第9話:幻滅する月曜日
日曜日。
深夜まで愛華と盛り上がってしまったせいで、またしても寝不足気味に朝を迎えた。
外はいい天気で夏の青空が窓から見える。今日は部活が無かったから、ゲームをして一日潰すことにした。
これも何気ない休日の過ごし方だったのだが、異変は夜にやって来た。
夕食中にテレビを見ていると、通り魔のニュースが飛び込んできたのだ。
「昨夜11時頃、住宅街でまたもや女性が刃物で切りつけられる事件が発生しました」
女性キャスターがそうテレビの中から伝えると、3人はテレビに釘付けになった。
「……警察は同一犯の犯行と見て調べを進めています」
キャスターはそう締めくくると、ニュースは明るい話題へと切り替わった。
「廉太郎の所は心配だな」
俊哉が珍しく、廉太郎の心配をした。
「うん。早く捕まってほしいよ」
廉太郎は魚を咀嚼しながら言った。
「そうだよなぁ。あの近所に住んでる人達はみんな怖いだろうね」
「ホントよね。通り魔なんかいい迷惑だわ」
道子は憤慨して言った。それは息子を心配してのことか、自身の保身のためかは判断つかなかった。
食卓が通り魔の話で持ちきりになっているが、廉太郎はその輪の中に入らず、別のことを思案していた。
事件が起こったという事は、宮崎の数字にも何らかの変化がある筈だ。明日、学校の帰りに彼のアパートで張り込んでみて確認をしてみよう。そう考えていたのだ。
ならば、とそうそうに夕飯を終わらせ、眠ることに決めた。ここ数日夜更しをし過ぎて寝不足気味なのだ。
張り込んでいる途中で眠くなってもいけない。歯を磨き、ベッドに潜り込んだ。
興奮して眠れないかと思ったが、すんなりと眠ることができた。
♢
月曜日
カーテンの合間から朝日が差し込み、瞼に直撃する。朝の光によって起こされた廉太郎は上体を起こして、長い欠伸をした。
今日は宮崎の所へ向かわねばならない。そう誰に言われるでもなく心に決め、諸々の支度をすると学校へと向かった。
今日も短縮授業だったおかげで、午前中で学校は終わってしまった。この数時間のために学校へ来る必要があるのかと内心訝ってしまうが、学校がある以上は仕方がない。
帰りに玄関で靴に履き替えて、校舎の奥まった方へと歩いていき、人気の無いところで身を潜めて、スマホでインターネットを始める。
数分間そうしていると、ふいに声をかけられた。
「待った?」
愛華である。
「待ってないよ」
廉太郎は、全力で首を横に振った。愛華は笑って、
「なら、よかった」
とだけ言って踵を返した。その動作が無言で追従するように促された気がして、スマホをポケットに仕舞って慌ててついていく。
物陰からクラスメートがいない事を確認して、表に出た。
この様な場面を彼女、彼らに見つかると茶化されること請け合いで、そうなってしまうともう付き合うというのは難しくなる可能性を孕んでいる。
先程まで、生徒達でごった返していた玄関はがらんともぬけの殻になっており、これであれば誰かに見つかることも無い。
「よく、長嶋くん達を巻けたね」
校門までの道を2人肩を並べて歩く。廉太郎が夢見た場面である。いや、男子生徒なら誰もが憧れたかもしれない。それを今、自分は謳歌しているのだと思うと誰とも無しに勝ち誇ってしまう。
「ああ。適当に嘘ついてここまで来た。そっちは?」
道に植えられた桜の木の緑葉が風になびきそよいでいる。
「こっちもおんなじ」
そう言って愛華は、うふふ、と微笑んだ。至福のひと時というのはこういうことを言うのだろう。これをひと時にせず、ふた時にもみつ時にも増やしていかねばと廉太郎は心の中で握りこぶしを握った。
♢
「今日も送っていくよ」
「え?」
宮崎の家、つまり猿猴荘へと続く交差点を目前に控えた時、そう打診すると愛華は意外そうな顔をした。
「いいよぉ」
「昨日のニュース見た?土曜日に、また、あの通り魔出たんだって。危ないじゃん?」
にべなく断られそうだったので、通り魔の事件を出汁にした。すると、愛華の顔に陰りが見えた。彼女もまた内心不安なのだ。
「うーん、どうしよっかなぁ……」
「危ないから。二人だったらどうにかできるよ!」
