旨い赤と静かなナゾ

とむなお

僕と同室に入院してきた――?な患者

 ある日曜日、僕は、ある場所の椅子に座っていた。ここに来る気になったのは、先月のことだった‥‥。


「それじゃ何かあったら、そこのボタンで知らせて下さいね」

 女の看護師は、そう言って白いカーテンを閉めると、戻って行った。それはドアに近い寝台で、この病室は四人部屋だ。

「おー、新入さんか‥‥。二人になって良かったよ‥‥」

 それまでこの病室の住人は、僕一人だったからだ。


 それから数日が経った‥‥。

 窓際の寝台で休んでいる僕は上体を少し起こすと、ドア近くの寝台を見た。


 僕がこの病院に入院したのは、一週間前の社内会議の日、寝坊したのだ。

 そのため急いで出社し、二階の会議室に向かって階段を上がっていた時、足を滑らせて落ちてしまったのだ。まもなく発見した後輩が通報し、救急車でこの病院に運ばれた。

 三十歳なりの老化に、勝てなかった訳だ。

 見舞いに来てくれた会社の人達は、

「仕事の方は大丈夫だからな」

「安心してちゃんと治せよ」

 と笑顔を見せたが、どうフォローされても、仕事に影響が無い訳なかった。そう思いながらも、不満だったのは食事で、

 ‥‥赤いきつねが食べたいな‥‥

 病院の食事は味気なく、大好きな赤いきつねが食べたいな‥‥と、殺風景な窓を見なが思う日々だった。


 だから見舞いに来た後輩に、赤いきつねを食べる方法ってないかな‥‥と相談してみた。

 実は、もう一つ気になってることがあった。

それは新入りのこと。ドア近くの寝台で、白いカーテンに守られ、その姿を見せたことが一度も無いのだ。

 僕より後に入院し、一度も顔を見たこともなければ、声を聞いたこともない。まったくナゾの患者だ。だから赤いきつねに対する欲求の次に、その患者がどんな人なのか? 知りたかった。


 翌日、後輩が見舞いに来た時、廊下の奥の談話室に誘われたので、何か答えを持ってきたか? とワクワクしながら病室を後にした。

 後輩は談話室に入ってすぐ、

「赤いきつねを、病室で食べる方法、考えました。要は、お湯があればいい訳ですよね?」

「あー。で、どうする気だ?」

「この病院にも給湯設備がありますよね」

「いやいや、病院の設備を使うのはマズイよ。絶対に」

「なるほど。でしたら、病院の外で赤いきつねにお湯を仕込めばいいでしょう」

「おー、それならいいだろう。で?」

「実は、この病院の近くに、僕の彼女のマンションがあるんですよ」

「ほう、ほう。それで?」

「そのマンションで、赤いきつねに熱湯を仕込んでから、この病院まで持参すれば、いいのでは?」

「おー、それはグッドアイディアだ。それで頼むよ。で、いつ実行してくれる?」

「それはいつでも――と言いたいトコですが、その子が今のマンションに越したの、つい最近で、まだ合カギがないんですよ」

「おー、それで?」

「オマケにバイトしてましてね。だから休日で彼女が在宅してないとダメな訳です」

「おーおー、だから、その休日は?」

「火曜日です」

「今日が木曜だから、来週の火曜日だな。いやー、オレは良い後輩を持って幸せだよ。ありがとう」

「じゃ、この計画でいきましょう。時間的には夜中の方がいいでしょう」

「なるほど」

「じゃ当日、スマホで連絡します。ボクは会社に戻りますから、これで」

「おー、宜しく。気をつけてな」

 後輩は「お大事に」と言って帰って行った。

 僕は、すぐに病室へ戻ったが、入る時、例の白いカーテンで守られている患者が気になり、ふと足を止めた。実は一つだけ分かっていることがある。それは病室の表にあるネームプレートに、森本広と書いてあるということ。

 しかし、それだけだった。


 一時間ほどして、そんな森本広のところに八十歳くらいのお婆さんと、孫娘だろう十歳くらいの女の子がお見舞いに来た。彼の声は聞こえなかったが、三人が白いカーテンの中で、楽しそうに話しているのが分かった。

