第42話 勇者はいずこ


「…して、壮健であったか?……勇者殿は」


なぜ、それを自分達に…一瞬の考えが頭を埋め尽くすが、今回お呼ばれされた理由はこの事なのではないか…そう思い至る


「…それは、どういう意味でしょうか」


ペトラの言葉が、ワンテンポ遅れる


2人の脳裏を過るのは、ロッタス山で語られた勇者ジンドーの言葉


『奴らにとって俺は、『勇者』という名称の兵器。自分達を守らせる肉の盾であり自分達が傷つかないよう戦場に立たせる奴隷…それが王国にとっての『勇者』だ』


あまりにも不穏な彼の話は脳裏に焼き付いている

目の前にいるこの国のトップがあの勇者にどのような干渉をしたのかは分からないが、聞いた限りではロクな事にはならなそうだとすぐ分かる


ただの一度しか話したことの無い、顔も見たことの無い男の事だ

だが、己の命を守ってくれた勇者への義理は果たさなければならない


一瞬のアイコンタクトがシオンとペトラの間で結ばれる


「既に知っておるから心配するでない。そなたらがユカレストの火山地帯で勇者殿と出会った事は、儂らも把握しておる」


「いえ、確かに勇者様にお会いしましたが、さした話も出来ず、去っていきました。あれが本物であったのかも、私達には判断できかねますが…」


「…うむ、そう来るか。その様子を見るに…儂らと勇者殿の間に埋めることの出来ぬ確執がある事をご存知のようじゃ」


「「ッ…」」


やはり、目の前の老人は勇者に何があったか分かっている

ラヴァン王国からの勇者への非人道的扱いとはそれ即ち、国王の勇者に対する方針としか取れない


つまり、この男は勇者を兵器として操ろうとし、帰還という甘い話をぶら下げて戦場に立たせた張本人という事になる


思わず、身構えそうになる

もし、この国王が勇者を今一度手中に納めようとしているならば…


(…カナタは言っておった。『貴族やらが絡んできたら好きにしていい。俺ならどうとでもしてやれる』…王族相手にも適応されるならば、あまり肩入れしたくないが…)


(ラウラさんとの事もあります。まず、その様な事は望まない筈です。…私としては、ラウラさんの望むようにしたいですが、王族相手というのは…)


2人の考えは計らずとも同じ

つまり、あまり勇者の情報を渡さない方が良いのではないか?

とはいえ、実際大したことは知らないのだが…


「そなたらが何を考えてるかは分からんが、まずは言っておこう…。我らは勇者殿の敵ではない。…とは言え、穏やかではない別れ方をしたのも事実ではある」


「…我らには今一、実態が分かりません。お話していただける、と?」


「…聖女ラウラを除き、勇者殿と大戦以降まともに出会った者はそなたらしか居らぬ。故に、事情を少し話しておこうと思ったのじゃ。ユカレストの一件はかつての勇者一行に調査を依頼しておった…儂らは勇者殿をかの日より探し続けておる、その手がかりが欲しい」


「大戦が終わったのに、なぜそこまで勇者に固執するのですか?やはり、その…王国の戦力としての確保という意味が…」


「断じて、違う。…当時の王宮にそのような思想で動く者達が幅を効かせていたのも事実。しかし、我らラヴァンの王族が勇者への感謝の念を絶やしたことなど一度もないじゃろう。ただ…彼を呼び出した者として、頭を下げねばならんのじゃ」


苦笑ぎみに「やはり、それを知っておったか」とこぼしされれば、2人揃って「うっ…」と気まずそうに視線を背ける


「これは、大戦始まってよりラヴァン王国に積み重なった澱みじゃ。何百年もの時を超え、儂の時代で大戦が終わったのも天命…ならば、儂の代で全ての罪を精算するのが道理じゃろう。その為ならば、この首を差し出す事すら厭わぬ」


その目は、静かに己の使命を理解しているように見える

いったいそれほどの信念があってなぜ、その様な事態になったのか


軽々しく首を突っ込む話ではないと思いながらも気になってしまう


「お爺様っ、書長をお連れしました!」


「ははっ、マーレ様、お客様の前ですよ。ノックをお忘れです」


その僅な沈黙を割いて、扉を勢いよく開いたマーレと後ろに続いてきた男が部屋に入ってくる

細身の優男で、目も細く眼鏡をかけた姿の男であり、そのせいか随分と若く見える

きっちりとした正服を着こなし胸元には王宮の知能を司る王立書士官の金細工が施されていた


「おおっ、待っておったぞ、マーレ。そして、呼び出して悪いのぅストラウス。こちら、客人のシオン・エーデライト嬢とペルトゥラス・クラリウス嬢じゃ。学院ではマーレが良くしてもらっておる」


