第十四話 論陣


 何とか逃げ切り、カフィニッシュ基地に戻ったのは、アーリアル、ザクセン、そして戦闘はほとんどしていないのに憔悴しきったトーキンの三人だった。


 格納庫で機体を降りたザクセンが、


「キルティキアン……ビーム砲が二の太刀いらずなんて予想以上だ。……これでは……」


 とつぶやく。


 トーキンは、基地長のもとへ、四人と一人の戦死を告げにふらふらと歩いていく。


 それを見送りながら、アーリアルが、ザクセンに顔を寄せた。


「ザックス、知っているの? あの敵パイロットのこと」


「……うん」


 ザックスは、頭半分ほど低いアーリアルの顔を見つめた。


「……兄だ。シヴァにいた父も母も、他の親族も、兄が全て殺した。だから僕はシヴァを出た。僕は、亡命者なんだ」


 息を呑んだアーリアルをその場に残して、ザクセンは歩き出す。慌ててアーリアルが追いかけた。


 国を越えての移民は珍しくはない。だがそれは、サントクレセイダ統治領内での、属国間の話だ。シヴァからの亡命者であれば、厳しい詮議と差別の目にさらされるのが当たり前だった。


「ザックス、私は」


「分かってる、君は僕の出自や生まれた土地で判断したりしない。でも、そうじゃない人に囲まれて僕は生きてきたんだ。あいつを、必ず殺す。そのために僕はパイロットになった。キルティキアン・フウの弟、ザクセン・フウ。……おぞましい姓だ。家族殺しで成り上がった男と同じだなんて。マコも殺された」


「姓なんて、気にすることない」


「そうだね。でも、僕はできることなら、正式に姓を変えたいよ」


「変えられるよ、手柄を立てれば、いつか法律も変えられる」


「それなら僕は、キングスがいいな」


 アーリアルは眉根を寄せた。


「それじゃ、一つ場所にキングスが二人になるじゃないか。ややこしいよ」


 それを聞いて、ザクセンはアーリアルを見たまま、何度か目をしばたたかせる。


「ザックス?」


「……うん。いや、いいんだ。弱気になって、ばかなことを言った。マコみたいな子供が死んだ日に。ひどいな」


 何も言えなくなるアーリアルに、ザクセンがひらひらと手を振って、報告のためにキーフォルスの元へ向かった。


 薬がいよいよ切れようとしている。メンテナンス用の弱い薬で、何とかもたせなくてはならない。恐らく、すぐに会議が開かれるだろう。


 アーリアルは、意を決して声をかける。


「ザックス、もう一つだけ聞きたい」


 ザックスは、彼らしからぬことに、振り向きもせずに背中で答えた。


「いいとも。部屋で支度したらすぐに会議室に行くから、そこで――」


「体に薬を入れてる?」


 ザクセンは息をのんだ。足が止まる。


 ごまかさなくてはならない、と思う。しかし、まさにその薬が切れる間際は、ほとんど頭が働かなくなる。


 結果、ザクセンは、自分の頭がまともな時であれば最も愚かな答えだと判じたであろう言葉を、薄く開いた口から口からこぼれさせた。


「言えない」


「どうして」


「君に嫌われたくない」


 そう言ってから、ザクセンは振り返った。二人の目が合う。少年だけが苦笑した。


「言ったのと同じかな」


「私は、ザックスの口から聞くまで、何も決めつけないし、信じもしないよ」


 少女の方も笑った。ザクセンとは違う笑みだった。


 だから、ザクセンは告げてしまった。


「使っているよ、薬を。ずっと前から。たぶん死ぬまで」



 キーフォルスが、地方地図を指で指し示しながら。


「どうやら、キルティキアン・フウは、この領域を離れたようだ。シヴァ軍の軍容に変化がある」


 カフィニッシュの主だった軍人が集められた会議室は、人が減った分、アーリアルにはずいぶん空いて見えた。


 トーキンが挙手した。


「なぜでしょう? 現在、近隣の敵軍において、レグルス二機に対抗できるのはあのキルティキアンのみでしょうに」


「向こうさんにも都合があるんだろう。単に、ここよりももっと注力せねばならない地域があるのかもしれん」


 アーリアルは、胸中で安堵のため息をついた。ザクセンが何と言おうと負ける気で挑むつもりはないが、あの敵と戦うと、また何か、取り返しのつかないことが起きそうな気がする。


 ザクセンはアーリアルを過小評価してはいない。そして、キルティキアンのこともよく知っているだろう。その上で今日の様子なら、本当にこちらの旗色が悪いのだ。ザクセンとの二人がかりでさえ。


 戦うとなれば躊躇はないが、現状不利であるのなら、わざわざ蛮勇を振るいに行くことはない。


 はて、とアーリアルは首を傾げた。自分はもっと猪突猛進な性向があると思っていた。それとも、初陣から今日までのわずかな間に、急に臆病になったのだろうか。


 胸に沸いた疑問を脇へやって、アーリアルが進み出て発言した。


「キルティキアンがいなくなるだけですか? 軍容が変わるって、それだけなんですか?」


 キーフォルスが、ぱんとテーブルを叩く。


「もちろん違う。どうやら、相当数の戦闘機体ゾディアクスをこの付近に集めるようだ。恐らく、一気に押し込みに来るのだろう。カフィニッシュだけでない、マルチマイルの再奪取と、ワーズワースまでも狙っているだろうな」


