第四話 心の邂逅


 地上に降りて、ヘルメットを脱いでから、ザクセンは自分がツナギ姿で飛んだことに気づいて、苦笑した。


 レグルスの簡単な点検だけを済ませてから本職の整備工に後を任せ、出撃後の面倒な書類を書くために軍事務所へ向かう。


(それにしても、アーリー、彼女は……)


 自分と同格のパイロットとしてザクセンが紹介された時、彼女が憮然とするのも無理はなかった。その優秀さはザクセンの耳にも、かねてから届いている。


(噂通りの成績なら、いきなり操縦ができるのは、まあ、ないことじゃない。そのためのシミュレータ訓練なんだし。でも、一度横に並んでから上下に分かれた、あの動き……)


 ザクセンはあの時、失敗をしたと思った。自分が下に行くから君は上へ行け、と具体的に言うべきだったと。


(地上五十メートルほどの高度で空中戦をしていた僕を追って、彼女は下から浮き上がる軌道で飛んでいた。だから彼女はその余勢を駆って上へ行き、後退していた僕は重力を使って下がるのが妥当だ。確かにその通りだけど、全く躊躇なくそうするなんて。……それも初陣で)


 軍事務所のドアを開けると、先輩の軍人たちが三人ほど戻っており、敵の急襲を退けたザクセンをねぎらってくれた。それに愛想を返しつつ、ザクセンの頭の中はアーリアルで一杯だった。


(まるで空で自分がどうするべきか、全て分かっているかのようだ。上下に別れた後、僕と互い違いに敵を撃ったのもそうだ)


 《オートディフェンス》は、AIが行う。そして戦闘機体ゾディアクスのAIは、パイロットの脳波と無線で直結している。そのため、パイロットが全く認識していない方向からの攻撃に対しては、AIの反応も鈍る。


 それに加えて、ADオートディフェンス対策の攻撃の仕方というのもある。


 ビームを自動的にかわす機能を逆手にとったもので、たとえば敵を撃つ際、機体の正中線よりもやや右側を狙う。そうするとオートディフェンスは左へかわすため、二撃目をあらかじめ、左の方を目がけて撃っておく。するとさすがに連続ではかわしきれず、ヒットしてしまう。


 だがこれは、そこまで精妙な射撃は難易度が高いことと、外れれば貴重なビームが無駄弾になってしまう危険がある。


 だから、戦闘機体ゾディアクスでの射撃戦は、いかにAIジャマーが機能する距離まで接近するかが重要になるのだが。


(あの時僕は、三発撃てと言った。確実に仕留めるには、一発目を囮にした後、わずかに射線をずらして二発撃つのが有効だからだ。僕が自分ならそうするから。彼女は、それをいきなり指示されて、全て汲み取った上で瞬時に実行に移した。しかも、当てた……)


 書類を書き終わり、先輩たちが軍事務所を後にして帰宅しても、ザクセンは自分の椅子から立てずにいた。


 これから、自分とアーリアルは、どんな人生を送るのか。そんなことを考える。戦争を終わらせる夢を笑わない。そんな人間は、自分しかいなかった。アーリアル・キングスと会うまでは。それでいて、彼女には才能も実力もある。こんな、地方の小さな基地にそんな人間がいる。


(こんな出会いがあるのか)


 既に日が暮れ、夕食の時間にも遅くなろうとしているのに気づき、ザクセンは立ち上がった。


 食堂のマリィのところに行けば、適当に何か食べられるだろう。


 その時、事務所の扉が開いた。


「あ、よかった。ザックスがいた」


「アーリー……」


「マリィにサンドイッチを作ってもらったんだ」


 アーリアルは、とうのトレイに乗せた二人分のバゲットを、ザクセンに突き出す。


「お腹空いてないか?」


「……今、空いた。凄く」


「なんだそれ」とアーリアルが笑う。


 二人は手近なテーブルに着いた。


「コーヒーももらってきたよ。ザックスは飲める? 砂糖とミルクはないけど」


「わあ、嬉しいな。アーリーもストレート?」


「いや、ザックスの分しか持ってこなかった。あなたはいつもストレートだってマリィが言っていたから」


「え?」


 ザクセンが見ると、トレイには挽いたばかりのコーヒー豆が乗っていた。


「ザックスがいつも、ここで自分で入れて飲んでるって聞いたんだ」


「ああ、コンロはあるからお湯くらい沸かせるし、ドリッパもフィルタもあるからね。紅茶か何か、アーリーももらって来ればよかったのに」


 アーリアルの分はどうやら、バゲットの傍らに添えられた、細かい傷だらけのグラスに入った水のようだった。


「私はこれでいい」


「ちょっと待って。アーリーはコーヒーが飲めるの?」


「少しなら」


「じゃあ、ちょっと待っていて」


 ザクセンは手際よく抽出を始め、やがてコーヒー・ポットに褐色の液体が溜まった。アーリアルが見たところ、一人分の量に見える。


「アーリー、自分用のマグをもらっていただろう。それを貸して」


 アーリアルが自分のデスクからマグを出して渡すと、ザクセンは自分のカップと交互に、ポットの中のコーヒーを注いだ。


「はい、どうぞ」


「これじゃ、ザックス、あなたが半分しか飲めないのに?」


「僕は飛んだ後に熱いコーヒーが必要なだけであって、量が要るわけじゃないんだ。それに、これくらいならアーリアルも負担にならないだろう? 僕たちみたいな二人がコーヒーを飲むのに、一番おいしく飲める方法なんだ。乾杯」


