第14話:木曜日のキラー

動きは無い。

辺りの不気味な雰囲気と相まって静けさが緊張感を高める。廉太郎はこの間もシミュレーションを重ねていた。


普通に開けてくるのか?いや、包丁を振り回して出てくるか?


「もう一度鳴らしてみたらどうだい?」


小声で近藤が廉太郎に提案する。廉太郎静かに首肯して、再び震える指先でチャイムを押そうとした、その時。


ガチャ


と鍵を開ける音がした。

廉太郎は身を硬直させ、左手で後ろに隠し持っていたスマホをギュッと握り、近藤もまた同様に身を硬直させた。一階の庭部分にいた生野、門柱の所にいた長嶋にもしっかりとその音は聞こえ、彼らも身構えた。


木製のドアがきぃ、と高い悲鳴を上げて開いた。


「……」

「……」

「何?君達?荷物が来たとかじゃないよね?子供だもんね?君達」

「え?あ、はい!」


初めてまじまじと真正面から宮崎の顔を見た。波風立てずに平穏に暮らしていそうなサラリーマン。とても世間に害悪をもたらすようには見えなかった。


「えっと……」

「……」

「その……」


モジモジしている廉太郎に、宮崎は少し苛立ったのか語気を強めて

「用が無いなら、帰ってくれる!?」

と言った。


「え!?い、いや、用はあるんです!」

「はぁ?」

「その……」


廉太郎の視線は宮崎の顔の左右を行ったり来たりしている。とてもその目を見つめることができなかったからだ。

そもそも、宮崎の頭上の100という数字が廉太郎を殊更萎縮させていた。周りの友人達以上に廉太郎に恐怖を感じさせる要因だった。一体何をしたらこうなるのだろうとか余計なことを考えてしまっていた。


だが、その反面廉太郎は分かっていた。

このままでは埒があかないと。


だから右手に力を込めて自身を奮起させ、単刀直入に言った。もう、どうにでもなれ。という心境だった。


「あの!アナタは人を殺しましたよね!?」


宮崎は廉太郎の言葉に目を見開いて硬直した。先程までの苛立った顔が一気に驚愕めいた表情に変わった。


そして、廉太郎の隣りにいた近藤も目を見開いて廉太郎を見た。まさかこれ程までに直線的な表現を使うと思わなかったからだ。


「何を言ってるんだ?」


宮崎の表情は明らかに怒っているのが分かるものになった。


「いや、ですから。アナタは人殺したことありますよね?って聞いたんです」

「ふざけるんじゃねぇ!」


廉太郎が言い終わるか終わらないかのタイミングで宮崎は怒声を上げた。その温和そうな見た目からは想像できない程の声量と言葉遣い。

離れていた生野や長嶋でさえ気圧されていた。


「もういっぺん言ってみろ!誰が人殺しだって!?」

「い、いや、だからアナタがです。宮崎さん」


ピクッと宮崎は一瞬動きを止めた。


「おい。お前何で俺の名前を知ってやがる?」

「そ、それは知るべくして知ったんです」


廉太郎はとっさに誤魔化した。このような事態になってしまっては下手に隠す必要は無い、と近藤は横から口を出そうと思ったが、思いの外体が硬直している。そして、頭の中で何が最良を選択しようとして思考がループしてしまう。


