第41話 湖に揺れる瑠璃の華


ビクッ、とのびのび腕を広げていたカナタの体がその声を聞いて小さく跳ねる

閉じていた瞼を開けばいつの間にか、自分の真上から見下ろすようにその顔を覗かせていたのは当然ながらマウラであった


きらめく星と月の夜空を背景に、短い瑠璃色の髪を揺らして猫耳をぴこぴこと動かしながら星海のような瞳をこちらに向ける姿は思わず見入ってしまう美しさだが…


(まさか着けられた…?いや、確かに警戒ってほど気は張ってなかったけど…俺が気付かなかったとは…)


「…ふふっ…来ると思った……カナタなら…絶対…っ」


悪戯が成功したかのような、くすり、という笑いを聞いて、どこか違和感を覚える

まるで、カナタがこの場所にやってくることを知っていたかのような言い方だが…

ふ、と思い出す、昼間のマウラが発した言葉


『ん…あっちの方……水も綺麗だし、広いから……水浴びに最適だった……』


あっちの方…水浴びに最適…指される指先…………


(っ誘い出されたっ!?まさかっ、俺が風呂好きで入りたいって分かってて…いやしかし、俺がこの時間に来ると何故…)


さらに、思い出す…昨晩、不良生徒を追っ払った時、コアラのように抱き着かれて思いっきり匂いを吸われた……いつもの親愛表現だと思っていたが…


(いや、まさか…あの時か!あの時の俺の匂いでまだ体拭ってなかったから…そこから俺が水浴びにくる時間を深夜帯だと…!)


カナタは気付いていなかった…

マウラが湖を指差していた時、その視線をしっかりとカナタの顔に向けていたことを!

自分の匂いを吸ってるように見えて、彼がまだ夜ご飯の時点で体を拭いていないのを確かめていたことを!


そう…まさに…


(マウラ…っ…踊らされた…っ!全部こいつの計画通りかっ)


僅か一瞬…その事に気が付いたカナタ

焦るのも無理はない…この展開は前にも一度体験しているのだ、そう…ユカレストの温泉で


「あー、邪魔だったか?いやぁ悪いな、俺は後でいいから先に…」


「…えいっ」


「しびっぃあっ!?」


さも、何事も無かったかのように体を起こして立ち上がろうとするカナタへ向けて無慈悲に繰り出された電撃は、マウラの指先彼の体へとビリリと走り、思わず可笑しな声をあげて再び同じ姿勢で倒れこんでしまう


体がびりっと痺れて立ち上がろうとした体はまんまと力を奪われてしまった


「なっんでっ…力業なんだいつも…っ!」


「…?」


カナタのぼやきに首をかしげるマウラが今はちょっとだけ小憎らしい

シオンに言われた…『師匠に似たのだ』、という言葉が今になって頭を殴り付けてくる


そんなカナタの事など露知らず、動けないカナタにぴったり隣に身を寄せて座るマウラ

まるでそこに入るのが当たり前かのようにカナタの横に座り、体をこれでもかと寄せて腕を広げて寝転がるカナタの二の腕の辺りに頭を乗せて横たわる


腕枕の格好でさも当然のようにそこに収まるマウラに不覚にもドキッと胸が騒ぐ


彼女の格好はかなり露出多めだ

元より着重ねるのが好きではないマウラは寝る時は下着のような姿が多いのだ

今回も殆んど太ももの上から脚の出ている柔らかな生地のショートパンツに肩紐と鳩尾までしか丈のない腹出しのインナーと、かなり扇情的な姿だ

体にぴったりとしたデザインだからか、マウラの体のラインがもろに出ており、シオンのように女性らしさ前回の起伏に富んだボディラインとは一味違う、スレンダーな体に柔らかくしっかりと出た凹凸の健康的な肢体はカナタにとって非常によろしくない


「…カナタと肌くっつけるの……ドキドキする…けど…好きだよ、私…。…ずっとこうしてたいって……思うから…」


「っ」


真横でこちらを見つめるマウラの表情は月明かりでも分かるくらいに朱に染まっており、どこか珍しく恥ずかしそうな仕草が普段の姿とのギャップを強く押し出し猛烈に魅力的に見える

しかもこんなこと耳元で囁くみたいに言われると、イヤでもそういう気分に向かってしまう

…いや、別に嫌ではないのだが自分の意思を通り越えて直接男心に火をつけられる感覚はどうにも慣れない


「…なぁ、やっぱりマウラも…そういう感じで来たのか?」


「んっ……そういう感じ…分かってくれてて、良かった……私も…ちょっと勇気だしてるから…」


「…そか」


" なんだよそういう感じって! "


カナタは心の中で叫んだ!

