第一章 血雨にけぶる ~第二節~

「……だとしてもさ、これ、どうすんの?」

 馬上で傘を開き、獅伯しはくは転がっている死体や馬車を指さした。

「これはその……屋敷に戻ったらすぐに人をよこして片づけさせましょう。そ、それより、そうおっしゃるということは、私どもにご同道いただけると――」

「早くしないと日が暮れちゃうでしょ? おまけにおれたちみんなびしょ濡れだし。このままじゃ風邪ひくって」

「そ、そうですな! ぶん先生、う、馬を!」

「馬はいいですけど……お嬢さんはどうしましょう?」

 乗り手を失った馬を二頭引っ張ってきた書生が――どうやら文先生というらしい――困ったように嘆息した。

「お嬢さんはおひとりでは馬に乗れませんし……」

「そ、それでは、お手数ですが、娘は剣士どのの馬に乗せていただくということで……よろしいでしょうか?」

「え? おれの馬?」

「恥ずかしながら、私も文先生も、馬はどうにか手綱を握れるといった程度でして。娘を街まで乗せていくのはいささか……」

「……ま、これも礼金のうちか」

「申し訳ございません。お手数をおかけいたします」

 そういって娘は釵を揺らして頭を下げた。そういえば、この娘の声を聞くのはこれが初めてだった気がする。外見にふさわしい、はかなげで透き通った声だった。

「いいよいいよ、気にしなくて。おれは可愛い子にはそれなりにやさしいから。……ただ、乗り心地には期待しないでくれよ」

 そう冗談めかして、獅伯は娘の腰の後ろに手を伸ばした。

「きゃっ!?」

 娘が小さな悲鳴をあげるのもお構いなしに、帯の腰のところを掴み、右腕一本で鞍の上へ引き上げる。

「ち、力がお強いのですね……」

「そう? 別にそんなことなくない? あんたが軽いだけだよ」

「いえ、そんな……」

 鞍に腰を据えた獅伯にかかえられるように横座りになった少女は、かすかに頬を染めてうつむいた。

 りゅう大人と文先生が馬にまたがったのを横目に見て、獅伯は軽く手綱を鳴らした。

 ずいぶんといきおいは弱まったが、雨は変わらず降り続けている。ひとつ傘の下に納まった獅伯と娘が乗る馬を先頭に、一行は土手の上の道に戻り、あらためて東へと向かった。

「この道をまっすぐでいいんだよね?」

「は、はい。……そういえば、まだ名乗ってもおりませんでしたな」

 大人が思い出したようにいった。

「――私はこの先の石城石城に住む劉福民りゅうふくみんと申します。そちらにいるのが私の一人娘の蘭芯らんしん、そしてこちらが――」

文吉州ぶんきっしゅうといいます。見ての通りの頼りない書生崩れでして」

 文先生はみずからそういったが、獅伯にはそれが自嘲の言葉のようには聞こえなかった。確かに荒っぽいことにはてんで役に立たない非力な男に間違いはないが、それだけとも思えない何かを持っているような気がする。むしろ今のひと言は、獅伯には韜晦の言葉のように感じられた。

「剣士どののお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「おれ? おれはりん獅伯っていうんだ」

「林獅伯どの……ですか。ところで林どのは、どこで剣の修業をなさったのです? 先ほどの技前、素人目で見ても素晴らしいものでしたが、さぞや名のあるお師匠について修行なさったのでしょうな?」

「そこはまあ……秘密っていうか」

「……は? 秘密?」

 続けざまにくしゃみをしていた文先生が、獅伯の言葉に首をかしげた。

「ぶっちゃけていえば破門されちゃったんだよね、おれ。だから師匠から釘を刺されてるわけ。師匠の名も流派の名も死ぬまで口外するなってさ」

「ははぁ……私も剣は素人ですが、確かにそういったことがあるという話は聞いたことがありますね。――で、実際のところは何をやったんです? 剣の腕を悪事に利用したとかですか? それとも同門同士の刃傷沙汰を起こしたとか?」