「何で隠さねぇといけねぇ?」

「えっ!?あ、いや……」

「お前、なんか怪しいな。何で俺が人殺しだって思うんだ?」

「えー……」

「何でだ!?」


今にも掴みかかってきそうな迫力で宮崎は迫る。


「言えない!だが、お前は人殺しなんだ!」


廉太郎はもう破れかぶれで震える右手の指先を宮崎に向けて断言した。

この猿猴荘の周りには廉太郎と宮崎以外に生物が居ないのではないかといわんばかりに静寂を保っていた。


「このガキ!言わせておけば……!」

「以外に沸点が低いんですね!宮崎さん!僕らは警察に行くつもりですよ!白状して下さい!一連の通り魔は自分がやったと!」


もう言ってしまった罵詈雑言を今更ひっこめるわけにもいかず、廉太郎はこのまま突き進むことを選んだ。


「俺がやったという証拠を出してみろ!」


夕と夜のグラデーションを作った空に宮崎の咆哮がこだましたが、周辺の住民が出てくることはなかった。


「そんなものはありません!ですが、僕は知っています!あなたが犯人であることを!」


傍から見れば支離滅裂な廉太郎の主張であるが、この支離滅裂さが宮崎の怒りを増大させる。


「さっきから言ってる意味が分かんねぇんだよ!どうやって殺したんだよ!?俺がよ!説明しろや!」

「あなたは警察にマークされています!自首したほうな身のためですよ!」

「自首!?何で俺がそんなことしなきゃならねぇ!?クソガキ!ぶっ殺してやる!お前も俺の事、舐めてんだろぅ……」

「……?」


語尾が消え去ったため、廉太郎は訝んだ。


「お、お前……」

「?」


宮崎は廉太郎の顔を震える指先で指した。怯えているのか?と廉太郎は一瞬思ったが、それは間違いであることに気付いた。


「お前ぇえ!有川だろ!?息子だ!」

「!?」


何故バレたのか。


「知ってるのか?」


今迄黙っていた近藤が廉太郎に聞いた。廉太郎はそれを打ち消すように首を横に大きく振った。


「俺はよぉ!お前の親父に!いつもグチグチと言われてんだよ!パワハラだよ!パワハラ!」


心が押しつぶされそうになる。家ではあんなに朗らかなのに職場ではパワハラなんてしていたのか、と。


「お前の顔を見てるとイライラしてくる!お前の糞親父がよぉ!」


そう言うと、宮崎は部屋の奥に引っ込んでいってしまった。何事かと二人して部屋の中を見ていたら、宮崎は再び顔を見せた。次は右手に包丁を持って。


近藤はそれを見た時、慄然とはしたが階下にいる生野に

「すまない!警察に連絡を!」

と指示を出すも

「えっ!?あっ!あ……!」

生野は虚をつかれたため、あたふたとスマホをいじり始めた。


そんな様子を見て門柱に立っていた長嶋は、何かあったのだと判断し、例の交番へと駆け出していった。

生野は未だに連絡が取れない状態だった。


2階の近藤は生野に指示を出した後、竹刀袋を下ろし直様中身を取り出し、袋をその辺りに放り投げた。


「有川君!時間を稼ぐぞ!大丈夫か!?」


犯人を捕まえてヒーローになるなんて言わなきゃよかったと後悔の念が脳内を駆け巡る。足も床のコンクリートにガッチリと塗り固められたかの如く動かせない。足だけでなく、身体中が恐怖で思うように動かない。


犯人と対峙してもどうにかできる、と楽観的に考えていた自分が憎かった。いざ刃物を持ち話が通じない相手と対峙するのはこんなにも恐ろしかったとは。

こちらの状況等お構い無しに憤怒の形相で宮崎はこちらに刻一刻と迫ってくる。


「駄目だ!」


近藤は廉太郎が恐怖に対して震えることさえできな状況を嘆きこう発した。その間にも犯人は距離を縮めてくる。


「死ねぇ!」


宮崎は二人の前で立ち止まったかと思うと右手を振り上げた。


「すまん!有川君!」


振り上げた右手が次の瞬間には振り下ろされる。そのタイミングで近藤は廉太郎の横腹を蹴って、自分もその反動で倒れ、二人は間一髪、凶刃を免れた。


蹴られた廉太郎は尻もちをついた。左手に隠し持っていたスマホは床を滑り遠くへと行ってしまい、強打した臀部からは痛みが走った。その痛みのおかげで少しずつ我を取り戻しつつあった。しかし、その胸中から完全に恐怖を払拭できたわけではない。


近藤はアパート廊下の袋小路側に、廉太郎は階段側に、宮崎を中心として位置していた。


「有川君!竹刀を取り出せ!」


近藤がそう言って叱咤すると、廉太郎は自分の右手に転がった竹刀袋を震える手で握り、竹刀を取り出す。その間、宮崎は包丁片手に廉太郎に近づいてくる。

明らかに廉太郎を狙っている。宮崎には廉太郎を憎む身勝手で子供のような感情が溢れているのだ。



生野はようやく浜野に連絡が取れ、説明をする。


《あっ!?は、浜野ちゃん!?》

《あ!先輩!》

《い、一大事なんだ!》


詰め寄る宮崎を階下から俯瞰して見ていた。


《ど、どうしたんですか!?》

《あ、有川が、こ、殺されちまうよ!》

《ええっ!?……あ!》

《ど、どうしたの!?は、早く警察連れてきて!》

《今!長嶋先輩が走ってきて、交番に入りました!》

《えっ!?よ、良かった!》

《私も入りますね!》

《う、うん!お願い!》



2階では肩を怒らせ、友人に詰め寄っていく男にさっと詰め寄り、その後頭部を目がけて近藤は思い切り竹刀を振り下ろした。

が、その一撃は後頭部には当たらず、右肩を打った。


「ぐっ!!」


宮崎はその衝撃で包丁を落とす。しかし、すぐに拾い上げて、廉太郎にその刃先を向けた。

廉太郎はようやく立ち上がり竹刀の先を宮崎へと向け、自分は恐れていないとうそぶいて見せた。


しかし、廉太郎の頭の中ではいくつものシミュレーションが計算されてはつゆと消えていった。


頭を竹刀で打っても、次の瞬間に刺されるかもしれない。手首を打っても、包丁をうまく落とせないかもしれない。


剣道場とは違い、ここは360度全てが使えるわけではなく、目の前の一直線の通路しかない。


前へ進むか後ろへ進むかしかできないのだ。しかも前へ進むといっても、目の前には刃物を持った男がいるのだ。もちろん横に移動することは出来ない。


どうするべきか?

そう考えた時、宮崎の後ろで竹刀を構えている近藤の姿が目に入った。

自分はこのまま相手をひきつけるべき。

そう考え、近藤に命を預けた。


近藤は廉太郎の意志のこもった視線を感じ、竹刀を改めて握り直した。次こそは後頭部に当てる。


そう意気込み、両の足に力を入れ飛び跳ねるように前方へと素早く移動していく。

宮崎は、包丁の刃先を廉太郎に向け緩慢な動きから急に機敏に突進してきた。包丁が刺さるか刺さらないかという間一髪のところで廉太郎は右にステップし、回避することに成功した。ついでに右手首に竹刀の一撃をお見舞いした。


「うぐっ!?」


宮崎は呻くとともに再び包丁を落とし右手首を押さえて、うずくまった。


「どいてくれ!有川君!」


後ろから素早い動きで迫ってきた近藤が廉太郎にどくように声をかけたため、廉太郎は狭い廊下で近藤の邪魔にならないようによけた。


そして、次の瞬間、うずくまる宮崎の後頭部に近藤は、綺麗に一撃を入れた。

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