第43話 逆鱗に震える
「ラウラさんも私達にここ見せろ、と…そう言われたのですか?」
「はい。本当はマウラ・クラーガス嬢もお連れする予定でしたがマーレ様が御二人のご来訪を予定されたので、これを機に、と」
「それがなぜ、我らにこの場所を見せることに繋がるので?…はっきり言うと、我らは勇者について殆んど知りません。命は助けられましたが…少し世間話をした程度で…」
「勇者御一行の方々…特にラウラ様は貴女方を心配されていました。これはラウラ様のお考えですが…『魔神の将が己の配下を傷付けた者達をこのまま見逃す筈はない。必ず、今一度仕掛けてくるだろう』、と。お二人とクラーガス嬢は魔神族の男に一矢報いたと聞いておりますので」
「だが、それとこれとは……いや、そうか。魔神将が我らを狙って現れるとすれば、それを狙って…」
「ええ、今度は魔神将を狙った勇者殿が現れる可能性は非常に高い。つまり、貴女方は再び勇者殿と出会う可能性が特別高いということ…。それを踏まえて、彼について少し知っておいた方が良い、と言うのが陛下とラウラ様の御判断です。接触する以上、『勇者ジンドー』という男がどのような者か…この霊廟にお連れしたのはその一部をお伝えするのに相応しいからです」
「…そうです!ここは歴代勇者達が眠る場所なのですね?このような場所は聞いたこともありませんでした…なぜ秘密にされているのですか?そもそも、このように勇者の魂を祀るなら然るべき慰霊を行うべきです!」
シオンが思い出したかのように辺りを見渡す。先程の言葉が本当ならば、ここは霊廟…即ち墓場のど真ん中である
それも、過去の英雄達である勇者を讃え、その魂を眠らせる為の場所…聖域の筈だ
本来ならば国をあげて慰霊の儀を行うべきなのは明らかだ
国民、いや世界の人々がその魂の安寧を祈るべき大事を行う筈が…聞いたことも、その存在すら知らないのだから、本の虫のシオンが疑問を懐くのは当然だった
「それは大戦中に、そのような儀を行う余裕が無かったからです。食料も兵も資源も資金も底が見えるような戦況では、行いたくとも行えなかった…人々に希望を与えられる『勇者祭』は生きる為のモチベーションになる為どうにか行っていましたが、慰霊の儀は…大戦中に勇者の死を連想させてしまう、という事もありました」
「なら!大戦が終わってからなら行える筈です。ここにいるのは…この世界の為に命を燃やし捧げた英霊です!勇者祭も盛大に挙げていたのだから、慰霊だって…!あまりにも…報われなさすぎます!」
シオンは珍しく感情的だ
勇者の英雄譚や冒険譚を寝物語に聞いて育った彼女は恐らく人一倍勇者への尊敬が強い
そう、勇者祭の概要を丸暗記していた程に、その気は強かった
「落ち着けシオン。出来ない事情の1つや2つあるだろう。あまり
「いえ、構いませんクラリウス嬢。エーデライト嬢のお言葉は最もです。陛下も終戦より毎年、それを嘆いていらっしゃる…ですが、行えない事情がありました。それは…1つはご覧の通りでございます」
ストラウスが手の平を上に向けて肩を上げる仕草を…まるでこの場の全てを指し示す動きに、釣られて周りを見て…
「…そうだ、慰霊の話の前にそもそも…なぜ勇者達の墓石が破壊されている…?そしてなぜ直されていない…?…賊に入り込まれた、ということは…いや、しかしここは王宮の真裏…賊など入れる筈が…」
「はっはっはっ!本当に、敏いお方ですクラリウス嬢。この場がこのような無惨な姿になったのは、今より三年も前のことです。これでも、内壁や床の修復は進んだのですよ」
「では、墓石は直してる最中である、と?」
「…いえ、墓石には手を出しておりません。直すことも、触れる事も、我々は極力しないようにしております」
「…それは、なぜですか?」
声のトーンが落ちたストラウス