 ザクセンがカップを軽く持ち上げて、二三度空中で揺らした。


「僕たちみたいな二人って?」


「分かり合えそうな二人さ」


 あはは、とアーリアルは気負いのない笑いを返す。


「いただきます。……いい匂い。……そしてとても苦い」


「苦かったら、僕が砂糖をもらってくるよ。ううん、これからはここに置いておく」


 平気、とアーリアルは猫のように舌を伸ばしてコーヒーを舐めた。


 行儀は悪いが、ザクセンはとがめない。


「それにしてもアーリー、君、その格好のまま飛んだの?」


 アーリアルは、この基地に着いた時のままのブラウスと、赤いスカート姿でいる。


「急いでたからね。ザックスこそ、ツナギで飛んだでしょう。変なの」


 二人は、笑いながらサンドイッチにかぶりついた。歯ごたえのあるパンの間の、トマト、魚の塩焼き、酢漬けの野菜。それらの味わいが、舌から、疲労した体に染みていく。


「この時間になると、この事務所、誰もいなくなるのね。昼間とは違う部屋みたい」


「アーリー、君も、まるで昼間とは別人みたいに穏やかだね」


「……私、かんが激しいんだと思うよ。まともじゃないのかもしれない」


「理性の欠けた人は、ただの同僚に食事とコーヒーを運んでくれないよ」


「夜になると少しましになるだけなんだ。朝が怖い。私って、正真しょうしんは、どんな人間なんだろう」


「君には人格の煌めきがある。君と同格の僕を信じるんだ」


 アーリアルが、落としていた視線を上げた。ザクセンは微笑のない唇を、まっすぐに引き結んでいる。


「……私は、本当は今日、戦闘の後で、もっと思い悩むと思っていた。今日撃墜した人たちが全員脱出できたとは思えない、何人かは死んでるよね。私が殺した……」


「アーリー、それは」


「分かってる、仕方のないことだって。逆なんだ。私は、そうとは割り切れずに、人殺しをもっと悔やむと思ってたんだ。もっと苦しむって。日常の中で一人殺せば凶悪犯、だけど戦場で百人殺せば英雄だって、悟ったつもりの俗人が言うでしょう。でも私は、もっと苦しむと思ってたのに」


「……あまり実感がない?」


 アーリアルがかぶりを振った。長い金髪が揺れる。


「人を撃ち落としておいて、そんなこと言えない。でも確かにそう……ただの鉄の塊を壊しただけにしか思えない。こんなことって……」


「苦しんでるじゃないか、アーリー、君は。そして心で悲鳴をあげている。まともなんだ、とても」


「ザックス、私、怖い。戦場がじゃない、自分が。こんな風に思うかもしれないとは思った、でも誰にも言わないでいようと思った。それさえできない。私は……」


 アーリアルは、マグを両手で持ち、子供のように飲む――実際、子供ではあるが。その手が震えて、コーヒーが水面に細かな波を立てていた。


 ザクセンは自分のカップをテーブルに置き、コンロ脇のシンクに据えられた収納を開けた。


「ザックス?」


「悪いことしよう。飛んだ後のこの時間は、そのためにあるのさ」


 ザクセンが取りだしたのは、上官たちが置いているブランデーの小瓶だった。それを数滴、自分のカップと、アーリアルのマグに落とす。


「共犯に乾杯」


 アーリアルは困ったように笑い、残ったコーヒーを飲んでみた。アルコールはほんの数滴なので、ほとんど知覚できない。


 自分の分を一息に飲み干したザクセンは、ハンカチを出して口に当ててから、言った。


「時には、弱音は必要だ。でも、一人の時はやめた方がいい」


「分かる気がする。今、初めてそう思った」


「僕もさ。また、こうして話そう」


 アーリアルはうなずくと、マグのコーヒーを飲み干した。


 そうして、胸中でつぶやく。


(私は戦争を終わらせたい。でもそのために飛ぶのは、人殺しの空か……)


「見て、アーリー」


 え、とアーリアルがザクセンを見ると、彼は西に向いた窓の向こうを指さしてた。


「こっちは、ライトがあまりついてないんだ。だから、ほかの方角よりも少しだけ星がきれいに見える。僕は、夜のここに、これを見に来るんだ」


「……本当だ」


 時折虫の声が聞こえる。


 他には、ここには誰もいない。彼らだけしか。


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