第18話:心の行き先
その後家庭内での不和はあるものの、部活にデートに宿題に、と高校生らしい夏休みを満喫していた廉太郎であったが、夏休みも後半に差し掛かったある水曜日。
「ただいま〜」
部活を終え、家へと帰ってきたが、家の中はシンとしていた。
「あれ?」
いつもなら母道子がおかえり、と言ってくれるのであるが今日に限ってそれが無い。多少の不安を覚え、リビングへと向かった廉太郎を待っていたのは意外な人物であった。
「あ、あれ?父さん!?」
父俊哉がテレビの前のソファで項垂れるように座っていた。外はまだまだ夕日が出ていて明るいが、家の中は光が入らず暗い。
そんな暗い中で明かりもつけずに静かに項垂れているとは何かがあったのだろうと廉太郎は素早く察した。
リビングの入り口の横のスイッチを押して、明かりをつける。
「父さん、大丈夫?」
バッグを床におろし、俊哉の肩を揺すった。優しく揺すっても反応が無いので次第に力を込めて激しく揺さぶった。
「父さん!何があったの!?」
「う……、ああ……」
ようやく反応した。意識はちゃんとある。
「父さん、どうしたの?母さんは?」
先程から道子の姿は見えない。俊哉がこのような状態になっていれば、いくら道子でもほっておくはずがないのどだが。
「キッチンのテーブル見ろ……」
俊哉はそれだけを力なく言った。俊哉の言うとおりに食卓を見てみるとメモが一枚と、2万円が置かれていた。
メモを手にとって読んで見る。
『廉太郎へ
母さんはしばらく出ていきます。今まで私達は汚い金でご飯を食べてきたのです。少ないですが、とりあえず2万円を置いていくのでそれでご飯を食べてください。
母より』
「どういう事……?何?汚い金って」
廉太郎は、ソファに座っている俊哉へと詰め寄り、
「どういう事!?この母さんの書いている内容は何を言っているの!?母さんは何で出ていったの!?」
矢継ぎ早に詰問した。俊哉は、バツの悪そうな顔をしたが、やがて観念したのかポツリとポツリと話し始めた。
「父さんが会社の金を着服していたのがバレた……」
「は?着服?」
ニュースではよく聞く単語だが、意味をはっきりとは分かっていなかった。
「会社のお金を盗んでいたんだ」
廉太郎の中で何かが崩れた気がした。
「いつから!?」
「十数年前から……」
俊哉の頭上の数字の高い理由がハッキリと分かった。宮崎を間接的に通り魔に変えてしまったことも多少は数字に影響があるかもしれないが、決定的なのはこちらの着服の方だったのだ。
「な、何でそんなことしたんだよ!!」
気がつくと握りこぶしを作っていた。爪が手のひらに食い込むものの痛みは感じない。
「高い家を買う為に……」
有川家があるこの住宅街は比較的裕福な人が多い。俊哉もそんな人々の仲間入りがしたかったのだ。
「見栄をはりたかったの!?」
静かに頷いた。
「会社の連中を見返したかったんだ……」
「どういう意味……?」
「父さんも昔、宮崎みたいな扱いを受けてた……」
この事実も廉太郎に少なからずショックを与えた。
「だから、宮崎にパワハラしてたのか!?」
これもまた俊哉は静かに頷いた。まさか自分の父親がそのような扱いを受けていて、その腹いせとばかりに自分の部下に同じ目に合わせるとは。
廉太郎は呆れてしまった。
「だから、母さんは汚い金って表現をしたのか……」
「だけどな、俺達がこんなに裕福に生活できるのも……!」
「そんな事するぐらいなら身の丈に合った生活で良かったよ……。別に外にある、結構高そうな車だって、僕は乗らなくていいし。動けば何だってよかった」
有川家の自家用車は、中流家庭では購入に躊躇しそうな家格のものであった。
「お前が、今の高校に行けるのも……」
「お金が無ければ、そのレベルにあった学校を選んだよ」
廉太郎の理路整然とした態度に、俊哉は握りこぶしを作った。
「でも、その10年以上バレなかったのが、何でバレたの?」
「宮崎が喋った」
後頭部をガツンと殴られた気がした。廉太郎がショックを受けている事などお構いなしに俊哉は、言葉を紡ぐ。
