第10話:饗宴する月曜日の夜

「ねえ、人の悪意が見えるって聞いたことある?」


駅近くの繁華街の居酒屋で、楓は手伝いに来てくれた秀一と焼酎を呑んでいた。

眼前にはだし巻き卵や、豚の串焼き、枝豆、塩から等つまみがズラリと並んでいる。

秀一はそのうちの豚の串焼きを一本手に取るとそのまま食らいついた。


「無くはない」


豚バラを咀嚼しながら秀一は言う。


「何か引っ掛かる言い方」

「言って信じてもらえないかもしれないが……」


秀一はそこで一旦言葉をきって、豚バラを嚥下してから続けた。


「世の中には『ギフト』と呼ばれる能力がある」

「ギフト?何それ?」

「平たく言うと超能力だ」

「超能力?スプーン曲げとか、透視とか?」

「ああ。その超能力の認識で合っている」

「あんなのインチキでしょ?」


秀一は頭を振った。


「インチキな奴もいる。でも、その中には本物もいるのさ」

「……」

「何でそんなこと聞く?」


楓は言い淀んだ。廉太郎の事を彼に伝えてもよいものか……。だが、あの廉太郎の苦悶の顔を思い出して相談することにした。


「うちの近所の子がね……」

「今日、来てた子か?」

「そう。あの子。昔から付き合いがあって……」

「昔、何度か見かけたことがある」

「でしょうね」


楓は喉を潤すように芋焼酎を口に含んだ。


「それであの子が?」

「うん。今日、来た時に聞かれたのよ、『人の悪意が見えたらどうする?』って……」

「ふぅん……」

「で、冗談言ってるのかなぁって思って軽くあしらっちゃったのよ。次の患者さんもいたし」

「そうか。それで今も心に引っかかってるってことだな?」

「そういうこと」


楓はうんうんと首を縦に振った。


「人の悪意が見えたら……か。どうする?実際」

「どうもしないわよ。見えたからってどうすることもできないんでしょ?」

「まぁ、その子の能力がそれ以上のものかどうか判断つかないが、ギフトは普通は一人一個だけだから……」

「そういうことじゃないわよ。仮に私がそんな超能力を手に入れたとしましょう。それでどうなるの?警察とかに言いに行く?誰が信じてくれるの?」

「基本誰も信じてくれないだろうな。でも、警察にもそのあたりに精通している人はいる」

「でも、みんながみんなじゃないでしょ?」

「それはそう」


そう言って、秀一も芋焼酎を口にふくむ。


「じゃあ、警察は当てにならないわね。私のただの妄想だとか言われるのがオチだわ。次に……」

「次があるのか?」

「うん。どうするかなぁってずっと考えてたらある言葉がよぎったのよ。私刑って」

「死刑?何か随分飛んでない?」

「違うわよ。わたしの私に、刑罰の刑よ」


秀一は視線を空中にさまよわせて、やがてああ、と合点がいったように声を出した。


「正義のヒーローになるって?」

「そういうこと」

「うーん……。私刑かぁ……」

「私達は大人だからやらないかもしれないけど……」

「子供はやるって?」

「正義のヒーローに憧れてね」

「そんなもんかな?彼ぐらいの歳の時にはそんなものには興味は無かったけど……」

「貴方達は別者よ」


秀一は孤児院出身だった。楓はその孤児院という特質さを指して、貴方達、という括りの単語を使った。

秀一もその言葉の意味をしっかりと汲んだ。


「普通の子たちは違うって?」

「まあ、普通って言い方が正しいのかは分からないわ。でも、今の子達は承認欲求にまみれているから」

「たまにSNSとかでやらかしてるやつか」

「そうね。良くも悪くも人に注目されたいってことよ」

「通り魔を捕まえれば、正義のヒーロー……か。彼はそんな子なのか?」


秀一の質問に楓はうーんと居酒屋の天井を仰いだ。


「正義のヒーローになりたい!って子ではないけど、なれるんだったらなります、って子ね」

「自分からチャンスを作りにはいかないが、目の前にチャンスがあればものにしたいタイプね……」

「ま、そんな感じ」

「ふぅん」

「もし正義のヒーローなんかに憧れてるんだったら、危ないわ。どうにかできないかしら?」