「あんたさあ……そういうことをよくずけずけと聞くね?」

「申し訳ありません。生来、好奇心が強いたちで……」

 文先生の図々しさに軽く舌打ちした獅伯は、ふと前方に視線を移して目を細めた。

 まばらに降る雨粒の向こうから、何か黒いものがすさまじい速さで近づいてくる。それが黒い馬にまたがった黒ずくめの人間だと気づいた時、獅伯は傘をたたんで蘭芯の頭を押し下げた。

「ちょっとごめんね」

「きゃっ!?」

 蘭芯がふたたび短い悲鳴を発した時には、すでに黒ずくめは馬の鞍を踏み台にして大きく跳躍し、一気に獅伯に肉薄していた。その右手には、雨粒をはじく長剣が鈍い輝きを放っている。

「どいつもこいつも……いきなりすぎない、ねえ!?」

 黒ずくめが繰り出した斬撃に対して咄嗟に傘を合わせた獅伯だったが、もとより鋼の刃を傘で受け止めることなどできない。真っ二つになった傘を投げ捨てると同時に、獅伯は蘭芯を横抱きにして馬から飛び降り、背中の剣の柄に手をかけた。

「へえ……思ったよりやるじゃないのさ」

 どこか楽しげにそう呟いたのは、黒ずくめの――さながら占卜者ぼくせんしゃのようななりをした――女だった。とはいえ、酔狂な女占い師が気まぐれに剣を振り回しているとも思えない。ぴたりと獅伯に差し向けられたその剣にはわずかなぶれもなく、何よりも先ほどの一撃を見れば、この女が尋常ならざる使い手だということは明白だった。

「おっ、おやめください、月瑛げつえいどの!」

 獅伯が蘭芯を後方に押しやり、剣を抜こうとした時、劉大人が両者の間に馬を進めてきて、女に向かって苛立ちの交じる声でいった。

「――いくら何でも悪ふざけがすぎますぞ!」

「悪かったねえ、劉の旦那。てっきりわたしはさ、蘭芯がたちの悪いヤツに捕まっちまったのかと思ったんだよ。それで思わず斬りかかっちまったってわけさ」

 女は肩をすくめ、赤い唇をにっと釣り上げた。

「月瑛さん、近くに大人や私がいたのにその言い訳は苦しいですよ。判ってて斬りかかりましたよね?」

「いちいち細かいねえ、先生は。……そんなに細かいことばかり気にしてると、気苦労が溜まって早死にしちまうよ?」

 月瑛と呼ばれた長身の女は、剣を鞘に納めて濡れた髪をかき上げた。蘭芯のように結い上げられていない月瑛の髪は、やや赤みがかっているせいで、遠い異国に棲むという獅子のたてがみを思わせた。

 獅伯はゆっくりと剣の柄から手を放し、背後の蘭芯に尋ねた。

「……このおねえさん、あんたらの知り合い?」

「は、はい……月瑛さまとおっしゃって、父がわたしの護衛にと雇ってくださったおかたです」

 確かに、嫁入り前の若い娘の護衛につけるなら、男よりは女のほうがいいに決まっている。釈然としないのは、その護衛が今の今までどこで何をしていたかということと、どうしてこちらに剣を向けるのかということだった。

「……その護衛がどうしていきなり斬りかかってくるわけ? おれ、知らないうちにあんたの親か兄弟でも斬り殺してたかな?」

「すまないねえ。剣を持ってるヤツを見ると、ついついその腕を確かめたくなっちまうのがわたしの悪い癖なのさ」

 そういって笑う月瑛に、申し訳ないと思っている様子は微塵もない。

「そんなこといってますけど、月瑛さん、ほかの用心棒相手にはそんなことしなかったじゃないですか。どうして林どのにだけそんな真似をするんです?」

「ああ、あいつらは剣を取って確かめるまでもない三流以下の連中だったからさ。……実際、あんたたちが用心棒を連れず馬車も捨てて戻ってきたのがその証拠なんじゃないのかい?」

