第8話:非日常の中に生まれた日常的な土曜日

今日は土曜日。

本来であれば剣道部の部活がある筈だが、通り魔の関係であるのかどうかさえ分からない。万が一部活があることに備えていつもの時間に起きた。


1階のリビングでソファに座ってぼんやりとテレビを見ながら、どうしたものかと思案していると、スマホのバイブレーションがなった。

見てみると近藤からコム二アスにメッセージが来ていた。


〈急で済まないが小林先生と相談して、今日は部活をやることになった。準備して学校に来てくれ。ちなみにスマホを持っていない部員には近しい者から伝えてほしい〉

とのこと。


「今日は休みがよかったなぁ……」


正直な事を言えば、昨日、愛華と一緒にゲームした事で興奮していたこと、夜が暑かったせいで中々寝付けなかったことでかなり寝不足だった。瞼がなかなか開ききらない。あくびを噛み殺しながら、のそりとソファから立ち上がる。背後から道子の声がした。


「アンタ、部活あるの?朝は食べるの?」


1回の発言の中で質問は1つにしてほしいと思いながら

「部活あるし、朝は食べるよ」

と端的に言った。


道子はそれに返事をするでもなく手を動かし始めたのを、廉太郎は了解の合図だと認識して、2階へと向かった。

ジャージに着替えて、顔を洗い再びリビング。


母が準備してくれた朝ご飯がダイニングテーブルに乗っている。顔を洗ったおかげでもう寝ぼけ眼ではない。


「早く食べないと遅くなるわよ」

「あれ?父さんは?」

「仕事があるって、出ていったわよ」


土曜日も仕事があるのか。社会人は大変だな、と心の中でごちる。土曜日に出勤することは珍しいことではない。そんな父を見ていると社会人にはなりたくないなぁと漠然と考えてしまう廉太郎であった。


朝食を食べ終わり、学校へと向かう。いつも通りに電車に乗っていつもの駅で降りて、いつもの道を歩いていつもの学校へ入り、いつも通りに道着に着替える。



                  ♢


「整列!礼!」

「お願いしまぁす!」

「じゃあ、まずは素振り100本!」

「おあいぃ!」


部員からおうなのか、はいなのかよく分からない掛け声が飛び交う。一列に整列して素振りを行う。

そうして始まった部活。


廉太郎にとっては普段通りのつもりだったが思いがけないことを近藤に言われる。

それは掛り稽古の時であった。


「お?今日の有川君は動きがいいね」

「へ?」


3、4本、面を打ったところで出し抜けに言われたため、廉太郎は間抜けな声を出してしまった。


「何か良い事でもあったのかな?」


廉太郎の面打ちを避けながら近藤はニヤついた。


「そ、そんなことは無い!」


そう言いながら、廉太郎は小手を狙う。


「いや、隠さなくてもいい。有川君の顔を見ればよく分かる」

「クソっ!」


照れ隠しに悪態をつきながら、面を狙う。これは上手く竹刀で打ち込めた。これが成長なのか気分の問題なのか分からないまま汗を流した。




そうして部活も午前中に終わり、皆蜘蛛の子を散らすように帰っていく。日が高いと言ってもこのエリアには通り魔がいるのだ。警戒するのも無理はない。

ノロノロしている訳ではないのだが、相変わらず部室を出るのが後ろから二番目になってしまう。


「この前の時とは全然違うな」


着替え終わって、部室を出るか、という段になってから近藤に声をかけられた。最初は何のことを言っているのか、と思ったが一瞬考えを巡らせてから、数日前の事を言っているのだと合点がいくいった。


確かに近藤の言う通り、この一週間は廉太郎にとって激動の一週間だった。


月曜日の夕方に数字が見えるようになり、水曜日は痴漢を捕まえ、木曜日は通り魔の疑いのある男と出会い、金曜日は片思いしていた女子と急接近できた。たかだか5日間のしか経過していないが、廉太郎の周りは激変したのだ。