自分で振っておいてなんだこの形容しがたい言葉!

もうちょい気の聞いた言葉の1つでも吐けないのか俺は!


己の不甲斐なさに悶絶する一方、マウラの姿勢は少しずつ変わる

カナタの右半身に体を向かい合わせて重ねるように乗り右肩の…というよりほぼ胸の上に頭を乗せる形になればいよいよ体の密着具合がこれ以上ないレベルになってきた


布1枚腰に柔らかな胸の感触を胸板に感じ、彼女のさらけ出された細く柔らかなお腹は己の脇腹と密着して熱を伝え合う

彼女の脚がしなやかな蔦のように脚に絡んで水を吸った猫の尻尾がいつもと違う感触を与えながら腿に巻き付いてくるのだ


じりじりと理性を焼くこの状況にどうするべきか戸惑うカナタも一先ず、震える右腕を上げて彼女の頭に手を置いた


戸惑いもするし慌てもするが…嫌なことなど何一つ無いのだから

シオンとの一件がカナタの知らないうちに、己の中のブレーキを緩めてしまっていたのかもしれない


髪をくしゃりと撫で、猫耳を手癖のように指先でつまんですりすりと擦ればマウラの目が気持ち良さそうに細められ、「ん、んーっ……ぅ…んーっ…」と喉をならしてすり寄ってくる


(可愛すぎかっ!やっべ俺どうなっちまうのよこれ!?ま、まさかマウラがここまでギアを上げてくるなんて…!いや待て落ち着け…!シオンの件で俺は少しだが耐性が上がったはず…!落ち着けばなんてことは…!)


「んー…んにゃ……もっと、くしゃってして…?んっ…んーっんっ……みゃ…たくさん、触って…っ」


…すりすり、くりくり、さらさら、くしゃくしゃ…


(…は!?俺は何を…まさか一瞬トんでた…?まさかそんな…めっちゃ可愛い…いや違う、ちがくないけど!マウラ本気で来すぎ!あ、頭がパンクしそう…!)


戦慄するカナタ

マウラの怒濤の攻勢にガリガリ理性を削り取られていき、普段見せないふやけたような可愛らしさに彼女に回した手は最早離すことも出来なくなっていた


カナタの首に手を回してしがみつくようなマウラは擽ったそうで、気持ち良さそうで、何よりも幸せそうだった


こんなの…手放せる訳がない

自分と一緒に居て、こうしてるだけでこんなに満たされたような、愛らしい表情でこんなに好意をぶつけてくれる彼女を、どうやったら受け入れない等と選択肢を取れるのだろうか


「…カナタ…聞いてもいい…?」


「…どした?」


マウラが胸に顔を押し当てながら見上げてくる

彼女から受けた先制攻撃のぴりぴりとした痺れがようやく抜けてきた体を確かめるように左手をにぎにぎと握って開けてと繰り返す


何かマウラが無茶をする前に体が動かせるのにどこか安心してしまいながら…


「…カナタ…ここに来るまで……誰と話してたの……?」


ピタり…


カナタの動きが、凍ったように停止した



【sideマウラ・クラーガス】


すっごく、勇気出した


シオンが温泉でやったことが頭から全然離れなくて、羨ましいなって思ってたから

だから、私もこの授業で勇気を出して、自分の心のままに動いてみた


カナタなら、湖があるって知れば来てくれると思ったし、カナタは昨日夜ご飯の時も汗の匂いしてたから…多分来るのは皆寝てからだと思う

他の人は…クレイラさんだけ物音で起きちゃうかも知れないから慎重にテントから出ないとダメだった。だから、服も寝る時のままでちょっと恥ずかしいけど…でも、カナタなら見られてもイヤじゃない