「何か勝手に心配してるけど、彼がそういうことをやるって決まってないんだろ?先走りすぎじゃない?」

「どうかしら?昔から知ってるからね。何となく考えてる事が分かるのよ」

「そうか。俺よりも長い付き合い?」


秀一は芋焼酎の氷をカランと鳴らした。


「そ。貴方よりも随分と長いわよ。ヤキモチ?」

「バーカ」


楓はその秀一の悪態に口角を上げた。数年ぶりのやりとりが嬉しかったからだ。


「で、このさ、超能力?ってさ、消せるの?」


秀一は楓の質問に対して頭を横に振った。


「無理。一応封印はできるけど、何かのショックでまた元に戻る可能性がある」

「封印?漫画みたい」


うふふ、と楓は笑った。


「そんな楽しいものじゃないさ。想像しているよりもずっの辛いらしい」

「ふぅん。秀一も持ってるの?超能力」


楓は自分の額に右手人差し指をつけ、それを秀一に向ける仕草をした。テレパシーか何かをイメージしているのだろう。


「うん。あるよ」

「へぇ~っ、どんな?」


楓はテーブルに身を乗り出す。


「どこにでも文字を書ける」

「は?」

「だから、どこにでも文字を書くことができる」

「え?何それ?役に立つの?」

「……」


秀一は痛いところをつかれ、おし黙ってしまった。こうなった時の秀一はショックを受けている時だと、心得ている楓は取り繕った。


「じ、事務職とかだったら役に立つわねぇ!」

「確かに、俺のギフトは地味さ。でも、使い方によっては人の役に立つ事ができるんだぜ」

「へぇ?例えば?」


楓は右眉を釣り上げて意地悪く言った。


「壁にラクガキがあったとしよう」

「うん」

「俺はそれをキレイ消すことができる」

「え〜?どうやってぇ?」

「簡単だよ、その壁と同じ色で文字を書きまくればいい。紙にボールペンで何度も字を書いたら真っ黒になるだろ?」

「まぁ……、そっか……」


楓は得心したように頷いて、塩からを口に入れた。


「ラクガキに困ってる人がいたら、いくらでも役に立てるぞ!」


秀一は勝ち誇った顔をした。


「それって、何処からでもできるの?」

「ああ。その書きたい場所さえ想像できれば、いつ何時、何処からでも。現に所長への報告書はホテルから寝そべって書いてるし」

「所長も迷惑してるんじゃない?」

「あの人はむしろ喜んでるよ。多分、ニヤニヤしながら報告書が書き上がるのを待ってるはずだ。報告書の目の前でね」


居酒屋の入り口で3人なんだけど、と客と店員とのやりとりが二人の耳に入る。


「便利?」

「そうでもないよ。慣れるまでは大変だった。書くつもりがなくても書いちゃうしね。文字だけじゃなくて、絵も書けるのが欠点だ。そのせいでえらく苦労したよ」

「そういえば、高校の図書館に行くまでの通路に行きはなかったのに、帰りは富嶽三十六が壁一面に現れた事があったわね。それも……?」

「うん。俺だ。多分、ディテールまで見ると全然富嶽三十六景じゃなかったと思うけどね。あれは波一つ一つをちゃんと再現するのは無理だよ」


彼らは『富嶽三十六景』と言っているが、正式には富嶽三十六景内の『神奈川沖浪裏』のことを言っている。


「あの時は、校内が騒然としたわね。ついには急に壁に出てきた、とか言ってる生徒もいて……」

「あれは実験だったんだ。何ができるのか、の」

「悪趣味な実験ねぇ」

「折角手に入れた力だから、イタズラしてみたかったのさ」

「ヒーローには憧れないけど悪役ヒールには憧れていたのね」

「皮肉だね」

「折角手に入れたって今言ったけど、その力ってそんな急に出てくるものなの?」

「いや、俺のは少し事情がある。大っぴらに言えないけど……。それとは別に自然に発現することもあるよ」

「何で秀一のは言えないのよ。彼女が教えてって言ってるのよ!」

「ダメ。ダメダメ」


秀一は冗談めかして頭を振った。


「けち」

「けちで結構。俺は困らん」

「えー」


楓は唇を尖らせて不満さを表現した。


「そんな顔してもダメなものはダメ」

