせるように長嶋が言いながらシェイクを一口すすった。それから4人は窓の外を行き交う車群を横目に話に花を咲かせながら、ハンバーガーを食べ始めた。
そのうち廉太郎はハンバーガーを食べ終え、ポテトを一本ずつ食べていた時、ふと目の前の通りに見慣れた白い高級車が走ったのが見えた。見慣れたというレベルではない。あれに乗ったことさえあった。
そう、あの車は有川家所有の車だ。目の前を通り過ぎ、車の後ろ姿しか見えなかったが、ナンバーは所有している車と同じものだった。
あれは父の車で間違いないはずだ。
朝早くから今迄車でドライブでもしていたというのか?
ここへきて、廉太郎の中で疑念の火が灯った。
父は土曜日、本当に出社していたのか?と。
たかだか一回このような場面に出くわしただけで、そう断定するのは早計かと思ったが、自身の直感が警鐘を鳴らしている。
どうやって、この疑念を払拭すればいいのか思案していると
「先輩?」
と徐ろに声をかけられた。
「な、何?」
廉太郎は驚いてそれだけ言うのが、精一杯だった。
「大丈夫ですか?ぼーっとしてますけど……?」
「あ、うん。考え事……」
「大丈夫かよ?廉太郎~」
「ごめん……」
廉太郎は何故か一謝りし、視線をテーブルに移した。そこには先程のままの量のポテトがあった。
♢
その後、廉太郎は確実に4人で遊んだ筈なのだが、記憶がぼんやりしていて、具体的に何処で何をしていたか覚えてなかった。気が付いたら、駅の改札口で生野と別れたところだった。
「行きましょう!先輩!」
何も悩みも無そうな後輩に手を引っ張られ、ホームへと降り、空いているベンチに二人並んで腰掛けた。
「本当に大丈夫ですか?」
廉太郎の顔を下から覗き込むような仕草で浜野は聞いた。その仕草が可愛く思え、ドギマギしてしまう。
「大丈夫だよ。ホントに……。……そんなに深刻な顔してる?」
「はい。してます。それはもう」
浜野は真面目な顔して言った。そんなに?と感じさせるには十分に説得力をもたせる表情だった。
「やっぱりお父さんのことですか?」
ぎくりとした。
「本当に大丈夫だよ。気にしないで」
「ふぅん……」
浜野は納得がいかない顔をして線路に視線を落とした。廉太郎もそれに習って視線を落とした。
ぼんやりと暗くなり始めている空から一陣の風が二人の頬を撫でた時、浜野は口を開いた。
「先輩は好きな人……いるんですか?」
「え?」
「先輩は好きな人います?」
言葉は再び繰り返される。
浜野の視線は以前として線路に向けられている。
「……」
「……」
廉太郎はなんと言っていいか分からず思わず無言になり、浜野はその廉太郎の言葉を、聞き逃すまいと一言も発しなかった。
それからどのくらいの沈黙があっただろうか。
風のそよぐ音が二人を包み込んでいたが、廉太郎はもう、これ以上の沈黙は許されないだろう、と思い切って口を開いた。
「いるよ……」
「それって……、私ですか?」
後輩の積極さに舌を巻く。この子は随分と強かであり、恐れを知らない。
だが、廉太郎は真実を伝えずにはいられなかった。
「ち……違うよ」
「……」
「……」
浜野はスッと立ち上がると、
「私は先輩が好きですよ……」
風音にかき消されそうな声量で、ボソリとそう言うと走り去ってしまった。廉太郎の手の甲に一粒の水滴がはねた。
廉太郎は彼女が、去っていく後ろ姿を呆然と見つめることしかできなかった。
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