少し遠くで物音がして、音が出ないように気を遣った歩く音が森の中に入ってくのが聞こえたから、そのまま後を着いていく

カナタだったら追いかけてるの気付いちゃうかもだし、気を付けて行かなきゃ…

…せっかく勇気出したのに肝心なところで逃げちゃったらヤだから


先に森の中へ入って行ったカナタを追いかける

どのルートを通ったのかは匂いが残ってるから、見えなくても分かった


暗闇の先、僅かな星の光が彼の背中をぼんやりと視界に写し、もう少し近づこうとして…


『……出て……困るのは……くアイツだ……を…やす……エンデヴァー…向かわせ……』


この距離でようやく、カナタの声が耳に入った

そんなに大きな声じゃないから、夜風に吹かれて上手く聞こえない…独り言…?何て言ってるのか

…違う。誰かと話してるみたい


何年も一緒に暮らしてたけど、カナタが独り言でずっと話すなんて見たことないから、きっと誰かと話してる


なのに…変


……


聞こえにくいとか、紛れてるとかじゃなくて…全く他の声がしない、気配もしない


もっと近づいて聞いてみないと、良く聞こえない…そうして横から回り込んでカナタの顔を見て、思わず息が詰まった


いつもの優しい顔と違う

冷たい眼、低い声、感情をどこかに置いてきたような淡々とした命令風の口調


『…してある。いざとなったら…ユピタ紅葉林ごと』


私の知らないカナタの姿

私たちには向けたことのないその眼と声で


『根こそぎ焼き払って構わない』


あまりにも、穏やかではない言葉が紡がれれば、ふわふわとした気持ちがどこか冷たい水を差されたような心地になる


思わず立ち止まってしまう


(っ今の……何…?ほんとに…カナタだった…?でも…焼き払うって……何を…?カナタ……何しようとしてるの…っ?)


優しくて、いっつも頭くしゃって撫でてくれて、変なことしたかなって思っても困った顔で受け止めてくれて、不安な時は笑って「任せときな」って言ってくれる…


(…聞いてみなきゃ…カナタの事、知りたい…きっと、私達にまだ見せてない部分があるんだ……そういうとこも、全部っ……カナタの事、受け入れたいから…っ!)


だからこそ、勇気を出した


いつものように冗談めかして、何事もないかのように立ち去ろうとするカナタに先手を売って少しビリビリさせて

自分の心の距離を表すかのようにこれ以上無い程自らの体を彼に寄り添わせる

これから立ち入ったことの無い場所へ行こうとする自分に勇気をつけてもらうように、カナタへ撫でて欲しいとねだり、そして何時ものように、優しい顔で頭を、耳を心地よく撫でてもらって

カナタの暖かい体に、胸に顔をぎゅーっと押し付けながら


そして…




「…カナタ…ここに来るまで……誰と話してたの……?」



ドクッ


直後、カナタの胸の奥で、心臓が跳ねたのを押し当てた顔と、耳で感じた


さっきまでの…ドキドキとした鼓動じゃなくて、驚いて、びっくりして、不意を突かれて…そんな感じがした


見上げれば、さっきまで恥ずかしそうで、照れたような、ちょっと嬉しいけど困ったのも混ざった彼の表情が


びしり、と固まっているのが見えた

どうする、どうしよう…そんな不安が透けて見えてしまう顔


「……っどこから聞いて…いや、違うな。…悪い…そんな不安な顔しないでくれ、な?別にそんな大したことないんだ、ただ…なんて説明したらいいか…」


すぐに、その表情は消えてしまった

でも、カナタに言われて初めて…自分の顔が不安を露にしている事に気が付く


それを宥めてくれるかのように、大きな手がぽんぽんと軽く頭の上を弾ませてくれる

それだけで、心のそこから気が休まってしまうのだ


「さて、なんて言えばいいかな…俺の仕事を手伝ってくれてる奴と話をしてたんだ。遠くから、俺の頭の中に声を届けてくれててな、だから周りから見ると独り言に見えんだよ」


「…カナタの…お仕事…?…学院の先生の事…?」


「あー、いや、そっちじゃないんだ。俺の、本来の仕事って言えばいいのか…?…まぁ、お前達に会う前から続けてる仕事、かな?」


「…冒険してたんだよね…世界中…前言ってた…。…ユピタって所と何か…関係ある…?」


「…そこも聞こえてたか。そ、俺が昔倒した厄介な魔物が居てな。それがまた厄介な奴で…きっしょい体液垂れ流すわ、きんもい卵ボロボロばらまくわ、そもそも見た目がキモいわ……いやぁ、大変だった…」


カナタが遠い目をしてる…!

