第13話:木曜日のドアベル

夏の日差しを瞼に浴びて、寝ぼけ眼を開く。


「うわ、もう朝か……」


ベッドの上でモゾモゾと動き回る。もう少し寝ていたいと思うも、外の光がそれを許さない。

仕方なく上体を起こし、ベッドから重たい体を引きずり下ろす。


今日は決戦の日だ。


夏休みに入って数日。

コムニアスでお互いに示しを合わせて、今日、宮崎と対峙すると決めたのだ。

眠る前は、心臓がバクバクと鼓動を打ち、中々寝付けなかったが、一度眠りについてしまうと朝までぐっすりと眠れてしまった。


前に近藤に胆力があると言われたが、廉太郎自身もそうかもしれないと思うようになってきた。


欠伸を一つして、一階へと下りた。リビングへ向かうと道子は一通りの家事を終え、テレビに釘付けになっていた。


「おはよう」


その一言で道子は我に返ったようで、機敏な動作でリビングの入り口に立つ廉太郎の方を向いた。


「おはよう。夏休みの学生は良いご身分ね~」

「いいでしょ」


母の嫌味を、廉太郎はいつもの調子でいなす。母が、このような嫌味を言うのは別に珍しくないため、廉太郎もいちいちいきり立ったりはせずに軽く流す。


「でも、明日も明後日も休みだからって夜更ししないのよ」

「はいはい」

「テーブルに、朝ごはん準備してあるから早く食べて。皿洗いしたいのよ」

「へーい」


廉太郎はそう言ってテーブルにつき、朝食に手を付けた。

こうして通り魔と対峙する日の幕が上がった。




「時間だ」


正午を過ぎて、家を出る準備をする。

二階の自室から支度をしてから、階下へ下りる。リビングに向かい、道子に向かって


「ちょっと出かけてくる。夜には帰ってくると思うけど……」

「え?竹刀持ってどこ行くのよ?」


廉太郎は竹刀を竹刀袋に入れて肩にかけていた。


「……」

「……。まあいいわ。でも、気を付けなさいよ。通り魔が世間を賑わせてるんだから」


その通り魔に会いにいくのに、と内心思いながら廉太郎は、

「気を付けるよ」

と言って家を出た。


道行く人々の頭上の数字を足したり、掛けたり、割ったりして算数的な遊びをしながら駅へと向かう。生野達とは高校の最寄駅、つまりいつも廉太郎が乗り降りしている駅前に集合することになった。


