第十六話 平穏の丘より帰還する者


 その翌日。つまり、出撃の前日。カフィニッシュから東南に八十キロほど行ったところにある、ややうらぶれた町、バルチス。


 若きエースパイロット二人は、上官と共にそこにいた。キーフォルスが運転する軍用ジープは、未舗装の道を、速度の割には意外に穏やかに進んでいく。


 よく晴れた空は、どこまでも青く遠い。兵器に乗って飛ぶのでなければ、さぞかし気持ちのいい空だろう。


 早起きしたアーリアルとザクセンは、それぞれ着慣れた服装――ブラウスにスカートと、ツナギ姿――の普段着で出かけようとしたが、キーフォルスに軍服に着替えさせられていた。


「一応正装に近い格好で行け。相手への敬意というものがある」


 ザクセンは襟を整えながら、


「そういうものですか」


「そいういうところは、まだまだだな。空の飛び方以外のことを、もう少し仕込まねばならないな」


 キーフォルスはどこか愉快げだった。アーリアルは、この上官が、自分やザクセンが子供らしいところを見せるとやや上機嫌になることに気づいていた。


「そら二人とも、見えてきたぞ。オーリガの家だ」


 前方の丘に見えるのは、素人が手慰みで建てたような、押せば崩れそうなログハウスだった。


 周囲は丘陵で、低木の群れに囲まれている。丘林檎ヒルアップルや、袋ぶどうバギンググレープの畑らしい。背の低い木の上で、緑色の葉が横に広がり、真っ青な空を支えている。世界の無限と人の営みの小ささを、アーリアルは感じ取っていた。


「オーリガの奴、ぷいと軍を辞めたかと思ったら、あの家と畑を人から譲り受けて移り住んだらしい」


 ステアリングを握ったまま肩をすくめるキーフォルスに、アーリアルが訊く。


「その人、軍を離れてどれくらいになるんですか?」


「一年ほどかな。だが、あいつはそれくらいものともせんよ。今までにも何度か退役して、その度に出戻りした」


「不良なんじゃないですか」


「ま、不良というなら、アーリー、君やザックスにもその素養はある。結構気が合うんじゃないか」


 アーリアルが赤面し、


「不良って! 言うにこと欠いて! 優等生を侮辱して楽しむのは、教育者の悪い癖ですよ!」


「お前が言ったんだろ!? というか優等生だと思っていたのか、君!? ああそら、もう着くぞ」


 ジープは、特に仕切りもない玄関前の空き地に、それでも定規で計ったようにログハウスの壁に水平に停められた。


 三人は降車し、キーフォルスがドアをノックした。


「オーリガ! オーリガ、いるか? 私だ、キーフォルスだ。……え、嘘だろう、いるよな? 昨夜連絡したものな? おい、オーリガ!」


 キーフォルスのノックと声は、次第に力強さを増していたが。


「やめろ。ドアが壊れる」


 ログハウスの壁の陰から、のっそりと、長身の男が現れた。なるほど、確かに年の頃はキーフォルスと同じ三十手前くらいだろう。


 目の前に立ったオーリガ・アリンガムは、キーフォルスよりも背は高く体つきには厚みがあり、青みがかった長髪を適当に後ろへ撫でつけている。顔面にはいくつもの傷があり、鋭い目つきに迫力を加えていた。


「オーリガ! 久し振りだな。……要件は、昨日言った通りだ。もう一度我が軍に――」


「まず入れ。コーヒーくらい入れてやる。それにしても、お前の方からおれを軍へ引き戻そうとしたのは初めてだな。そこまで人手不足なのか?」


 招き入れられた中は、外から見たよりも広く感じられた。物が少ない。リビングの中央には楕円のテーブル、その脇には暖炉。あとは小さな本棚と、調味料の少なそうなキッチン。


 テーブルには、既にコーヒーのセットが置かれていた。客人三人を座らせると、オーリガは四つのカップに味も香りも濃い熱い液体を注いでいく。


「オーリガさん。初めまして、僕はザクセン・フウです。こっちはアーリアル・キングス。ところで、彼女はコーヒーが得意ではないのです。それに今日は暑いですよね。恐縮ですが、別の飲み物をいただけませんか」


「ザックス!」


 アーリアルが驚いて目を剥いた。気遣いは嬉しいが、コーヒーを用意して言いた相手にぶしつけではないか。


 だが大柄な主人は、のっそりと冷蔵庫へ向かい、グラスにアイスティを注いで戻ってきた。


「キーフォルス、お前が二人ほど連れてくるというから、てっきりパイロットか何かだと思ったじゃないか。何だこの子たちは。軍属か?」


「この子たちは、ワーズワースから来たエースパイロットだよ、オーリガ。エースというのはワーズワースのではなく、サントクレセイダのだがね」


「何……? そうかね。おれを推し量るような生意気をやるからには、それだけの器かな」


「オーリガ、少し変わったな。何というか、陰気になった。以前は戦闘機体ゾディアクスを降りても、そんなに落ちくぼんだ眼はしていなかっただろう」


「変わるさ。弟が死んだんだからな」


 アーリアルが身を固くした。テジフ・アリンガムは、気のいい人間だった。わずかに知り合っただけのアーリアルにもそれくらいは分かる。兄弟として共に育ったなら、兄はあの弟にどれほどの思い入れがあるだろう。


「オーリガ。そのテジフと、最後に一緒に戦ったのが、この二人だ。そして最後に言葉を交わしたのが、このアーリー――アーリアルだった」


 アーリアルとオーリガの目が合う。


「君が……?」


「はい。すみません、私はレグルスに乗りながら、弟さんを勝利の場へ生きてお連れすることができませんでした」


「レグルスだと!?」


 オーリガの顔色が変わった。


「そうだ、オーリガ。この二人はどちらもレグルスに乗っている。それもフロックではなく、私やお前を上回る才能の持ち主だということを保証しよう」


 それをザクセンが聞きとがめた。


「キーフォルス中尉、そんなおっしゃりようは」


「構わん。事実だ。ザックス、君はやはりそのくらいの殊勝さが似合うな」


 そんな二人の掛け合いに構わず、オーリガは身を乗り出した。

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