「それは……まあ」

 文先生と劉大人は顔を見合わせて言葉を濁したが、この月瑛なる女にはすべてお見通しのようだった。

 ようやく追いついてきた自分の馬の手綱を取り、月瑛はいった。

「――で、名前は何だって? 林どの?」

「ああ、こちらは私たちが危ういところを救っていただいた、林獅伯どのとおっしゃる御仁でしてな」

「ふぅん……若いわりには――」

 値踏みするような視線を向けてくる月瑛を無視し、獅伯は大人のほうに蘭芯をそっと押しやった。

「……とにかく、これだけ腕利きの護衛がいるならもうよくない? あとはそっちの態度のでかいおねえさんに任せとけば問題ないと思うけど?」

「え? お、お待ちください、林どの! 先ほどは我が家へおいでくださるとおしゃったではありませんか!」

「そうですよ、獅伯さん。大人のお屋敷に来れば、酒は飲み放題、食べるものにも寝床にも不自由しませんよ?」

「居候のあんたが得意顔でいうことじゃないと思うけどねえ」

 すでに月瑛は、自分の馬に蘭芯を引き上げ、東に向かって進み始めている。何かいいたそうな顔で後ろを何度も振り返る蘭芯と目が合って、獅伯は溜息をついた。

「……おれはさ、なるべく人に借りを作りたくないんだよ。ただ、どうやらそれはあんたたちも同じようだし、だから、今夜だけは世話になる。それでもうおたがいに貸し借りなしってことにしよう。――それでいいよね?」

「か、かまいませんとも! 命の恩人をこのまま行かせたとあっては我が家の名折れ、ぜひとも屋敷にお立ち寄りいただかねば――」

「……いちいち大仰だね、あんた」

 いうことがすべからく芝居がかっているように思えて、獅伯はどうにもこの劉大人という男が信用ならなかった。

 にもかかわらず、結局その屋敷に世話になることを断りきれなかったのは、蘭芯が向ける切なげなまなざしに心惹かれたせいだ――といってしまえば身も蓋もない。

「……冗談抜きに、師匠の言葉にしたがって、女遊びのひとつもしとくべきだったのかなぁ、おれも」


          ☆


 しっとりとした靄がかかる西湖せいこのほとりに、鶴の鳴き声がこだましている。ようやく雨がやんだとはいえ、あたりに吹く風は肌寒い。

 黒い鎧に身を包んだ張世傑ちょうせいけつは、何とはなしに鼻の下の髭を撫でながら、自分の隣で身震いしている若者を見下ろした。

 この青白い書生が吹く風の寒さに震えているのか、それとも緊張で震えているのか、世傑には判らない。もしかするとその両方なのかもしれないが、それはどうでもいいことだった。世傑自身は、わざわざ時間を作ってこんな若造に会おうとする上官の気が知れなかったが、さりとて強く反対する理由も特にないため、何もいわなかっただけなのである。

 要するに、本当にどうでもいいことであった。その証拠に、すでに世傑はこの若者の名を忘れかけている。

「あ、あの――」

 聞えよがしな世傑の溜息をよいきっかけと捉えたのか、若者が控えめな声で語りかけてきた。

「その……閣下は、よくこちらへ?」

「都におられる時はそうだが、これからはそうもいかん。ひとたび顎州がくしゅうへ向かえば、いつ戻れるかは敵の動き次第なわけだからな」

「つ、つまり、私は運がいいということでしょうか」

「そうともいえる。我が軍はきょうの昼すぎには臨安りんあんを発つ予定だった。貴公の来着が一日遅ければ、面会の機会はなかったわけだからな」

 そう答え、世傑は石段の上のほうを見やった。

 岳飛がくひを祭った廟に詣でているのは、今は世傑の主人――呂文徳りょぶんとくだけで、残りの者はみなここで主人が戻るのをひたすら待っていた。岳飛に対する畏敬の念が人一倍強い文徳は、この臨安にいる間は三日と開けずにこの岳王廟へと参詣しているが、任地である顎州へ向かえばそれもままならなくなる。きょうの参詣にいつもより時間をかけているのはそのせいもあるのだろう。