平日のガラガラの電車のシートに座り、スマホをいじっているとコムニアスにメッセージが届いた。


〈廉太郎君、今何してる?〉


このメッセージは愛華だった。この数週間で、愛華、廉太郎と下の名前で呼び合うほどに仲は進展したのだ。


〈今、電車に乗ってる〉

〈おでかけ?〉

〈生野達と遊ぶ〉

〈あ。楽しそうだね!〉


次に羨望の眼差しを投げてくるうさぎのスタンプ。かわいいな、と思いながら廉太郎はクマがいいだろ、と言っているスタンプを送った。


〈夏休み、暇?〉

〈毎日部活が無い分、去年よりも暇かな?〉


そう送ると、ヤッターと言っているうさぎのスタンプが帰ってきた。


〈じゃあ、今度遊ばない?〉

〈いいよ!いつがいい?〉

〈じゃあ、次の月曜日に〉


廉太郎はうれしくなり、おじさんが親指を立てたスタンプを送った。


〈何このスタンプ(笑)〉

〈嬉しかったから(笑)〉

〈嬉しさが伝わらない(笑)〉


こんなやり取りが微笑ましくて廉太郎は、もう一度同じスタンプを送った。



                  ♢


「おっす。有川」


生野が廉太郎を見つけるなり、いつものように肩を組んできた。


「皆来てる?」

「まだ。浜野ちゃんが来てない」

「アラララ」


廉太郎は、生野、長嶋、近藤の順に視線を移した。そして、ふとある事に気づいた。


「あれ?近藤、その長いの竹刀か?」


近藤が細長い袋を肩からかけていたことを指摘した。


「うん、そうだ。有川君は?」

「これ」


肩にかけた竹刀袋を少し見せた。


「うむ。準備がいいな!」

「俺、持ってきてない……」


長嶋が後悔するように言った。


「殺人犯相手なのに失念してたわ……」


長嶋の言う通り、これから廉太郎が対峙する相手はただの通り魔から殺人犯へと変貌した。


5人で猿猴荘へ行った翌日曜日にニュースで死者が出た事を告げられた。それは例の通り魔の犯行に似ていたため、世間では同一犯として扱われるようになったのだ。


「竹刀二本で大丈夫かね?」


生野が不安そうに言った。いつも勝気な彼の印象にそぐわない発言だった。


「あのアパートで大勢で竹刀を振り回しても邪魔になるだけだから、僕らだけでいいさ。長嶋君達は何かあったら例の交番に向かってくれ」

「なぁ、その事なんだけどさ」


廉太郎がおずおずと切り出した。


「どの事?」

「あ、いや、何かあったらって話」

「ああ、そっち」


長嶋は得心を得たように小さく首を縦に振った。


「一応さ、先に警察に行ってみない?何かあってからじゃあ……」

「取り合ってくれるか?」


生野が先日も出た疑念を廉太郎にぶつける。


「ダメ元でだよ。それで取り合ってくれなかったら、僕達だけで」

「やらないで文句言うよりか、やってから文句を言ったほうがいいか」


近藤らしい前向きな発言。


「それもそうだな。浜野ちゃんが来たら、警察に行ってみよう。長嶋もそれでいいよな?」


生野の問いかけに長嶋は無言電話頷いた。


「あ」

「先輩達〜!すみませ~ん!」


駅から走ってくる人影。ようやく待ち人が来た。


「すみません。遅れてしまいまして……」

「あれ?眼鏡は?」


肩で息をしている浜野に廉太郎が質問すると、一旦一呼吸おいてから


「眼鏡は走る時、邪魔になります。だから、今日はコンタクトです」


真っ直ぐな視線に廉太郎は心動かされそうになる。眼鏡を取ったら美少女、なんて漫画の世界だけだと思っていたがそうでもなかったのだ。


「先輩、どうしました?」


首を傾げ、ぐっと顔を近づけてくる仕草に廉太郎ドギマギして、照れ隠しに


「な、なぁ!もう行こう!全員揃ったよ!」


と言ったが、生野と長嶋は廉太郎のこの隙を見逃すはずが無かった。



                  ♢


「信じてくれないんですか!?」


近藤が怒気を孕んだ声で言った。警察署の受付中の視線を集めることとなってしまった。


廉太郎達は駅から少し離れた位置にある警察署へと来ていた。丁度近藤が事の顛末を話して、受付の担当警察官に苦言を呈されたところだった。


「何度説明されても、君達の話だけで警察を動かすことはできないよ」


警察官は中々引き下がらない高校生達に困り果てた表情を浮かべて対応している。


「そうやって!ノロノロしている間にも誰かが犠牲になっちまうかもしれないぜ!?」


少年達は大人の都合なんてお構いなしに正論をかざすのだ。


「それは分かるけども、どうやってそれを信じたらいい?」

「それは……」

「それに君達に危険が無いように日々、警察は頑張っている。もう少し待ってくれないかな?」


警察官は慣れているのか諭すような物言いをして少年達をなだめようとした。


「どうあっても協力してくれないんですね?」

「それは……、協力のしようが無いよ」

「分かりました」


廉太郎はそう言って一人踵を返して、入り口へと歩いていく。残りの4人もその背中を追った。


「やっぱり無理だったな」


警察署からそう離れていない小さな公園の花壇の縁に腰掛けて生野が言った。


「うん。想定していたことを言われたね」

「どれだけ言っても意味がなかったな。どうせ冷やかしか何かだと思われたんだろうぜ」

