第3話:考察する火曜日の午後
ポタリとノートに汗が垂れた。
窓は開き、カーテンが風になびいているが、それにしても暑い。一陣の風が教室全体に行き渡るわけもなく、窓の近くが涼しいだけ。
廉太郎の席もご多分に漏れず夏の気温にやられている。暑さのせいで数学の数式もろくに頭に入ってこない。
そもそも……。
生徒の頭上の数字が邪魔で、黒板がよく見えないというのも頭に入ってこない一因になっている。黒板の数字が白のチョークで、頭上の数字も白地であるしで、気を抜くとどちらが教師が書いたものなのかが分からなくなる。
廉太郎の席は一番後ろというわけではないが、それでも前方の生徒の頭上に数字が乗っているというのは壮観である。
そして、ちらりと右斜め前に視線を移す。
廉太郎が思いを寄せている小泉愛華の席がそこにはある。彼女の数字は26。クラスの中でもトップクラスの数字である。
我がクラスの最大数字は29。その数字の持ち主は、素行の悪いと評判の男子生徒の浅見だった。
愛華がトップの数字であれば、顔の美醜、ということも考えられたが、このクラスでトップなのは浅見なのだ。浅見は別に醜くも、そして、俗にいうイケメンという部類でもない。
それに、愛華も廉太郎が好みというだけで万人受けする顔ではない。アイドルグループのセンターの子がその中でイチバンかわいい、というわけではないのに似ている。
もくもくと皆が板書しているなか、そんな事を延々と考えていた。
廉太郎はろくに板書をせず、気になることをノートに書き連ねた。
x=……とまで書いたノートの端に、年齢?と書いた。
いや、年齢は無い。自分たちは皆17歳だ。留年している者もいない。それに目の前で授業をしている数学担当教師の袴田の数字は34。彼の年齢は確かもっと上だった筈だ。40代だと聞いたことがある。
年齢?と書いた部分に大きく×を書いた。
次いで、顔……?
顔は先ほどの考察した通り、浅見が一番数値が大きいというところからありえないから、顔にも×をする。
ならば、頭の良さ……。知能指数は100が標準だというからそれとは別の指標だというのはどうだろうか。この前の中間テストで一番いい成績だった高南が12だった。その次に成績の良かった井出が14だったし、自分はというと良くもなく、悪くもなくといったところで、そんな自分が13であるところを考えると頭の良さでもない、と頭の良さ?と書いた字の上に×、と書いた。
全然答えが見えない……。袋小路に入り込んだ気分だ。
列挙しようと思えばいくらでも列挙できる。
そして、考察を重ねてもどれも的を射ない。
親戚の数……?スポーツで点数を入れた数……?周りからの好感度……?
どれもが当てはまらないような気がする。
そうやって、シャープペンシルの頭をこめかみに当ててツンツンとしていると、授業の終わりを告げるチャイムがなった。
「じゃあ、終わりだぁ」
青ひげの濃い顔をした袴田が終わりを告げて、日直が号令をかけ、一同でありがとうございました、と告げる。
袴田はいつもの事だと意にも介さず、感情を忘れたような顔をして教室を出ていった。
それを合図に教室の緊張感が一気に溶け、わっと活気に溢れた。廉太郎がのろのろと教科書、ノートを片付けていると生野が寄ってきた。
「熱心に見てましたなぁ」
「何を?」
とぼけては見たが生野が言いたいことは廉太郎にもハッキリと分かった。
「またまた、とぼけちゃってぇ」
「次、移動教室だぞ」
「え?次なんだっけ?」
「人のこと茶化している場合か。次は科学だ」
「科学かぁ。苦手なんだよな」
クラスメイト達は次の授業に出るため、必要な物を持ってぞろぞろと教室から出ていった。
「おい、お前らも行こうぜ」
長嶋が行きがけに声をかけてきた。
「あ、ちょっと待ってくれよ」
教科書をゴソゴソと取り出して、長嶋の後ろにつく。
「おい、生野ー。早く行こうぜぇ」
生野は慌てて引き出しから教科書やらを取り出して廉太郎達に合流し、科学室を目指した。
♢
それから特段変わった事なく授業を終え、昼休みになった。廉太郎は弁当組ではなく、学食組だった。道子が専業主婦でありながら、弁当は一切作ってくれないからだ。昔弁当の事で俊哉と喧嘩をして以来、一切作らないと心に決めたのだとかつて言っていた。
「廉太郎行こうぜ」
悪友二人も学食組だった。昼休みになるといつもこの三人で食堂へと向かう。食堂につくと入口付近にある食券販売機には長蛇の列が出来ている。これもいつもの風景だ。内心、貴重な昼休みがと思ってはいるものの、食券を買わなければ昼食にありつけないのだから仕方がない。3人で下らない話をしながら、自分の順番が来るのを待つ。