まるで、言い難い事でもあるかのように
「…それが、勇者ジンドーの、我々への最後の言葉だったからです」
「「!?」」
2人の目が見開かれる
ここで、その名前が現れた
勇者ジンドー
救世の英雄にして世界の解放者
「『何人たりとも、勇者へ関わる事を禁ずる。これを破る者は黒鉄の勇者への宣戦布告とみなす』…といった旨を、彼は我々に告げました。その時から、極力触ることすら避けるようにしています」
極端、と言える
関わるな、と言われその故人の墓を触れることすら止めるようにした…
いったい何が起こればそうなるのか、いや、そう言われるような事になったのか
そして、どれだけこの王宮が勇者ジンドーを恐れているのかがよく分かる
「…ですが、仮に勇者がそう言ったとしても、彼にとっても同郷の故人の墓であれば直すくらいはしてもいいのではないですか?このように破壊された状態では逆に勇者の怒りを買うのでは…」
「いえ、それも無いでしょう。なぜなら……この霊廟を襲撃し全ての墓を破壊したのは他ならぬ…勇者ジンドー本人ですから」
「…なんだと?…この壊された墓全てを…」
「いえ、墓だけではありません。この霊廟そのものを半壊させ、ある物を持ち去っていったのです。それが、慰霊の儀を行わない大きな理由の1つ…勇者ジンドーは、ここに納められていた全ての勇者様方の遺骨、遺灰、遺品を回収して行きました」
ここだけでも衝撃情報だ
なぜ、そんな暴力的な真似をしたのか…それも3年前と言えば大戦が終わったタイミングである
戦いが終わってから、なぜそのような事を実行したのか…
しかし、ストラウスは続けた
「そして王宮地下に存在していた、勇者様をこの世界にお招きする秘法である奇跡のアーティファクト…勇者召還魔方陣を原型も残さず地下空間ごと破壊していきました」
国王の言葉を思い出す
『穏やかではない別れ方をしたのも事実ではある』
穏やかではない、どころの話ではない
完全にラヴァン王国と勇者ジンドーは敵対の関係にあると言ってもいいだろう
「遺骨や遺品が持ち去られたここに勇者様達の御霊魂はいらっしゃいません。3年前の勇者ジンドーによる襲撃以来、この霊廟はもぬけの殻なのです…これでは、慰め鎮めるべき相手が居ない…。さぁ、そろそろ陛下とマーレ様がお待ちですね。王宮へ戻りましょう」
あの日、ロッタス山で言葉を交わした勇者ジンドーは話の分からない男では無かったように感じた
少なくとも、ペトラはそう思っていた
だが、話に聞く勇者ジンドーは圧倒的な力を理不尽に振るう狂気の持ち主に聞こえる
いや、その力を振るった理由が何なのか…
(普通ならば王国が勇者の首に賞金をかけてもおかしくない大事件ではないか…。ではなぜ秘密にする?王国にもメンツがあるだろうに…いや、賞金をかけようにも、そもそも見た目が分かっていないか)
「…マルトゥーカ様は勇者ジンドーの顔を見たことはあるんですか?」
ペトラの問いは半ば世間話のようなもののつもりだった
そりゃ、知ってる筈もない。知っているならば今の今まで勇者ジンドーが謎に包まれた存在ではないのだから
しかし、もと来た階段を登りながらかけた問いは意外なことに…
「ええ、ありますよ」
「「あるんですか!?」」
驚愕の声が綺麗にハモる
はっはっはっ、と愉快そうに笑うストラウス
「とはいえ、見たのは5年も前の話です。彼が勇者召還魔方陣から現れたその時、陛下と共にお迎えをした者の1人が私でしたから」
「な、なら勇者の素顔も分かっているのですね!?」
「ええ、ですが言った通り5年前の姿しか分かりません。現在はどのような姿か…面影はある筈ですが何せ、勇者ジンドーは当時…12歳の少年にすぎなかったのですから」
「12歳……まだ子供ではないか…。確かにそのような噂があったのは知っておったが、まさか本当に…」