「冷やかしであんなバカみたいなこと言わねぇっつーのに」

「まぁ、いきなりあんな事を言われても、ああいう態度にもなるさ。二人共そうだっただろ?」


達観した態度で廉太郎がいきりたつ生野と長嶋に言い聞かせた。


「そりゃ、そうかもしれねぇけどよ……」


納得のいかない顔をして生野は言った。生野も長嶋も廉太郎の能力の事を信じているからこそ、それを信じてくれない大人達に苛立つのだろう。


「もう私達だけで行ってみるしかないですね」

「そうだな。もうそろそろ行くか?犯人に帰ってくる時間が迫ってきている」

「そうなのか?じゃあ、もう行くか!」

「よしっ!じゃあ!プランBに変更して任務を遂行するぞ!」


生野が大きい声を上げる。


「何だよ。プランBって……」


廉太郎は生野と対象的に呆れて言った。


「何かあったら、誰かがあの交番まで走る」



                  ♢


警察署から宮崎の家へ向かう途中、歩きながら廉太郎が言った。


「なあ、さっきの、何かあったら交番まで走るってのやめない?」

「何で?」

「いや、こんだけ人数いるんだからさ、予め交番の前に立ってて、何かあったらスマホで連絡すればいいじゃん?」

「おお!その手があったか!」


生野は右手の握り拳と左手の掌をぶつけ合わせ、得心がいった声を出した。


「駄目じゃないよ、有川君。でも、慌てている状態で電話なんかできるかい?」

「う〜ん……」

「でも、キャプテン。有川の言う通りかもしれないぜ。いくら俺やキャプテンが走っていったからって有事の際に対処できるかどうかは分からない」

「それなら……」

「じゃあ!私が交番の所にいます!」


浜野が元気よく右手を上げた。


「え?いいの?」

「犯人見たいですけど……、有川先輩の言うことも一理あるなと思って……」

「よしっ!じゃあ、決まりだ。浜野ちゃんは交番の前で待っててよ」

「じゃあさ、俺たちもポジション、決めようぜ」

「ポジション?」

「浜野さんに連絡する係とか……、犯人と話す係とか……」


長嶋が犯人と話す係、と言ったとき生野は生つばを飲んだ。


そんな様を見て、廉太郎は

「僕が犯人と話す係をやるよ」

と言った。そして、その後を近藤が引き取った。


「ならば、それ以外の役割だが……。僕は有川君の隣に立ってるよ。何かあったら、竹刀で応戦する。君達二人は?」

「じゃあ、俺はあのアパートの門柱の所に立ってるよ。キャプテンが走れないんだったら、俺が走った方が早いだろ?」

「じゃあ、俺は何しよう?」


生野が、自分を指差して言った。


「確かにもうやれる事が無いな」

「では、生野君は、一階からは僕らを見ていてくれ。何かあったら、浜野さんに電話、門柱にいる長嶋君に合図を送るというのはどうだい?」

「いいじゃん」

「……え?何か以外に重要なポジションじゃない?それ」

「そりゃ、ね。ってか、このプランBにおいて重要じゃないポジションってあんの?」

「無いな。皆がちゃんとやらなければ怪我したり、最悪死ぬかもしれない」


近藤が迷い無く言い放ったせいで5人の中で沈黙が流れた。それは自分はまだ死なないという楽観的な考えを打ち破られたからに他ならない。

近藤とてそれは例外では無く、口に出してみると意外に自身の心に響いたのだ。


「誰も怪我しないようにそれぞれの役目をこなそう」


廉太郎の一声に皆が一様に頷いた。


「猿猴荘が見えてきたぞ」

「アパートの前で待つとバレちゃうから、あっちの高台に公園があるからそこに行こう。そこからならバッチリ見える」


廉太郎の提案で以前暇つぶしに使った公園にぞろぞろと向かった。


「確かにここからならアパートがしっかり見えるな」


公園の入口から最奥のフェンスの下に猿猴荘が見える。猿猴荘はこの公園のせいで、一日の半分は日陰に覆われている。

廉太郎と生野、長嶋はフェンスに手をかけ、しゃがみこんで猿猴荘を見張る。


「いつ帰って来るんだ……?」


生野はうずうずとした様子で独り言ちている。先程まで怖気づいていたがいつの間にやら好奇心のほうが勝っているようだ。


「前はもう少ししたら帰ってきた。サラリーマンだから今日はどうか分からないけど」

「何で?」


生野が廉太郎へ視線を移して質問で返した。


「だって、サラリーマンは残業とかあるだろ?」

「そうか」


生野は納得して、視線を猿猴荘へと向けた。そこから3人はフェンスに掴まったまま身じろぎ一つせずじっと一点を眺めているという奇怪な風景があったが、廉太郎の一声でその状況は変貌した。


「来た!」

「えっ!?」


廉太郎達の後方にいた近藤と浜野もフェンスに近寄ってきてしゃがみ込んだ。


「あれだよ。あれ」


廉太郎が指先をフェンスの向こう側に出して言った。どれ?どれ?と言いながら、さながらミーアキャットの如く首を同時に動かした。


「あの人か」


近藤が言った。


「廉太郎、あの人今いくつだ?」


長嶋の言っている意味が一瞬分からなかったが、廉太郎は自分が見えている数字の事を言っているのだと理解し、少し嬉しくなった。何故ならそれは、自分の語った数字の事を受け入れてもらった事の証左でもあるからだ。


