第6話:木曜日のドリーム

「人を疑うなんて最低ね」

「えっ?」


愛華の顔は憤怒に燃え上がっている。眉は釣り上がり、口元は真一文字だ。


「有川君の事、好きだったのに」


先程までの表情とは打って変わって、今度は泣き笑いのような表情にサッと変わった。

彼女の背後には縦縞の入った白い柱がいくつも立っている。見たことがある……とそう思っていると頭の中に、あれはパルテノン神殿だ、という閃きが生まれる。

だが、何故パルテノン神殿なのだろうか?と訝っていると、愛華の背後から一人の男が現れた。


廉太郎はそれを見て、ギョッとした。

それは父だった。


「そうだぞ。廉太郎。人を疑うように育てた覚えはないぞ」

「と、父さん」


俊哉の顔は愛華とは違い、感情が全く読めない顔をしている。こんな父の顔は見たことがなかった。

人の表情が読めない事がこんなに恐ろしいとは、とたじろいでいると、目の前の二人は手を取り合い、見つめ合い、抱き合った。


「な、何してんの?二人共……」


廉太郎の呼びかけには全く反応しない二人はそのままキスをしようと顔を近づけ始めた。



                  ♢


「ハッ!!」


見慣れた天井。


「あ、あれ?」


全身が汗でビショビショに濡れている。そして、一瞬で悟る。


「な、なぁんだ、夢か……」


夢で良かった、と内心呟いた。父と愛華が親密になるなんて……。

恐らく二人を一緒くたにして疑い、夏の暑さも相まって、このような悪夢に結びついたのだろうと考えた。

しかも今日はことさら暑い。


廉太郎の部屋にはクーラーがついていたので、クーラーのリモコンを操作し、電源を入れる。涼しい風が、廉太郎を包み込んでくれる。シャツまで汗で濡れていたから、涼しさが倍増する。

時計をふと見ると、針が3時半頃を指していた。


「はぁー」


とため息をつく。変な時間に目が覚めると授業中に眠くなる。いくら一学期の消化試合とはいえ、二学期に向けての準備も含まれているのだから、なるべくならばちゃんと授業を受けたい。