「そうかな」


しかし、廉太郎はそんな事はおくびにも出さずに平静を装い応えた。


「そうだよ。顔つきも月曜と今日とで全然違うから……」

「……」

「悩みが解消されたってところか?」

「あ、いや、それはまだ……」

「ふーん。じゃあ……」


近藤は部室の天井に視線を移して考え込むようにした。


そして、

「彼女ができたのか!」

意気込むように言った。


「!」


近藤の口から彼女なる単語が出てきて驚いてしまう。彼の言動からカタブツのような印象を受けるが、近藤とて思春期の多感な少年なのだ。そのようなことに意識が向いていても不思議じゃないが、どうしても近藤はそんな色恋沙汰に縁遠い所にいると勝手にイメージしてしまっている廉太郎がいる。


何もこれは廉太郎だけでは無い。

近藤に接する誰もがそのような印象を受けるものだ。


「そうかぁ。有川君がねぇ……」


1人でうんうんと納得するようにごちている。


「1人で納得するなよ!」

「あははは。有川君はすぐ顔に出るなぁ」

「茶化すなよ……」

「すまん、すまん。まぁ、前にも言ったが気になることがあったら言ってほしい。可能な限り力になるぞ!」

「ん?何だよ、近藤、彼女いた事あるのかよ?」


廉太郎がそう質問すると、近藤はバツの悪そうな顔をした。


「まあ、中学の時な。高校に入ってからはいない!」

「な、何ぃ!?」


廉太郎は、勝手にカタブツのイメージを描いていたからこそ、この答えにド肝を抜かれた。

人は見かけによらないとはこういうことを言うのか、そう痛感してしまう。


「何だぁ?廉太郎〜」


先に出ていったはずの長嶋がひょっこりと部室の顔を見せた。


「な、長嶋!こ、近藤が!」

「な、何だよ。キャプテンがどうしたんだよ」


近藤は不敵な笑みを浮かべている。


「近藤がさぁ、昔、彼女がいたって……」


それを聞いた長嶋の目は大きく開かれ驚きの色をたたえてる。


「な、何ぃ!?」


廉太郎と全く同じリアクションをとる長嶋。近藤は相変わらず不敵な笑みを浮かべている。


「こ、近藤は仲間だと思っていた……」


長嶋は肩をガックリと落とした。彼の言う仲間とは、所謂彼女いた事ない組のことを言っており、つまりは童貞ということだ。

廉太郎たちは、近藤の如何にもスポーツ一筋というような性格と風貌、立ち振舞いで勝手に自分達の仲間に入れていたのだ。


「2人とも面白いなぁ」


カカと笑った。


そんな近藤に別れを告げ、ひょっこりと顔を出した長嶋と学校の前の通りを歩く。


「まさか、キャプテンが……」


長嶋は出し抜けに先程のやり取りをぶり返す。


「ああ。驚きだったよな。先越されるなんて……」


二人して部室での会話を思い出して落胆する。勝手に仲間だとしておきながら、裏切れた、と怒りと悲哀がない混ぜになった感情を心の内から燃やすのはいささかルール違反なのだろうが、思春期の彼らにはそんなものは通用しない。