途中までなんだか真面目な感じだったのに魔物の特徴言い始めてからどんどん項垂れてく姿はちょっと可哀想に見える


「…あれ…?…倒したんだよね…?何で今……だって、森ごと焼くって言ってたよ…?」


「正確には、封印したんだ。まともに殺そうとするとあまりにも大掛かりになるし、周りの被害がとんでもない事になるからな。やむ無く、封印って形で手を打った…そいつが出てくる可能性があるんだ」


「…っ…カナタでも勝てないの…?…ならっ、私達となら…強くなったから、力になれる…っ」


「いや、ダメだ。そいつにだけは、お前達を引き合わせたくない。…言ったろ?大掛かりにはなるけど、殺そうとすれば殺しきれる。ただ、その場合…」


「…でもっ……っんん、分かった…。……ユピタって所は…すごく被害が出る、ってこと…?」


「そういうこと。ま、人なんか居る場所じゃないし、出てくるなら派手に始末しといた方がいいよなって話だ。」


引き合わせたくない魔物がどんな相手かは分からない

そんなに強い魔物がいるなんて、私じゃどんな相手なのか想像もつかないし…


今まで、カナタが倒せなかった魔物なんて何処にもいなかった

どんな魔物でもあっさり倒しちゃうし、色んな魔物の特徴とか弱点も沢山知ってるのに…そんな魔物が本当に居るなんて、ちょっと信じられない


ロッタス山で負けてから、沢山修行してる。もう絶対負けないように…カナタも一回だけ倒せたけど、多分それでも…私達が会ったらダメって相手なんだ


カナタは私の事、私達の事すっごく考えてくれてるのは身に染みて分かってる

きっと、心配してくれてるんだ


でも、それでも…


「…カナタは…大丈夫なの…?…強いんだよね…私じゃ危ないくらい……他に手伝ってくれる人とか……居ないの……?…そんな魔物…私、知らない…聞いたこともないよ…?」


「俺は大丈夫だって。他の人が手伝うも何も、巻き添えで死なれたら気分悪いだろ?俺、こう見えてもめっちゃ強いのよ?」


ちょっと自慢げに言って見せるカナタ


" それに… "


と続き…


「知ってる奴なら居る。俺が倒して、封印した魔物について知ってる奴が、王都になら居るぞ」


そう、悪戯な笑顔で言ったのだった



これは最大限の、ヒントだ

マウラに伝えたこの情報を正しく辿ることが出来るならば…いや、シオンとペトラの知恵が在るなら必ずたどり着ける


目の前の男が何なのか


その魔物を封印した者が、この世界で何と呼ばれているのか


自分から打ち明けるのを恐れた己の撒いたヒント

たどって欲しくもあるし、逆に知らないままでいて欲しくもある…


(…こんなに弱気なの、柄じゃないよなぁ。こいつらと一緒に居ようって、そう決めたのに…いざとなると怖くなる…)


『進歩した方なのでは?今回はかなり大きく近づいてくると思いますよ。まぁ、その手の知識が薄いマウラ嬢に伝える辺り、マスターもなかなか意地の悪い事をすると思いますが…』


(うっせ。俺のペースでやらせろっての。こういうのは…こう…なんだ…そう、順番!順番が大事なんだ。いきなりワケわからんカミングアウトしても「はぁ?」ってなるだろ?)


『…私はそのマスターの引け腰に「はぁ…」と溜め息をつきたいです』


マウラが心配してくれている、というのはよく分かるが、まだ四魔竜の相手は早すぎる

最悪、考えたくもない事態に陥る可能性すら捨てきれない以上どんな手段を講じてでも近寄らせないのが最善だ


上体を起こして座り直す

膝の辺りまで冷たい湖水の中に浸かり、引き寄せる弱い波が尻の下を通って後ろへと流れては、引いていく


体はもう、電気も抜けた

流石にもう引き留めのビリビリはしてこないだろう

マウラも続いて体を起こした姿を見れば、それ以上の質問も無さそうなのは分かった


取り敢えず、体を拭いて服を着よう


そう思って立とうとした瞬間

とさっ、と膝上に衝撃が落ち、地面から離れた尻がばしゃん、と再び波寄せる砂利に落下する

無駄に気付かない程の速度で動いたマウラが、ほんの一瞬の内に膝の上に乗っていたのだ

カナタに背中を向ける形で寄りかかり、彼女の背とカナタの胸腹がくっつく形で、彼女の小さなお尻は完全に太ももの上に乗っかっている


「…マウラ?」


「……………」


珍しく、一言も発さない彼女の表情はこちらからは見えない

視界の下に瑠璃色の髪が夜風に揺れ、彼女のトレードマークである猫耳が落ち着かないようにせわしなくぴこぴこと動き続ける。水にしっとりと濡れた尻尾は2人の体の間から砂利に伸び、その先端が浅く張った湖水の上から砂利の上に、ぱしゃ、ぱしゃ、と叩くように動いており、時おり悩ましげに揺れながら、てし、てし、とまた叩く