「…少し耳にかかる黒髪と黒目と、あまり日焼けのない肌色に荒事を知らなそうな華奢な体、背もお二人よりもっと小さかった。戦いなどしたことが無いとすぐに分かる綺麗な手をしていたのが今でも印象に残っています。かくばった皮製の鞄を背負っていましたね」
黒髪というのはさして珍しくもない
しかし、黒目というのは結構珍しいが歴代の勇者は全員が揃ってこの特徴を持っている、と伝えられている
そして、珍しいとはいえ、その程度であり希少というよりは「たまにしか居ない」程度の特徴とも言えた
容姿の特徴は殆んど存在しないと言えるだろう。
最も特異なのはその年齢だ。歴代最年少の勇者というのはあまりにも珍しく、それまでの最年少は15歳であり18歳が一番年齢が高い記録がある
12歳の少年というのは、119回の勇者召還を行ってきたラヴァンにとっても異例の出来事だったのだ
しかし、それ程幼さを残す少年だったのならば5年の月日がもたらす成長はかなりのものになる
面影は当然残されているだろうが、体つき細かな所も成長によって変わってしまっており、髪は違う色に染めることは容易い
そうなれば容姿の特徴で探し出すことはほぼ不可能に等しい
彼を特定するにあたり、この召還されて間もない頃から全身鎧を身に纏っていたことが災いし、あまりにも捜索難易度が上がってしまったのだ
本人の情報で現在も変わらず分かっていることは僅か
現在17歳の男性、ということだけである
「ですが、一発で見分ける方法もあります。これはほぼ不可能ですが…勇者紋さえ見ることが出来れば、特定出来るのです」
「勇者紋……と言うと、例の紋様のことでしょうか?兜、剣、稲妻の意匠ですよね?」
「うむ、確かにあれが体のどこかに刻まれていれば一発だ。…とはいえ、本人が自らに刻印するとも思えんが…」
「いえ、その紋様ではありません。あれは勇者ジンドーが初めて立ち寄った冒険者ギルドで作成した物です。勇者紋は…勇者様が異界からこの世界へ渡る際に体へ刻まれている物です。ですから、これは必ず肉体のどこにある…これは普通の紋様ではありません。その勇者を表す物であり、本人の魂の形を顕現させている、とも言われております。消すことは勇者本人でさえ、不可能です」
あちらを見てください、と促された階段下に倒れていた墓石…大きく書かれているのは眠る者の名前であるが、その上によく見ればどの墓石にも様々な紋様が彫り込まれている
形は様々だ。ということは、この紋様が墓の主である古の勇者達に刻まれていた勇者紋なのだろうが
恐らく、同じ紋様は1つとして無いと思われた
。確認できる限りの墓石だけでも似た形の物すら存在しない
「ですが、今代の勇者殿の紋様については極秘中の極秘…これは教えるわけにいきません。只でさえ、勇者を自称する愚か者が多数居る中で本物の勇者紋を自ら描くような者が現れ始めれば、もはや捜索は不可能となってしまいます」
「自称勇者…そう言えば勇者祭にも居ました。殆んど山賊と見分けの着かない浮浪者にしか見えませんでしたが…もしかして、彼らを取り締まらない理由は…」
「…自称とは言え、勇者を取り締まる、という行為に反感を持つ者が一定数居るのが半分。もう半分は…勇者ジンドーの最後の言葉に触れる可能性が、少なからずあると判断を致しました」
「勇者が12歳の少年であった、という情報を流さないのもそれが理由か…全て『勇者』というカテゴリーに入る、勇者ジンドーの逆鱗に触れる可能性があったから、ですね」
「そして、そのリスクを鑑みても、この情報は貴女方に教える価値があると我々は判断致しました。貴女方はもしかすると、勇者殿との親交の架け橋となるかもしれないのです。是非…他言無用でお願いします」
霊廟の門を出れば、シオンとペトラも改めてそこを振り返る