 ほどなくして、兜を小脇にかかえた文徳がひとり石段を下りてきた。

「閣下」

 世傑が進み出て文徳に告げた。

「――先ほどよりこの者が閣下にお話があると」

「俺にか? 何者だ?」

 そう聞き返した文徳の声は野太く低い。若者がまたかすかに身じろぎしたのが世傑にも判った。

「本年度の進士に及第した――」

 何という名前だったか、世傑がひと呼吸置いて思い出そうとした時、若者が上ずった声でみずから名乗った。

陸秀夫りくしゅうふと申します、呂閣下」

「ふむ。では陸先生と呼べばいいかな?」

 文徳から見れば、この若い進士――陸秀夫は息子といってもいい年齢だったが、それでも相手が進士と聞いて、一応の敬意をもって接しようと考えたらしい。近い将来、秀夫が国政の中枢に食い込む可能性も、まるでないとはいいきれないからだろう。戦上手で知られる文徳は、そういうところも意外に計算高い。

 文徳は秀夫をともない、湖のほとりにある四阿あずまやに入った。

「――で、その陸先生がなぜ俺のような武官のところへ?」

「は、はい。閣下があらたに顎州に赴任なさるとお聞きし、お願いと申しますか――いえ、できればお心の隅にでもとどめておいていただけないかと」

「ふむ?」

「顎州の東、長江の流れからやや離れたところに石城という土地がございまして、そこの知県が不在となって久しいとのこと。近頃は賊が横行し、人々は戦々恐々とする日々をしいられているとか……」

「知県が不在? 新しい役人を派遣してもらいたいということなら、それは俺の領分ではないが?」

 石造りの卓に兜を置き、文徳は太い眉をうごめかした。別に文徳には威嚇するつもりはないのだろうが、その表情のわずかな変化だけで、秀夫は首をすくめていた。

「そ、それは重々承知しております。で、ですが、なにぶんにもこのような時世、地方の小さな街のことなど後回しにされているようで……」

「その……石城といったか? 正式に後任が派遣されるのを待っていられないほど、事態は切迫しているということか?」

「知人からの手紙によれば、そのような状況らしく……そこで、閣下が顎州に赴任なさるついでにと申し上げてはあまりに厚かましい話とは存じますが、できますれば、石城の混乱を鎮めていただければと思いまして、こうしてお願いに上がりました」

「……賊の中には蒙古と結んでよからぬことをたくらむ連中もいる。そのような輩に背後でうろちょろされては俺としても目障りなのは事実だ。――が、本当にいいのか、陸先生?」

「は、はい? 何がでしょう?」

「俺は迂遠ないい方ができん男だからはっきりというが……俺はな、丞相を好かぬ」

 文徳の言葉に、秀夫は唇を嚙んでうつむいた。

 今この国の丞相といえば、五代皇帝となった理宗りそうの寵姫を姉に持つ賈似道かじどうである。西から押し寄せてきた蒙古軍を呂文徳とともに迎え撃ち、撃退したとされているのがこの賈似道だが、武人である文徳は、姉の七光りで今の地位にいる賈似道をこころよく思っていない。