思ったら即行動が常のマウラにしては、非常に珍しい姿


そのマウラの手が、横に置かれていたカナタの手をきゅっ、と握ると自分の膝の上に置かせる形で両手を重ね合わせる

まるで、唯一無二の宝物を抱えるかのように


その手を、持ち上げ、カナタの掌をそのまま…彼女は己の胸の真ん中…いや、少し左にぎゅっ、と押し当てた


「ちょっ…マウラっ……!」


「…感じて……カナタ…私の、心の音…私が、カナタのこと…どう思ってるか……ちゃんと感じて…」


柔らかな膨らみに嫌でも指が沈み込み、薄い布一枚の向こう側にある感触を余すことなく伝えてくる


しかし何よりも…その奥から響く命の脈動が掌から伝わってきた

でもそれは、普段のそれとは明らかに、ちょっとだけせわしない

リズミカルに刻まれる鼓動は息をきらせる訳でもなく、ただドクドクと強く早く…掌に力強くそれを伝えてくる


そして、それは彼女の胸に手を押し当てられてからもさらに早く、打ち付けてきているように感じた


もはや言葉にしなくても分かる


どういう相手ならば胸を高鳴らせるのか

己にとってどんな相手ならば、己の心の臓に手を当てさせられるのか

どれだけの信頼があれば、そこに触れることを許してくれるのか


無口な彼女の精一杯のアピール


口に出すことなく、胸の内をさらけ出す


普段のクールな態度からは全く想像がつかないほどの高鳴る鼓動が何を意味しているのかを、察せないほど鈍くない


「……カナタはどう…?…私も……知りたい……私っ…んっむ…っ!?」


我慢できなかった

上から見上げるように振り返ったマウラに上から言葉を塞ぐように唇を重ねて塞いでしまった

重ねるだけの口づけなのに、ちょっと長く、お互いの時が止まったかのように感じるほどに


お互いどれくらいの間、唇を重ね合わせていたのか分からないながら、いつの間にか顔を離し、恥ずかしそうに、居心地がちょっとたけ悪そうにしたカナタを目をまるまると広げてマウラが見つめる


「その…なんだ…あー……俺は、想ってる。正直、シオンにも同じ心の内を伝えてるから強烈に罪悪感があるんだけどな…」


「ううんっ……カナタなら、5人くらい居ても大丈夫っ……」


「そ、それは多いかな?…でも、優劣つけるつもりは無い。1つの気持ちを分けるなんてあり得ない。同じ大きさの気持ちを持ってんだ…だから…」


気まずそうなカナタに首をふるふると横に振るマウラが、なんだか凄いことを言ってる気がして流石に突っ込まずにいられない

そして、既にシオンへその心を伝え更にマウラにも…という事にブルーな気持ちを抱きつつ…それを止められないカナタをマウラは嬉しそうに見つめていた


こうなることを、この心を交わらせる事が出来る日をずっと待っていたのだから


体の向きを背中向けから、彼の太ももの上に跨がり向かい合うような姿勢に変えるマウラにカナタも驚きを隠せない…というか、「こ、この姿勢は良くないだろ…っ」と言ってるあたり彼の理性は順調に消耗しているのが分かる。もしここではない世界ならば「入っているのか、いないのか」論争が勃発すること間違いなしである


「…カナタ…その気持ちの分だけ…して…?もっと沢山…もっと強く…もっと激しく…っ…カナタの気持ち、教えて…っ」


「っ」


マウラのその言葉で、ブレーキが故障する

というか、ここまで言われて止まりたくなかったのだ

惚れた女にここまで言わせておいて、「止めておこう」なんて正面から言える程チキンを極めていない


向かい合ってこちらを見上げるマウラに、上から再び唇を重ね合わせる

今度は重ねるだけではなく、しっかりと交錯させて、もっと深く、繋がるように

彼女もカナタの首後ろに手を回し、迎え入れるようにして目を閉じる


ちろ、っと舌が覗き、カナタが僅かにその先を迷うとマウラが察したようにカナタの唇を舌先でちろり、と舐め…そこからはどちらともなく再び唇を深く重ねる


その中で、にゅるり、と舌が絡み合い、息をするのも忘れたようにお互いを味わおうとする荒っぽい口づけは、「ぷはっ」と息をきらせて口を離し、お互いを唾液の橋が繋いでもなお止まらなかった


