第五章 後悔ばかり多かりき ~第三節~
☆
「……まずは火を消すので手一杯かねえ」
この石城を守る兵士たちの給金は、今は
「……にしても、こっちの用心棒がごそっと留守にしてるところを狙ってきたってのは、どうにも胡散臭いね」
劉大人の動きに合わせて襲撃してきたのだとすれば、内通者がいる可能性を考えなければならない。
「……おや」
街の北門のほうから、人馬の集団がこの屋敷を目指してやってくるのが見える。あちこちで上がっている火の手はおそらく陽動で、あれが本隊と見るべきだった。
「だいたい四、五〇ってところか……」
「そのくらいなら、どうにか用心棒たちに屋敷を守らせておいて、わたしが斬り込んでいけば――」
「げっ、月瑛どの!」
「何だい?」
閉月楼から下りてきた月瑛のところへ、あたふたと劉大人がやってきた。
「ま、街で暴れ回っている賊どもの仲間が、この屋敷へ向かっていると――」
「ああ、さっき上から見えたよ」
「何を呑気な……!」
「この屋敷の塀はちょっとやそっとじゃ越えられないくらいに高いし、門だってとびきり頑丈に作ってあるんだろ? それもこれもこういう事態に備えてのことだったんじゃないのかい?」
「そ、それはそうですが……まさか、
「何だい? 昔のお仲間が裏切るとは思わなかったって?」
「!?」
月瑛の指摘に、大人はぎょっとしたように硬直した。
「な、なっ……」
「いまさら隠す必要はないさ。知ってるんだよ、あんたも賊上がりだってことはね」
すべてを見通していたといいたげなことをいっているが、実際、月瑛が大人の過去を知ったのは、大人のもとを
だらだらと脂汗を流す大人をうながし、月瑛は屋敷の北側に向かった。
「いまさらあんたの過去をどうこういうつもりはないよ。わたしには関係ない話だからね。――ただ、今もそういう稼業を続けてる男を、昔の知り合いだからってだけで信じ込むのはいかがなもんかねえ?」
「たっ、ただ頭から信じていたというわけではなく、向こうにも悪くない取引を持ち掛けたつもりだったのです」
「取引?」
「は、はい。賊の首魁の
「官軍に取り立ててやろうってかい?」
「は、はあ……」
袖口で汗をぬぐい、大人はうなずいた。
「このご時世、そんな提案に諾々としたがう山賊がいるとも思えないけどねえ……」
「ですが、少なくとも刺客を始末するという話は受けてくれたのですぞ? ですから、本当なら今頃は、蘭芯たちの一行のあとを追って
「あんたはその楊乾徳とかいう男とまめに連絡を取ってたのかい?」
「……実際には、奴が私に金をせびりに来ているようなものでしたが……ええ」
「そんな欲深な奴を信じたわけ?」
「…………」
「まあいいけど」
押し黙ってしまった大人に代わり、月瑛は屋敷の者たちに手早く指示を出した。男女の奉公人と用心棒を合わせて、屋敷にはまだ一〇〇人近い人間がいる。ただ、用心棒たちはともかくとして、奉公人の半分は女子供と老人たちで、どう考えても戦力にはなりえない。
月瑛は足手まといにしかならない者たちには閉月楼で籠城するように指示した。扉に鍵をかけ、階段を家具でふさいで上の階に立て籠もれば、たとえ山賊たちが屋敷に踏み込んできたとしても、しばらくは持ちこたえられるだろう。
他方、戦える男の奉公人たちには、弓矢を持たせてあちこちの建物の上に配した。素人に剣や槍を持たせて山賊と斬り合いをさせるよりは、安全なところから矢を射かけさせておくほうがましだと考えたからである。
「こ、これで本当に守り切れますか!?」
「それをわたしに聞かれてもねえ。ほかの連中はどうだか知らないけど、用心棒といっても、わたしはあくまでお嬢さんの護衛として雇われてるんだし、山賊の群れを相手に屋敷を守り通すのは本来の仕事じゃない。……だろ?」
「そ、そんな――」
「まあ、やれるだけのことはやるつもりだけどさ」