「あいつが俺が金を着服していることを面会に来た会社の人間にチクったんだ!」
「な、何で……?」
「知らないよ!自分だけが警察に捕まるのが嫌になったんじゃないか!?そこで、俺も道連れにしようと……!!」
宮崎が俊哉を恨む気持ちは廉太郎には理解できたと同時に憤る父の気持ちもわからないでも無かったが、それは自業自得だから父の味方をする気にはならなかった。
それどころか心中には自己弁護の単語が羅列されていた。
自分は悪くない、
自分は関係ない、
自分の責任じゃない、と。
今のこの有川家の現状は何もかもが自分が招いた事なのだから父の事よりも自身の保身を心の中では優先させていた。
「だから今日から父さんは自宅謹慎だ。しばらく家にいるよ……」
「暫くって?」
「会社が父さんの処遇を決定するまでかな……。多分、時々呼ばれて色々聞かれると思うけど……」
俊哉はそう独り言ちた後、黙ってしまった。廉太郎もかける言葉も、浴びせたい罵倒も見つからず黙ってしまった。
「……」
「……」
廉太郎は踵を返すと、床に置いたバッグを拾い上げ、自室へと向かった。
事実のドアを閉めて、ベッドへとダイブする。
部活で汗をかいているから、本当は一風呂浴びたかったがそんな気力は湧かなかった。
「何でこんな事に……」
宮崎を捕まえたが故に有川家は崩壊している。全ては自分が招いた事。戻れるなら数週間前に戻りたい。
自身を止めたい。ヒーローになろうなんて友人達の前で一席ぶたないで、細々と生きていれば良かったのだ。
そう思うと途端に自身の目に見えるようになったこと数字の事が憎たらしくなってくる。こんなものが見えるようになったが故にこの現状を招いてしまったのだ。すべての始まりはこの数字なのだ。
誰にもぶつける事のできない怒りがふつふつと沸いてきた。
そんな事を廉太郎は、ベッドに寝転がり考える。
友人達に話をしたら何と反応するだろうか?だが、この心のモヤモヤを誰かに聞いてほしかった。いきなり愛華では心苦しい。こんな話をしたら彼女は離れていってしまうかもしれない。そんなことが脳裏をよぎる。
廉太郎はベッドから立ち上がり、バッグをあさりスマホを取り出すと、再びベッドへと倒れ込んだ。
コムニアスを立ち上げ、生野と長嶋のグループにメッセージを打った。
〈聞いてほしいことがあるんだけど?〉
しばらく返事は無いかと思っていたが、思いのほかすぐにメッセージが返ってきた。
〈どうした?〉
これは長嶋だった。
〈実はさ、父親が会社の金を使っちゃったみたいでさ……〉
〈え?どういうこと?〉
長嶋からの返事は早かった。
〈着服したらしいんだよ……〉
〈着服?〉
その後すぐには返事が無かったため、廉太郎は『着服』の意味を調べているのだろうと判断した。高校生には馴染みのない単語だから無理もない。
〈まずいじゃん〉
返事が返ってきたのはそれから数分後だった。
〈そうなんだよ……〉
〈何でバレた?〉
〈宮崎が面会に来た会社の人に喋ったんだって〉
〈あいつが?〉
廉太郎は神妙に頷く侍の恰好をした猫のスタンプを送信した。
〈あー。こういうのってどうすりゃいいのかね?〉
〈疑惑を晴らすべきなんだろうけど。多分無理かな……。どうやっても弁護できなさそう〉
〈息子がそんなんでどうする?〉
〈会社のなかでの事なんて僕達、何も出来やしないでしょ?それに、宮崎も確証を持って言ってるはずだよ〉
〈何だか廉太郎もおじさんがやったって思ってるみたいだな〉
〈父さんの頭の数字、結構高かったんだよね〉
〈え?マジで?〉
〈うん。だから諦めてるというか……。宮崎の言うことがデタラメじゃないんじゃないかって思ってる〉
〈そうか……〉
長嶋も宮崎の一件で廉太郎が見ている数字についての信頼性が高い事を理解していた。廉太郎の一言で長嶋の中にも諦めの念が広がったのを、スマホ越しに伝わってきた。
〈でも、何かあったら言えよな!宮崎の時だって解決できただろ?〉
廉太郎にとって、長嶋がこのような境遇に立たされたとしても友人でいてくれることが嬉しかったし、心強くもあった。