マウラがカナタに寄りかかり、そのまま倒れ込むとマウラを下に敷くようにして体を重ね、彼女もカナタの背中と後頭部に手を回して引き寄せ、カナタ自身も彼女の体を腹後ろに回して抱き寄せ、片腕で最低限体を支え


冷たい湖の水が、倒れ込む2人をびっしょりと濡らし、濡れた髪が頬にかかるのも気にも止めず、むしろ冷たい水が体を冷やすほどに相手の温かな温度を感じとり


その熱をもっと強く感じたい、と体をこれでもかと密着させてなお、体を揺らして更に相手との接触を求め合いながら


そして互いを貪るような貪欲な口づけを続けた


湖水が波寄せる音に交じり、生々しい舌の絡みあう粘度のある水音が、静かな湖に僅かに響く

お互いが恐怖も嫌悪も無く、求め合い、それでもまだ足りないと言わんばかりに激しく…


言葉はもはや不要であった


その行動が、想いの強さと大きさを物語り、その体の距離と行為の激しさが互いの心の距離を物語る


ただ、息継ぎの為に唇が離れる度に、彼女から「…カナタっ…カナタ…っ…」と切なげに名前を呼ばれれば、その度に言葉を遮るようにまたも唇を合わせて塞ぎ、言葉を発することが出来ないように彼女の小さな舌に己を絡み合わせる

マウラは言葉に出そうな想いを彼に直接叩き付けるように、絡め取られる己を相手に深く差し出していく


それは、お互いの心の想いを見せつけ合うかのようで


そして、お互いが満たされるまで、続いたのであった




ーーー



「おおっ、まさかあのマーレが学友を連れてくるとは。よい、堅苦しくせんでも、一友人の父として、そなたらを歓迎しよう」


質実剛健、華美な装飾など無くとも、その適度かつ最適に施される調度品等はしっかりとした気品を感じさせる一室にて、その老人は好好爺とした笑顔を浮かべてそう言った


そこはこの建物の中でも位の高い賓客室であり、外国からの遣いや高位貴族の非公式の謁見に使われる部屋であり、おいそれと人が入れる場所ではない


その部屋にて、二人の少女と相対しているこの老人こそ、この建物…いや、城の主である


バロッサ・ラヴァン・クアンターナ


ラヴァン王国に君臨する王である


「もうっ!あんまり仰々しくしないでって言ったのに!お爺様ったら!」


「はっはっはっ、なに、可愛い孫娘の級友とあらば、保護者の儂が顔を出さない訳にもいくまいて。大丈夫じゃ、マーレから既に、お二人の話はたっぷりと聞いておる。勿論、今不在のもう1人の学友についても、のぅ」


「その話は今はしちゃダメっ!本人の前で言ったら恥ずかしいよぉ!」


適度に柔らかな明らかに肌触りがその辺の物と違うソファに腰をかけながら、そんな2人の様子を若干肩を縮めて見ているのはシオンとペトラの2人である




きっかけは1日遡り…


「シオンさん、ペトラさん!もしお暇なら、私のお家に遊びにきませんかっ?」


放課後、生徒がばらばらと抜け出ていく教室の中で、「ふんすっ」と両手を握りしめてやる気十分に声をかけたマーレに2人揃って目を瞬かせた


「マーレよ、その、簡単に言っておるがそなたの家は…だろう?我らがそう易々と入って良い場所とは思えんのだが…」


ペトラが指差す先には、綺麗に磨かれた窓から勇壮に写る巨大な城…ラヴァン王国王城が聳え立っている

この国の頂点、国王陛下が住まう場所であり、貴族位に席を持つ者でなければ立ち入るのに厳重な制限を課されている政治の中枢なのだ


さも、一般的な友人が言う「うちにおいでよ!」という言葉で誘われはしたが、行く場所があまりにも…仰々しいのは決して気にしすぎではないはずである


「大丈夫ですっ。ちゃんとお爺様にもお城の事知ってるマルトゥーカ書長にも許可は貰いました!ばっちりです!」


その言葉は予想済みだぜ!と言わんばかりに胸を張るマーレ

そう…彼女の夢の1つは親しいお友達を家に呼んで見ることだった!