飾り気のない、一見何の特徴もない建造物
この場所に、今まで命を散らした勇者達が眠っていたのだ、と…そう考えれば思うところがあった
また次に来る事があるならば、その時は全ての勇者に祈りを捧げられれば…そんな夢想をしながらその場を後にするのであった
ーー
「いらっしゃっていたのですか、ラウラ様」
「ええ、あの子達の初めての王宮ですもの。気になって仕方ありませんでしたわよ。それで…無事に見て回れたのかしら?」
「ははっ、手厳しい…勿論、予定通りご見学されていきました。今はマーレ様と共に中庭にてお茶とお菓子を召し上がっておりますよ。行かれますか?」
「あら、級友同士のお茶会に顔を出すほど野暮では無くてよ?」
ストラウス・マルトゥーカの執務室は無駄な装飾や飾り物が一切省かれた実用性のみを追及して作られた場所となっている
機能性に富んだ机、長時間座っても苦にならない椅子、大量に収まる本棚…買おうと思えば町の家具屋でも手に入るような物に囲まれた部屋は王宮の中でもかなり珍しい
そこに戻ってきたストラウスの第一声が、自分の机に向かい合うよう置かれた目の前の来客用の椅子に座る黄金の髪を揺らす美女へと向けられる
彼女の格好は教員用に拵えた物ではなく、聖女としての純白と金刺繍が施されたローブ付きの聖女服を身に纏っており、この王宮に居る時に一番目にする格好とも言えた
「…あそこまで教えて本当によろしかったのですか?ここまで知っている者はこのラヴァンでも極一部に限ります」
「大丈夫ですわ。私がこの目で、あの子達の事は見ておりますもの。どのような人物か、見違うことなどあり得ませんわよ?信用に値すると、私は判断しましたわ。それに…あの部分はまだ教えていないのでしょう?」
「…はい。もう少し彼女達へ信用を持ったその時に、お教えします。しかし、まずはマーレ様の善き友であるのは喜ばしい。見たところ下心あって近寄っている訳でも無さそうです。それに…娘とも仲良くしてくれているようですし、ね」
ふぅ…と溜まっていた物がため息とともに吐き出される
王立書士官は面倒な仕事なのだ
彼の不安は、件の少女達が頭に花を咲かせたような馬鹿丸出しだった場合どうしてくれようか…という物だったのでその不安は良い意味で裏切られたと言える
特に銀髪の少女は頭の回りが特別早い印象だ
「それで、今回はどのようなご用件でいらっしゃったのですか?…もしかして本当にあの少女達が心配で…」
「ふふっ、それもありますわ。ですけど、本命は言わずとも分かるでしょう?私を含め、サンサラ様からも幾度と要請があったのではなくて?」
「……勇者紋の開示、ですか」
ストラウスの糸目が僅かに開かれる
「やはり、その件でしたか」と予想は着いていたかのような言葉は当然のこと。何故なら同じ要請をラウラとサンサラは何度も繰り返しており、その度に「時期を見て…」と遠回しな断りをいれていたのだ
「直接2度、対面した私が断言致しますわ。今のジンドーは随分と話の分かる男です。その程度の事で突然襲いかかってくる程狭量では無いと思いますわよ?」
「それはラウラ様の見解です。ラヴァン王国として、あの日の事を忘れる訳にはいきません。文字通り、国の存亡に関わります。万一にも、彼の怒りに触れる訳にはいかないのです」
「で、あれば。なぜジンドーはあの日助けた3人の少女に自らの身の上話を語って聞かせたのかしら?ただ、魔神族への襲撃に際して出会っただけの学生に、ですわよ?…もはやその程度の事で彼がどうこう言う筈がありませんわ」
うぅむ…と腹の底から悩ましげな唸りが響く。確かに、勇者紋の開示は勇者ジンドーを照合する為の最大の手段だ
しかし、扱いを間違えれば特定不可能な混乱を産み、さらに彼の怒りを買うという二重のリスクを孕んでいる
