第八話 カフィニッシュ基地の夕闇


 二時間後、ワーズワース軍が迎え入れられたカフィニッシュ基地の作戦室では、快哉が叫ばれていた。


 この作戦室は元々学校として使っていた建物を改造したようで、まるでアーリアルの田舎の校舎のような趣があった。


 まだ日は高かったが、マルチマイルの実質奪還を祝って祝杯まで上げかねない勢いで、将校たちは騒いでいる。


 先ほどアーリアルらと共闘したトーキンが、鼻息荒くキーフォルスに駆け寄った。


「キーフォルス殿、ワーズワース国は素晴らしい俊英がおられる。お若いとは聞いていたが、まさかまだあんなに愛らしいご年齢とは」


おもはゆいことです。もっとも、彼らの手柄は私が誇れるものではありませんが」


「その英雄の姿が見えないようですが」


「ああ、少しその、大人たちの熱気に当てられたようでして」


 気が急いていたアーリアルたちは気づかなかったが、この日最初の戦闘で、苦し紛れに敵の放ったビームが、ワーズワースの戦闘機体ゾディアクス一体のコックピットを貫き、パイロットを即死させていた。


 そのことをアーリアルとザクセンが知らされたのは、このカフィニッシュ基地にレグルスを下ろしてすぐだった。


 二人は覚えたての顔が見えないことに気づき、戦果発表の前にキーフォルスに確認しにきた。


 死んだのは、つい数時間前にアーリアルと口論し、そして仲直りした、テジフだった。


 それを知ったアーリアルの落胆ぶりは、キーフォルスにとっても意外だった。


「あの少女、味方が死ぬとああなる性格なのか。普段の様子からはそう見えないほどに、繊細なのかもしれないな」



 太陽は、山の端に消えかけている。


「ここにいたのか、アーリー」


 校舎の二階の隅、端の欠けた木の椅子が二三個置かれているだけの教室に、アーリアルは座っていた。


「私、テジフ軍曹のこと、全然気づかなかった……こうすれば勝てるって、もっと勝てるって、それに夢中になって」


「それが悪いわけじゃない」


「謝らせたまま、死んでしまった……」


 ザクセンは銀色のトレイに、二つのカップを乗せていた。


「お飲み、アーリー。温かいものを体に入れるんだ。その上、透き通ってきれいなものならなおいい、打ちのめされている時にはね」


 ザクセンが紅茶を差し出す。アーリアルはそれを両手で受け取った。冷える季節ではなかったが、指先が冷たく震えている。


「私、アーリアルっていう自分の名前が嫌いだった」


「どうして?」


「お母さんの故郷の言葉で、空とか、空中って意味なんだって。空を飛びたい子にぴったりだって皆に言われた。でもまるでそれって、私がつけたわけでもない名前が、私のことを決めてしまったみたいで」


 アーリアルの向かいに立っていたザックスが、椅子を一つ出して、隣に座った。


「そんな風には、僕たちには見えていないよ」


「そうして名前通りに空を飛んだって、やってることは人殺しなんだ。空にいる方が上手に人が殺せるだけなんだ。テジフ軍曹は死んだね、私は、まだ仲がよかったわけでもないのに悲しいよ。でも私がレグルスに乗って、大事な人や好きな人が死んだって人が、どんどん増えていくんだ」


「アーリー、君のその感じ方は……」


 アーリアルは、伏せていた顔をぱっと上げた。弾みで、目元から落ちた雫が空中に散る。


「分かってる、おかしいよね! 誰にだって言い負かされるんだ、矛盾でさえないって! それでも、助けてくれそうな相手の話を聞こうと思って、大人しくすることもる、でもそれは黙り込んでしまったことにされて、負ける! でも、私だけが正しいかもしれないから、せめて」


「そうじゃない。君の感じ方は、僕と同じだ」


 二人の視線が、かちりと合った。


 濃くなった黄昏の中、細く突き刺さるように差し込む西日の名残に照らされている、自分と同格の天才の顔を、アーリアルは見た。


 その輪郭が、再び滲み出した涙でぼやける。


「……私は、同世代で私と似てる人なんて、いないと思ってた。……ずっとそう言われてきたから」


「君が僕を認めてくれるなら、僕は君の隣にいられる。……名前が嫌いなら、別の名前で呼んだっていいんだ」


「……今は、嫌いじゃない。ザックスがそう呼んでくれたんだもの」


 アーリアルは、ようやく紅茶に口をつけた。


 ザクセンは、アーリアルがこれまでに身を浸してきた孤独を思った。


 飛び抜けているからこそ、仲間と認めてもらえない。そんなことを気にしないでと、両手を広げて迎え入れてくれる人たちに甘えようとするほど、彼らとの差がはっきりと感じ取られ、線が引かれていく――お互いに。


 近づくほどに違っていく。その違いで傷つけ合う。それはまさに、ザクセンが味わってきたのと同じ感覚だった。


「ザックス。次の出撃、私と二人で飛ぼう。二人だけで。他には味方なんていらない。レグルスの浮遊フロートエンジンなら、パイロットだけでも出撃できる」


「……自暴自棄になっている?」


「違うよ。私とあなたなら、死なないでしょ。私、もう味方に死んで欲しくない。一番人が死なないように勝ちたい」


 はは、とついザックスは笑った。


「アーリー、いくらなんでもそれは買い被りだよ。今まではともかく、本来戦闘において数の差は覆しがたい。それに、次の出撃って、もう数時間後かもしれないよ」


 ちょうど、窓の外の陽が落ちた。空の橙色が駆逐され、一気に濃い群青色が落ちてくる。


「数時間後? 今夜ってこと? それこそ、いくらなんでも」


「マルチマイル付近の残敵だけじゃなく、このカフィニッシュを攻めていたシヴァの部隊が近くに駐留しているだろう。それがいつ来るかだ。司令官が無能なら、引っ込んだままでいてくれる。並程度なら、体勢を整えて明朝には攻めてくる。有能だったら……」


 その時、警報が基地中に鳴り響いた。


「招集!?」とアーリアルが叫ぶ。


 ザクセンが肩をすくめた。


「参ったな。有能な敵らしい」


「くっそお! ミサイルは使い切ったし、ビームだって補充が!」


「そうだね。どっちも、カフィニッシュに着いてすぐに補充しておいてよかったよ」


 アーリアルが、目をぱちくりとさせた。ザクセンが苦笑する。


「取り越し苦労に終わってくれた方が、ありがたかったけど」

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