第3話 どん底からの這い上がり
大学には華やかなサークル活動がある。
私も大学で知り合った子と共に、サークルに入った。
そしてそこで、友人Aと再会した。
指定校推薦枠で争った間柄だが、私も結局同じ大学に入ることができた。だから過去は水に流し、変わりなく友人として接した。
入学からひと月。
サークルの会議が行われるために、お昼ご飯持参で集まった時の事。
友人Aの隣に座り、近況について話したりしていた。
そのとき机に置かれていた友人Aのスマートフォンに、かわいらしいイヤホンジャックが着いていた。
それを褒め、聞いてみたら、「この前テーマパークに行って買ったの」と言う。モチーフがそのテーマパークのキャラクターだったので、そうだろうと思っていた。
でも可愛いから、いいなーなんて返し、その場はそれで終わった。
あとあと、なんとなく、LINEの友達リストを見ていた。
あのころの友達は今、どんな風に変わったのかななんて思いながら。
アイコンやホーム写真から、少しだけ様子をうかがえるのだ。大人びたな、とかそんな感想を持つだけなのだが。
そこで友人Aの名前をタッチした。
アイコンはシンプルな花の絵。ホーム画面は何だろうという、興味から。
この時の私は、高校時代から付き合っていた彼氏と別れ、ただでさえ心が壊れているのに、追い打ちをかけるかのように心に傷を負っていた。その傷を少しでも直そうと、友人たちの写真を見たり、昔ながらの友人と連絡をしたりして傷をいやしていた時期。
友人Aとの仲も戻して、サークルも楽しもうとしていた矢先。
友人Aのホーム画面に映っていたのは、テーマパークで仲良くツーショットで写る友人Aと元カレだった。
元カレは別の大学に通っている。
となれば、わざわざ連絡し、会っていたことになる。
確かに私と元カレ、友人Aで高校時代にご飯を共に食べていた。だから面識もあるし、そこそこ仲がいいのもわかる。
だが、私と別れた後に一緒に遊びに行くとはどういうことか。普通ならば、そこそこの期間を開けないか?
というか、私と友人Aとの仲を知っていながら、女を乗り換えたんじゃないか?
この二人はもしかして付き合っているのではないか?
いや、私と別れる前から付き合っていた可能性も……。
振られた立場だったこともあり、まだ未練が残っていた私はあらゆる可能性を考えて、酷く混乱した。
元カレは、高校時代から後輩と浮気しているなどという噂がたびたびあった。だから、友人Aと浮気も、二股をしていても納得がいく。
別れた直後にも関わらず、仲睦まじくしている二人に私の心のモヤが大きくなった。
ただ私は、高校生の時から少し変わっていた。いつからなのかわからないが、嫌なことからは逃げるという選択を選ぶことができるようになっていたのだ。
ゆえに、友人Aと顔を会わすことから逃げるために、楽しみにしていたサークルをろくに何もせず、楽しむことも友人を作ることもなく辞めた。
先輩に辞める理由を聞かれたけど、適当に見繕って辞めた。
合わせて友人Aと完全に関わることをやめた。
友達がこれで一人減ったわけだが、高校時代の心の傷にさらに深い傷を負うことを回避できたので、この選択は正しかったと思う。
かといって、過去に生まれた心の闇は消えていない。
大学には頭のいい人なんてわんさかいる。高校よりも難しく、専門的な内容を学ぶため、理解が追い付かずにテストで再試験になることもあったために相変わらず、勉強はいい成績を修めていない。取り柄のない自分の存在意味もわからないまま、眠りながら枕を濡らす日もあった。
心の闇が祓われたのは、大学四年になってからだ。
もともと大学は六年間。五年生になると一年間実際の医療機関で実習を行う。その前段階として、最低限の知識や技術が見についているかを四年生の終盤に座学と実務面の両方をテストされる。
テストが近づくにつれて、嫌な事(テスト)から逃げ出したいって考えが頭を占める。
座学に関しては、問題なさそうな程度であった。それこそ問題集を何度も繰り返し説いていれば合格になるとも言われていたから。
気にかかるのは実務面。
内容は注射剤の混合や、教授が患者役に見立てた投薬、粉薬や軟膏の調剤。授業の一環で練習をしたが、それからしばらく日が空いている。頭の中で何度もシュミレーションしても、不安はぬぐえない。
落ちたらどうしよう。
行きたくない。
やりたくない。
逃げたい。
なんでこの学校に来てしまったのだろう。
いつしか思考が全部ネガティブになっていた私は、そう考えながら毎日登校していた最中に出会った。
とあるバンドの曲に。
ゲームとか漫画、アニメがもともと好きで、そこでタイアップしているバンドの曲はよく聞いていた。このバンドもその一つだった。
今までは曲を聞いても、「カッコイイ曲」「アニメまた見たいな」なんていう浅い感想しか抱いてこなかった。大学に入ってできた友人と共に、そのバンドのライブに行ったこともある。だけど、あまり深く好きになることはなくて、アニメタイアップ曲なら知っているけど、他の曲は知らないというレベルでとどまった。
今までも好きになったバンドこそあれど、数曲だけ聞くのみ。バンドメンバーもボーカルぐらいしか名前がわからない。CDも一、二枚しか買ってない。浅すぎるファン、それが私だった。
でも、この時のバンドは私に確変を起こす。
登校時歩きながら聞いていたので、その時はあまり歌詞を深く考えていなかったが、リズムがいいなと思い、学校に着いてから歌詞を詳しく調べた。
ここに歌詞は書けないので、かいつまんでいくと以下の内容である。
――過去に戻っても、どうせ今の場所にたどり着く。
うまくやれたはずとか思うだろうけど、過去に負った傷がなきゃ今の自分じゃない。