やがて、前の生徒が食券を買ったことで廉太郎の番が回ってきた。500円玉を突っ込み、A定食と食堂のおばちゃんが作ったのだろうかシールが貼ってあるボタンを押す。ピピーという機械音と共に食券が機械から吐き出され、お釣りがカコンカコン鳴らしながらおつり入れに落ちてきた。
この学食では、そば、うどん等の麺類や廉太郎が買ったA定食、A定食があるということはB定食、C定食もあるということだ。定食類は全て470円で、日によって変わる。メニューはいつも食券販売機の横にサンプルがディスプレイされており、それを目安にどの定食にするかを生徒達は決めている。
今日のA定食は廉太郎の好きなメンチカツ定食だ。
配膳トレイを取り、おばちゃん達の前に並ぶ。
「はい、次」
そう言われたら食券を渡して、前へ前へと進んでいく。そうすると食券を渡したおばちゃんとは別のおばちゃんがA定食を渡してくれるのだ。渡されたメンチカツには何もかかっていないから、付近に置いてあるソースをかける。
そして、最後に空のコップとプラスチックの箸を取り、食堂内に席が空いてないかを探す。それが日々繰り返される。
「あそこでいいや」
独りごちてから、狙い定めた席へと歩を進める。廉太郎が一人座っておくと、その周りには誰も座らない。決して彼が嫌われているわけではなく、周りの生徒たちも友達と一緒に食したいのだ。一人異物がいるとそれが崩れてしまう。
生徒達は、誰に言われるでもなく勝手にルールを作り、遵守しているのだ。
席についても、定食には手を付けず生野と長嶋が来るのを待った。二人共真後ろに居たから、時間はかからないだろうと判断した為だ。
「席取り、ありがとう」
棒読みのお礼を長嶋からもらう。
「あれ?生野は?」
「あいつ、麺類だから……」
長嶋は顎で後方をシャクった。麺類は食券をもらってから茹でるため、少々時間がかかる。
「あ、水、汲んできていいか?」
長嶋は空のコップを持って廉太郎へ質問した。いいよ、と二つ返事で長嶋を送り出した。その間に湯気がもうもうと湧き立つラーメンどんぶりを抱えて生野がやって来た。
「ごめん、ごめん。ラーメン、時間かかっちゃってさぁ」
「ああ。今、長嶋が水、汲みに行った」
「先、食べちゃおうぜ」
一番最後に来ておいて言うことがそれか。
「まあ、待てよ。折角俺も待ってたんだ。長嶋が戻ってくるまで待とうぜ」
「お前さぁ。俺がラーメン頼んだの知ってて言ってんの?」
「頼むお前が悪いだろう?」
こちらの静止を振り切って生野はラーメンを食べ始めた。薄情なヤツだ。
「何だよ、生野!先に食ってんじゃん!?」
「こっちはラーメンだからな。早く食べないと伸びちゃう」
ラーメンが伸びるからという理由で先に食べていいという免罪符にはならない。そんな時間が経つと味が落ちるような物を頼んだの自分が悪いのだが。
「じゃあ、廉太郎食べようぜ」
「ああ」
廉太郎と長嶋は二人揃っていただきます、といい箸をつけ始めた。やはり、ここのメンチカツは格別だと思う。母はメンチカツなんて作ってくれないから母親の料理と比べられないが、卒業してもまた食べに来たいと思える味だ。メンチカツと白米を交互に食べる。付け合せのキャベツの千切りを時折口に放り込み咀嚼をする。
「そういや、聞いたか?」
生野が小声で言ってきた。こいつがヒソヒソ話するのは珍しい。
「何だよ?」
こちらもそれにつられて自然と小声になる。
「この学校の近所、通り魔が出たんだって?」
何故、電車通学の生野が知っているのか。同じ電車通学の廉太郎は何も知らないのに。
「え?初耳。こえーこと言うなよ」
「フフッ、こえーの?」
生野が茶化す。
「そりゃ、こえーだろ。通り魔って、無差別なんだろ?当たり前だけど」
「まぁ、無差別じゃなかったら通り魔って言わないんじゃない?」
B定食のハンバーグを頬張りながら長嶋が言った。
「有川。お前も気をつけろよ」
「あ、ああ。いや、お前もだろう」
「長嶋、お前もな」
「無視すんな」
「そうだな。でも、うちは学校から結構離れてるからなぁ」
「だからって安心すんなよ。犯人のフットワークがどれだけ軽いか分からないんだぜ?」
「そりゃ、そうだな……」
不安げな視線を長嶋は二人に投げかける。
「でも、そんな事ニュースとかで行ってなかったけど?」
廉太郎は最もな意見を生野へぶつける。ネタ元は何処なのか?
