第2pedia かゆみ

「ごちそうさまでした!コーヒー淹れてもらったし、食器はわたしが片付けるね!」

「では、お言葉に甘えて。よろしくお願いしますね。」


食器―といっても、メロンパンが乗っていた皿とマグカップだけだが、それらを片付けるために知依ちよは席を立った。

案の定、すぐに洗い終わった様子で、彼女はすぐにこたつに戻ってきた。

それから何かを探すようにきょろきょろと、あたりを見渡している。


「食器、ありがとうございます。何かお探しですか?」

「えーと、食器洗った後はいつもハンドクリーム塗ってるんだけど、無くしちゃったみたいでー…。」

「あら、私が使っているものでよければ、使います?」

「ありがとー!冬は乾燥しがちだから助かるよ~」


よみは、どこからともなくハンドクリームを取り出し、知依ちよに手渡した。


「乾燥…そういえば、こたつと最低限生活に必要なものはありますが、加湿器がないですね、この家。そのうち届くように頼んで―」


よみが話している最中に、インターホンが鳴った。

それを聞いた知依ちよは、「はーい」と言いながら、小走りで玄関へと向かう。

荷物を受け取った彼女は、なにやら大きめの箱を持って帰ってきた。


「また何か注文したのですか?」

「うんうん。わたしも加湿器ほしいなと思って、こないだの管理人さんからのL〇NEに、追加でお願いしておいたの。」

「あ、この前のそれ、LI〇Eだったんですね。私も欲しかったので助かりました。」


早速、知依ちよは梱包を開封している。

大きめの箱の中から、加湿機本体のサイズであろう、一回り小さめの箱が出てきた。


「荷物が届いたときって、大抵、自分で頼んで中身知ってるはずなのに、なんだかワクワクするよね。やっとでてきた!プラズ〇クラスターだ!」

「空気清浄機能もついてるものですね。サイズも邪魔にならない程度で、いい感じですね。」

「これで冬の乾燥ともおさらばだね!冬はすぐにお肌乾燥して、いろんなところがかゆくなっちゃうから困っちゃうねー。」

「かゆくなる前に、化粧水などで保湿すると良いですよ。」


そういいながらよみは、加湿器の箱に入っていた説明書を読み始めた。

それを聞いた知依ちよは「へー、そうなんだ!」と言いながら、加湿器に給水し、電源を入れ、こたつにいそいそと戻ってきた。


「そういえば、どうして乾燥すると、かゆくなっちゃうんだろうね?そもそも、かゆみって何なんだろう…」

「どうして…?どうしてなんでしょう…気になりますね…。」


純粋な疑問を口にしたつもりだった知依ちよは、よみの様子を見て、うまくいつもの流れにかかったことに気づき、満足げな表情で唱えた。


「調べて!ヨミpedia!」


その掛け声を聞いたよみは、持っていた本を開き、勢いよく検索を始めた。

その間に、知依ちよは「今日の晩ご飯は何にしようかな~」と言いながらスマホをいじっている。

しばらく時間が経ってから、よみはゆっくりと本を閉じた。


「今回は長かったね。何かわかった?」

「いろいろな研究が為されていて、前回みたいな曖昧な感じではないのですが、生物学?でしょうか。専門的なお話がたくさんで――頑張って説明しますが、分かりづらかったらすみません。不明点があれば、都度、指摘していただけるとさらに調べますので。」

よみちゃんなら大丈夫!先生!お願いします!。」


知依ちよよみの話を心待ちにしている様子で、スマホを置いてから、ピシッと姿勢を正した。

よみは、少し微笑み、「それでは」と説明を始める。


「まず、『かゆみって何なんだろう』という点から。よくよく考えると当然のことと思われるかもしれませんが、かゆみを伝える神経が刺激されることによって、かゆみが発生します。」

「痛みを感じるのと同じようなこと?」

「厳密に言うと、痛みとはまた違う神経になりますが、『神経が刺激されて発生する』という点に関しては同じと言えますね。そして、かゆみの神経が刺激される要因は、大きく分けて2つあります。この前みたく、1つ当ててみます?」

「えっ」


知依ちよは、ぎょっとした様子でフリーズした。

「そんな難しそうなこと、当てられるわけないじゃん」と顔に書いてあるかのような表情をしている。

それを見たよみは、楽し気に「ふふっ」と微笑み、話を続けた。


「難しそうな話の後にこの問題は、少し意地悪すぎましたか?と言っても、1つは私が調べる前に知依ちよさんが仰っていた、『乾燥』が引き起こす刺激のような『外界からの刺激』です。もう1つは、その逆で『体内からの刺激』。例えばアレルギー反応などで、かゆみを引き起こす物質が生成され、それがかゆみを伝える神経を刺激する、といったようなものです。」

「ほえー。でも、どうして乾燥すると、かゆみの神経が刺激されるの?掻くから?あれ、かゆいから掻くんだから違うか…。」


頬杖をつき、「うーん…」と唸っている知依ちよを見ながら、よみは少しだけ目を丸くしていた。

それから、よみ知依ちよと同じように、頬杖をつき、ぼそっと言った。


知依ちよさんって、鈍いようで鋭くて、鋭いようで少し惜しいですよね…。」

よみちゃん、いまわたしのことバカって言った…?」

「いいえ。そんなことは一言も。先ほど知依ちよさんが言っていたことも間違いではないので、鋭いな、流石だなと褒めていました。」


おだてられた知依ちよは自慢げに「でしょでしょ!」と言いながら顔を上げる。

しかし、先ほど気になった矛盾点が解消できていないためか、目が泳いでいた。


「少し詳しく説明しますと、乾燥することによって、肌のバリア機能が低下してしまいます。バリア機能が低下した肌は、花粉・紫外線・服などとの擦れ、といった外部からの刺激に敏感になり、ちょっとしたことでかゆみを誘発します。ここで、かゆみを取り除くために掻いてしまうと、乾燥せずとも自ら肌のバリア機能をさらに低下させてしまいます。するとまたかゆくなり…といった悪循環が起こります。ご理解いただけましたか?」

「…抜け出せない無限ループだ!このループから抜け出す方法はないものか…。」


知依ちよが、片手で円を作り、こたつの上に置きながらまじまじと眺めていると、円の中に突然、保冷剤が入ってきた。

彼女は、反射的にそれを投げ捨てながら叫んだ。


「ひゃあああ何するの冷たい!!」

「冷やすとかゆみを伝える神経が鎮まるので、かゆみが治まるそうです。あとは最初に話題に上がった保湿と、あまりひどいならお薬が必要になるかと。」


知依ちよは「なるほど~」と言いながら、放り投げた保冷剤を拾い上げた。


「そもそも掻くことがダメなんだね!でも、それならかゆくなる意味ってないんじゃないの?掻くと気持ちよかったり、一時的とはいえ、かゆみが治まるのはどうして?」

「うーんと、これまた複雑になるのですが…長くなりそうなので、頑張って聞いてくださいね。」

「了解!」


よみはもう一度本を開き、一息ついてから、「せっかくなので、知依ちよさんにも協力していただきましょうか」と独り言を言い、解説を始めた。


「話の始めに戻ってしまうのですが、かゆみの原因は覚えていますか?」

「ええと、かゆみの神経が刺激されることによっておこる!」

「正解です。外部の刺激の方がイメージしやすいと思うので、こちらを例に――例えば、花粉や紫外線などのものが、目に見えるような異物だとして、肌についてしまったら、知依ちよさんならどうしますか?」

「振り払う!!」


腕をぶんぶん振っている知依ちよを見て、よみは少し吹き出してしまう。

小さく咳払いをしてから、よみは話を続けた。


「間違ってはいないですが…取り除こうとしますよね。その『異物を取り除く』という行為を誘発するために、かゆみは起こっているようです。」

「ほえー。じゃあ、掻くと一時的にかゆみが治まるのは、異物を取り除けたから?」

「残念ながら、一般的な外部からの刺激は、掻く程度では取り除けないと思います。ここで少し想像していただきたいのですが、かゆい所を搔き続けると、どうなりますか?」


知依ちよは腕を組みながら目を瞑り、少し俯き、想像し始めた。

すぐに「血まみれになる…」と言いながら、絶望した表情で顔を上げた。


「…過激すぎません?間違ってはないですが…血が出ると痛いですよね。」

「いたい…」


知依ちよは絶望した表情のまま、固まっている。


「もう想像の世界から帰ってきてください…。この『痛み』がポイントで、痛みを伝える神経が刺激されることによって、かゆみを伝える神経の活動を抑える物質が放出され、一時的にかゆみが治まるそうです。」

「ふむふむ。じゃあ、掻くと気持ちいいのは、痛みの神経が出してる物質が関係してるってこと?」

「ここだけ聞くと、そう思うかもしれませんが、そこが関係しているという記録はないですね。『掻くと気持ちいい』というのは、脳の――少し専門的な話になりますが、『報酬系』と呼ばれる部分が活性していることが原因だそうです。」

「ほーしゅーけー?」

「そうですね…幸せや満足感を感じた時に活性化する部分、といったところでしょうか。」


知依ちよは、傍らに置いてあった箱から、何かを取り出し、それを掲げながら幸せそうな表情で言った。


「それは、メロンパンを食べたときに活性するところだね!!」


掲げられたメロンパンを眺めながら、よみは続けた。


「今、まさに活性化してそうですが…おいしいものを食べたとき、誰かに褒められたとき、何かを達成したとき…などでしょうか。よく『ドーパミンがどばどば出てる』とか表現されていますが、あの状態のことですね。」


すべて説明し終えたよみは、ふうっと一息ついた。

知依ちよは、メロンパンを箱に戻しながら、何やら煮え切らない表情をしている。


「解説は以上ですが、何かまだ気になることでも?」

よみちゃんの説明はわかってるつもりなのに、わたし、的外れなこと聞きすぎじゃない??」

「的外れ…というほど外れすぎてもないと思いますよ。あと、話の流れ的にそうしていただけて助かってます。」


そういいながら、よみはにっこり微笑むと、知依ちよは満足げに立ち上がった。


「これからもそうします!説明ありがとう!今日の晩ご飯は任せて!!」


よみは「お願いします~」と言いながら、少し疲れた様子で伸びをした。

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