「後、高校卒業までに1年と半分ある。そこで何とか頑張れば……」


長嶋は皮算用を始める。


「そんな勝手な事言ってるけど、宛があるのかよ?」

「いや、ない」


長嶋はハァと溜め息をついた。陽の光は天頂にあり、さんさんと世界を照らしている。その太陽光と2人の陰鬱さはキレイなコントラストを描く。


「んなこと言ってる、廉太郎はどうなんだよ?」

「え?」


そう言われて急に愛華の顔が脳裏に浮かぶ。それと同時に廉太郎の顔もいやらしく緩んだ。それ見逃さなかった長嶋は、


「何だ?その顔。お前、何か隠してるだろ?そういや、さっき何でキャプテンとあんな話してたんだ?おい。答えろよ。ニヤニヤすんな」


長嶋は嫌に饒舌になった。彼は近藤のみならず、廉太郎にまで出し抜かれたのではないかと内心、恐怖にも似た焦りを感じていた。


「いやぁ……。そのぉ……」


廉太郎はもじもじした。廉太郎は恥ずかしがっているだけなのだが、長嶋からするとただだた勿体ぶっているだけにしか見えない。


「早く言えよ」


とうとう業を煮やし、語気を強めてしまう。それでもなお廉太郎はもじもじして、中々口を開こうとはしない。


「えっと……。えーっと……」

「……」

「ま、まだ!付き合ってるわけじゃないんだけど……」

「んん?」


付き合っているなんて単語が出たため、長嶋は目を丸くした。


「小泉とメアド交換したっていうか、何か一緒に帰ったりしたっていうか……。あ、あれ?」

「……」


長嶋はふと足を止めた。友人の静かな怒気のようなものを感じて、廉太郎も足を止める。


「ど、どうした?」


恐る恐る聞いてみる。


「れ〜ん〜た~ろ~!」

「な、なな何だよ!?」

「お前だけいい思いすんじゃねえよ」


普段温厚な長嶋の顔が般若のようになっている。


「ま、まだ!まだ、付き合ってないから!」

「言い訳無用!」

「うやぁあぁ!」


長嶋が走って追いかけてきたので廉太郎も逃げ出す。そんな調子でいつものT字路までやってきてしまった。


「はぁ……はぁ……」

「何だ?もうへばったのか?」


廉太郎は今にも死にそうな顔をしているが長嶋は涼しい顔をして、中座する廉太郎を見下ろしている。


「す、すごいな……長嶋は……」

「まぁ?どこかの誰かさんみたいに?色恋沙汰にウツツを抜かしいないのでね」


皮肉だ。


「いや、そんなこと言うなよぉ」

「フッ。まあ、今日のところは許してやる」

「ありがとうございます」

「これにこりて悪させぬようになぁ」


長嶋が時代劇のお奉行のように言ったので、廉太郎も調子に乗って


「ははぁ!」


と町民の真似をした。

そして、2人で笑い合うと、じゃあと言って別れた。




家路につく途中、堂島医院の前で掃き掃除をしている楓に出会った。


「あっ、楓姉さん」

「あら?レンちゃん?今、帰り?」


ジャージ姿の廉太郎を上から下へ眺める。


「そ、部活だった」

「へぇ。あ、どうなの?部活。レギュラー取れそう?」


楓は廉太郎から学校でのことを相談されるため、ある程度の事は把握している。


「あぁ……」


大丈夫だよ、と言おうとした瞬間に、先程の長嶋とダッシュしあったのを思い出した。長嶋は息切れ1つ起こしていなかったが、自分は、はぁはぁ言っていた。

これでは、レギュラーは難しいかもしれないと思い直し、


「うーん、どうだろ?」

とお茶を濁す回答をした。


「ふーん……。がんばりが足りないんじゃない?」

「相変わらず手厳しい」

「君はビシッと言ってくれる人がいないとダメな子だから」

「そ、そんなことないよ!」

「本当かしら?」


楓はからからと笑う。笑うと白衣が揺れる。その時、後ろから


「楓」

と男の声が聞こえた。


廉太郎はその聞き慣れない声につられ、楓の後ろの医院の玄関に視線を移すと、そこには男が立っていた。


こんな暑い天気にも関わらずちゃんとスーツの上着をきている。

そのせいで、宮崎か?と一瞬身構えそうになったが、頭上の数字が違うためそれは間違いだとすぐに分かった。


「何?」


楓は振り向いて言った。


「こっちは終わった」


眼鏡の奥の視線鋭い男が静かに言った。


「じゃあ、中で待ってて。ここが終わったら行くから」

「頼む」


そう言って、彼は踵を返して建物の中へ引っ込んで行ってしまった。


「誰?」


そう聞いてみたものの、廉太郎の頭の中であの男の風貌がぼんやりと思い出されていた。何処かであったことがある気がする。


「私の恋人」


その単語を聞いて、廉太郎は、ガン、と頭を殴られた気がした。


「だった人?」

と楓は続けたものの、廉太郎の心には大きな穴が開いた。


「そ、そうなんだ。じゃあ、元カレってこと?」

「まあ、そうね。あの人は黙って東京に行っちゃった人なのよ。だから、別れようとかって会話をしたわけではないの。自然と離れてしまっただけ」

「え?何か、変じゃない?それ。本当に付き合ってたの?」


否定してほしい一心でそう聞いてみたが、

「うん。付き合ってはいたよ」

と楓はあっけらかんと肯定した。


「楓。まだ?」


二階の窓から先程の男が顔を出した。つい今しがたは何の感情も感じなかったその顔に、今は忌々しさを感じる。自分の姉を取られたような気がしたからだ。


「あっ!もう行く!レンちゃん、私、用事があるから。もう行かないと……」

「うん。じゃあ……」


そう言って、お互いに手を上げ合って別れた。医院からの道中、廉太郎の心中にはモヤモヤとした黒い霧が立ち込めた。


楓は美人だ。よくよく考えてみれば彼氏の一人や二人いたところでおかしくはない。何を勝手に彼氏がいないと決めつけていたのか。自分の願望が彼女の像を形作っていたのだ。近藤の時と同じじゃないか。