楽しいことばっかりじゃないけど、悲しいことばっかりでもない人生。
やっと行きついた。こっちで道は合ってる、見せつけてやれ――
的な内容だ。察しのいい人はどのバンドのどの曲かわかるかもしれない。
歌詞を見ながらもう一度、曲を聞いた。
そして高校から大学四年まで膨らみに膨らんでいた心の闇が一気にパッと消え去った。
そうだ、タイムマシンで過去に戻っても、どうせ今の場所にやってくる。勉強だって過去にもっといっぱいやろうとは思わないだろう。過去にもどっても同じ道をたどるなら、今、見せつければいいじゃん。結局同じ場所に来て、やっぱりな、なんて思うのだから。
今回のテストもチャンスなんだ。教授たちが試験監督として見ているのだから、その人に魅せつけてやればいい。自分はできるんだ、って。
私は私。
誰が何を言っても、それは変わらない。過去に抱いた傷も、自分で作った傷も含めて私だ。これがなければ、今の私はない。
周りがどうこう言うのなら、見せつけて黙らせればいい。外野は黙って見ていやがれ。私は私の道を行く。
他の人の目なんて知ったこっちゃない。私は私の好きにやる。私は私なのだから。他人の目で変えてたまるか。
急に自信に満ちてきた。それほどに変化を与えたのだ。
今でもそのバンドの曲は好きで、CDは全部買って、グッズも買って。初めてバンドメンバー全員の名前を覚えた。なんなら音楽そのものが特にバンド自体が好きになって、それをテーマにして小説を書くほどになった。カクヨム内で公開していて、そんな人気があるわけじゃないけど、好きだと言ってくれる人もいて、評価もたくさん貰えて、かなり満足している。
絶望から救ってくれた音楽で生まれた小説が、人を惹きつけたって思うと感慨深い。というか、あの絶望がなければ生まれなかったとも言える。心の傷を得てよかったな、うん。
そう思えるぐらいに、このバンドの、この曲が私を変えたのだ。
あんなにネガティブになっていたにも関わらず、私は変わった。
案の定テストも一発合格。一年間の実習も嫌だったけれど、この曲のおかげで乗り切った。翌年の国家試験もストレートで受かった。
受験時の心構えでさえ、大きく変わっていた。
落ちたらどうしよう。
ではなくて。
落ちるわけねぇ、に。
テストは全部チャンス。
魅せつけてやればいいんだ、黙って私を見ろと。
☆
同じように心を病んでいた友人たちも、今では結婚したり仕事をしたりとそれなりの生活をしているし、時間が傷をいやすこともあるだろう。
心の傷をえぐりそうになった、高校時代からの友人Aと元カレについては、今は何も知らない。関わる気もない。ただ、この二人のことを知っている友人にネタとして話すぐらいだ。
縁を切って正解だって言われるけど。まあ、縁を切ったことに後悔はしていない。いつの日か、ざまあみろ(笑)って言えるように、私は結果を作って見せつけてやろうとさえ思っている。
環境の変化で勝手に傷ついて心が病んできた私だけど、この変化があって、消えたいなんて思うこともなくなった。
むしろなんで消えたい感情でいっぱいになったのかわからない。
嫌なことがあれば、逃げればいいし、逃げられないなら見せつければいい。上には上がいるのは当たり前。私は平凡な人だから。だけど、平凡の私が本当の私だ。
学校でも社会でも、他人と比較されることはわかっている。今、社会人として働いている私も、周りの人にあれこれ言われたりすることもある。病んでいた私なら、それで泣いていたかもしれないけど、今の私の場合、流行ったあの曲のように「うるせぇな、黙ってろ。私はすこぶる健康だ」なんて心の中でつぶやいていることも多々ある(段々口が悪くなってきているのは秘密)。
心の声なんて人に聞かれないのだから、何を考えてもいい。都合の悪いことは心に秘めておけばいい。
ただ、本当に苦しいときは心の声は誰かに言うべきだ。それこそ、自分は必要のない人間だと思ってしまうのなら、それを言葉にしたほうがいい。私もだけど、家族には何も言わなかった、いや、言えなかった。そうやって身近な人に言えないのなら、SNSでもいい。ひとまず居場所を作らねば、安堵できない。
私は音楽だったけど、そこで出会った人によって、変わることができるかもしれない。
何なら医療機関にかかってもいい。一人で悩んで命を絶つケースがしばしばニュースになる。私自身、腕への自傷に加え、自分で自分の首を物理的に絞めたこともある。手で占めてたから、苦しくて手を離して生きていることを実感する……なんてことを。
こんなことをしていた私だから、少しは死にたい気持ちも理解できると思っているが、「私のことなんてどうせわかってもらえない、あんたに何がわかる」と思うのが大半だろう。
そりゃそうだ、全部理解するなんて無理だもん。だから専門の病院にかかる方がいい。今は多種多様な治療があるのだからね。医療系に進んでいるのだから、病気とか多少知っている方だよ。
まあ、居場所作りも受診勧奨も、あくまでも私の戯言なのでスルーしてくれて構わないさ。
☆
学生時代からおもっ苦しい思考を抱くこと七年。青春の大半を、いや、今までの人生の3分の1近くを消えたいという気持ちを抱いていたから、青春を謳歌したかと聞かれればうなずけない。
でも、その傷や苦しみがあったからこそ今の私がいる。呼吸苦になるほど悩んで苦しんだけど、あの頃の私があってよかった。今は心の底からそう思える。
最後に。
平凡で、めぼしい取り柄もない今の私が、私は好きだ。
このまま私は今日も生きていく。
了
消えたがりのわたしが変わるまで 夏木 @0_AR
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます