ラストのスパート


 キーンコーンカーンコーン


 昼休み終了五分前のチャイムが鳴る。僕が先生への用事を済ませて戻ってくると昇降口前の盛況も止み、守永も既に撤収を終えていた。あちこちに捨てられている守永の家の地図を踏まぬよう避けながら教室に戻る。


 ガラガラガラ


「お願いします!」


 扉を開けた途端目の前に入って来たのは、教室の後ろのスペースで、クラスメイトのむぎ千代子ちよこに土下座をする守永の姿だった。


「お願いします! 明日、チョコをください!」


 二十人以上のクラスメートが、並ぶ机の間に立って二人を見つめている。高校の昼休みとは思えない空気感に、僕は「すいませんっ」と姿勢を低くしながら教室前方に移動をした。


「僕、去年誰からもチョコもらえなくて、」


 それは僕もだ。


「だから今年は住所晒してでもチョコ貰おうと思って、」


 それがよく分からない。


「でもそれでも不安で……。麦ちゃんならこのお願い聞いてくれると思って!」

「……そ、それは、私の名前が麦チョコみたいだから……?」

「そう!」


 そうなんだ。


「だからお願い! チョコを明日ください!」


 絵に描いたような見事な土下座を、麦ちゃんの前で、いや、クラス全員の前で見せる。


「……わ、分かった。明日チョコ持ってくるから、」

「ほ、本当に?」

「うん。そこまでしなくても……全然チョコを持ってくるくらい」

「やっっっっっっったあああああ!」


 ここまで無邪気に喜べる男子高校生がいたのかと、こんなことで思わず感動しそうになってしまった自分を恥じた。



——「……さてと、帰るか」


 生徒数人が残る放課後の教室。守永がゆっくりと席を立った。


「ていうか、このペットボトルだいぶ軽くなってるな。みんなチョコ買うために持っていってくれたのかなぁ」


 そのお金持っていったの、男子だけだよ。ただお金だけが欲しかった、男子だけだよ。


「じゃあね、伊藤君」

「うん。明日、チョコ貰えるといいね。今日あんなに頑張ったんだし」

「まだ終わってないけどね」

「え?」


 守永はそう意味深な言葉を残し、軽やかに教室を出ていった。




 帰り道。雪は大方溶け、凍結した歩道が露わになっている。慎重に足を進めていると、前方から何やら声が聞こえてきた。見ると、すぐ横の車道の上を、スピーカーをつけた一台の車がこちらに向かってきている。


〈第一高校二年三組、守永、守永と言います。どうか皆様のバレンタインチョコを、わたくし守永によろしく……〉


 助手席から手を振る守永が、真横を勢いよく通過していった。


「……誰が運転してくれているんだ、あれは」


 たくさんの車の中に守永の宣伝カーが姿を消していく。深くついたため息が、雪が薄く残る街の風景をより一層白くした。

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