「おお、いやはや、実は私もお会いしたいと思っておりました。私、王立書士官長を勤めるストラウス・マルトゥーカでございます」


「マルトゥーカ…もしや、レイラのご家族ですか?」


「はい、レイラは長女ですよ。何せ、娘から「凄い同級生がいる」と聞いてましたから、どんなお方か気になっていました。どうやら…予想を裏切らない聡明な方達のご様子で」


マルトゥーカ…そう、ユカレストの温泉でマーレ、スーリと共に居た少女の姓

あの快活で少しギャルっぽい少女とは少し印象の違う文系な見た目の優男だ


横目でバロッサを見るストラウスが含みを持たせれば、視線の先で「ごほんっ、んんっ」と盛大に咳払いをする国王陛下

あまりストラウスに対して強く出れないのか、気まずそうに目線を明後日の方向へ向けるバロッサにくつくつと笑いを隠すストラウスは、シオンとペトラに向き直り


「さて、お二人とも。陛下のご厚意と、そして勇者関連の事情にまつわる事を鑑みて、是非見ていってもらいたいものがあります。ラウラ様とも親交のあるお二人ならば、見せても構わない、と」


「はっはっ、それではマーレ。儂らは庭園にて茶と菓子でも用意して待っているとするか。彼女達は少し、王宮の見物をしてからじゃ」


「はいっ、それではシオンさん、ペトラさん、また後で!料理長にお願いして美味しいお菓子作ってもらったんです!」


バロッサがマーレを連れて部屋を出ていくのを見るに、ここから先はマーレに見せない場所なのだろうか


「さぁ、参りましょうか。こちらです」


扉が閉まるのを見届けたストラウスが先導を始め、互いに見合わせてから、こくり、と頷いてから後に続く2人


道中は巨大な廊下、すれ違う役人や貴族等がひしめく賑わいのある場所を通りつつ、そこを通りすぎれば、今度は全く人気の無い廊下を通り、今度は多くの部屋がある回廊を歩いて進む


王宮の中はエリアが変われば目まぐるしく様相を変えており、先程通った場所と今通る場所ではまるで違う雰囲気がある

役所然とした騒々しい場所もあれば、高貴な者の住まう風格を備えた煌びやかな場所も、実用性を追求した扉や倉庫のような場所も、全てが違うコンセプトで作られている


まるで別の建物が廊下で繋がっているかのような印象さえ受けるだろう


「ちなみに、そこは私の執務室です。ご用の時はいつでも来てくださいね。ああ、あちらは厨房です。今頃マーレ様のリクエストされた菓子が盛られている頃でしょうか、実はマーレ様は小さい頃から大の甘党でしてね。陛下も欲しいままに菓子をお与えになるから肥満のまん丸王女になるのでは?と臣下一同危機感を抱いたこともありました。おや、あちらに居るのは…」


さながらバスガイドのようにあちらを見ては解説、こちらを見れば説明と忙しなく口を動かしているのを見るに、どうやら何かを解説したりするのが好きな様子で、どこか警戒していた気持ちも萎んでいく