王族という色眼鏡で見られ、決して同級生と呼べない態度をとられてしまう学生生活を送ってきたマーレは、そんな相手を王宮に入れる訳にはいかないことはよく分かっていた


下手に貴族の息子娘を連れてしまえば、それだけで王族とのパイプがある、と思われてしまい、意図しない貴族のパワーバランスの変調をもたらしてしまう


故に、マーレは憧れていたのだ


そう…ふつうのお友達に!


…実は、王宮側も手放しで王子と王女を学院に放り込んだわけではない

観察、調査をしている者がしっかりと学院内に紛れ込んでおり、ちゃーんと、王子と…特に国王溺愛の王女に関してはしっっっかりとお目付けが存在しているのだ


彼らの報告は国王に直接届けられており、平素のマーレとの関係もばっちり国王の耳に届いているのである


その国王と王宮側が、そんな友人を王宮に招く事を許すかどうか…そう、答えはYes!

普段のシオン、ペトラ、マーレの素行から判断された結果、「そのお友達を連れておいで」と伝えられたマーレは小躍りしながら喜んでいたのだ


…というか、むしろこれで断れる程、2人も図太くなかった

どうせ、カナタもマウラも学院に居ないのだから、こちらも好きに遊んでもいいだろう


こうして、2人の人生初、王宮訪問となったのである


そして、現在


適当な部屋に通されてお茶でもするのか、との予想を盛大に裏切られて入れられた貴賓室にて出てきたのが国王である


堅苦しくするな…と言われても無理がある相手である


「ほっほっ、折角来てくれたのだ、色々とここでしか見れないものを見せてあげよう。マーレ、この手紙を書士官長に届けておくれ。あと、彼にこの場へ来るように、と」


「はい!じゃあシオンさん、ペトラさん!すぐ戻りますのでっ」


懐から取り出した封筒をマーレに渡した国王バロッサ

彼の歓迎の意に嬉しそうにソファから飛び降りると駆け足ぎみに部屋から出ていってしまうマーレを見送り…


「陛下、その…もしかして私達に何かお話しが…?」


シオンの恐る恐るの声が、扉の閉まる音からワンテンポ遅れて発される


「…うむ、敏い娘じゃ。いや、心配せんでよい。マーレの友人として歓迎しておるのは本当の事、しかし、同時に聞いておかねばならぬ事もある」


ゆっくりと頷きながら、その言葉に好感を示す

思い詰めたように「うぅむ…」と漏らす国王の様子に穏やかざる雰囲気を感じ…










「……時に、お二人。…学院でマーレに、言い寄るような不逞の輩はおらんじゃろうな?」





かくんっ、とずっこけそうになるシオンとペトラ


" 心配事って孫娘の恋愛事情の事か! "


なんたる親バカ…いや、爺バカであるか!


しかも質の悪いことに、この老人、めちゃめちゃ真剣そうなのである!


「もし、もし儂の可愛いマーレにその辺の雑草のような訳の分からん悪いゴミ虫が着いては…儂は…ッ…冷静ではいられん…ッ!」


"ゴミ虫とか言いやがった、この爺さん!? "


2人の表情が盛大にひきつる

先程までの穏やかな表情から一転、今なら道端の人を何人でも切り捨ててしまえるような鬼気迫る迫力を放つ老人が冗談で言ってる訳ではないのは明らかだ


これは確かに冷静ではないだろう


「へ、陛下。その、今のところその様な方はおりませんので…その、落ち着かれて方が…」


「わ、我らがしっかりと見ておりますので、ご、ご安心を…は、はは…」


今にも暗黒のオーラを放ちそうなバロッサに、どうどう、と宥めにかかる2人

「む、そうか、ならば良いが…」と一先ず理性が戻ってきた様子に一息つく


これはマーレの将来の伴侶はとても…とっても苦労するのだろう


というか、この老人を納得させられる男性など現れるのだろうか


滲み出ていた凶気のオーラをしまい込み、「いやはや、お見苦しい所をお見せした」とすっかり最初のような柔らかな印象の姿に戻るバロッサ


その次の言葉が、今度は2人をびたり、と凍りつかせた




「…して、壮健であったか?……勇者殿は」




彼の顔に、先程までの柔和な表情は無かった

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