天井をぼーっと眺めていれば眠くなるだろうと思い、ベッドに寝っ転がり天井を見ていることにした。


しかし、1度目が覚めてしまうと中々眠れなくなるもので、余計なことをアレコレと考えてしまう。さっきの夢も悪影響を及ぼす要素の1つだ。


欠伸は出るがこんな時に限って睡魔は襲ってこない。早くもう一眠りしなくては、と焦れば焦るほど眠気から遠ざかる。


数分経っても、十分経っても眠れない。こうなるともう開き直って起きていることにしたほうが賢明だ。


「ゲームしよ」


そうして、ゲーム機の電源を入れ、いつも起きる時間まで暇をつぶした。



                  ♢


「ふぁー」


欠伸を噛み殺す。授業中、欠伸をしていると教師から指摘される。欠伸をしているのをバレてはいけないのだ。


廉太郎は今日の夢のせいか、ずっと愛華の後ろ姿を眺めていた。そのせいで、度々目が合い、その都度有頂天になるのだが、すぐに夢の事が思い出されブルーになる。

何でよりによって父さんなんだ……。


そんなことを繰り返していた。



                  ♢


そして、今日一日の授業が終わり、部活動に精を出す。

今日もまた短縮だったが、無いよりマシだった。

体力づくりのための基本的な運動、素振りや足の運びなど一通りのメニューをこなし、汗を流す。


「面をつけろぉ」


近藤の一言が飛ぶと、道場の壁際においておいた面を各々取り上げつけ始める。夏の暑さと湿気具合で面は芳ばしい臭いを放っているが、我慢してつける。

珍妙な事に皆の面の上に数字が出ている。この様相に廉太郎は吹き出しそうになったが、これも我慢した。

この主将の一言は定例化しており、掛かり稽古を意味する。


「今日は時間が無いから、皆真剣にやってくれ!」


近藤から各部員たちに檄が飛ぶ。

かかり稽古は竹刀を受ける元立ちと竹刀を振るう掛かり手が二人一組になり、掛かり手が元立ちに短時間の間に激しく竹刀を打ち込む練習である。


元立ちも隙を見せて打ちやすくしてはいるが、時折いなしたりして邪魔をする。ただただ打たせればいいというわけでもない。


そして、掛かり手側は1度打てばそれでいいわけではなく、廉太郎の高校では15秒内に最低1本は元立ちに打ち込むというルールがあった。

それを相手や立場を変えながら15分間続けるという地獄のような稽古である。誰一人不平不満は漏らさないが顔にはっきりうんざり、と書いてある。


「おい。廉太郎、一緒にやろうぜ」


声をかけてきたのは長嶋だった。廉太郎は長嶋と掛かり稽古をするのが一番嫌いだった。


何故なら、長嶋と廉太郎は実力が拮抗しているし、何よりレギュラーの座を嫌でも意識してしまう。練習相手としてはこれ程適切な相手はいないが、体力的にはこれ程不適切な相手はいなかった。


「ああ。いいぜ」


だが、今日は違った。部活が短縮なのだから、この掛かり稽古が終れば今日の部活は終わりだ。だから、近藤は真剣にやれと部員へ伝えたのだ。その言葉の通り、廉太郎は全力を出すつもりでいた。


「じゃあ、俺が打つ方をやるよ」

「体力があるうちにやっとこうってか?」


廉太郎の思惑は見抜かれてしまう。


「そういうこと」


なのであっさりと肯定する。小手のはまり具合を確認し、お互いに距離を取った。竹刀の先を相手に向ける。

長嶋と目が合う。その目は早く打ってこいよ、という挑発的な意味合いを感じ取れる視線だった。その視線に触発されてか、廉太郎は地面を蹴って元立ちへと向かう。


「エァエイィィ!」


声にならぬ叫びをあげて、元立ちの頭上に市内を振り下ろす。そして、そのまま背後まで抜けて、くるりと踵を返す。元立ちも打たれれば踵を返して、掛かり手と向かい合う。廉太郎は長嶋がこちらを向いたのを確認すると、すぐさま突進し、面を狙うもこれは竹刀でいなされてしまい、不発になる。

しかし、そこから再度一歩踏み出し、小手を狙う。

それはパァン、といい音がした。


「廉太郎!もっと打ってこいよ!」


挑発。基礎運動や素振りなどの疲労で精彩を欠く動きが見えているのだろう、長嶋は廉太郎に活を入れる。


「ァァァアイ!」


そんな叱咤が効いたのかは分からないが声を上げながら、廉太郎は長嶋の面を打った。



                  ♢


全体の練習時間が短かったため、掛かり稽古の時間も短縮されたのだが、何だかいつもよりもずっと疲れた。


「廉太郎、今日はいつもより動けてたじゃん?」


着替えている途中で長嶋が上から目線で言ってきた。長嶋なりの褒め方なのだろう。


「近藤が言ってただろ?今日は短いから真剣にやれって。いつもあんなペースでやってたら、部活やり通せないよ」


廉太郎は泣き言を言った。


「ハハッ。そりゃ体力が足りないから」


長嶋は皮肉を言う。


「そんなぁ」


長嶋の言っていることは正しいのかもしれない、と廉太郎は心の片隅で思った。この体力の差が、いまいちレギュラー入りできない廉太郎と、レギュラー入りしている長嶋の違いだ。顧問もそれを見抜いている。



                  ♢


道着からから着替えて、各々学校を出る。

いつものT字路でいつもの様に二言三言、長嶋と会話して廉太郎は別れた。まだまだ陽が高い所にあるから、空はオレンジ色をしていた。


流石に通り魔騒動があるからか小学生が帰っているということはないようだ。

あのサラリーマンと会った時と同じような時間。


「丁度いい。今日はつけてみるか」


部活の疲れなどすっかり忘れて、意気込む。駅前の繁華街を通り抜け、先日、あの男が去っていった方向へと向かった。


「いないかな……?」


キョロキョロの不審者の如く辺りを見回しながら進んでいくと、前方の方で例の男が歩いていたのが見えた。


「あ、いた」


サラリーマンは後ろを振り返る様子もないので隠れたりせず、付かず離れずのスピードで堂々とついていく。


「結構歩くな……」


見知らぬ住宅街を通り抜けると、次に人気の無い住宅街に差し掛かった。キョロキョロと挙動不審に家々を見ながら進む。


「うわぁ、何か暗い感じだな」


まだ、空には夕日がある時間なのだが、この一帯はやけに暗い感じがする。この住宅街は古びた家屋が多いことや、周りに背の高い木々が生い茂っているのも要因かもしれないが、一番の要因は一つ一つの家に生気、つまり人の気配を感じないことだろう。