 その時、おそらく森本広は、このお婆さんのご主人なのだろうと思った。が‥‥

お婆さんが帰りぎわ、

「じゃあ、次に来るときは、ナザリヤミルキーのショートと、大福を持ってきますからね」

 それが、またナゾになった。

 お見舞いに、ナザリヤミルキーのショートをリクエストする老人なんているのか? しかも大福と一緒になんて‥‥。

 そう思っていると、女の子を連れたお婆さんと入れ違いに、派手なメイクをした二十代くらいの女が、泣きそうな顔で、

「ヒロシー、どうなったのー!」

 と叫びながら白いカーテンの中に駆け込んだ――かと思うと、ションボリ帰って行った。

 僕は呆然とした。


 さらに1時間ほどして、白いドレスを着た黒人がやってきた。そして緊張した感じでカーテンを開けて入った。しばらくボソボソ話していた。

 やがて黒人も、ションボリと帰って行った。

 てなことで、森本広のナゾは更に深まってしまった。


 翌朝、我慢できなくなった僕は、血圧を測りに来た女の看護師に、

「あの‥‥あそこの森本さんて、どんな方ですか?」

 と思い切って訊いてみた。ついにナゾが解ける! そう思った。が彼女は平然と、

「それは個人情報ですのでお答えできません」

 それだけ言って戻って行ったのだった。

 僕は意を決し、その白いカーテンで守られている寝台の前まで行くと、

「森本さん‥‥森本広さん‥‥失礼しますよー」

 とカーテンに手をやった。

 直後、僕は意識を失った。


 ふと気付いた僕は、何故かを走る車の後部席にいた。運転しているのは知らない男だった。まったく訳が分からない僕は、その運転手に、

「これは‥‥いったい‥‥どういう事ですか?」

『あなた死んだんですよ。これは、あの世に向かうお迎えの車です』

「そんなバカな‥‥」

 窓から見ると、荒涼な広い土地に、規則的に積み上げられた大きな岩が並んでいて、時おり風が赤土を巻き上げている。

 そんな殺風景で不気味な道を、この車はガタゴトと走りつづけているのだった。

『なんか急だったみたいですね‥‥。お気の毒に‥‥』

 運転している男は無表情で言った。僕は、なんとかしなければ‥‥と考えを巡らせた。

 そして、この際どうなってもいい――と思い、運転手がハンドルから片手を離した瞬間、その体を助手席に倒し、ハンドルを思い切り右へ切った。車は、例の岩の山に突っ込んだ。

 その反動で、僕の体は車外に放り出され、近くにあった穴に落ち込んだ。

 視界は真っ暗になり‥‥また意識を失った。


 次に目を開けると、そこは病室で、主治医と別の医師や看護師が見詰めている光景だった。多分、脳外科の医師が、

「良かった‥‥意識が戻って‥‥。危ないところでしたよ」

 次に主治医が柔和な顔で、

「でも、もう大丈夫です。恐らく階段から落ちた時に、頭に疾患が起きていたんでしょう。念のため後日、精密検査しますので――」

 医師たちや看護師は戻って行った。僕はドアの方を見た。例の寝台は依然と白カーテンに守られていた。

「良かった。まだ退院してないようだ‥‥」


 いよいよ待ちに待った火曜日が訪れた。

 僕は、夕食を少な目にして、後輩からの連絡った。その日は退院が決まった日でもあった。

  やがて消灯となった頃、スマホが震えたので出ると、

『先輩、いま向かってます。もう五分です』

「ありがとう。待ってるよ」

 と小声で言った僕は、ソーッと廊下に出た。

 やがて、暗い廊下の途中にある階段を、丼を持った後輩が、音を消しながら上がってきた。暗くても分かる赤い丼――間違いなく赤いきつねだ!

 後輩が近付くと、フタが開かないようにとスマホが乗っていた。

「ありがとう」

 後輩を病室に入れると彼は、そのまま僕の寝台まで赤いきつねを運び、横にある整理台に置いた。

「さー、すぐに食べれますよー」

「ん。分かった。本当にありがとう」

 僕は早速、食べた。ゆげの向こうにナゾの寝台を見詰めながら。

「あー‥‥幸せだ‥‥」

 やがて完食すると、空になった丼を持って後輩は帰って行った。


 やがて僕の退院の日が来てしまった。

 身支度を整えた僕は、病室を出る前に、相変わらず白いカーテンに守られている、森本広の寝台の前に立った。その正体を知らないまま退院するなんて、出来なかったからだ。

「森本広さん、失礼しますよー」

 カーテンをしっかり掴むと、一気に開けた。

 そこには――誰もいなかった。

 いや、寝台の上面に『第七劇団、けいこ場:B』と書いてあった。

「なるほど‥‥。あれは、この劇団員の練習だったのか‥‥」

 僕はクスッと笑うと、受付に向かった。


 ――という訳で僕は、その劇団の芝居を観たくなり、今日この小劇場にやって来て、大いに笑うことになった。

 その芝居のタイトルは『透明人間になった広』だった。

 ストーリーは――というと、ある日突然、透明人間になってしまった男が、女友達に相談した。すると医者に相談するしかないと病院へ行くと、とりあえず検査する必要があるので入院することになった。それを知った知人たちが、次々に見舞いに来た。困り果てた主治医は、見えない患者に、いま欲しい物があるか? と訊いた。彼は「うどんが食べたい」と言った。それで主治医が、

「じゃ、うどんを食べさせてごらん」

 と言われた女友達が横を見た。そこで、たまたま男友達が赤いきつねを食べようとしていた。それを聞いていた、その男友達は、

「じゃ、これ食べていいよ。広にやるよ」

 と差し出した。女友達は「ありがとう」と受け取り、誰もいない寝台の上に置いた。すると、それを食べる音が聞こえたが、すぐに、

『恥ずかしいよ‥‥。カーテン閉めてよ』

 女友達が笑いながら「ごめんごめん」とカーテンを閉めた。すると食べる音が聞こえる中、ステージが回り、一回転したところで、

『あー美味かった。ごちそうさん』

 そこで女友達がカーテンを開けると、寝台の上に丼を持った男がいた。

 つまり普通に見える広に戻り、めでたしメデタシ――という結末だった。

 僕は、その劇の幕が下りた後で、

「やっぱり、赤いきつねはいいな‥‥。よし今夜は、緑のたぬきにするか」

 座席を立った。


〈了〉














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