彼がその話をしたのは…いや、してしまったのは大事な大事な愛娘ただひとりなのだ
当時、勇者召還の責任者として主導していた彼は、召還に成功させた安心感と解放感、達成感でうっかりまだ幼い娘に自慢話として語ってしまったのである
「そもそも、貴方は『勇者祭』実行の第一人者ですわよね?あれほど『関わるな』とジンドーが言った矢先に『勇者』祭を行うなんて…案外、貴方もジンドーのことを分かっているのではなくて?」
「あれは『勇者』が現れた日を祝う祭から、『魔神の討伐と終戦』を祝う祭に変更したからです。屁理屈ですが…勇者には直接関わりの無い祭、という体裁があります。行わなければ、国民からの反感が強すぎたので致し方なく、ですよ…。サンサラ様とお揃いの時に、勇者紋に関してはお話致します。それと、サンサラ様には私からご連絡するので、この件は他言無用で…」
「分かっていますわ。それと…これ以上焦らさないでくださいね?私、昔から堪え性が無いもので…」
あぁ、これはもう引き伸ばせないか…と諦めの笑みを浮かべて「…覚えておきます」と口にするストラウス
もし、勇者ジンドーが「変わった」のだとしても、恐らく一番変わったのはラウラだろうと密かに思う
昔の彼女は今の姿からは想像がつかないような…なんというか、ヤンチャだったのだ
それこそ、最初は聖女として癒しの魔法を使って回るだけだったのにいつの間にかジンドーに感化されて防御の魔法を振り回して魔物の群れを踏み潰してしまう程度にジンドーに馴染んでいたのだから
そこから今のような淑女の鏡のように成長したのはちょっと感動してしまうくらい…
「…何か失礼な事をお考えでは?」
「いえいえ、とんでもない」
…感が鋭いのも昔からでしたね
去る彼女の背中を見ながら、僅かに冷や汗を流すストラウスなのであった
ーーー
午後、夕方に差し掛かる前には大型の車両の列が学院の正門を潜り抜けていった
然したる問題も無く、キャンプの撤収は終わり出発、道中もトラブル1つ無く王都へと辿り着くことが出来たのだ
その間、慣れない屋外生活で疲れた生徒は揺れる車両の中で死んだように眠っていたのだとか
「うむ!今回も良い演習になった!皆、これ以上ない経験を積むことが出来たな!全く、普段の講義もこれくらい刺激がなければ詰まらんと思わないか?」
「いや、刺激強すぎっすよ。集団誘拐未遂なんて、トラウマにでもなりそうなもんっすけど…」
「バッハッハッハッ!それも良い経験よ!冒険者と教師に囲まれた中で夜襲を体験出来るとはそう無い事!むしろ、もっと危険な状況で来られるよりは安全に体験出来たと思わんか?」
「なんつーパワー理論…いや、実際無事だったからいいのか…?」
呆れ果てたカナタの声が愉快そうに笑い声を上げるオーゼフに紛れて漏れる
この演習、この人抜きでは実現出来ないんじゃ…?と思うカナタは恐らく間違いではないだろう…
学院の正門を抜けた先、出迎えや送りの馬車が駐留する巨大なロータリーへと到着すればオーゼフの気合いの入った大声で叩き起こされた生徒達がゾンビのように車両から出始め、脚を引き摺るようにして「あ、ありゃっした…」とやる気のないコンビニ店員のような礼を言って帰路に着く姿がなんとも哀愁を誘う
「はぁ…お疲れさまでした、オーゼフ先生。俺も疲れたっすよ…もうしばらくはいいかな…色々とあった…」
「バッハッハッハ!なんだカナタ先生!まだまだいけるぞ!なんなら、あと10日は過ごしても良かったがな!刺激の無い演習など、やる意味も薄かろうに!」
むしろ、賊はよく来てくれた!とでも言い出しかねない
全ての生徒が出てから車両が係の人間に牽かれて学院の車庫へと去っていくのを見届けたのは、それから30分後の事であった
色々と濃い演習だっただけに疲労感もやけに強い気がするのは気のせいだろうか…?