「じゃあ、お願いしようかな?」
勢いで押し切ったことが効果があったのか、愛華は首肯した。廉太郎は、心の中ので『ヤッタァァァァ』と叫んだ。
そのままこの前と同じ道を歩いて帰り、小学生たちが元気に下校する姿を見たりしながら、愛華のマンションへとたどり着いた。マンションの入り口で別れの挨拶をしてから二人は別れた。
彼女の姿が自動ドアを抜け遠く、見えなくなるまで見送った後、
「さて……」
一つ息を吐き出して、踵を返した。
例の交差点に辿り着くとスパイにでもなった気持ちで猿猴荘を目指す。周りに宮崎の姿は見当たらないが、警戒しながら進んでいく。大丈夫だろう、という楽観的な考えは身を滅ぼすと考えたからだ。前後左右をしっかり確認しながら足早に進んでいく。
やがて、猿猴荘へとたどり着いた。気持ちの良い青空に対比する陰鬱なアパート。この建物が目についただけで、晴れやかな気持ちは吹っ飛んでいきそうである。
この界隈の建物はいずれも似たような雰囲気を醸し出している。こんな午後の早い時間でありながら、人っ子一人いないのもこの雰囲気を醸成する原因だろう。
宮崎は帰ってきているだろうか?そう思いながら、猿猴荘を見上げる。人が住んでいないのか、それとも皆仕事に行ってしまったのか判断つかないが、アパートの各部屋は真っ暗である。
「帰ってくる時間がこの前と一緒なら、もう2時間ぐらい待たなきゃだめだな」
スマホをポケットから取り出し画面を見てごちる。
かと言ってこの場所を離れるわけにもいかない。宮崎がいつ帰ってくるか分からないからだ。
廉太郎は腕組んで思案し、猿猴荘が確認できて、かつ隠れられる場所を探すことにした。
人気の無い道をキョロキョロと不審な動きをしながら、歩き回る。やがて、こぢんまりとした公園を見つけた。公園は高台にあり、猿猴荘の門が目視できるところにあった。
宮崎を監視するにはおあつらえ向きの場所だった。
「時間をつぶすか……」
そういって、握りしめたままだったスマホに目をやり、アプリを開く。マリシアスコードだ。
「待ってる間にレベル上げしよ。小泉さん、凄いレベルだったからな」
そうして、ポチポチとクエストをクリアしながらレベルを上げる。思いの外、面白くてついつい熱中してしまい、今日、ここにいる理由を忘れかけていた。
「あっ!」
宮崎を監視する、それがここにいる理由だ。忘れてはいけない、の首を犬の様に横に振った。
時間は既に2時間経っていた。
「やっべ……!」
直様スマホから目を離し、猿猴荘を見る。
相変わらずしんと静まりかえっている。何かの気配は感じられない。もう、帰ってきた後か?まだか?頭の中でぐるぐるとその2つの質問が巡る。
「いや、もう少し待ってみよう。寄り道してる可能性もあるし……」
自分に言い聞かせるように言って、その公園で身を潜め更に男を待つことにした。
「!」
そこから数分後、人影が猿猴荘の隣の家の影から現れた。
「宮崎だ……」
宮崎に見られないように息を潜めるが、向こうからは廉太郎が丸見えなのだが、もう廉太郎にはそんなことはどうでもよかったし、宮崎も廉太郎には気づいていない様子だった。
猿猴荘の門柱を過ぎ、敷地に足を踏み入れる。そこから、3、4歩歩くとアパートの影に隠れて宮崎の姿は見えなくなった。だが、廉太郎にとってはそれで十分だった。
「増えている……」
その事実に廉太郎の心中に急に恐怖が沸き立つのを感じた。偶然か?偶然にしてはあまりにも一致しすぎている。第2の通り魔事件からまだ2日しか経っていない。
確実だ。
確実に宮崎は通り魔だし、何より、これで決定的にこの数字は悪さの表れなのだと廉太郎は確信した。
全身が粟立つのを感じて公園を飛び出した。いつもよりも走る速度が速かった。
♢
愛華の家へと続く交差点まで走り抜けてきた。
「ハァハァ……」
息切れを起こしている。相変わらず体力が無いなと痛感しながら、そこからは歩くことにした。
頭の中で先程の景色を思い出す。
宮崎の頭上には84と数字が現れていた。
誰にこの事を相談すればいいのか?それとも誰にも相談せずに一人で解決するべきか?