「ひゃ、100だ……」

「100!?」

「しーっ!しーっ」


生野の声が大きく響いてしまい、長嶋と浜野は慌てて唇に自分の人差し指を当てて、生野を黙らせようとした。

幸いにして宮崎の耳には届かなかったようで、気付かずに部屋の中に入っていった。


「ぼ、僕も驚きだよ」


宮崎が部屋の中に入った後でも、無意識のうちに声の音量を下げて喋ってしまう。


「や、やっぱりこの間の殺人事件の犯人はあいつなのか?」


生野は再び慄き始めた。生野だけで無く、その他の4人の中でも恐怖が芽生え始めている。これは廉太郎達の中でこの間の事件の犯人が宮崎であることは確定した為だ。


「そうだとしか考えられないだろう……」

「だけど、僕らはそれを承知で来たはずだろう?」


このムードを吹き飛ばしたい一心で廉太郎はそう言った。


「それはそうだけど……」


しかし、長嶋と生野は顔を向けあって、どうする?という合図をしている。


「僕は有川君とやるよ」


そんな二人とは対象的に近藤は真っ直ぐに迷い無く、言い放つ。


「わ、私もやります!だから、ここに来ました!」

「……」


一時の沈黙の後、

「しょうがないな……」

と長嶋が観念した。


それを受けて

「皆がやるんなら俺もやるよ!俺一人だけビビって逃げなみたいになるじゃん?」

生野が決意を表明した。



                  ♢


《どうなの?浜野ちゃん。もうついた?》

《もう少しで着きます!》


生野と浜野が電話でやり取りしている。猿猴荘が見える公園にまだ4人は息を潜めていた。時刻としてはもう夜といえる時間だが空はまだまだ夕焼けに染まっている。

宮崎が帰ってきたのを皮切りに浜野が交番に向かった。

そして、彼女が交番に着いたことを確認してから、猿猴荘へと向かう段取りとなった。

連絡を取り合う係である、生野と浜野は連携のテストも兼ねてコムニアスのIDを交換しアプリ上で通話をしている。


《着きました!ここで待ってます!》

《うん。問題があっても無くても連絡するね》

《はい》


生野はそう言って、スマホの画面をタッチして通話を終えた。


「浜野ちゃん、着いたって」

「よし、じゃあ行こう!」


近藤が意気込むと4人は列をなして猿猴荘へと向かった。


「じゃあ、さっき決めた通りに」


4人は首肯するとちりぢりになった。

2階へと向かう外付けの鉄板階段を上がる前に、近藤は廉太郎にスマホの録画を開始するように提案した。


「あ、そうか」


慌ててスマホを取り出し、録画を開始する。

眼前の階段はサビまみれで今にも崩壊しそうであるが、2階に向かう方法はこれしかなく、恐る恐る一段一段踏みしめて上がった。上がった先はコンクリートの床が一直線に伸びている。2階の手すりも赤サビだらけで、これまた何かの衝撃が加わったりすると今にも壊れそうであった。


二人は一直線の通路を歩き、宮崎の部屋の前に立った。高鳴る鼓動を抑えたいと、頭の中でいくつかのシミュレーションをしてみる。

自分がなんと言うか、それに対して相手が何と返してくるか、はたまたいきなり包丁を振り回してくるかもしれないなど想定されることを考えてみた。

しかし、その手の事を考えれば考えるだけ緊張してしまう。


「どうした?有川君。早くチャイムをならそう」

「ちょ、ちょっと待って。近藤は緊張しないの?」

「僕はこの手の緊張は慣れてる」


この手とは、剣道の大会のことを言っているのだ。廉太郎は大会に出たことは片手で数えられるぐらいしか無かったので近藤の感覚が理解出来なかった。


「代わりに僕が押そうか?」


廉太郎はドアの横に備え付けられた小さなボタンで、簡素な音がしそうなチャイムをちらりと見て、頭を横に振った。


「いや、ちゃんと僕がやるよ。ちょっと待ってて」


そう言って、大きく深呼吸をして、肩の力を一気に抜いた。そして、震える指先でチャイムを鳴らした。


キンコーン


と思いの外簡素な音が響いた。

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