第五話 マルチマイル空中回廊へ


 アーリアルは、自分で思うほど、戦うことを割り切れていたわけではなかった。


 事実初陣の日の夜は、ザクセンと別れて、割り当てられた軍人寮の一人部屋の中で怖い夢を見た。朝起きた時には、頬に涙の跡が、まだ乾ききらずに残っていた。


 しかし。


「次の作戦は、マルチマイル空路の奪還だ。ここは東方で孤立した我が軍の基地、カフィニッシュへの中継地点になる。カフィニッシュ空域の制空権を取り返すために、マルチマイルの空の回廊からシヴァ系の勢力を追い出す」


 そうキーフォルスから説明を受けたワーズワース空軍部隊が出征したのは、アーリアルの初陣から僅か三日後のことだった。もちろん、アーリアルとザクセンも参加している。


 初陣と違うのは、さすがにアーリアルもパイロット・スーツを着ているのと、正式にレグルスを下賜かしされたことだった。


 キーフォルスの上奏により、この時には軍本部とサントクレセイダ本国より、アーリアルの最新鋭機騎乗について王の許可が降りていた。


 あまりにも早い裁可であり、新人には本来考えられない待遇だったが、元々キーフォルスが軍上層部で高評判なのと、彼の申請書類の出来がひどくよかったらしい。多少の欺瞞は交えたようだったが。


 マルチマイル近辺の空は空中回廊と呼ばれ、長い山脈と乱気流帯に挟まれており、その間を縫う交通の要所としてかねてより航空機の往来は多かった。


 かつてはサントクレセイダの領地だったが、要衝だけに激しい奪い合いがシヴァとの間で繰り返されており、現在はシヴァの駐屯軍が近隣の基地に居座って制空権を掌握している。


 マルチマイルの近くにサントクレセイダ側の軍が使える滑走路があるので、ワーズワース空軍のパイロットは、全員が同乗したトレーラーでそこへ向けて移動していた。戦闘機体ゾディアクスには滑走路は不要だが、部隊には通常の戦闘機も含まれている。


 周囲は鬱蒼とした森で、舗装されていない荒れ地を走るトレーラーの中は、シェーカーのように揺れた。


 道中、しめて十人のパイロットが居並ぶトレーラーの中は、いきおい歳若い二人へ声がかけられることが多くなる。


 二十代前半のパイロットが一人、アーリアルに笑いかけた。


「気をつけて飛べよ。お前さんの腕がいいのは、もう知ってるけどよ」


「そんな、お出かけみたいに。人殺しに行くのに」


 低い声で答えるアーリアルは、既にかんの虫が騒いでいた。


 このパイロットはテジフ・アリンガムといったが、この返答に鼻白んだ。それから薄笑いを浮かべて、


「なんだ、ヒステリーか? 親が恋しくて、寂しいんだろうな」


「そんなからかい方をして! 親元から出て寂しくないって、誰が言ったんです!」


 辛うじて敬語の文体で答えたアーリアルの言葉は、しかし更にテジフを煽った。


「この、子供が!」


「そうですよ、私は子供ですよ! 親の子供だから、家を出た時は怒られたし、泣かれましたよ! でもね、サインしたんだ、二人とも、軍の同意書に! その時もううちの子じゃないって言われて、じゃあなんで私は怒られたんです!」


「軍人には、自分から望んでなったんだろう!」


「自分のやるべきことをやろうとしたら、親に棄てられても望み通りだねって話もないでしょう!」


「お前さん、分からん話をするな!」


 そこで、ザクセンが割って入った。


「アーリー、テジフ軍曹は君のことを思って言ってくれたんだ。それは分かるだろう? 今の態度は、好意に対してよくない」


 アーリアルは、両手で顔を覆って下を向いた。肩を震わせ、絞り出すような声を小さく漏らす。ごめんなさい、と言ったのが、辛うじてテジフにも聞こえた。拍子抜けしたテジフに、ザクセンが耳打ちする。


「テジフ軍曹、アーリーがすみません。……実は今朝、アーリーの元に役所から通達が来たんです。彼女の両親が、親権を放棄したって」


 テジフは息を飲んだ。


「アーリーは、口では何と言われても、遠く離れても親は親だと思っていました。今は仲違いしていても、それは変わらないと。なのに、一方的に……」


 テジフは、軍帽を取り、努めてはっきりとした声でアーリアルに詫びを告げた。


「お前さん、悪かった。そうだな、人の様子が何かおかしい時には、何かしらの理由があるよな。さあ、元気を出してくれ」


 テジフがそう言い終わった時、いきなり、トレーラーの外から轟音が響いた。


「エンジン音!? 敵機!?」とザクセンが叫ぶ。「まだ、マルチマイルとは離れているのに!」


 十人のパイロットは騒然として、外の状況をあらためようとした。キーフォルスが、先行していたジープからの無線を受け、他の九人に伝える。


「どうやら敵部隊の哨戒班に見つかったようだ。くそ、この辺りの警戒は薄いと聞いていたが。これでは、目当てにしていた滑走路は使えんだろうな。それ以前に、ここを切り抜けなくては……。敵は地上部隊は確認できず、空に十機だ」