正直なところ、月瑛は大人のことが好きではない。月瑛が大人に雇われているのは、半分は金のためであり、もう半分は蘭芯のためだった。ただ、今はその蘭芯も石城を離れているし、奉公人の女たちもひとまず安全なところに身を隠している。いざとなれば、それこそ屋敷の守りのことなど考えずに、楊乾徳を狙って単騎で斬り込んでいくという手もあるだろう。その間に屋敷に踏み込んだ山賊に大人が斬られたとしても、月瑛としてはさほど心は痛まない。
「さて、そろそろかねえ」
用心棒たちを四方の門の守りにつかせた月瑛は、剣を抜いて屋根の上に上がった。
「――あ」
「どっ、どうしたのですか、月瑛どの!? 乾徳たちが来たのですか!?」
「来たには来たっていうか……ったく、こいつは予想外だよ。旦那、ちょっと自分で確かめてみな」
「ひ!?」
月瑛はいったん屋根から飛び降りると、大人の後ろ襟を掴んでふたたび梁上に飛び上がった。
「ねえ旦那、あれってどういうことだと思う?」
「……な、何だ、あれは……?」
瓦の上で四つん這いになったまま、大人は門の向こうに迫る人馬の群れを凝視していた。数はやはり五〇ほど、いずれも腕っ節の強そうな男たちが抜身の得物を持って鞍にまたがっている。
が、月瑛が困惑したのは賊の数にではない。
「げっ、月瑛さん!」
屋根の上に立つ月瑛に気づいたのか、
「――はっ、早く助けてください!」
「やれやれ、情けないねえ……」
深い溜息をつき、月瑛はかぶりを振った。
武昌へ向かったはずの文先生が縄で縛り上げられた状態で現れたことは、疑問はあるものの、差し当たってどうでもいい。それ以上に由々しき問題なのは、文先生の隣に、やはり縄目を受けた
「よう、そんなとこにいたか、
馬車の隣に馬を寄せ、頬傷の男が屋根の上の大人に呼びかけた。
「……大人、あいつがあんたの旧友かい?」
「は、はい……乾徳の奴、約定を守らないばかりか、蘭芯と文先生を捕らえて、いったいどういうつもりだ?」
「…………」
歯噛みせんばかりに唸っている大人と馬上の山賊とを交互に見やり、月瑛はふたたび嘆息した。
山賊上がりの過去を隠して商人に鞍替えし、ぜいたくに慣れて太りきった劉大人とくらべて、楊乾徳という男は確かにそれなりの数の賊を束ねる器量を持った男のようだった。武術――というより、人を殺す腕前でいうなら、もはや大人など相手にならないだろう。
「ねえ旦那。……あの馬車の手綱を握ってるの、
「え!?」
月瑛の指摘に、大人は目を大きく見開いた。
「ま、まさか……裏切ったのか、史春!?」
「……そういうことかい」
おそらく史春は賊と通じていたのだろう。そういう裏でもないかぎり、
「あのにいさんを出し抜いたってことは、山賊の親玉より、史春さんのほうがちょいとばかり腕が上――かねえ?」
「おい、そっちの黒ずくめの
縛られている侍女たちの中に妹分の姿がないことを確認してうなずいている月瑛に、乾徳がいった。
「――悪いことはいわねえからよ、お嬢さんのことを思うんなら、余計な真似はするんじゃねェぜ?」
「それはあんたらの出方次第だねえ」
「どのみち流れ者のあんたにゃ関係のねえ話だ。俺らだって、別にお嬢ちゃんを殺してえわけじゃねえ。……ただよ、蛮軒の野郎がなかなか首を縦に振らねえもんでなあ」
「……どういうことだい、旦那?」
「あ、あいつは、この石城を拠点として軍閥として旗揚げしようと考えておるのです。私にもそれに協力しろと――どうせこの国はじきに滅ぶだろうから、その時に丸ごと蒙古に高く売り込もうなどと、は、恥知らずなことをいいおって……!」
「ふぅん……」
それは月瑛にとってはちょっとした驚きであった。楊乾徳という賊が時代の先を見越していることも、悪党上がりの劉大人に国を思う気持ちがあることも、どちらも月瑛には思いもよらないことであった。
「でもさ、ああして蘭芯が人質に取られてる以上、手の出しようがないよねえ?」
「かっ、かまいません! は、早く乾徳の奴を! あの男を始末してください!」
「……は?」
月瑛は眉をひそめて大人を見やった。自分の娘が人質になっているというのに、この男は何をいい出すのか。それとも、大事な人質には手を出さないとでも思っているのか――大人の意図が読めず、月瑛はまじまじと大人の顔を見つめてしまった。