しかし、歩き続けて空の下に出れば、そこは王城の真後ろに当たる庭のようだ


本来、建物の後ろには何もないのと誰もが思っていたが、しかし…王城の後ろには城壁と王城が挟んで隠すように…日の光が当たらない不自然な場所にその建造物が存在していた


綺麗な四角形のみという飾り気の無い形に鋼鉄の門が嵌められており、色は城と全く同じグレーの石材で建てられている

石材を積み上げてから何かコンクリートのような物で塗り固められているのか、継ぎ目が全く存在しない完全な四角形だ


彼が進んでいくのはそこだった


「マルトゥーカ様、ここは…王城とは違うみたいですが…」


「こんな物があったとは知らなかった…公に見せていないのではありませんか?」


明らかに先程までと空気の種類が違う場所に言葉を合わせる2人


「さぁ、この中でございます。迷子になったら大変です、しっかりと着いてきてください」


しかし、ストラウスは答えを言わず、前に進む

今はまだ、答えず直接見せたいものがある…そのように見えた


門の正面まで寄れば、持っていた大きな鍵で分厚い鋼鉄の門の鍵を開ければ軋み1つ立てずに、見た目の大きさに反して滑かに門は開いていく


どうやら地下に続いているようで、開かれた先は横幅の広い階段が四角の螺旋を描いて下へ向かって続いている

その中央は吹き抜けとなっており最下層までが覗き込めるようだが…


魔法の光が左右の壁から全体を、遥か先の下層まで延々と照らしているようだが、ここからでは階段が無限に続いているようにも見える


先を歩くストラウスの背中からでは彼の表情も真意も計ることは出来ないが、ここまで来て何も語らないのには理由があるのだろうか


(シオン…もし何かを妙な事になれば、実力行使で構わん。力ずくで脱出するぞ)


(ええ、そのつもりです。この先が牢獄だったりすれば、私達も身を案じた方が良さそうですが…ここは何なのでしょう…?)


(分からん。そも、王宮にこんな建物がある事すら知らん。一通りこの国に入る前に調べはしたが…こんな物はどこにも記されていない。要するに…)


(公にはされていない…いわば極秘の施設ですか。…胡散臭いですね、ただ友達の家に来ただけの筈なんですが…)


(…言うな、シオン。我もそれは思った)


僅に発した声で話す

これでもしも、地下まで行ってから「君達がいたら困るんだ」などと言われて消されにかかっても可笑しくない雰囲気だ

警戒だってするだろう


しかし、無限に思える階段も終わりを迎える

下り終えた先は一直線の通路となり、その先開けた空間に繋がっているようだ


「さぁ、到着です」


ストラウスの声に背中を押されて通路の先に待ち構える空間に入り込めば、そこは…


巨大なドーム状にくり貫かれたような、地下とは思えない純白の空間

いや、純白に見える程真っ白な天井、壁、床に囲まれておりその境界が滑かな曲線になっているせいでどこからが壁で天井なのかも見分けがつかない


異常な空間に錯覚さえ覚えそうだが、その白の中に大量の四角形が並んでいるのが見える。凄まじい量だ、大きさもかなり大きい…優に3mはあろう大理石のような石を削り出した立方体が1ミリの乱れすら無い程に、空間の中央を囲む形で整列しているのであるが…不自然な事に、そのどれもがまっぷたつに割れ、砕け、破壊されているのだ

かなりの量がある筈の石製の立方体は1つ残らず破損しているのである


「ッなんだここは…?随分と風変わりな…」


「これは…石材でしょうか?こんな真っ白な石は見たことがありませんが…採掘場…とか?」


流石に困惑を露にする

シオンの言う通り、綺麗に寸分違わず切り出されたそれは石材、建築や柱に使われそうな物だ。

触れてみればスベスベと滑かな手触りの石を触り、興味深そうにするシオンとは別に、ペトラは気味悪そうに辺り、空間そのものを見回す


ストラウスが空間の中心へと進み、その中心部と思われる場所には一際巨大な、周囲の石材の倍以上の高さと太さはあろう石碑が聳え立っている


「さぁ、こちらです。この場所こそ、陛下がお二人にお見せしたかった場所ですよ」


「…ここは何なのですか?あまりにも王宮と雰囲気が違います。政治的に関係があるようにも見えませんし、この石も…その辺の物では無いのでは…?」


「えぇ、この場所の為に、特別に調達している物ですからね。歴代の王族は王宮がいかに戦火をあびようとも、この場所だけは守りきったと、そう言われているのです。この場所への入り口が城壁と王宮に挟まれているのも、それが理由なのです」


まるで観光ツアーの語り手のようにシオンへ石碑を見せるストラウス

彼の言葉を信じるならばこの場所は王や施政者にとって、王の住まう場所よりも大切であり守らなければいけない場所ということになる


一見、壊れた石の柱がズラリと整列してるだけにしか見えないのだが…


そんな彼を余所に、ふとペトラは一番近くにあった、まっぷたつに割れた立方体を見て僅な違和感を覚える


(…なんだ?白すぎて遠目では見えんかったが、良く見ると何か表面に付いて…いや、何か掘ってあるのか?)


