第2話:実情を知る火曜日の午前

翌日、清々しい朝の日と雀の騒がしさと蝉の号泣の合せ技に起こされ目を覚ました。もう少し寝ていたかったが、これらの騒がしさには勝てなかった。

寝ぼけ眼で階段を下り、洗面台へと向かう。


朝起きたら洗面台へ直行するのが廉太郎のモーニングルーティーンの一つだ。洗面台の前に立ち、水を出して荒々しく顔を洗う。それを数回繰り返して、鏡を見る。


「変わってない」


数字の数も変わっていないが、数字自体も消えたりしておらず、変化がなかった。相変わらず、自身の頭上には13と書いてある。


「これは余命とかじゃないんだ」


この数字が、余命であるならば寝て起きたら1減っていなければおかしい。

余命宣告では無い、と思うと少し心が軽くなった。


自分は死ぬにはまだまだ若い。女の子とも付き合ってないし、やりたいゲームもあるし、部活だって続けていたい。

それらを楽しんでもいいんだよ、と言われたような気がした。その心持ちのまま歯を磨くことにした。


シャカシャカと歯磨きの音を鳴らしながら、

余命でなければ、じゃあ何なんだ?と新たな疑問が提示された。

この数字はいったい自分に何を伝えようとしているのだろうか?


今のところ、部活から帰って、全ての人に見えている。コウちゃん、実際にはコウちゃんのお母さんのも見えていたし、道子、俊哉、自分。全ての人間に数字が見えている。


ならば、学校へ行けば彼、彼女らの数字が見えるということか?

行けば分かる。


すぐに行ってみたいと思うが、いつもの習慣を崩したくないとも思う。気持ちをはやらせてもこの現象は逃げはしないと判断していつも通りに過ごすことにした。


歯を磨き終わり、ようやくリビングに姿を見せる。俊哉は、既に会社に行っており姿は見えなかった。道子は廉太郎の姿を認めると、台所に作り置いておいた目玉焼きとベーコンを焼いたもの、あとレタスやきゅうりを皿に添えたもの、そして、海苔とご飯とを一緒にテーブルに並べた。


テレビにはいつものニュース番組。いつものキャスター、いつもの画面のレイアウト。


そこに廉太郎は目を見張った。テレビの人々には数字が見えないのだ。


「あれ?」

「どうしたのよ?早く食べなきゃ、学校遅れるわよ」


母親らしい事を言っている。昨日と同じ数字を頭に乗っけたままの道子は、専業主婦だ。ダラダラしていると何時までも小言を言われかねない。


しかし、と廉太郎は考えた。

ルールが一つ分かった。テレビに映る人の数字は見えない。

肉眼ではないからだろうか?

カメラを通すと見ることができない?それならそれと同じ理屈で写真もダメだ。現像したものであれ、データであれ一度カメラを通っている。

このあたりは徐々に理解していくとしよう。


一日寝たからだろうか、不思議とこの奇妙な現象と正面から向き合おうという気持ちになる。

昨日まではあんなに恐ろしかったのに。


道子の言うとおり、朝食を食べなくては学校へ遅れてしまう。白米を海苔で巻いて食べる。ベーコンはベーコンだけで。廉太郎は口の中で味が混ざるのを嫌い、よく言われる三角食べなる食べ方をしなかった。


道子は、口酸っぱく三角食べをするように言ってきたが一向に改善されないため今は言うのをやめた。


全て食べ終え、自分の部屋へと向かい制服に着替える。半袖シャツ、夏服の生地の薄いズボンを穿く。バックの中を確認する。教科書の類は一切入っていない。全て、学校に置いてきているためだ。


軽いバックを手に取り、再び洗面台へ向かう。家を出る前に軽く歯磨きをして、身だしなみを整える。ワックスなどのものはつけず飽くまでも自然体。

母に行ってきます、と言うためにリビングへと立ち寄る。


「準備できたかい?忘れ物はないかい?」


いつまで経っても廉太郎を子供扱いする。


「無いよ」


母の気遣いが鬱陶しくぶっきらぼうに答えてしまう。小学生扱いするのが悪い。もう自分は高校生だ。何でも自分でできる。


そんな悪態を心の中でつきながら、ふとテレビに目をやると先程のニュースが今日の占いを放送していた。


最初に11位から発表して、最期に勿体つけたように最下位と1位を発表するスタイルだ。廉太郎が目を向けた時には、丁度最下位を発表するシーンだった。

くだらないと内心思っても、意識はそちらに向いてしまう。


「最下位はうお座のあなたです!」

「!」


うお座。まさに廉太郎の星座である。幸先の悪い一日を予感しながら、母に行ってきますと言って家を出た。



                  ♢


廉太郎の学校は家から電車を使って40分程かかる距離にある。その通学途中でクラスメートに会うこともしばしば。


玄関を出て長いアプローチを通り、門から通りへと出て空を見上げる。空は気持ちのいい青色だが、やはり蝉が五月蝿い。しかし、空は気持ちよくとも気温はそうも言ってられない。温暖化の影響で朝といえども気温は馬鹿に高い。数分歩くだけでも汗が額から顎にかけて流れ落ちる。