 十機も!? と何人かのパイロットが叫んだ。


 ザクセンが、


「トレーラーを停めてください! 後続車が戦闘機体ゾディアクスを引いていますよね、出撃しましょう!」


キーフォルスがうなずく。


「よし、人型機と可変機は、人型で浮遊フロートエンジンで飛べ。戦闘機形態の機体は飛ばんでいい。攻撃の自由度のない機体でただの垂直上昇では、敵の的だ」


 戦闘機体ゾディアクスの形態には大きく分けて三種類ある。レグルスのように人型と戦闘機形態とに変形できる可変機、人型固定の機体、そして飛行機型固定の機体。


 浮遊フロートエンジンを積んでいる戦闘機体をゾディアクスと呼ぶので、飛行機型固定の機体も滑走路なしで高空まで浮かび上がることはできるのだが、手と腕マニピュレータで武器を使える人型に比べて、火器使用の自由度が極端に低い。


 結果、アーリアルとザクセンを含め、七人がトレーラーから降りて、後続部隊の元へ走った。ワーズワースの基地長は基地に残っていてこの作戦に参加していないため、キーフォルスがトレーラーに残って指示役を務めることにする。


 ワーズワース軍の面々は木立の間の空を見上げたが、幸い上空からの攻撃はまだなかったので、すぐ後ろに着いてきていた味方にすぐに邂逅できた。


 機体搬送用トレーラーの荷台に横たわっている戦闘機体ゾディアクスの布カバーと固定用ロープを解き、めいめいのパイロットたちが乗り込んでいく。


 滑走路で加速をつけてマルチマイル上空に突っ込む予定だったため、可変機は飛行機型になっている。


 アーリアルとザクセンはコックピットに飛び込むと、地上で変形の操作をした。たちまちレグルスが人型をとり、右手に専用のBBビーム・バレットシューター、ムスペルヘイムを構える。


 この時、識別のため、アーリアルのレグルスは白色、ザクセンのそれは黒色にカラーリングが分けられていた。


「出ます!」とアーリアルが叫ぶと同時、白黒二機のレグルスを含めた、七つの人型の戦闘機体ゾディアクスが離陸した。


 前方に、これもやはり人型をした、十の黒い影が見えた。アーリアルには見覚えのある、シヴァの遠距離戦用機体ウルシェダイ、それと接近戦用機体ハルディバンの混成部隊だった。


 敵機は、今にも地上のキーフォルスらを撃とうと狙いをつけている。アーリアルはぞっとしながら、ムスペルヘイムを実弾バレットモードにして威嚇射撃を放った。まだこの距離では敵を撃墜することはできないが、ビームモードはたとえ出力をセーブしても二十発ほどが限界のため、威嚇に使うには惜しい。


 サントクレセイダ側は、レグルス二機の他、遠距離戦用機体ハーマル接近戦用機体アクベーネの混成部隊だった。


 レグルスがある分、三機程度の数の不利は補える、とアーリアルは見込んだ。


「上っ! 行きます!」とアーリアルが叫ぶと、威嚇を受けてこちらを認識した敵機の上方に向かって加速した。


「いいね、アーリー!」とザクセンが続く。


 その両機ともがほぼ横並びになって斜め前方に上昇し、他の五機は、この動きに遅れた。


「おい、勝手な行動は……」「なんだあの動き。俺たちも続くべきか……?」「しかしあの二機、加速しすぎだ。あれじゃ敵を追い越しちまう……」


 そう通信が交じりかけた時、地上からキーフォルスの指示が飛んでくる。


「レグルス二機は、敵を飛び越えたところで回頭する。残った五機は、敵の上方、やや手前で止まれ。前後の上部から、火線がV字になるように、敵を挟み撃ちにしろ」


 そう告げた後に、通信を切って、ついキーフォルスは嘆息した。


「あの二機、敵も味方も置き去りにしてしまうな……。それにしても、ザックスが挟撃を前提として戦うのは分かっていたが、アーリーもか。非凡なことだ」


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