「そこらへんのお化け屋敷よりこえーよ」


実際いくつかの家は肝試しに使われているんじゃないだろうか。前方を歩く男は慣れているのかスタスタとスピードも変えずに歩いていき、オンボロのアパートへと続く門扉を開けて、中に入っていった。


電柱の影に隠れていた廉太郎は何かの冗談かと思った。尾行しているのがバレて、巻くためにこのアパートに入っていったのかと思った。が、しばらくそのままでアパートを凝視していると、二階の一部屋の灯りがパッとついた。


「ここに住んでいるのか……?」


電柱から出てきて、アパートの敷地の入り口に立っていたいつ崩れてもおかしくない程に朽ちた柱を見た。

そこには、『猿猴荘』と書いてあった。


「えんこうそうでいいのかな?」


自分に語りかけるように呟いた。そして、灯りが付いた部屋を見上げて、この建物を、この風景を頭の中に刷り込む。男がやったように門扉を開けると、キィっと物悲しくもよく響く音を鳴った。この音を聞いて、男が部屋から出てくるんじゃないかと廉太郎は内心焦ったものの、周りシンとしたまま、いかなる動物の声も環境音も聞こえない。


ホッと胸をなでおろし、開いた門を通り抜け、一階にある真っ赤な集合ポストに目を向けた。何かが開いたような音は聞こえなかったので男はこのポストを開けなかった、と考えられる。


ポストは上下二段に備え付けられており、おそらくだが、ポストの位置と部屋の位置はリンクしていると考えられた。左から右へ視線を移動させる。上側のポストには一つだけ名前のプレートが挟まっていた。


「宮崎……」


その宮崎のポストの位置を覚えておき、アパートから離れる。そして、灯りがついたのは2階のどの部屋かを指さしながら確認した。


「あの人、宮崎っていうのか」


灯りがついた部屋と、ポストの位置が合致した。

廉太郎はあの人物は宮崎という名前なのだと確証を強めた。そんなことをしていると周りが薄暗くなってきたので、家へ帰ることにした。今日の戦果は素晴らしい、と内心誰にでもなく勝ち誇った。



                  ♢


今日一日の事をやり終え、スマホを持ったまま自室のベッドに寝っ転がる。

ふと、あのアパートの名前が気になったので、ブラウザを立ち上げて検索サイトに『えんこうそう』と入力する。


一秒経たないうちに検索結果を返してくれた。

結果の一番上に『もしかして……猿猴草』と書いてある。


「猿猴草?草の名前?」


検索結果のトップの、お花図鑑なるサイト名をクリックすると小さな黄色い花の写真が表示された。


この花からあのアパートの名前を取ったのだろうか?だとしたら、あのオンボロアパートとこの黄色い花とはイメージがかけ離れすぎている。

あのアパートの持ち主はどういう思いでこんな名前をつけたのだろうか?


そのままサイトを読み進めていくと、この花はひまわりやチューリップのように直立で空へ伸びるタイプではなく、地を這って広がりそこで花を咲かせるタイプのようだ。


更にサイトを下にスクロールしていくと花言葉なるものがあった。


「花言葉……か」


猿猴草の花言葉は『すべてをこの手に』だった。


「何だか貪欲だなぁ、あのアパートの持ち主の決意を名前にしたのか?」


率直な意見を再確認するが如くごちた。声に出すと何かが分かるような気がしたからだ。


自然と欠伸が出る。それもそうだ、本気の掛かり稽古の後に、サラリーマンを追いかけて未知の場所へと踏み込んだのだ。身体はもちろん、精神的にも疲れた。

スマホを枕の横に置き、電気を消して目を瞑るとそのまままどろみの中へ誘われていった。

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