「貴公、ここで丞相と仲の悪い俺に借りを作ってもいいのか? もし俺の一派だと見なされたら、のちのち出世できなくなるかもしれんぞ?」

「それは……ここでこうしてお会いしていることさえ露見しなければ、どうにでもなるのではないかと……」

「意外に小ずるいな、貴公」

「はは……どのみち、このようなことを丞相閣下にお願いしたところで、また後回しにされるだけでしょうし……」

「なるほど……その石城とやらにいるのは、貴公にとってはよほど大切な知己らしい」

「いえ、私の大事な知己だからということではなく、この国にとって大事な人間だからこそ、こうして申し上げております」

 上目遣いに、秀夫は文徳を見やってはっきりとそう答えた。

「そうか……」

 文徳はしばらく兜の羽根飾りをいじっていたが、ふと思いついたように。

「――それでは陸先生、その代わりといっては何だが、俺からの頼みもひとつ聞いてくれるか?」

「何でしょう? 私にできることなら喜んでお引き受けいたしますが……」

「そう身構えるようなことでもない。それこそな、頭の隅に留め置いてもらいたいことなのだ」

「はぁ……?」

「実は俺は、とある秘宝を捜していてな」

「秘宝……ですか?」

「あらかじめいっておくが、俺がそのお宝を捜しているのは、何も私腹を肥やすためというわけではない。……まあ、俺個人の腹をふくらますより先に、兵士たちの腹を満たしてやらねばならんのは事実だがな。でなければこの長い戦には勝てん」

 蒙古は皇帝の突然の死によっていったんは四川しせんから撤退していったが、それで戦が終わったわけではない。いずれ遠からず、あらたな帝位に就いた者が、この国を従属させるためにふたたび兵を進めてくることは目に見えていた。

 そしてその予想されうる激しい戦いにおいて、この斜陽の帝国にあってもっとも重要な戦力として期待されているのが、ほかならぬ呂文徳――“黒灰こくかい将軍”と呼ばれるこの猛将と、彼が率いる兵たちなのである。

 思わず身を乗り出していた秀夫に、文徳はいった。

「西域にな、黄金の秘仏が眠っているという」

「黄金……ですか」

「黄金仏というだけで、実際にそれがどのようなものかまでは判らん。あくまでこれは、遊牧民たちの間でまことしやかに語り継がれてきた噂にすぎんのだ。とにかくそういうたぐいのものが、この国より西の乾いた大地のどこかに眠っており、そしてそのありかをしめす鍵はこの国にあるという。――そうだったな、世傑?」

「は」

 話を振られ、世傑は言葉少なに応じた。

 もともと世傑は、蒙古軍に属する漢人部隊の一員であったが、罪を得て居場所を失い、この国へ逃れてきた過去を持つ。その後、世傑の腕を見込んで取り立ててくれたのが文徳であり、それゆえに世傑は、文徳へことさら忠義立てしているのだった。

「その……黄金の仏像ですか? それは本当に存在するものなのでしょうか?」

 秀夫が疑わしげに尋ねるのも無理はない。その噂を実際に遊牧民たちから聞いた世傑ですら、そんなものが本当に実在するとは断言できないのである。

「閣下がおっしゃったように、あくまでも噂だ。……が、この噂を耳にしたことのある者は複数いる。私はまったく別のいくつかの部族から同じような噂を聞いた」

「まあ、さすがに俺も、そんなお宝が実在するとはなから信じているわけではないが、かといって、もし実在するのだとしたら、絶対に蒙古に渡してはならんだろう?」

「それは……ええ、判ります」

「もし確証があるのなら、俺も本気でそいつを捜すところだが、今はそういうわけにもいかん。だからな、陸先生。もし今後、貴公や貴公の友人などがそのお宝にかかわるなにがしかの情報や手がかりを得たのであれば、それを俺に教えてくれ。少なくとも、丞相閣下には伝えんで欲しい。……意味は判るな?」

「無論です。若輩とはいえ、私もこの国の行く末を憂うひとりとして、陰ながら閣下をおささえしたいと考えております。もし何か判れば、都ではなく顎州へ真っ先にお知らせすると誓いましょう」

「ははは……いい返事だが、それではますます出世の道は遠ざかるな」

「国があってこその出世でございます。……はばかりながら、どうも丞相閣下は、ことここにいたっても、まだこの国は絶対に滅びないと根拠なく妄信しているふしが感じられましたので……」

「なるほど、貴公もあの丞相とは馬が合いそうにないな。――もし何かあった時には顎州へ逃げてくるといい」

「はい、ありがとうございます」

 ふかぶかと頭を下げる秀夫を見て、世傑は如才のない若造だと感じた。が、叩き上げの呂文徳の軍に今後必要になってくるのは、宮廷でもうまく立ち回れるこうした知識人なのかもしれない。

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