気付けば夕陽が差し込む時間となり、大声をあげて去っていったオーゼフの背中も随分遠くに見える
彼はこれから筋トレやストレッチをするそうだ
どこが引退した冒険者なのだろうか…
あの隆起する筋肉達に休息の二文字はなさそうである
「……カナタ、帰ろ……?」
「あぁ…帰るか。……えっ?」
さっきまで自分1人だったはずが、傍らからその声が聞こえてくる
今日の朝、テントの撤収以来聞いてなかったその声に、ビクンッ、と体を強張らせ、ちらりと視線を向ければ当然のように真横にマウラが居た
肩のあたりにある瑠璃色の髪が揺れ、その眼が上目にこちらへ向けられていた
ちなみに、全く足音がしなかった
どうやら、昨晩のスニーキングでコツを掴んでしまったようだ
カナタの耳にも何も聞こえず、気配すら感じなかった
…その事実にカナタは戦慄した
とうとう気を張っていなければ彼女の接近を1ミリも感知出来なくなってしまったようだ
そんなマウラの腕が、カナタの腕をきゅっ、と絡んで寄せ体全体でくっつき、その頬を彼の肩にすり、すり、と擦り寄せる
「…カナタ…その……お部屋、行っていい…?……明日、お休みだから……たくさん…出来るよ…?」
赤く染めた頬に恥ずかしそうに潤んだ眼、いつもの大きくない声が恥じらいで少し尻すぼみになる姿は猛烈な破壊力があった
何が『出来る』のか当然のように分かってましまいながらも、思わず本能的に「ああ、勿論いいよ」と喉元まで上ってきてしまう…その言葉を強引に飲み込む
彼女は完全に、ゴールまで行く気満々である
(やっべ…これはもう止まれなくなる…!いや、もしかして…あそこまでしておいてシないのは不自然なのか…?というかマウラめっちゃその気だし…もう男として思いきった方がいいような気が…いや、その覚悟は昨日したろ、俺!)
空いてる手を彼女の頭に乗せてふわふわと柔らかな猫耳ごとくしゃり、と撫でる
眼を細めて気持ち良さそうにしてくれるマウラにどうにも熱い感情が止められなくなる
「マウラ、俺は…その……止めらんねーよ?ほんと、かなり限界でな…正直、するってなったらブレーキなんて全く効かないからさ…キツいとか嫌とかあんならすぐ…っ」
若干しどろもどろになりながらなんとか、最後の忠告を口にするカナタだが、最後まで言い切る前にマウラによって物理的に口を塞がれる
片手でカナタの胸ぐらを掴んでかがかませ、少し背伸びをしながら唇を重ね合わせてその先の言葉を封じ込めるマウラ
何秒もその姿勢のまま、「ん、…むっ……」とお互いの声にならないなまめかしい閉じ籠った吐息の音が鳴り、その二人の姿を地平線に足を着け始めた夕陽が照らし出していた
「っは…っ……ブレーキなんて要らない……嫌なんてありえない……カナタのする事全部嬉しいから……それに…」
赤く染まった頬に艶かしく微笑を浮かべながら、少し恥ずかしいように「…んっん…」と咳払いをして
「……カナタに……たくさんされるの…楽しみだよ……?」
バキンッ
理性を縦真っ二つにする皹が走る音が聞こえた
いつの間に、こんなにも男を引き寄せて止まない魅力を備えたのか
元から容姿で引き付ける美貌の少女ではあったが、ここまで男心を擽り理性の裏から本能を引きずり出される魔性の魅力は昨日が初めてだ
完全に、タガが外れる予感がした
「…分かった。なら、この後……俺の部屋に…」
自分の言葉に己の腕を抱き締める彼女の胸の鼓動が跳ね上がるのを感じた
恥ずかしそうで、嬉しそうなのにどこか緊張してる…視線を向けた先で彼女の表情がそんな複雑に入り混じった感情を浮かび上がらせていた
その言葉を全て告げたら…
そう思った瞬間である
「マウラ!よくも置いて行ったなお主!わざと黙って屋外演習に参加したのは分かっておる!」