空が気持ちいいということは太陽も気持よく人類を照らしているということだ。つまり、太陽からの放熱が厳しいということ。


住宅街の通りを一歩踏み出した瞬間、3軒隣の家の扉が開いたのが見えた。あれは、岩崎のおじさんだ。

岩崎のおじさんは、家の中に手を振るとこちらには気付かず、行ってしまった。


「おじさんは、21か……」


おじさんの背後をじっと見る。ご多分に漏れず、あの人の頭上にも数字は出ていた。うちの両親よりも少ない。父と比べるとその半分だ。

岩崎のおじさんの方が年齢的には少し若かった気もするが、それにしたってダブルスコアは無い。


おじさんは速歩きで廉太郎の前を歩いていく。あっという間におじさんは見えなくなった。


一人きりで、いつもの道を歩く。前後左右には人が一人もいない。そのまま住宅街を抜け、駅周辺の喧騒に突入する。流石にここまで来ると、人の流れは多い。

道行く人々の頭上には様々な数字が、現れている。


こんな暑苦しい日にスーツを着ている中年の男とすれ違ったが、その人物は68もの数値があった。

ヤクザのような風貌の男だったが、この68が現在の最高の数値だ。


そのまま道行く人々の頭上を盗み見ながら駅の改札へとはいる。カード型の定期券で、改札機に触れることなくホームへと入っていく。そうして、いつものホームにたどり着いて、いつもの乗口へと向かう。毎日同じ位置にいる人もいれば、新参者もいる。


いつもいるサラリーマンの男の後ろへと位置する。この人は38だ。父とそう変わらない。岩崎のおじさんが異常なだけで、サラリーマンは皆このぐらいの数値なのだろうか?そんなことを思案していると、いつもの電車がホームへと入ってきた。

機械音を立て、ドアが開く。廉太郎の住む街は基本はベッドタウンだから、朝、この駅に降りる人は少ない。


数人降りるのを見届けてから、前のサラリーマンに続くように電車に乗る。

サラリーマンはそのまま座席の前部分まで潜り込んでいく。廉太郎はそんなに長く電車には乗らないので入口付近を陣取る。


「あんな、狭っ苦しいところによく自分から進んで入っていくなぁ」


何て一人感心していた。座席の前の部分は結構混んでいる。それに引き換え、廉太郎が好んで陣取っている、この入口付近は穏やかなものだ。いつか、何故あんな所にいたいのだろうか?と考えてみたものだが、その時は座れるチャンスにかけている、という事で自身の中で決着した。


電車の中ではいつもスマホをイジっている。ゲームの攻略サイトを見たり、下らないネタサイトを見たり、気になる芸能人の情報を集め、暇をつぶしている。


「あっ……」


一つ頭の中を閃いた事がある。この数字の事で同じように悩んでいる人がいないか、ネットで調べてみればいいのだ。電車の壁に寄りかかって、早速ポケットからスマホを取り出して、検索サイトに『頭の上 数字』と入れて検索してみる。

一応検索結果は表示されたものの、そのどれもが廉太郎の症状とは合致しなかった。


「これ……何なんだろ、マジで」


頭を垂れるも、何も解決しない。自分でやらなくてはきっと答えなど出てこないそう思った。



                  ♢


電車が、学校の最寄り駅に着いたので、電車から降りて、改札を抜けて、駅から出ようとした時、後ろから声をかけられる。


「オッス!有川!」


ここで声をかけられるのは最早、モーニングルーティーンの一つだ。


「よう、生野」


生野は廉太郎と同級であり、仲良くしているメンバーの一人だ。生野も電車で通学している。

廉太郎とは逆方向から通学している筈で、時刻もまるっきり違う筈なのにここで必ず声をかけられる。

ここで声をかけられなかった場合は、生野は休みということが一発でわかる。


「なんだ?そんな人の頭ばっかジロジロ見て。カツラの人を探してんのか?」


やぶから棒な発言にそれはお前だろうといいかけてやめた。


「そういう趣味もいいけどよ。もっとさぁ、女だろ!」


朝からお盛んなことで。生野は廉太郎と肩を組む。暑苦しいからやめろと言っても聞かない。


「ほら、小泉とかさぁ。お前、好きだろ?そっちの方ジロジロ見たほうがいいんじゃないか?」

「小泉はそんなんじゃない」


小泉の名前が出て、廉太郎はドキリとした。小泉は、名を小泉愛華といい、廉太郎が、想いを寄せている女学生だ。同じクラスで気がつくといつも彼女を目で追っている。そんな所作のせいで廉太郎に親しい友人達は、彼が彼女に恋慕していることを承知している。


バレていないと思っているのは本人ばかりなり。


「まぁ、まぁ、夏服も薄着で、下着が透けるからなぁ」


生野の鼻の下が伸びに伸びる。廉太郎は愛華が汚されたと憤慨し、生野の肩を殴った。彼女は清廉潔白なのだと廉太郎の中では決まりがある。


「いって!冗談だよ!冗談!」

「冗談でもそんなことを言うな」

「おー、怖っ!」


生野の言い方は微塵も廉太郎を恐れてはいなかった。そんなくだらないやり取りのせいで友人の数字を見るのを忘れていた。話をしながら、生野の頭上をやはり盗み見た。


「13……」


同じだった。

同学年者は同じ数字なのだろうか?