「おい、蛮軒! 聞いてんのか、なあ? いい加減に認めろよ! 俺のいう通りにしたほうがいいって! いきなり火をかけずにこうしてまず話し合いをしようってのはな、俺とおまえの友誼を思えばこそなんだぜ?」
「こ、ここに火をかけるなどできもせんくせに……!」
大人が貯め込んだ財貨が目当てなら、確かにいきなり屋敷に火を放つような真似はしないだろう。ただ、それもまた人質にされている蘭芯のあつかいと同じく、乾徳の堪忍袋の緒が切れればどうなるかは判らない。
現に、乾徳の顔には苛立ちの色がにじみ始めている。
「……あまり俺を待たせんなよ、蛮軒。それが礼儀ってモンだろ。違うか?」
「ふ、ふん! 判っているぞ、乾徳!」
瓦の上に恐る恐る立ち上がり、大人はわめいた。
「“
「あ、馬鹿――!」
一気にまくし立てた大人に、月瑛は額に手を当てて天を仰いだ。
確かに大人のいうことは一面では正しい。いくら質が悪かろうが、石城を守る兵士は、数の上では山賊たちを圧倒している。火を放つために街に散った賊たちがせいぜい五〇人ほどであれば、遅かれ早かれ石城兵の人数に押し潰されるだろう。そうなれば、兵士たちも次はこの屋敷を守るために集まってくる。大人が指摘したのはそういった乾徳たちの弱みであった。
だが、それを真正面から突きつけられた乾徳がどんな反応を見せるか、大人はまるで考えていない。大人がここでうまく時間を稼げば、いずれ兵士たちがやってきて山賊たちを包囲殲滅してくれるということは、裏を返せば、乾徳はそれまでに決着をつけようと目論んでいるということでもある。
「……時の流れってのは残酷なもんだな、蛮軒。おめえがそういうつもりなら、俺も容赦はしねえよ。手下どもを食わせていかなきゃならねェしな」
大人の態度に業を煮やした乾徳が軽く左手をかかげると、周囲に控えていた賊たちが、次々に火のついた矢をつがえ始めた。
「ばっ……しょ、正気か、乾徳!?」
「おめえんとこのお宝の大半は頑丈な蔵の中にあるって聞いたぜ? 屋敷もおめえらも全部灰になっちまったとしても、蔵だけは残ってるだろ。……違うか?」
「わ、私の宝は蔵の中にあるだけではないぞ!?」
「お高そうな壺だの掛け軸だのが焼けちまうのはもったいないかもしれねえがよ、俺はそこまで強欲な男じゃねェのさ。紙銭代わりにおめえがあの世に持ってきな」
「乾徳――」
「下がってなよ、旦那!」
賊たちの火矢が飛んでくるよりも早く、月瑛は大人の襟を掴んで放り投げた。
「ぶ!」
そばに立っていた桃の木の枝葉に突っ込んだ大人は、細かな傷をこしらえながら地面に転がり落ちたが、深刻な怪我はしていないだろう。
飛んできた火矢を袖をひるがえしてはじき落とし、月瑛は奉公人たちにいった。
「射返しな!」
双方の矢が飛び交う中、塀に梯子をかけて山賊たちが敷地内に乗り込んでくる。月瑛は剣をひらめかせ、入ってくるそばから賊たちを斬り伏せていこうとした。
「月瑛さま」
「!」
声のしたほうを見ると、史春が柳葉刀の刃を蘭芯の肩に乗せていた。
「――旦那さまが捕らわれたお嬢さまを意に介さないというのは少々驚きましたが、あなたは違うでしょう?」
「……どうだろうね? わたしが一番大事なのはわたし自身だからさ」
「だとしても、それこそ不義理な旦那さまのために、お嬢さまを傷つけてまで戦おうとお考えになりますか? 私たちとしては、月瑛さまにはこれ以上の手出しを控えていただければそれでよろしいのですよ」
「…………」
剣を持つ手を背中のほうに回し、月瑛は逡巡した。
もしここで月瑛が何もしなければ、石州の兵たちが到着する前に門は破られるだろう。現に、中に入り込んだ山賊たちと用心棒たちの間ですでに斬り合いが始まっている。そして、この場だけを切り取って考えれば、用心棒たちよりも山賊たちのほうが数が多い。何よりも、楊乾徳と史春――あのふたりを向こうに回して戦えるのは月瑛しかいないのである。
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