それが分かっただけでも、今回話をしてみて良かったと思えた。生野がなんと言うかは分からないが、長嶋と性根は似ているので同じ事になるだろうと踏んだ。
〈ありがとう。少し、ネットとかで調べてみるよ〉
〈暇があったらこっちも調べてみるよ〉
廉太郎が侍の格好した猫が、では、といっているスタンプを送ると、長嶋は宇宙人のような生き物がばいばい、と言っているスタンプを寄越してきた。
やりとりが終わるとスマホをベッドに放り出し、上体を起こし、
「お風呂入ろ」
と独り言ちた。
階下へ下りると先程と微塵も変わらぬ姿勢で父がソファで座っていた。母がいないため、浴槽にはお湯が溜まっていないためシャワーで済ませることにし、素早く体を洗い浴槽から飛び出た。
その日はもう夕食も食べる気にならず、父とも会話する気にもならず、父を何とか救う手立てだけネットで探して、眠りについた。
♢
翌日、父が起きてくる前に部活へと向かった。父が今回の件で首を括ったりしないか内心心配だったが、部活の仲間に変に勘ぐられたりするのが嫌で登校した。
掛り稽古をしている時も、父の顔が浮かんでは消え、愛華の顔が浮かんでは消えを繰り返し、精細を欠いていた。当選ながらそれを近藤に嗜められる。
「どうした!?有川君!さっきから剣先がブレてるぞ!」
「くっ……!」
面を打とうとしたその瞬間に竹刀でいなされ、中々打つことが出来ない。本来加減をするべき場面で近藤が手加減をしていない為だ。
無理矢理脳内から二人を追い出し小手を打ったが、それがやっとだった。
♢
「大丈夫か?廉太郎?」
「いいや……」
部活終わり、声をかけてきたのは長嶋だった。部内で廉太郎の境遇を唯一知っている友人だった。
「あんまり無理すんなよ?」
「そうは言っても……」
父親の事を考えるなといわれてもそれは無理からぬ事だった。もちろん長嶋もその事は理解してはいるが、そのような境遇の人間に何と声をかけていいものか計りかねていたため、無難な言葉が口をついて出た。
「どうした?有川君、長嶋君」
「あ、キャプテン……」
「今日の有川君は、何だか滅茶苦茶だったよ。調子がいい動きと悪い、迷いのある動きをしていた……」
「近藤は、何でも分かるんだな」
廉太郎は皮肉のつもりで言ったが、近藤はそうは受け取らずに素直に言葉を受け取る。
「まぁね。剣道していると相手の気持ち……迷いがあるとか悩みがあるとか……、そのぐらいは分かるよ。特に有川君はすぐに動きに出るから」
「確かに、廉太郎はすぐに動きに出るよ。他の奴らのは分からないけど」
長嶋が近藤に同意した。
「前に言っただろう?何でも話してくれって」
それから廉太郎は事の顛末を近藤に語った。自身が一番恐れている事も赤裸々に。
「そうか。君の父が犯罪に手を染めた事で僕等が離れていくんじゃないかって、考えていたのか」
廉太郎は静かに首肯した。
「お前、この前そんなこと言わなかったじゃん?」
「今も父の事をどうにかしたいとは考えてるし、半分半分だよ」
近藤は、にっこりと微笑む。
「大丈夫だよ。僕らはそんな事で離れたりはしないさ。ねえ?長嶋君?」
「おう。生野も浜野さんも絶縁になったりしないよ」
「そうだと、いいけどな」
「ハハハ。大丈夫だよ」
二人の眼差しは廉太郎を安堵させた。
その後は他愛もない会話をして、いつもの通りのT字路で
「お前のおじさん、ある意味すごいな」
と長嶋が、別れ際に言ってきた。
「何で?」
「え?だって、パワハラに着服に……」
「それを言うなよ」
長嶋はあっ、という顔をした。廉太郎も目の前の友人に悪気があって言っているわけではないことは重々承知していた。
「すまん、すまん」
申し訳無さそうに、へへへ、と長嶋は笑い、
「じゃあ、あんまりこんを詰め過ぎんなよ」
と廉太郎を心配した後、じゃ、と手を上げ、踵を返して向こうへと行ってしまった。
廉太郎はそんな友人の後ろ姿を眺め、自身も帰路についた。
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