「そんな〜」

「今は俺の話はどうだっていいだろ?大事なのは近所の子だ」

「む〜……」


不満いっぱいの顔だったが、秀一にそういわれて話を合わせた。


「最近、あの子変なのよねぇ」

「変?どの辺が?」

「何か苛ついてるわ」

「そんなの思春期の子はそうなんじゃない?世の中や学校にストレスが溜まってるんだろう」

「いいえ」


楓は秀一の言を強く否定するように大きく顔を横に振った。


「先週はそんな事は無かった。土曜日だって、あなたが出てきた後、すごい顔してたわ」

「それはただのヤキモチでは?」

「えー?私とレンちゃんはそんな仲じゃないわ」

「そういう事じゃない。さっき自分で言ったろ、昔から知り合いだった、って。まあ、近所の仲良くしてくれたお姉さんが遠くに行ってしまったような気がしたんじゃないかな?自分だけを見ててほしかったんだろう」

「体験談?」

「え?俺は兄弟はいないけど……?」

「いるじゃない。あの年の離れたお姉さん」


そう言われ、秀一は虚空に視線をさまよわせた。そうして誰のことを言っているのかようやく理解した。


「ああ。あの人の場合は今回のケースには当てはまらないよ。あの人の場合は逆にこっちを見ないでほしい」


秀一がそう吐露すると、楓はうふふ、と笑った。そして、先程までの笑顔とは打って変わって真面目な顔になった。


「ま、でも彼の事はちゃんと見ておかないとね」

「こっちも仕事が終わればそっちを手伝うよ」

と、その時秀一のスマホが鳴動した。画面には『バカ』と書いてある。


「誰よ?バカって」


楓が不審がって聞くと、

「バカはバカだ」

と言って、秀一は電話に出た。


《あ!秀一?こっちの仕事は終わったよ!》

《いつも敬語を使えと言っているだろう》


スマホの音量が大きいのかスピーカーにしているのか、電話の向こう側の人物の声が響いてくる。

聞き覚えのある声だな、と楓は思った。


《それで首尾はどうだ?》

《こっちは問題ないよ!……です》

《所長には連絡したか?》

《してない!忘れてた!でも、大丈夫でしょ?こっちのこと、気にしてくれてないよ。絶対》

《そう言うなよ。一応、所長にも報告をよろしく。俺は後で詳しく話を聞かせてもらう》

《はい、はーい》

《はい、は一度でいい》


スマホの画面を押して通話を終了させた。


「さっきの、弟くんだよね?」

「弟ではない。バカだ」


楓は、またもやうふふ、と笑った。その姿を見て今日は酔っているようだな、と秀一は思った。楓はなかなかの笑い上戸だ。


「さっきも言ったが、俺に兄弟はいない」

「あらあら、貴方達、三バカ姉弟って言われてたじゃないの」

「ひどい物言いだな」

「有名だったわよ。特に弟くんがね」

「あいつが?」


意外だ、と秀一の顔には書かれている。


「彼は顔が可愛いじゃない?私達の同級生でも人気があったわよ」

「あいつ、その時、小学生だった筈だけど……?」

「みんなの弟って感じ?元気一杯で人懐っこかったし……」

「両親がいないことの裏返しだったのかもな。俺達には犬鳴先生しかいなかったし……」

「そういう元気な裏に悲しいエピソードを抱えているのもプラスだったのかも」

「俺たちはオモチャじゃねーよ」


楓の無遠慮な物言いに、秀一はムッとした。秀一は、自身の境遇などを弄られると怒り始める。それが彼女であっても例外ではなかった。


「ごめんごめん。そんなつもりじゃなかったの」

「……」

「機嫌直して……ね?」


楓が首を傾げ上目遣いで懇願してくる。秀一は、その所作に耐えられず、


「いいけど?」

とだけ言った。秀一は昔からこの楓の動きに弱い。


「機嫌直して、飲も!久しぶりの再開なんだから!」


楓が焼酎グラスを掲げたのを見ると、秀一はそのグラスに自身のグラスを軽く当てた。


カン、とグラス同士がぶつかる音が賑やかな居酒屋の隅でなった。

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