警察?
警察がこのような話を信じてくれるだろうか?
僕、頭の上に数字が見えるんです。その数字は人の悪さを表していて、数字が大きい人ほどヤバイ人なんです。そして、宮崎は何度も悪事を重ねてきている大悪党なんです。って?
廉太郎はそう考えて、鼻で笑った。こんな事を言い出した日にはこちらがヤバイ人で、自分自身が精神病院に入院させられてしまうだろう。
次に両親か?
母はバカバカしいと取り合ってくれないだろうし、数字の高い父には言い出しづらい。両親もだめだ。
ならば友人達……?
子供に話したところで何が解決するだろうか?
話を聞いてくれそうな大人……、と学校の先生や岩崎のおじさん、コウちゃんの両親……近所の色んな人たち顔を思い浮かべた。
そして、うってつけの人物の顔が思い浮かんだのだ。
「楓姉さん……」
医者であり、廉太郎の良き理解者でもある楓。
そうだ、もっと早くに相談すればよかったのだ。医者なのだから自分のこの奇妙な数字が見える事も何かしらの答えをくれたかもしれないのに。
何故、あの人に相談しなかったのだろう?
楓の顔を思い浮かべると、あの忌々しいメガネ男も思い出されたが今はそのような場合ではない。
さっそく彼女の所へと向かおうと疲れ果てた足に力を込め、駅を目指した。
♢
「先生はその人間の悪さが目に見えるんだったらどうします?」
廉太郎は真面目くさった顔して言った。楓はくすりと、わらった。いったい何がおかしいのか。
こちらは切羽詰まっているのに。
「どうしたの?レンちゃん、真面目な顔してぇ」
楓が少し小馬鹿にした風に言った。いや、廉太郎には分かる。楓は完全に馬鹿にしているのだ。
「僕は真面目に言ってるんです」
そういう事でどれだけの熱意が伝わるだろう。蝉がうるさく鳴いている。もう夕暮れ時だから、それはひぐらしのものだろうか?
馬鹿なことを言う為にわざわざ、診察室まで入ってくるわけが無い。これだけ真面目に言っているのに彼女は口を開こうともしない。
廉太郎の中でこの人に言っても駄目だったか?という諦めが広がりかけた時、
「私はどうもしないわ」
と短く目の前の白衣の女性が言い放った。
突き放された気がした。
唯一の相談相手だと思ったのに。
誰に頼ればいいのか?
この現状について誰を頼ればいいのか?
そんな事を考えていると自分はこの世界で独りなのだ、と、誰も頼れる者はいないのだ、と痛感してしまう。
現に楓には2度も裏切られた。
助けてほしいのに。
心の中から憎悪が顔を出す。
廉太郎はひたすらにその憎悪を表に出さないように努めながら診察室を飛び出したが、それがどれだけ功を奏したかは分からない。
表情なんて本人は隠せているつもりでも案外見抜かれるものだ。
医院の入り口までの道中で、例の眼鏡の男とすれ違った。相変わらずスーツをしっかり着ており、堅い印象は拭えない。
彼は廉太郎に一瞥をくれると何を言うでもなく、医院の奥へと向かって歩いて行った。廉太郎は振り返り、その後ろ姿を忌々しく睨みつけた。しかし、彼は振り返ること無く、奥の部屋へと消えた。
「クソっ……」
苛立ちが消えない。それどころか、ますます増幅している。
廉太郎は足早に医院の自動ドアを抜け家路へとついた。
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