「いつの間にそんな小細工を…。マウラも随分と成長したみたいですね、前までこんな搦手は使わなかったのに」
「何を喜んでおる、シオン!お主、自分が一歩リードしてるからと余裕を吹かせおって…!はっ…!そうだ、マウラお主…この演習で何か進展でも…」
真後ろから聞こえる聞き覚えのありすぎる声にカナタの言葉と息が詰まり「ぶはっ、けほっげほっ…!」と意味不明な奇声に変換された
思い切った事を言おうとちょっと意気込んでただけにつんのめった勢いは強く、噎せたように咳き込みながら「シオン、ペトラ…!?なぜここに…」と驚愕の視線を投げかける
いや、一番変化があるのはマウラだ。フニャフニャと揺れ動いていた尻尾がビシィッ、と固まりその表情はいつもの無表情をさらに酷くしたかのような、見るものを凍てつかせる極寒の迫力に満ちている。いや、密着しているカナタには分かってしまった…彼女の体の奥底からこれまでに無いほどに湧き出す膨大な魔力の高まりを…
声をかけたペトラもその変化に「おや?」と気付き、自分がもしかして何かしでかしたのではないか?と感の良い彼女は感じ取る
というか、そう思わざるを得ない程にマウラの不機嫌ゲージが上限を超えて高まっているのが嫌でも分かってしまった
ゆっくりとカナタの腕を離したマウラがゆらり、と振り返り亡霊のようにゆらゆらとシオン、ペトラの二人に向けて歩き始める
その身に未だかつて見たことのない程の瑠璃色に輝くスパークを纏わせ迸るそれが地面を無造作に穿ち周囲の空間に蜘蛛の巣の如く伝播して彼女の歩く跡を奔る稲妻が丸焦げに焼いていき
俯くようなマウラの目の辺りにギラリと蒼の光が宿っている
シオンとペトラの額に、つー、と嫌な汗が一筋伝う…
"……もしかして、我ら…滅茶苦茶タイミング悪かったか?"
"…の、ようです。マウラが見たことない状態になってます…!"
悟った…今、自分達がどの程度かは分からないがどうやら…とてつもない特大の地雷を踏み抜いた可能性がある、と
「あー…うん………じゃあ、お疲れさん。俺はこの辺で………」
決して…決して振り返る事なく、冷や汗をかく二人とそれに向かって行くマウラに背を向けたまま手を振って歩き出すカナタ
彼が数歩先まで歩きいたその後方で起きた事は、決して見ないようにするのであった
二人の無事を、心の中で祈りながら…
『ふしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!』
『うぉぉあぁぁっ!?落ち着けマウラぁぁ!?どぁっ!?悪かった悪かったっ!そ、そういうつもりじゃ無かったん…あばっばばばっ!?』
『ちょっ、ま、待ってくださいマウラ!違うんですわざとでは…!えっもしかしてかなり良いところまでいってたので…ひやぁぁぁぁぁぁっ!?』
『にゃあぁぁぁぁぁっ!!あとっ…後ちょっとだったのに……っっ!!…絶対…っ…誘ってくれてたのに……!…雰囲気も…っ最高だったのに……!!…カナタも受け入れてくれてたのに……っっ!』
『けほっ…ひ、久々に食らった…!…………はっ?いやっ、いやいや待て待てマウラ!そ、そんな大技をこんな所で使うな!?』
『そ、その技は…落ち着いてくださいマウラ!流石に私達でも、それを受けたら無事では済みません!?あ、謝ります!タイミングが悪かったんですね!?後でまた協力しますから…!』
『…此の手に集え、天界を穿つ破壊の雷霆…!遍く事象よ、我が意のもとに…滅び去れ…!』
『『ちょっ、待っ』』
翌日、ロータリー近辺から広範囲全体が丸で落雷による爆撃でも受けたかのような惨状だったそうで
修復が大変だったとか
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