「あー。さっき廊下歩いてたら聞こえてきただけなんだなコレが」
「何だよ。ただの噂話かよ。だからお前、そんなにヨユーなんだな」
怖がって損した。
「ははは。そういうことー」
生野は歌うように言って誤魔化した。
「なぁんだ」
その後は他愛のない、テレビの話やオンラインゲームの話などで花が咲いた。
しかし、廉太郎がふと周りに目を向けると一際、大きな数字を持つ人物が歩いているのに気が付いた。食堂にいるということは、ここで昼食を摂ったのだろうが、全く気が付かなかった。
数人の集団の中心にいるその人は43。父とそう変わらない。盛り上がる生野、長嶋をよそにその人物の観察に注力した。
歩き方、肩で風を切って歩くような歩き方で、ヤクザを彷彿とさせる。生野がよく言うような、「イキった」ような感じだ。
次に容姿、頭にはワックスをつけているのだろう、毛が逆だっている。目つきも細長の吊り目でなんだか悪そうな顔をしているが、鼻が高く、口元も悪くはない。俗に言う雰囲気イケメンといえばいいのだろうか。
そんな彼が43の数字をマークしているとは……。
「なあ、あの人知ってる?」
盛り上がる二人の間に無理やり入り込んだ?
「えっ?誰?」
廉太郎は生野の後ろを指さしていたので、生野は後ろを振り返った。
「あー……」
彼をひと目見た生野は一人納得している。
「何だよ?一人で納得すんな」
そんな友人を見て、憤慨してしまう。知っているなら早く答えを言ってほしいのだ。
「あの人は、三島先輩だよ」
「ああー、あの……」
あの?有名なのだろうか。素直にそうぶつけてみる。
「有名なの?」
「そりゃ、名前ぐらいは俺だって知ってるぐらいだから」
長嶋も決して学校事情に明るいわけではないが、そんな長嶋ですら知っているということは有名なのだろう。
「何で有名なの?」
はぁ、とため息をついてから小声で、生野は話し始めた。
「あの先輩、そうとう悪いらしくてさ、すぐに喧嘩するとか、万引きするとかさ、ひどいやつだと女の子を無理やり……」
そうか、悪い方に有名なのか。
「うち、一応進学校じゃん?よく先輩入れたな」
そうツッコんだのは長嶋だった。
「そうなんだよな。地頭はいいんじゃない?ここでの成績は散々みたいだけど」
生野が言うにはいつも赤点ギリギリのラインだ、という事らしい。
「それにさ、少し前にうちの生徒が警察沙汰になったって話し聞いたことないか?」
疎い廉太郎でもその話は聞いたことがある。
「あ、ああ。聞いたことあるよ」
廉太郎も長嶋も首肯する。
「あれ、先輩だって噂だぜ?」
警察。
その2文字が廉太郎の肩に乗った。
ならば。
ならば、あの数字は……。
今までいい方に考えていた。
もしかすると、あの数字は悪いものなのだろうか?
ならば、我が家の父は?
いつも仕事を頑張り、自分の事をこの進学校へと入れてくれたあの父は?
これだけ悪評の高い三島よりも多いのだ。
もし、もし、自分の考えが合っていたなら、父は外で何をしているのだろうか?
頭の中をそんな考えがグルグルめぐる。
その事に気を取られていた為に、午後の授業は全く身が入らなかった。
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