それに自分には愛華がいるんだし、楓はただの近所のお姉さんなのだから。

等と、そんな思考を廉太郎は頭を目まぐるしく巡らせた。何度も何度も同じ様な事を、自分に言い聞かせるが如く、巡らせたのだ。




なかなかにショックだったらしく、気づいたらベットで寝そべっていた。満腹感を感じるあたり、ちゃんと昼食も食べたようだ。


「小泉さんに連絡しよ」


愛華にこの心の傷を癒やしてもらいたい身勝手な一心でコム二アスを立ち上げ、

〈こんにちは!今、話できる?〉

と入力した。


しかし、彼女から返事は来なかった。


頼みの綱の愛華もだんまりで、この心のモヤモヤをどうするかと考えてから、クリアしていなかったゲームをすることにした。その後、見事に熱中してしまい気づいた時には夜7時を回っていた。おかげで楓のことに対してのショックは少し軽減されていた。


「ただいま」


そこに父が帰ってきて、疲れた疲れた言いながらリビングへと向かったようである。一応家長を労うために一階のリビングへと顔を出しに行った。


「おかえり」

「ただいま」


父の顔は心做しか朗らかだ。1、2年前の父の顔とは明らかに違った。その時は、土曜日まで仕事は嫌だ嫌だと言って会社に行き、死んだ魚の目をして帰ってきていたのに、今の父のこの顔といったら。


仕事に行ってスッキリして帰ってくるならいいか、と廉太郎は考えた、が一つ見過ごせない事があった。


俊哉の頭上の数字が、46から50に増えている。やはり、父は会社で何か悪いことをしているのではないか?と脳裏をよぎった。会社での悪事……。しかし、高校生の廉太郎にはそれを想像するほどの知識が無かった。


ただでさえ楓のことがあったのに、追い打ちをかけるこの出来事に廉太郎の心の中のモヤモヤが父への疑念とともにどす黒く広がる。

父はこの清々しい顔の裏で何をやっているのか。


「アンタ、そろそろ呼びに行こうとしてたのよ」


道子が父の横でそう言った。


「ご飯?」

「そうよ。準備したから、皆で食べましょ」

「おっ?今日は唐揚げかぁ!」


俊哉は嬉しそうに声を上げた。廉太郎は淡々と席に座り、

「いただきます」

と言って、唐揚げに箸をつけた。




結局、愛華から返事があったのは夜9時を回っていた。


〈ごめん!遅くなっちゃった〉


ごめんねとうさぎが手を合わせているスタンプが一緒に送られてきていた。ちゃん返事があったという事が廉太郎の心を癒やす。楓の事など過ぎたことだ、と一蹴することができる。


〈いいよ。忙しかったんでしょ?〉

〈うん。今日は忙しかった!〉

〈そうなんだ。土曜日はいつも?〉

〈たまーに〉


へぁーと言っているクマのスタンプを送る。


〈カワイイスタンプ〉

〈気に入ってるんだ〉

〈そうなんだ〜。有川君は何してたの?〉


昼間に回答できなかったのを埋め合わせるかのように、愛華の返事は早い。


〈こっちは、部活だったよ〉

〈部活やってるんだ?大丈夫なの?〉


愛華は通り魔のことを心配している。


〈大丈夫だよ。そっちこそ大丈夫?〉

〈え?何で?〉


通り魔が近所にいるから、と入力しようとして手を止めた。宮崎の事や、数字の事を言ったとしても気味悪がられるだけだと考えたからだ。


〈いや、こっちはさ、事件のあった所から離れてるけど、小泉さんのところはそんなに離れてないじゃん?だから〉

〈心配してくれてるんだ!〉


ありがとう、と言いながらお辞儀する宇宙人が送られてきた。心配して当たり前だ、と廉太郎は心の中でごちた。

その後、他愛も無い会話をして、楓の事を十分に意識しなくなるまで、メッセージのやりとりは続いた。

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