まるで質の悪いトリックアートのように、立方体の表面に何かが刻まれているのを見つける

近寄って実際に触ってみれば、確かに深く掘り込む形で文字が刻まれているようだ


手で触り、目を凝らしてその字を口にするペトラも、言い終わるまでその意味が分からなかった



「なに……





『サ イ ト ウ タ ク マ 』




……?…………ッ」



一瞬、首をかしげるが直後、ざっ、と焦ったように後に下がるペトラにシオンもストラウスの話から視線を向ける


「何か分かりましたか、ペトラ?」


「いや、まさか…っ」


シオンの言葉も届かない様子で焦ったようにすぐとなりの立方体へ駆け出す

角が砕け散り、横に薙ぎ倒された立方体を触り、その次は隣に縦からかち割られた立方体へ。さらに隣、その隣と確認していき、ペトラが息を呑む音がシオンにも聞こえた


「…『ミ シ マ カ エ デ』…『ア キ タ ミ

ツ オ 』…『ユ ヤ マ ヒ ロ ス ケ』…『カ ナ ヤ タ ネ キ ヨ 』…やはり、この特徴的な名前の並び…マルトゥーカ殿、ここはッ」


「本当に、敏いお方です。…お察しの通り、この中央の石碑を除けば、全部でその石の柱は119本ございます」


やはり…と、ペトラの表情が苦々しく歪む


「ペトラ?それはいったい…119とは何の数で…」


「……シオン、あの勇者ジンドーは『120代目』の勇者だ。つまり、119というのは…」


その言葉に、流石に目を見開くシオンがストラウスを振り返り、彼はここに来るまでの和やかな笑顔をしまい込んだ表情で、静かに頷いた




「その通りです。陛下と、そしてラウラ様に、貴女方へお見せせよ、と言われておりますこの場所こそ……




歴代勇者様の霊廟でございます」




ーーー



「ふぁ……おはよっす、マウラっち……。めっちゃ寝たっすよ~。やっぱお腹いっぱい食べた後は瞬寝っす……今日は穏やかな朝っすよね?」


間延びした欠伸と共にテントから這い出してくるスーリが幸せそうな寝起きのぼやきを溢して空に上がった太陽に目を細める


昨日は目を開けたら皆が心配そうに覗き込んでいて、自分が誘拐されかけた、という衝撃情報が目覚まし時計の代わりに耳に飛び込んできたのだ


平穏な朝に感謝をしたくなる気持ちも分かるだろう


すぐとなりのテントの住人に朝の挨拶を投げ掛けるものの…返事がない

…まさか誘拐…ってあり得ないか

だって、誘拐犯より強かったし…


とその可能性をぽいっ、と一瞬で捨て去りマウラのテントを開くが、中には誰も居ない


「おはよう、スーリ。今日は平和な朝でいいわね」


「あんなの2日も続いてたまるかってんだよなぁ。おはよ、スーリ。安心しろ、今朝は誘拐されてねーぞ?」


エスティとクレイラが手を振る

やはり、昨日のことは彼女達でもインパクトが強かったようだ

冗談めかしたクレイラが楽しげに笑っている


「おはようございますっす。いやぁ、私も思ったっすよ。何もない朝っていいっすよねぇ……ってそんなことはいいっす!…マウラっちらが居ないんすよ」


あら?と首をかしげる2人

まさかあの娘に限って何かあるなんて…

いや、ありえねぇって。アタイらより絶対強いぞ?