 アーリアルの顔色が変わる。


「ワーズワースまで……」


「ワーズワースは山に挟まれた隘路あいろにあり、かなり狭所きょうしょとなる地域もある。街道は大きなものが一本だけだ。だから攻め込まれにくく、打っては出やすい。一度手に入れれば、拠点としては優れた要素が多い。サントクレセイダの中枢への足掛かりとしては、有用な土地だ」


「じゃあ、このカフィニッシュで敵を追い返せば問題ないんだ」


 言い聞かせるようなアーリアルの言葉に、キーフォルスがうなずく。


「そうだ、アーリー。だからカフィニッシュは、以前より、彼我が激しく奪い合ってきた。気骨ある土地だが疲弊している。再度ここを取られれば、押し込まれれば防げんだろう。辺境の小競り合いに見えて、その後の大勢の行方さえ左右しかねん。敵の出方によっては、一気呵成にサントクレセイダ首都へ押し寄せてくることも有りうる。もっともこれは、シヴァが玉砕覚悟の部隊を編成するような真似に出れば、だが」


 それまで静まっていた、カフィニッシュのゴルデン基地長が、テーブルの周りを見回して言った。


「よいな、死力を尽くしてこの基地を守る。レグルスに頼りすぎるな、自分たちの戦い方をすれば必ず勝てよう」


 それを聞いて、アーリアルの頭に血が上りかけた。


(ばかなこと)と息を吸い込み、(戦闘は、いかに自分らしく戦わせないかに全てがかかっているって、私にだってもう分かっているのに。敵も生き物なのに、木石ぼくせきか何かとまちがえているんじゃないか)


 そう口に出してしまおうかとしたアーリアルの肩を、細く白い指がぽんと叩いた。振り向くと、ザクセンが唇に指を当てている。彼が一度部屋へ入ってからのち、顔がいつもより幾分青白いのは気のせいか。


 ザクセンが歩み出た。


「ゴルデン基地長、キーフォルス中尉。進言申し上げます。恐れながら、我が方が寡兵であるならば、機先を制して打って出るべきではないでしょうか」


 ゴルデンが含み笑いで答えた。


「ならんな。この基地を拠点に防衛に徹すべきだ」


「しかし、援軍なき防衛線に活路はありません。このカフィニッシュに増援を出せる基地は、周囲にありません。マルチマイル周辺は立て直しの真っ最中です。そもそもワーズワースを含め、この辺境にレグルスが二機も配備され、シヴァを撃退せしめたのは、敵にも味方にも想定外のことだったはずです。元々手薄な戦場だったこの地に、集結させられる戦力は近隣に望めないでしょう」


 不機嫌な顔のゴルデンを制して、キーフォルスが答えた。


「ザクセン、確かにそれは一理ある。だがこちらから打って出るとして、数的優位な戦陣を敷くであろう敵に、どのように戦うのか、腹案はあるのか?」


「はい。北方にある敵拠点のガーナ基地軍が、南進してこのカフィニッシュへ攻め込むにはいささか距離があり、兵站を考えても陸路を活用するでしょう。すると、彼我の基地は東路とうろ西路さいろの二つの街道が結んでいますから、敵はこれらを二手に分けて進軍してくるでしょう」


 ゴルデンが、そこで遮る。


「一路のみに集中させてきたら?」


「もう一路を通り、小官とアーリアルのレグルスでガーナ基地を急襲します。数体の戦闘機体ゾディアクスを僚機につけていただければ、充分勝てます」


「ほお。では、敵が陸路を使わずに、あえて空軍のみで攻め込んで来たらどうか?」


「それは玉砕の軍です。急戦を避け、緩慢を強いれば、敵は燃料切れでおのずから退くでしょう。むしろくみするにたやすくなります。……もう、先をお話してもよろしいでしょうか。東西二路より敵が攻めてきたならば、我が軍も隊を二つに分けます」


 またもゴルデンが身を乗り出してきた。


「ほおほお。戦力分散の愚を、自ら犯そうと言うのか」


「恐れながら、無策ゆえにそうするのではありません。まず一隊は防衛に徹し、即戦を避けます。そしてもう一隊、こちらに小官とアーリアルを配し、急戦にて敵を退けます。そして防戦している一隊と合流し、逆にガーナ基地に攻め込むのです」


 アーリアルは、ちっ、という音を聞いて数呼吸してから、それがゴルデンの舌打ちだと気づいた。


「早熟な少年は、机上の弁を好むと見えるな! お前たちが敗走するか、そうでなくても数で上回る敵に苦戦し、時をいたずらに費やしたならばどうなる」


 ゴルデンの顔面の上半分が、やや赤黒く染まっている。


 この程度の献策で、何をそんなにいらつくことがあるのか、ザクセンは大人のメンツというものを測りかねた。だがカフィニッシュには、先の四人を空に散らせることとなった基地長への批判が、外の町から突き刺さっていることを思い出し、胸中で得心する。


 そこへキーフォルスが割って入った。


「基地長殿、私はザクセンの提案には、一理あるかと愚考します。いかがでしょう、荒削りながら有効であろうこの作戦を、我々で実戦にて戦勝叶うよう磨きあげるというのは。基地長殿のご経験を、ぜひ生かされたい」


 他者に見えないよう、キーフォルスがザクセンに目くばせした。ザクセンも目礼でそれに応える。


「ふん、キーフォルス中尉がそう言うなら、我が知見を加えることを一考してやろう。わしとて、怯えて縮こまるために篭城しようというのではない」

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