横でまくし立てる生野をよそに逡巡する。


「おい!聞いてるのか!」


しかし、それも悪友に止められてしまう。まあ、いいかと、どうせ学校へ行けば全て分かるのだから、と家での時と同じことを考え、今はこの悪友との登校を楽しむことにした。



                  ♢


学校が近づけば、自然と登校する学生が増える。

当たり前のことだ。


一学年下の後輩達、1つ上の先輩達、みな一様に頭に数字を乗せている。

違うのはその内容。皆多種多様なのだ。一桁だったり、20を越えていたりとバラバラ。


これでは何の数字か判断がつかない。性別や年齢は全く関係ない個々の数字。

学校へ行けば何かが分かるかもという一縷の望みは登校早々に打ち砕かれそうになっている。


「教室まで行けばもっと何か分かるか?」

「あん?なに言ってんだ?」

「いやこちらの話。で?何の話だっけ?」

「それがさぁ〜」


自分から振っておいて、廉太郎の耳には生野の声は入らなかった。

そして、学校。見慣れた我が校舎だが、その校舎に数字をつけた学生たちが大勢吸い込まれていくのは異様としか言いようがない。生野の前であるために、平静を装う。


しかし、これもいつまでもつか。

下駄箱に靴を入れて、上靴に履き替える。行き交う学生たちの頭上を盗み見ながら教室を目指す。

校舎二階の端の教室、2の6。これが廉太郎の教室である。

教室に着くなり、自分の机に着席する。着席するなり悪友の一人、長嶋がやってきた。


長嶋の数字は11だ。自分よりも少ない。


「おい。廉太郎」

「え?何?」

「昨日のあのテレビ見た?」

「いや、昨日はテレビ見てない。ゲームしてた」

「この前出たやつ?」

「そう」


廉太郎は首肯した。


「お前、金持ってんなぁ。バイトでもしてんのか?」


バイトは禁止されている。


「ちげーよ。お年玉、取ってんだよ」

「かー!物持ちがいいなぁー。俺なんかお年玉、2月入る頃には使っちまったよ」


羨ましそうに廉太郎を見る。お年玉を残さなかったのは自分だろうに何故に羨望の眼差しをよこすのか。


「とっときゃいいじゃん」

「正論を言うなよ」

「オッス。長嶋!」

「おおー!生野ー」


長嶋と生野はがっちり握手をする。毎朝この儀式をやっている。


「生野は見たかぁ?昨日のテレビぃ」

「おおー……」


二人で盛り上がっているのを他所に、廉太郎は別の所に意識を向けた。廉太郎の愛しの彼女がそろそろ教室へ来る時間だ。視線を教室前方の引き戸へと向けて、じっと待つ。やがて、廊下が女子の声で盛り上がる。


「愛華ー、おはよー」

「うん、おはよー」

「あいかー」


騒々しさが教室に近づくに連れて、廉太郎の鼓動は早くなる。彼女の事で胸が一杯になる。落ち着け、落ち着けと心の中で念じても心臓の高鳴りは止まらない。

引き戸の枠からスカート端が見え、続いて小ぶりな胸が現れ、最後に彼女の顔が現れた。


そして、バッチリと目があってしまった。

恥ずかしさのあまりに顔面の温度が上がり、表情が無意識に強張るのを感じた。そんな廉太郎を見て、愛華は微笑んだ。


それが天にも登りそう気にさせてくれた。何だったら死んでもいいとさえ思えた。


「おうおう、愛しの小泉さんじゃないですかぁ」


先程まで二人で和気あいあいとしていた長嶋が、廉太郎を小突きながら茶化してくる。ちゃんと愛華には聞こえないトーンで。


「ば、ばか。そんなんじゃ、ない……よ」

「お、おははは」


その様を見て、生野も長嶋も笑いだした。


「いやぁ、純愛だねぇ。ねぇ?チョウさん」

「そうだねぇ、ショウさん」


二人が馬鹿な老人を演じ始めた所で担任の教師が教室へ入ってきた。


「おーい、朝のホームルーム、始めるぞぉ。席につけぇ、特に生野と長嶋ー」


廉太郎達の担任は瀬野島という男だ。スーツを着ており、きっちりしてそうな風貌をしているものの、そのイメージとはそぐわない喋り方をする。生徒の中では我が強い教師として有名だ。


瀬野島の一声で、長嶋と生野の茶化しが終わり、二人はすごすごと自分達の席へと着いた。


「よぉーし、それじゃあ、出席取るぞぉ」


瀬野島がひとりひとりの名前を読んでいき、それに生徒が応じる。朝のホームルームが始まっても、先程の笑顔の衝撃が消えなかった。

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