そうよねぇ


という会話が2人のアイコンタクトから駄々洩れである


「こういう時はカナタ先生かしら?多分、あの子の事ならよく知ってるんじゃない?」


「あー、言えてる。保護者っつーか、…獲物っつーか…ま、何にしても詳しいのは先生だな」


憐れむようなクレイラの言葉に全員が「あー…」と声を出す

だって、あのマウラが狙ってるのだ

そんなに持つとは思わない…何がとは言わないが…


「って、あれカナタ先生じゃないっすか?あ、マウラっちもいるっすよ」


見れば小川の方向からマウラとカナタが歩いて来るのが見える

どうやら顔を洗ってきたらしく、マウラが髪や猫耳に着いた水を顔を振って払っているの見て、タオルでくしゃくしゃと拭くカナタの姿はなんとも微笑ましい


こちらを指差すカナタは、マウラが居なくて探しているのを気づいたのか彼女に何かを話しか、こくり、と頷いたマウラが小走りでテントへと向かってくる


「おはよーっす、随分早く起きてたんすね。もうっ、朝からカナタ先生とデートっすか?」


「……おはよ…んー…ちょっと違うかな……」


スーリの冗談にくすり、と笑いながらエスティ達に「…おはよ…」と告げる

当然ながら、何かトラブルがあった訳でもなく、エスティとクレイラが「ほら、な?」「まぁ、杞憂よね」と話し合う


「よっし、これでこの班も揃ったな…。んじゃ、今から撤営にかかる。全て終わらせて昼食を終え次第、王都に向けて出発だ」


遅れて現れたカナタが事務連絡を告げながら、他の班を見渡し「ここが最後だ。遅れんなよ?」と一言残して去っていくが…


「あら?カナタ先生、首、どうしました?」


ちょっとした違和感…カナタが首に軽く包帯のような物を巻いているのだ

昨晩はこれといったトラブルも無い筈だが…もしや怪我でもしたのだろうか?


そんなカナタは…ギクッ…と、肩を僅かに震わせ一時停止した後に何事もなかったかのように振り返り


「ちょい虫に刺されたもんで。はは、いやぁ、大した事無いからお気になさらず」


…何やら様子が変である


が、特に追及するような事でもないか


「それじゃ」と歩き去るカナタを見送って自分達もテントやらの撤収にかかろうと動き出そうとした時


「……カナタっ」


マウラがその名前を呼んで小走りに駆け出す

「ん?」と振り返ったカナタに振り返り様、彼の首に腕を回してぶら下がるような姿勢のまま抱きつき…


「ちょっ、マウラ待っ…ん…っむ…!」


「んっ…」


ちゅっ


直前に何かを察したカナタの静止も間に合う筈無く、その勢いのまま静止の言葉を無理矢理止めさせるように唇を重ね合わせる


カナタの動きが石化したように停止し…ついでに言えばエスティ達やスーリもビタッ、と完全に固まった

ただし、目はまるまると開き、顎が外れたかのようにカクーンと落ちている…


ひゅるり、と風が吹き抜ける音だけがその場に残った


「…っはっ……ん、また後で、ね…?」


塞き止めていた息を解放した吐息と共に、首に回した腕を下ろすと何事も無かったかのように、たたたっ、と自分のテントへと戻っていくマウラ


そして、彼女を首と視線だけで追いかける一同


一瞬、誰もが何も言わなかった…


「…えっ、まじっすか!?」


最初に再起動したのはスーリだがぽかーん、と開いた口は未だふさがらない


「ま、まさかこれって…あ、朝帰り、というやつなの…?え、てことはあの2人…!」


エスティの声に「はっ」とスーリとクレイラが悟る

カナタの方へ答えを確かめるように視線を向ければ…そこには既に誰も居なかった

音1つ立てず疾風の如く立ち去っていたカナタに「くっ…」と悔しそうなクレイラ

…やっぱりちょっと、その手の話を聞いてみたかったらしいがカナタの危険察知の強さは遺憾なく発揮され、赤面ものの追及からまんまと逃げおおせたらしい



と、なると…



三人とも同じことを考え、目線がテントをバラし始めたマウラを捉える

なんの気無しに見えるがよく見れば…頬は少し赤らみ、シャツの襟がギリギリ隠している首筋の辺りに赤く腫れた痣のような痕が僅かに見え隠れしており…


「ん……ちょっと、頑張ってきた……忘れられない夜……気持ちよかった…カナタのモノってマーキングみたいで……すっごく嬉しい…」


ズガーンッ


まるで雷に撃たれたような衝撃が駆け巡る!

少し顔を赤くしながら首筋を撫でる姿は同級生とは、学生とは思えない!

クレイラが「…女の顔してやがる…!」と戦慄を露にし、「な、なんていうか…遠くに行ってしまったっす…!」とわなわな震えるスーリ。「私だってまだなのに…!」となぜか悔しそうに見えるエスティはいったい何が『まだ』なのだろうか…


「…私もちょっと、強くしちゃったから……でも…私の印残せたみたいで…ちょっとドキドキ…ふふっ」


カナタ先生のあの包帯はそれか!

いや爽やかなキャンプの朝にはちょっと過激すぎない!?

というか、昨日の今日でもう食べられちゃったのか先生!


3人がそろって同じことを思った


「…でも……最後までしたかったから…ちょっと残念……」


が、ここで「おや?」と我に返る


「あーえっと、マウラ、その、カナタ先生とシてきたんだよな?その…何をっていうか、ナニのことなんだが…」


言いずらい!

まさか年下の学生の少女に「昨日は好きな男とセッ◯スしてきたんじゃないの?」なんて思いっきり聞ける筈も無し!

結果、すごく曖昧で訳の分からない言い方になっている…


「…んん、してない……惜しかったけど…でも、すごかった……おかげで寝不足…今回はカナタにやられちゃったけど……次はもっと頑張る…!」


「あ、はい、そうでしたか…」


クレイラが敬語になってしまった!

経験値0の自分からは想像も出来ない程進んでしまった様子の少女に完全に気圧されている!

ナニが惜しかったのか、次はナニを頑張るのか、ナニをやられちゃったのか、聞きたいところが山積みだ!


「と、取りあえず…その、シてはいないのね。ちょ、ちょっとだけホッとしたかしら」


「バケモンっす…カナタ先生、耐えきったの精神力が人間とは思えないっすよ…!あの人性欲とかあるんすか!?」


「…いやぁ、見た感じかなりギリギリで踏み留まったってとこだよな。…いや、あれ多分ヤる寸前くらいまで行ったんじゃないか?」


「あんなマーク付けるくらいには、カナタ先生も火が着いてたのね…。これはヘタレと呼ぶべきなのかしら、それとも踏ん張った所を褒めるところなの?」


「どっちもっすよ。…ちなみに、カナタ先生にはあんな感じの子が後2人控えてるっす」


「「!?」」


繰り広げられるカナタ先生の「紳士か獣か論争」だが、概ね半々くらいらしい

…確かに、紳士で手を出さないというなら自分のマークを相手の首に痕にしたりしないだろう

だが、スーリの言葉にエスティとクレイラは眼を剥く

「えっ、まだいるの!?」という顔だ


「マウラっち見れば分かると思うっすけど…他の2人もとんでもねぇっすよ。あんな感じの強さで、あんなレベルの見た目で、あれくらいカナタ先生にぞっこんな子っす。学院の話題を浚っていく超有名人達でマウラっちも合わせて今や学院のヒロインみたいな状態っすから」


「それは…確かに…」


「ああ…そりゃ…」


「バケモノだな」「バケモノね」


総評、カナタはバケモノだったようだ


主に精神力が



バシャンッ


「…あー…またやった…はぁぁぁ…恥ずかしい…死にたい…」


さらさらと流れる小川は大人2人が両手を広げた程度しかなく、深さも膝ほどまでしかない

その川辺で冷たい川の水を両手で掬っては顔に叩きつける

何度も何度も繰り返し、それが何回目か分からない溜め息を流しては額に手を当ててどんよりとしたオーラを放っていた


そんな暗黒のオーラを放っていそうなのにも関わらず、表情は不機嫌ではなくどこか恥ずかしさに居心地の悪そうな物であり周囲に誰も居ないながらもその表情を見られたくないのか、顔だけは手で隠している


今頃キャンプでは各々が撤収作業でわたわたと慌ただしく動いているだろう

誰かが来る心配は限りなく低い


(危なかった…!ここが屋外で他の生徒と冒険者もいるって状況じゃなかったら間違いなく…!…これがもしベッドの上だったら…というか、プライベートでマウラと2人だったら絶対最後まで行ってた…!その自信がある…!)


またも…またもや己の理性が半分…いや、七割ぐらいぶっ壊れたカナタはかなり全力で彼女への心内こころうちを行動に表していた

そうしないと気が済まないと言う程に暴走というか、ヒートアップしており、マウラの火の着き方も相当な物だったがカナタも同等と言えるだろう


押し倒すような形の姿勢で体の下に敷いたマウラの小柄な体を更に背中へ腕を回して抱き寄せ、濡れた体を互いに擦り合わせながら。

彼女はこちらの後頭部と首に抱きつくように腕を回してわずかな距離すら遠いと言わんばかりに


互いの唇を貪るような激しいキスを延々と繰り返した


どんなに深くお互いの唇を食み、どれだけ奥まで互いの舌が絡み合わせ、隙間など無いほどに互いを引き寄せあっているのにまだ足りない


もっと深く、相手の奥に


もっと強く、相手の側に


もっと中へ、相手の事を


「ぷはっ」と息継ぎをする暇すら惜しい

吐息を漏らすマウラの首筋に唇を押し当て自分の痕を残した

そのしなやかで柔らかな身体に手を這わせ、彼女が愛らしく反応する場所を触る

嫌なら止めないと…そんななけなしの理性だがせつなげに、物欲しそうな吐息を漏らして「…もっとっ…カナタっ……!」とシンプルで短い一言が彼のブレーキを更に壊す


彼女の唇が己の首横を這い、かぷっ、と柔らかく歯を立てながら「ちゅっ、はむっ」と生々しい音を立てるのが聞こえればそれだけで愛おしさに思考が塗り潰される


お互いが、「相手の事が欲しい」という単純な欲望だけを燃やしていた


マウラは…最後まで行く気であった

「……カナタ…いい…っ?」とシンプルな要求は、しかしながら彼の最後のふんばりを強く引き起こす

なぜなら…


(ま、………………待て待て待て待て待て落ち着け俺!さ、流石に学校行事の最中だぞ!?そんな、生徒と教師が抜け出して…スるか!?いや…でも……しかしっ…だって………!森の外には冒険者と生徒も居るしっ……流石にヤバい!な、なにより…始めたら間違いなく止まれない!)


そう、ここには学校の授業で来てるのだ!

そこで夜を通しておっぱじめるのか?

否ァ!

ここに来て、この場所に来た経緯やら何やらを最後の防壁にして僅かにだけ戻る思考力が制止を訴える!

だって……


(……朝までで足りる訳ねぇ…!マジで止まれなくなる…!)


…一言、追記するならば


この世界に来て特別級の肉体性能を誇る勇者の身体は、まで特別級になっていた…

カナタの危機感はそこにもあった…!どうせなら時間がある時にたっぷり…いや、そういう話ではなく!


「ま、マウラ…!その、嬉しいし、正直…したい。隠さず言うならすぐにでもお前と…あー…その…1つになりたいと思うけどな?…ここでは、止めておかないか?」


「ん……なんで…?…私もしたいし…カナタもしたいなら……っ…しよ…?」


「ふぐぉ…っ…た、確かに…じゃなくて!その、なんだ…ば、場所とかシチュエーション?みたいなのあるだろ?」


慌てていい募るカナタに赤らんだ顔で「…?」と首を傾けるマウラに「うっわ可愛っ…」と思いながら、「おや?」とよくこの状況を考える


満点の星空、鏡写しの湖面、反射する星達、吹き抜ける柔らかな夜風、少し暖かい気温に冷えた水が体を冷まし、2人きりの男女、互いに半裸で、先程まで熱く求めあい…


(シチュエーション最強すぎぃ!?え、何、ここまで計算通りですかマウラさん!?ここまでお膳立てされた状態で撤退の二文字あんのか俺!?)


そんな追い詰められた状況の中でも、マウラはぎゅっ、とこちらの体を抱き締め、追い討ちのキスを重ねてくる

その小柄な身体からは信じられないほど強く、熱く…その行為は蕩けるようで、柔らかい。じゅわじゅわと理性が蒸発する音が頭の中で響き渡る


既に半分以上の本能が彼女を求め、そのまま交わり合おうとしているような…



バシャンッ!


勢いよく顔に水を叩きつけ、そこから先の記憶と頭に登った熱気を飛ばそうとする

思い出すだけでも、ヤバい…一度冷静にならないと…


何よりも


「ここじゃなければ抱いてた」


そう本心から思っている事に自分でも驚いていた


(こんなにベタ惚れだったか俺…?いや、そりゃ惚れてるのはそうだし浅い気持ちで言ってる訳じゃないけど…もう抵抗感というか、押し留める気が殆んど無いぞ俺…。次来られたら絶対最後までいっちまう…)


ぶくぶくぶく…


もはや頭が湯だりすぎて途中から川の中に頭を突っ込んでいる


だが…


(…次、次か………腹くくるか。今回は際どかったけど…いや、正直そこまでしといてヤらないのかってとこまで来たが…もし次があるならその時は…恥かかせられんよな)


覚悟を、決める


ごぼごぼごぼ…ざばっ


川から頭を引っこ抜き、ふぅ、と息を吐く


この世界に来てから色々な覚悟を決めてきたカナタだが


今回のが一番勇気のいる覚悟だった、と…彼は後に語る
















ちなみに、どうやってマウラと致さずに逃げ切ったのかというと…カナタ曰く「ヤる事以外だいたいやった気がする」との事らしい。

彼女がくったりと眠る頃には、夜明けの光が見えていたのだとか…


「……何も言うなよ?絶対…絶対に、何も言うな…」


『勿論です、マスター。そこまで無粋ではありません。何も聞いておらず、何も見ておりませんので』


「…………… 助かる」

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